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    <channel>
        <title>和多田進の「おまえのかあちゃんデ～ベ～ソ！」 | 北海道人</title>
        <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
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        <lastBuildDate>Thu, 22 Mar 2012 13:57:16 +0900</lastBuildDate>
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        <item>
            <title>第24回 150億円はどこへ？</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　2007年7月13日付の『北海道新聞』に以下のような記事が掲載されている。<br />
	<br />
	　次世代のインターネット情報検索エンジン開発を目指す経済産業省の「情報大航海プロジェクト」に、写真素材データ開発販売のデータクラフト（札幌）やソフト開発のソフトフロント（同）など道内企業五社の共同事業が採択されることが十二日分かった。これにより、<strong>米グーグルに対抗できる国産検索エンジン開発を目的とした国家プロジェクトに、道産技術が参画する</strong>ことになる。<br />
	　採択が決まったのは、二社のほか、JR北海道、北海道新聞社、ネット関連事業のインテリジェント・リンク（同）が参加する、観光情報検索システムの研究開発事業「ビュー・サーチ北海道」。北大大学院情報科の長谷山美紀教授が開発した次世代画像検索技術をベースに、五社が得意とする画像解析などの技術や観光情報を持ち寄り、観光データベースと情報提供サービスを構築する。（略）<br />
	　情報大航海プロジェクトは本年度から<strong>三カ年に百五十億円（本年度四十六億円）</strong>の予算を投じる大型事業。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2012年2月28日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol24/watada_ph24.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2012年2月28日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　さて、このプロジェクトの表面に現れた概略は報道の通りだろう。経済産業省商務情報政策局長の私的研究会としてはじまったものがあっという間に150億の予算を計上するまで成り上がった。しかし、いったいなぜか。<br />
	　興味のある方はネットサーフィンして事実関係を調べてみるがいい。「出来レース」の臭いぷんぷんである。調べるコツは、当時の経産省商務情報政策局の幹部名簿と北海道の接点を探索することだ。三年間限定プロジェクトだから、2010年には活動は終わった。しかし、グーグルに対抗するような国産の検索エンジンの開発がなされたという噂さえ聞いたことがない。そんなスキルを持つメンバーなどは見えず、風呂敷の大きさだけが目立つ。結果はムニャムニャ、それで150億円を消費したらしい。いったい、どこにこの巨額の金は消えたのか？　だれも問題にしないのが不思議である。<br />
	　これもまた北海道の「美しい」今日の風景のひとつなんだろうな。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201203/24.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201203/24.php</guid>
            <pubDate>Thu, 22 Mar 2012 13:57:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第23回 偽りのない看板を！</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　写真家の荒木経惟さんと一緒に、十年近くの間「日本人ノ顔」という&ldquo;遊び&rdquo;をやってきた。 &ldquo;遊び&rdquo;と書くのは、一種のレトリックである。一日に百組近く、人数にすると一日二百人あまりの人たちを荒木さんが撮影する傍らにいて、さまざまな日本人の顔というか、相貌を見せてもらった。延べ数千人の人たちの顔と姿をその&ldquo;遊び&rdquo;で私は見た、という計算になる。<br />
	　ずーっと印象に残る顔もあれば、すぐさま思い出せなくなるような顔もあることをこの&ldquo;遊び&rdquo;で知った。ざっくり言えば、人相というもののさまざまを知ったのだ。冗談半分だが、いまや私は「人相見」になれるのじゃないかとさえ思える。<br />
	　人間の顔、その顔のシワは着衣や身のこなしなんかも含めて、人相にはその人の人格・教養はもちろん嘘やまこと、その他もろもろの情報が詰まっていることも知った。嘘つきは嘘つきの人相だし、清廉な人は清廉な人相になっている。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="札幌駅界隈　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol23/watada_ph23.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			札幌駅界隈</p>
