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幕末の1849(嘉永2)年、幕府は蝦夷地警備のため、松前藩に築城を命じました。当時は新しい城を造ることを全国的に禁止していたため、これはきわめて異例なことです。藩主の松前崇広は、6年がかりで福山館(ふくやまだて)の修築を重ね、1854(安政元)年に松前城が完成しました。松前城は、わが国でいちばん最後に建てられた日本式城郭です。
軍学者・市川一学(いちかわ・いちがく)の設計で、本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれました。三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていることから、海からの攻撃への備えを重視したことがわかります。城を持つことは、松前藩にとっては名誉なことでしたが、その築城費15万両は藩財政に重い負担となりました。
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■松前藩主・松前崇広(まつまえ・たかひろ)
1864(元治元)年のころの17代目藩主・崇広(写真提供:松前町郷土資料館) |
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