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1869(明治2)年11月、島義勇は札幌本府建設の大任を受け、函館から文字どおり道なき道を進んで、札幌に到着しました。このころの札幌に住んでいた和人は、豊平川の渡し守をしていた2家族しかありません。島はまず、街の中心をいまの創成橋(南1条西1丁目)付近とし、南北は大通公園を基線に、東西は創成川を基線として、碁盤の目状に区画することにしました。そして、雪の中で地割りを行い、役所を建て、農商民を募りました。島の雄大な構想力が、現在の札幌の発展につながったといえるでしょう。
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■島義勇銅像
札幌市役所のロビーに建つ銅像。台座には、まちの発展を願って詠んだ漢詩が刻まれている。(写真提供:インテリジェント・リンク)
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■「石狩国本府指図」(*1)
島が札幌本府構想のため作成したまちの見込図。
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■島義勇
(写真提供:札幌市教育委員会 文化資料室) |
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