	</div>
</div>
<p>
	　これは、美術品の贋作鑑定に通じているかもしれない。じっと悪相を見ていると、どこかに緊張の緩んだ部分がある。スキがあるのである。そのスキが、その人の本質を伝えてしまうのだ。「私、ニセモノです」と。<br />
	　ハッタリと知ったかぶりで世の中を渡りつづけているような人がいる。一種の詐欺とも思うが、彼の背後にある看板が光っていれば、人びとは簡単に騙される。なぜなら、人は彼の人相でなく、彼の背後にぶら下がっている看板を見ているからだ。<br />
	　実は、「北海道」というのも立派な看板である。北海道の芋が他の地域で生産される芋に比して特別に旨いわけじゃないけれど、「北海道の」という看板を貼り付けたとたんに、人びとは「旨い」と思ってしまうのだ。「北海道」がそれほどの看板であることを北海道人は案外知らない。それだから、看板に偽りのない北海道をどう現実にするかが問題となる。看板を作っているのは<ins>北海道の人</ins>たちなのであるからして。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201202/23.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201202/23.php</guid>
            <pubDate>Thu, 16 Feb 2012 13:26:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第22回 補助金との訣別を！</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律――という長ったらしい名前の法律がある。名称にわざわざ「適正化」という文言を入れるのは、補助金が不適正に運用されることが多々ある証拠だろう。不適正な運用があるのを防止しなくてはならないので、こんな法律をつくらねばならないのである。<br />
	　この法律の第三条に「関係者の責務」が記されている。<br />
	　「各省各庁の長は、その所掌の補助金等に係る予算の執行に当たっては、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない」<br />
	　要するに、出金する側の役所は、補助金が税であることを「特に留意」しろ、というのである。逆に言えば、それを留意しない執行が多いということである。つまり、ズサンな支出が多いということ。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2012年1月1日の富士山　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol22/ph22.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2012年1月1日の富士山</p>
	</div>
</div>
<p>
	　第三条2は、「補助事業者等及び間接補助事業者等は、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに留意し、法令の定及び補助金等の交付の目的又は間接補助金等の交付若しくは融通の目的に従つて誠実に補助事業等又は間接補助事業等を行うように努めなければならない」と書く。言わずもがなのことを書かねばならぬ法律を必要とする補助金とはいったい何なのか。<br />
	　地方自治体と補助金の事業体（民間）は、その身を補助金漬けにしてきたことをかえりみてほしい。補助金ぶん獲り名人がいたり、補助金をめぐる情報交換が仕事の大勢を占めるような社会は健全とは言えぬ。補助金に頼る構造から一刻も早く訣別しなければ、地方の自治は絵空事だ。補助金制度は「毒饅頭」である。諸悪の根源といってもいい。麻薬中毒に匹敵するのが補助金だろう。税を蝕みつつ増税に反対する滑稽は笑えまい。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201201/22.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201201/22.php</guid>
            <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:13:50 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第21回 有島武郎と木田金次郎から</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。<br />
 　行け。勇んで。小さき者よ。</p>
<br />
<p>
	　有島武郎の『小さき者』へはこの文章で終わる。私は二人の娘たちが中学校を終えたときに有島のこの言葉を彼女らに贈った。私自身が、幼い時分からこの言葉に励まされ、鼓舞されてきたのだったから、両親の勝手な離婚に遭遇させざるを得なかった彼女たちにもこの言葉を噛みしめてほしかったのである。彼女たちが、私の思惑通りにこの言葉を受け取ったかどうかは分からない。けれども、何かしら父親の思いは伝播されたはずだと思いたい。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年11月21日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol21/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年11月21日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　有島は東京生まれだが、札幌農学校（北大）に学んだ。父親は薩摩藩士で大蔵官僚だった。その息子である武郎は、北海道の狩太村（現・ニセコ）にあった有島農場を小作に開放したことでも知られる。『宣言一つ』は、武郎が農場を開放するに際しての決意であり、その思想的根拠を示した文字通りの「宣言」であった。そこには、人間としてまっとうに生きたいという武郎の祈りが記されているのだと私は考える。武郎は、北海道という土地で自分を悩み、その悩みから人間として生きる道をみつけようとした人だったとも思う。土地が、場所が、彼に人間を考えさせたということだろう。<br />
