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100の物語[自然] エゾシカ

存在感のある野生動物、エゾシカ
 道東を車や鉄道で旅行すると、エゾシカの群れによく出会います。家族づれや大きな群れを見かけることも多く、存在感のある野生動物です。明治のはじめと大正時代に絶滅寸前となり、何十年もの間、姿を見ることも希だった時代が続きましたが、近年は急激に数を増やし、畑を荒らしたり交通事故に合ったりするなど社会問題まで発展しています。人間との接触が多い動物だけに、共存に向けた努力が続けられています。
エゾシカ親子

エゾシカの群れ
奈良のシカと同じ仲間
 じつはエゾシカは、奈良公園や日光にいるニホンジカと同じ種類です。しかし身体ははるかに大きく、オスでは体重140キログラムと本州産の2倍くらいになります。これは北海道がシカにとって良好な生息環境であることと、寒冷地ほど身体が大きくなるという「ベルクマンの法則」(※)が現れた結果でしょう。
 シカはウシと同じく2個のひづめを持った草食性の反すう動物です。オスは秋になると数頭から10頭前後のメスを囲い込むハーレムをつくり、物悲しい声で自分の存在をアピールします。子どもは6月ころに1頭だけ産まれます。なお、角はオスにだけあり、毎年生え替わります。
※ベルクマンの法則…体が大きいと、体外に逃げる熱より体内で作り出される熱量が上回り、体温が保ちやすくなるので、同種の動物は北部のほうが大きい傾向がある、という法則。

エゾシカの子ども
■エゾシカの子ども
生後1カ月くらいの子ジカ。
オスの角突き
■オスの角突き
発情期には角を突きあい、メスへ自分の存在をアピールする。
(写真提供:斜里町立知床博物館)
国営のシカ缶工場
エゾシカの缶詰
■エゾシカの缶詰
明治初期、開拓使の工場で製造されていたと考えられるシカ肉の缶詰。(写真提供:北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園)
 アイヌの人たちにとって、エゾシカはサケとならび主要な食糧として利用されていました。明治の初め、開拓使は美々(びび。現・苫小牧市)にシカ肉の缶詰工場をつくり海外にまで製品を輸出していました。ところが1879〜80(明治12〜13)年の大雪によってエサのササが雪に埋まり、エサが採れなくなったシカが大量に死亡。これを契機に生息数は激減し、一時は絶滅したと思われるまでに減少しました。戦後になって徐々に回復し、1980年代からは個体数・生息域ともに目立って増加するようになりました。
現在の缶詰工場の跡 ■現在の缶詰工場の跡
苫小牧市北部、新千歳空港に近い美々に工場があった。(写真提供:宇仁義和さん)
 
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共存への道を求めて
 1990年代以降、エゾシカの急増によって、農作物を食い荒らすことによる被害や、車との衝突事故が相次ぎ、社会問題となりました。道東地方では農業被害を防ぐため山間部の農地と森林の境界に防鹿柵の建設が進んでいます。
 また知床半島では、「エコロード」というシカと車が共生する道路づくりが試みられています。シカ猟区の設定やシカ肉の利用も行なわれるようになり、北海道のエゾシカ対策は、国内の野生動物行政のモデルケースとなっています。

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エゾシカの親子
(写真提供:斜里町立知床博物館)
シカの鳴き声
 シカはどんな声で鳴くのでしょうか。秋のオスの鳴き声は、古くから物悲しさのたとえに使われてきました。一般には「ヒィーヨー」と表現されることが多いのですが、お嫁さんが「ほしいよう」とも聞こえます。
シカ笛「イパプケニ」
■シカ笛「イパケニ」
アイヌの人たちのシカ狩猟用の笛。秋の発情期にオスやメスの鳴き声を真似て吹き、誘い出すのに用いた。(写真提供:北海道開拓記念館)
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