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100の物語[観光・スポーツ] 札幌オリンピック

Sapporoを世界にアピールした熱き祭典
 1972(昭和47)年2月3日、アジア初の冬季オリンピック「第11回札幌オリンピック冬季大会」が開催されました。11日間にわたって行われた大会で、世界中の目が札幌に向けられ、ひろく“Sapporo”の名をアピールすることになりました。また、札幌の市民は間近で見る一流選手たちの競技に魅せられ、日本人選手の活躍に熱く沸き返りました。
 このオリンピック開催に合わせ、地下鉄や大通の地下街が開業するなど、札幌の街が近代都市へと変貌する契機となりました。
札幌オリンピックポスター
■札幌オリンピックポスター
(写真提供:(C)アフロスポーツ)
札幌オリンピック開会式
■札幌オリンピック開会式
オリンピックにあわせて建設された、真駒内屋外競技場での開会式。聖火を持つフィギュアスケート選手の辻村いずみさん。(写真提供:札幌市写真ライブラリー)
日の丸飛行隊
 札幌オリンピックの70m級(現在のノーマルヒル)ジャンプで、日本人選手が金・銀・銅のメダルを独占しました。メダルを獲得した3人の選手に対してつけられたのが、「日の丸飛行隊」という呼び名です。この時の実況放送でアナウンサーが叫んだ、「飛んだ、決まった!」の言葉も流行しました。
 金メダルの笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんは、余市(よいち)高校から明治大学へ進み、卒業後は地元のニッカウヰスキーに所属していました。銀メダルの金野昭次(こんの・しょうじ)さんは北海高校から日本大学を卒業後、北海道拓殖銀行に、銅メダルの青地清二(あおち・せいじ)さんは小樽緑陵高校から明治大学を卒業後、雪印に所属し、3人とも生粋の道産子です。
笠谷幸生選手
■笠谷幸生選手
金野昭次選手
■金野昭次選手
青地清二選手
■青地清二選手
オリンピック史上唯一、日本人がメダルを独占した「日の丸飛行隊」。(写真提供:(C)アフロスポーツ)
日の丸飛行隊のスキー板
■日の丸飛行隊のスキー板
金・銀・銅を独占した時のスキー板。(写真提供:札幌ウィンタースポーツミュージアム)
表彰台に立つ3人
■表彰台に立つ3人
(写真提供:札幌市写真ライブラリー)
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虹と雪のバラード
 札幌オリンピックのテーマ曲となった歌で、オリンピック開催1年前の1971年2月に、NHK「みんなのうた」で「札幌五輪のうた」として放送されました。歌ったのはフォーク・デュオの「トワ・エ・モワ」。
 この歌の作詞者・河邨文一郎(かわむら・ぶんいちろう)さんは、札幌医大の教授で、北大在学中から金子光晴に師事した詩人でもありました。発表から30年以上経ったいま、この歌の詩碑を建立しようとする運動が行われています。
「虹と雪のバラード」レコードジャケット
■「虹と雪のバラード」レコードジャケット
いまなお名曲として歌い継がれている。(写真提供:札幌ウィンタースポーツミュージアム)
幻の札幌オリンピック
 1972(昭和47)年以前に、じつは一度札幌オリンピックの開催が決定したことがあります。
 1936(昭和11)年のIOC総会で、第12回オリンピックを1940年に東京で開催することが決まりました。当時のオリンピック憲章では夏の大会開催国に冬の大会の優先権が与えられていたため、第5回の冬季大会は札幌で開催することも、正式に決定していたのです。しかし、日中戦争が拡大し、東京オリンピックの中止が決まると、同時に札幌オリンピックも幻となりました。
札幌ウィンタースポーツミュージアム
 札幌オリンピックと、札幌のウィンタースポーツの歴史を展示してある施設が「札幌ウィンタースポーツミュージアム」です。札幌オリンピックをはじめウィンタースポーツに関する貴重な資料を揃えた展示ゾーンや、さまざまなウィンタースポーツが疑似体験できる体験ゾーンなどがあります。
札幌ウィンタースポーツミュージアム
■札幌ウィンタースポーツミュージアム
スキージャンプ競技で有名な大倉山のそばに建つ
大倉山ジャンプ台
■大倉山ジャンプ台
ジャンパーたちは、札幌の街を見下ろすように飛ぶ。

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