	　武郎が「発見」した絵描きに木田金次郎がいる。『生まれ出づる悩み』のモデルとされる画家木田金次郎がその人だが、彼の絵のほとんどは出身地岩内の大火で焼失した。残存している木田の絵を見て中川一政の影響あり、と私は読むが実情については知らない。いずれにしろ、有島に励まされた木田は立派な絵描きとなった。前回書いた黒く怪しい歴史も、有島や木田たちの歴史もまた北海道なのである。あざなえる縄として北海道を把握したいと思う。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201112/21.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201112/21.php</guid>
            <pubDate>Thu, 15 Dec 2011 13:55:36 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第20回 もうひとつの北海道史</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　いまから一カ月ほど前の話である。永田町の事情通に話を聞いていたら、突然「珍念」という言葉が飛び出してきた。別に知己ではないが、懐かしい名前である。これは「政界の牛若丸」の異名もあった元労相山口敏夫の愛称というべき渾名であった。その彼が、いままた永田町界隈に出没していったい何をしようとしているのだろうか？　伊豆山あたりを徘徊している噂も聞いたが。<br />
	　彼は、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則と親密になり、東京協和、安全両信用組合事件に関与した廉（かど）で逮捕され、永田町を「追放」された。しかし、この話は複雑でキリがない。「珍念」からすぐさま私は高橋治則の名前を連想したが、その先が延々とつづく。<br />
	　慶応を卒業した高橋の就職先は日航。結婚相手は岩澤靖（おさむ）の次女だった。北海道の人なら岩澤の名は覚えているだろう。金星タクシー（現・金星自動車）を設立（1948年）した人物である。彼は、札幌トヨペット（1956年）の設立者で札幌大学の初代理事長（1967年。ちなみに、二代理事長は靖の父=誠。三代＝地崎宇三郎、四代＝伊藤義郎、五代＝堀達也、現＝佐藤俊夫。いずれの名も北海道の&quot;有名人&quot;）でもあった。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年11月8日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol20/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年11月8日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　さらに、北海道テレビ放送の設立（1967年）も岩澤。他に、電電公社経営委員、経団連理事、日経連常任理事などの肩書きもあったと思う。<br />
	　その岩澤の&quot;末路&quot;のはじまりが1981年。仕手株の暴落で300億を超える負債を残して失踪した。娘婿の高橋もまた前述の「珍念」をはじめとする政官人脈に生き血（金）を吸い尽くされて世の中からフェイドアウト。<br />
	　以上もまた北海道の歴史だが、こうした「書かれざる歴史」はすぐに忘却される。政治家、財界、官僚がどんな人間関係で結ばれ、何をしてきたのか――。北海道のメディアは格別の決意でそこを報じなければなるまい。時節柄、まずは原発を糸口にこの手の歴史の発掘をするのも悪くはあるまいと思うのだが。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201111/20.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201111/20.php</guid>
            <pubDate>Thu, 17 Nov 2011 13:39:07 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第19回 「馬角斉」のこと</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　松浦武四郎は、晩年になって「馬角斉」という雅号を使った。彼は和歌をたしなんだが、この時代の知識人にとってそれは教養のひとつだったのだろう。十勝地方を開拓した晩成社代表・依田勉三にもいくつか秀歌がある。<br />
	　教養のことはともかく、晩年の武四郎はなにゆえ「馬角斉」などという号を使ったのか。「ばかくさい」は、言うまでもなく馬鹿馬鹿しいという意味のそれに違いないが、単純なユーモアからだけの命名だったと私は考えない。彼の生涯の趣味は篆刻（てんこく）だったが、その趣味のためということでもなかったはずだ。<br />
