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民謡
北海道の開拓の歴史は新しいため、本州各地のような長い伝統に根ざした民謡はほとんどありません。 多くは明治時代になって、本州から新しく入ってきたものですが、例外は「江差追分」や「ソーラン節」などです。ニシン漁で栄えた江差には、旅芸人である越後の座頭や瞽女、津軽の津軽坊などが、三味線をたずさえてやってきて、色街のお座敷をにぎわせました。
(写真提供:江差町)
かれらが持ち込んだ唄に加えて、北前船(きたまえぶね)の船乗りたちが寄港先で覚えた各地の流行歌などが加わり、しだいに江差独自の唄ができてゆきます。蝦夷地ならではの風土や生活が、新しい調べと歌詞に刻み込まれたのです。
明治時代になり、全国各地から開拓移民が入ってくると、それぞれのふるさとの民謡や流行歌など、さまざまな要素が混じり合って、多くの唄を成立させました。それらのなかでは、漁場の労働者、山子、土工、炭鉱夫、女工などによってうたわれた、労働歌が少なくありません。また、「鱈つり節」や「十勝馬唄」など、創作された新しい民謡も生まれています。
もともとは信州の馬子唄が越後に伝わり、海の唄に変わって、船頭や舟子たちによってうたわれるようになりました。それが道南の江差に伝わり、さらに旅回りの遊芸人や北前船によって持ち込まれた種々の唄が混じりあい、「江差追分」が成立したといわれます。いまから300年ほど前、ニシン漁で栄えたころのことです。
明治時代に、江差追分の復興運動が起こり、尺八を伴奏に唄う「正調追分節」が成立しました。その独特の長い節回しによる喜怒哀楽の表現が注目を浴び、やがて江差追分は全国に知られるようになります。
■江差追分会館
江差追分の歴史を知ることのできる資料室や、実際にその歌声を聞くことができる演示室、入館者への無料指導もあり、江差追分のすべてを体験できる。
■江差追分全国大会
毎年9月の第3金、土、日曜の3日間にわたって開催され、予選で選抜された出場者がのどを競う。インターネットでのライブ中継もされている、世界規模の大会。
■江差追分セミナー
江差追分会館で毎年開かれる愛好者のためのセミナー。
江差追分会
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江差追分会館
(写真提供:江差町)
北洋漁業が盛んだったころ、根室などの缶詰工場で働く女工たちによってうたわれた労働歌です。単調な作業に活を入れるために、「ヤンショ、ヤンショ」というようなはやし言葉が入ります。歌詞には女工たちの生活が、うたいこまれました。
■女工たちが働いた缶詰工場のレッテル
輸出用のカニなどの缶詰を作りながら歌われていた女工節。伝えられている歌詞は何種類かあり、「女工のつめたる缶詰は/横浜検査で合格し/アラ女工さんの手柄は外国までも」と歌われている部分がある。
(写真提供:根室市歴史と自然の資料館)
枠網のなかの鰊を沖合で汲み上げるとき、拍子とりにうたった豪快な労働歌で、「沖揚げ音頭」ともいわれます。ニシン漁にともなって道南から北上し、それぞれの地域の「ソーラン節」がうたわれるようになりました。掛け声のバリエーションはいろいろありますが、そのうたいやすさから、北海道でもっとも大衆に親しまれている民謡となっています。
■ニシン漁の様子
(*1)
大正時代、小樽の祝津(しゅくず)地方での漁の風景。
[伝統・文化]ニシン漁文化
留萌のニシン街道
山の中に小屋をかけ、大鋸で木を板に挽く木挽き職人がうたっていた唄です。冬の農閑期に、本州の木挽きが北海道に出稼ぎに来て、山で自分の故郷の唄をうたったものを、土地の人が口ずさみ、「北海山子唄」として定着しました。
北海道の各地で盆になると、うたい踊られています。越後から小樽・高島(たかしま)に集団移住した人たちによって「ヤレサ型盆踊唄」が基本といわれ、積丹半島から内陸に普及し、さらに炭鉱の盆踊り唄としてさかんにうたわれました。明治時代になると、三笠市の炭鉱街で大人気となり、戦後は全道に広がってゆきました。
■北海盆唄全国大会
三笠市では、毎年北海盆唄全国大会も開催されている。
■盆踊り
大きなやぐらを囲んで盛大に行なわれる三笠市の盆踊り。
(写真提供:三笠市)
●北海道人・特集「唄と祭り」
●江差町
●根室市
●三笠市
*写真提供:北海道大学付属図書館
[北方資料データベース]
写真キャプション文責:北海道庁
*1 祝津湾地方鰊漁之景 請求記号:D(b) 78 データベースレコードID: 0B013020000000
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