	　本当に彼は世の中のことが「バカ臭く」なったのではなかったか。わけても、権力のバカバカしさ。権力＝明治政府への暗黙の批判、それが「馬角斉」に込められた武四郎の意志であったのではあるまいか。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年10月9日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol19/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年10月9日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　武四郎は、明治政府から開拓使判官に任命されて蝦夷地の踏査・探険に臨んだが、この役職は開拓使長官、開拓使次官に次ぐ地位である。要するに、武四郎はとんでもなく「偉い」官吏であった。そして、そのとんでもなく「偉い」武四郎の北海道踏査は、当時の北海道原住民・アイヌの全面援助によった。武四郎は現場で世話になったアイヌを尊敬の心でつきあった。探険でアイヌと寝食を供にし、援助を仰いだ彼にしてみれば、それはまことに当然のことだったろう。<br />
	　しかし、政府および一般「白人」のアイヌに対するそれは武四郎とは真逆だった。なにしろ、開拓判官に登用される際、武四郎は明治政府に役所を引き受ける条件を出した。オカミを恐れぬそういう発想、行動自体が異例であるけれど――。<br />
	　蝦夷地の支配権をふたたび松前藩にゆだねぬこと、アイヌを食いものにする非道な商人を排除すること、それが武四郎が明治政府につきつけた条件であった。<br />
	　もちろん、この条件が満たされることはなかった。事情はいまもむかしも変わらない。そのうえ、現代に「馬角斉」は不在であるらしい。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201110/19.php</link>
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            <pubDate>Thu, 20 Oct 2011 15:53:22 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第18回 北海道共和国を！</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　松浦武四郎の名は北海道の名付け親として知られる。維新直後の明治政府に蝦夷地の名前を考えるよう命じられた彼は、「北加伊道」などいくつかの案を提出した。結果（1869年）、「加伊」を「海」の字に改めて「北海道」が生まれた。<br />
	　アイヌ語で「カイ」は「この国に生まれし者」という意味だという（山本命氏）。だから、「北加伊道」は「アイヌ民族が暮らす北の大地」の意となる。武四郎がアイヌを尊重・尊敬していた証拠のひとつかもしれない。<br />
	　「加伊」が「海」に変えられぬまま歴史を刻んでいたら、あるいは北海道と日本の歴史は変わっていたかもしれないなーと思ったりもする。<br />
	　さらに、『尾張国熱田太神宮縁記』に、「加伊」はヤマト政権に従わない東方の人びとが自らを「加伊」と呼んでいたという記述がある（前出山本氏）ともいう。ヤマト政権以来、エゾ（えみし）にまつわる歴史上の謎は、いまだ決着がついていない。あるいは、アイヌ＝エゾ（えみし）だったのか？</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年9月9日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol18/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年9月9日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　ともかく、「和人」が侵攻する以前の北海道はアイヌの大地だった。武四郎はそのアイヌの協力のもとに精密な北海道地図を制作した。アイヌの協力なしにそれは不可能であった。しかし、出来上がった地図は、いったいだれがどのような目的で使ったのかという問題が残る。答えは明白だ。地図にはいつでも軍事目的が隠されているのだから。武四郎の苦渋はいかばかりであったろう。察するに余りある。<br />
	　この8月、旅の途中でひさかたぶりに二風谷に立ち寄って思ったことのひとつは、北海道が日本から独立する以外、まがりなりにも民族問題を解決する道はないだろうということであった。民族が共生する道、人びとが名実ともに豊かな暮らしを立てる道、それは共和国として北海道が自立する他ないだろうと。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201109/18.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201109/18.php</guid>
            <pubDate>Thu, 22 Sep 2011 14:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第17回 「死の灰」は北海道にも降る</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　フクシマに気をとられているうちに米国債の格下げ、資本主義の危機がいよいよ現実のものになってきた。これが大げさだというなら、ドルが基軸通貨であることの終わりが現実になったと言い直してもいい。このことの意味は、フクシマ以外の原発がもう一個か二個事故ったくらい深い意味がある。フクシマとは別の意味での生存の危機が顕在化したということなのだから――。<br />
	　何年も前からドルは弱っていた。アメリカの子分である日本はそれを売ることができない米国債を0.9兆ドル超も持っている。まあ、アメリカへの義援金、寄進と言ってもいい。中国はそれを1.16兆ドルを保有しているが、こうなっては紙くずに等しいから、せいぜい「恩義をどうしてくれるのだ！」と言う程度にしか使えまい。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年8月9日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol17/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年8月9日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　要するに、金融世界となった地球の通貨は群雄割拠、混沌状態になったということだ。ドルも大変だがユーロも大変である。ドルよりもユーロの方がレバレッジを過剰にかけていたのだから、その痛手はかなり大きいはずだ。円高が進んでも、たとえば石油の値段が下がらぬのは架空の市場取引というメカニズムのゆえだろう。つまり、実際の産油量とは関係のない、何度でも繰り返される先物取引の量が国際価格を決定してしまうというシステムのゆえである。<br />
	　中国の支配体制の危うさは、高速鉄道事故があぶり出した通り、権力の内部矛盾が人民の声でさらに激化する可能性を示した。社会と経済は固く結び合っているのだから、ほころびはいずれかに顕われる。<br />
	　北海道には無関係に見えるこうした世界の状態だが、実は無関係じゃない。放射能にかぎらず、「死の灰」は海峡も国境もやすやすと越えるのだから。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201108/17.php</link>
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            <pubDate>Thu, 18 Aug 2011 13:52:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第16回 「北海道人論」の手がかり</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる<br />
	<br />
	　メスのもとあばかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ<br />
	<br />
	　われに似しひとりの女不倫にて乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に<br />
	<br />
	　1922年（大正11年）、北海道に生まれたこの女流歌人は、1954年（昭和29年）8月3日に逝った。最期の言葉は「もういちど生きたい」だったらしい。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年6月30日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol16/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年6月30日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　死の1カ月前に歌人の処女歌集が出版され、没後に遺歌集が編まれた。しかし、この歌人は10年ほど前まで、北海道では「不倫の女」として語ることさへはばかられる女性であったという。なかんずくその出生・出身地域ではそうであった。「郷土の恥」ということだったのだ。<br />
	　宮沢賢治もそうであった。生きていたとき、岩手では排斥の対象だったし、石川啄木も同じ境遇であった。概して、共同体の隠された体質――異分子排斥ということが何故に起こるのか、人類学だとか民俗学だとかに疎い私には不明である。しかし、事実の問題として、異分子排斥の生理はコミュニティに付随して存在するように見える。井上ひさしの芝居『雨』、今村昌平の映画『神々の深き欲望』、ユルマズ・ギュネイ監督のトルコ映画『路』の主題のひとつはそのことである。<br />
	　賢治や啄木は後年、復権した。復権どころか、むかし彼らを排斥したコミュニティは、いまでは彼らを商売の道具にして恥じない。比して、前記北海道の女流歌人の復権は必ずしもいまだ賢治や啄木の域に達していない。理由はいろいろあるだろう。いろいろある理由のひとつに、あるいは北海道に特別の「人間関係観」のようなこのがあるのではあるまいか、と私は考える。善悪を言いたいのではない。そこに「北海道人論」を考える手がかりのひとつがありはしないかと思うのである。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201107/16.php</link>
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            <pubDate>Thu, 21 Jul 2011 13:45:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第15回 わが言説の弁明</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　日本中の人が北海道にプラスのイメージを持っている、と思う。だから、北海道は高倉健とか渥美清、吉永小百合に似た存在なのではなかろうか。だれも欠点を指摘しないし、悪口を言わない。食べ物はすべておいしくて自然は豊かで、外国でいえばカナダのようなところだと思い込まれているらしい。牛乳もおいしい、チーズもバターも、乳製品はやっぱり北海道。北海道はデッカイドー！　と。<br />
	　そういう北海道のプラスイメージに、あえて異論を唱えるのはなかなか勇気がいる。大げさに言えば、日本国中を敵にまわす覚悟さえ必要かもしれない。しかし、高倉健にだって吉永小百合にだって弱点や欠点はあるだろう。いや、絶対にあるハズだ！　と思う。そして、北海道にもそれはある。この連載では、そういう弱点をふくめて北海道の日本における歴史的な立ち位置というようなことを考えてきたつもりだ。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年6月6日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol15/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年6月6日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　そう考えようとした理由は、日本中の人が、なにより北海道に居住する「北海道人」自身が、自ら住む大地についてほとんど考えないでいるらしいと思ったからである。自分の住む場所を知らない&ldquo;ナショナリズム&rdquo;というものがあるのじゃないか、そうも思った。実像や歴史を見ない郷土愛。<br />
	　郷土を愛する、というのは大切なことだろう。けれども、郷土だからといって、理由もなく、やみくもに愛するわけにはいくまい。自分はなにをやってもヨロシイが、他人はすべてヨロシクナイというのと同じになってはまずかろう。そうならぬためには、相対化が脳味噌のなかで行われねばならない。<br />
	　わが郷土・北海道を愛するには、そのどこに弱点や欠点があるのかを知らねばならぬ。それは、他所との比較に負う必要があるのである。<br />
	　この欄における言説の弁明をこの際、ひとこと記しておきたいと思った次第である。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201106/15.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201106/15.php</guid>
            <pubDate>Mon, 20 Jun 2011 16:11:50 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第14回 利権の構造をスケッチする</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　今回の原発事故でも「鉄の三角形（政・財・官）」と、マスコミが演じる猿芝居は不変だろう。理由は、彼らが骨がらみ利権構造形成者であるからだ。簡単にこの関係は崩れまい。庶民は真の情報にアクセスする手段がないうえ、日々の暮らしに忙しい。そこが彼らのツケ目となる。<br />
	　学校で習う歴史は、言ってみれば仁丹のような歴史で、毒にも薬にもならない。だから、一生懸命勉強しても歴史のカラクリは分からない。逆に、勉強すればするほど歴史のカラクリを見抜く眼は失われることもある。要するに、「正史」は真実を語らない。<br />
	　たとえば、水野成夫（しげお）という人物がいた。この男は「財界の四天王」「マスコミ三冠王」とあがめられたこともある。だが、この名を憶えている人はもう少ない。フジ・サンケイグループの創始者だったこの男は、「産経残酷物語」の主人公と労働者に忌み嫌われもした。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="富士山　写真：和多田進" height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol14/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			富士山</p>
	</div>
</div>
<p>
	　北海道の鉄道敷設が何故早かったのか。王子製紙はどういう歴史の会社なのか、何故、白鳥事件は札幌で起きたのか。下山事件の真相は......。そして水野。<br />
	　一見バラバラに見える歴史的事実がどこかでぴたりと符合するとしたらどうだろう。それが、生きた歴史というものではあるまいか。念のために言っておけば、これらはぴたりと符合する。<br />
	　話を簡単にしよう。公がまず事業を「開発」する。その後、「民間」にそれをタダ同然で売り飛ばす。その場合、民間の活性化、官の財政難が理由の常套句となる。税で事業を興し、タダ同然で民間に払い下げる繰り返しが「三角形」利権構造の秘密であり、「民営化」の意味なのだ。応援団はマスコミという仕掛けである。<br />
	　北海道はその「主舞台」だった。夕張はそんな歴史の痕跡・証拠のひとつだろう。今回の原発事故を処理するのにも、同じ手法が当然使われるはずであるから、眼をこらして見ておきたい。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201105/14.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201105/14.php</guid>
            <pubDate>Thu, 19 May 2011 17:52:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第13回 メメント・モリ（死を想え！）</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　かつて北海道人のメルマガに連載していた『濡れにぞ濡れし』（アーカイブ参照）を降板するに際し、私は二つのことを書いた。ひとつは自分の死をさえ忘れるものだということに関連して、「（それは）地震のことと同じだ。地震は必ずやってくる。それなのに、人は知らないふりをして、たとえばめくるめく都市の建設に熱中する。／そんな小賢しいことをしてごまかしたって、地震も死も、必ず確実にやってくるのに」（<a href="http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/mm_bn3.php?no=161#p3">「メルマガ北海道人」第161回、2010年3月11日号</a>）と、まず書いた。それが、まるで預言にでもなったような事態が起こってしまったのである。ちょうど1年後の今年3月11日、知っての通りのことが起こった。<br />
	　その2週間後（<a href="http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/mm_bn3.php?no=163#p3">3月25日、第163回</a>）の同欄に、「『死を想え（メメント・モリ）』という言葉もあえてこの欄に刻みつけておくことにしよう。この語の意味を解してこその人生だということも心に刻んでおきたい」と記した。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年4月11日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol13/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年4月11日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　今回の震災関連の死者・行方不明者の数は三万人を超えると報道されているが、死者を数にまとめてしまう前に、死者はまず生者であったのであり、生者としての暮らしがあったということが想われねばなるまい。喜びも悲しみも、怒りもあきらめも、嘘もまことも、生者にあるべきすべての事柄、人間としての暮らしが、まずあったのである。<br />
	　「メメント・モリ」ということは、そういうことをひっくるめて、言葉で語れぬ生を想うことなのだ。言葉の無力をしたたか知らしめさせられるこのとき、ひとは「想う」ほかはない。予期も予想もせずに吐いた私の言葉が奇しくも的中してしまったことへの怖れもふくめて、いま私はただ黙（もだ）して、「想う」しか術がない。ひとりびとりの生存がかき消されてゆく日日を、ただ「想う」他は術がない。北海道に生きる人びとと東京に暮らす人びとと、東北で生きのびた人びととの間にある、生死への大きな感度差を感じつつ。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201104/13.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201104/13.php</guid>
            <pubDate>Tue, 19 Apr 2011 18:02:13 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第12回 北海道のじゃがいもはウマイのか？</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　中野重治に「短歌雑感」という文章がある。そこに「&hellip;&hellip;歌のよしあしぐらいは、日本人なら誰でもわかるという太い線を、文学の世界での、自明の理として押したてる必要があると思う。『よしあしぐらいは』というのは、一首一首について見て決してやさしい問題ではない。それだから、『よし』と『あし』とについては多くの問題がある。あるにはあるが、それらをもふくめて、なおかつこの太い線を押したてる必要が絶対にあるとわたしは思う」という文言があって、食い物の「うまい」「まずい」を考えるにあたって中野のその考えが私の頭にのぼってきた。なにしろ、人間は毎日なにかを食して生命をつないでいるのだから、歌のヨシ・アシの比じゃないだろう、食のウマイ・マズイは。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img alt="2011年3月2日の東京スカイツリー　写真：和多田進" height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol12/ph01.jpg" width="480" /><br />
		<p class="caps">
			2011年3月2日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　この正月、私はパリのスーパーで購入した何種類ものジャガイモ＝五升イモを食してみた。品種によって料理への用途は異なるものの、総じて美味で、マズイものにはいちども出会わなかった。実は、イタリアでもドイツでもアメリカでも、マズイじゃがいもに出会った経験がないのである。私の貧しい経験だから、普遍性があるかどうか自信はない。しかし、長崎でも熊本でも、佐賀でも福岡でも富山でも金沢でも&hellip;&hellip;私はマズイじゃがいもに出会ったことがない。ウマイのにばかり出会って感動しているのだが。<br />
	　しかし、じゃがいもの王国と信じられている北海道では違う。ウマイのに出会わぬばかりかむしろマズイのに出会ってばかりいるのである。だから、いまや私は北海道のじゃがいもはマズイ！　と思ってしまっているというありさまだ。私の舌が馬鹿なのか、それとも北海道のじゃがいもに問題があるのか、教えてくださいませんでしょうか、みなさん。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201103/12.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201103/12.php</guid>
            <pubDate>Thu, 17 Mar 2011 19:10:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第11回 八百長考</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　日本のマスコミ、わけてもテレビは狂っているのじゃなかろうか。沢尻エリカの離婚問題、プロ野球の斎藤佑樹ときて、いまは八百長相撲一点張りである。何ごとも同じで、一点主義は健全とは言い難い。しかしまぁ、私も八百長の話を書こう。<br />
	　先日タクシーに乗ったら、運転手氏が八百長問題について話しはじめた。それで、「えっ、運転手さんは相撲は真剣勝負だと思ってたの？」とわざと大げさに驚いてみせたら、「いや、そうは思ってませんでしたけど、以心伝心ということがあるじゃないですか」と言って笑った。<br />
	　たしかに、相撲が真剣勝負だなどと思って見ていた日本人はひとりもいまい。けれども、あれが八百長だとも思ってはいなかっただろう。そんなことなど考えてもみなかった、というのが実相だったのではあるまいか。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol11/ph01.jpg" width="480" />
		<p class="caps">
			2011年2月9日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　とすると、八百長問題の犯人は今回のメールで名の挙がった力士だけじゃないということになる。マスコミも、ファンの私たちも、日本人みんなが共犯者だったのだ、論理的には。従って、興業が神事・国技だった、ということにもなる。さらに、神事・国技は八百長だったということにも&hellip;&hellip;。<br />
	　まあ、そういうことだろう。頭を行政・政治に向けて見てみたまえ！　検察までもが八百長だったのだから！！<br />
	　相撲の不正などはどうでもよろしい。政治・行政の世界では八百長横行と知りつつ、だれも怒らないこの国の在り様。みんなで見て見ぬふりを決め込んでいることの不思議。<br />
	　この国で問題にされねばならぬのは、あなた自身の、私たち自身の身辺と思想についての八百長問題じゃあるまいか、と思うのだが。</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201102/11.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201102/11.php</guid>
            <pubDate>Thu, 17 Feb 2011 15:47:05 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第10回 （マリリン）モンロー（主義）への転換をはかれ！</title>
            <description><![CDATA[<p>
	　小林秀雄が宮本武蔵のことを書いている。<br />
	　「彼は、青年期の六十余回の決闘を顧み、三十歳を過ぎて、次の様に悟ったと言つてゐる。『兵法至極にして勝つにはあらず、おのづから道の器用ありて、天理を離れざる故か』と。ここに現れてゐる二つの考へ、勝つといふ事と、器用といふ事、これが武蔵の思想の真髄をなしてゐるので、彼は、この二つの考えを極めて、遂に尋常の意味からは遥かに遠いものを摑んだ様に思はれます。&hellip;&hellip;」と。<br />
	　小林はさらに考えを深めて、武蔵こそ日本で最初に「実用主義といふものを徹底的に思索した」人だという結論を得る。すべては目的から考えねばならぬ。「兵法は、観念のうちにはな」く、「有効な行為の中にある」と。</p>
<div class="centering">
	<div id="ph-area">
		<img height="319" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/watada/vol10/ph01.jpg" width="480" />
		<p class="caps">
			2011年1月7日の東京スカイツリー</p>
	</div>
</div>
<p>
	　兵法を広く「生きること」ととらえれば、自ずと問題は明白になるだろう。なにごとによらず目的が明白でなければならない、ということが。<br />
	「マタイによる福音書」第9章17節に、新しいぶどう酒は新しい皮袋によらねばならぬことが記されている。キリスト教の戦略が背後にあるのだろうが、それはそれとして、字義の目的はぶどう酒を作ることにある。<br />
	　武蔵とマタイを私が読むと、北海道の変革は北海道人のみによってなされることはあり得まい、となる。異質な人びとの異見を借りることによってしか変化は起こらない、と私は武蔵とマタイを読むのである。（ジェームズ）モンローの主義を捨て、やや品格に欠けるとは言え（マリリン）モンロー（主義）への転換をはかれ！　ということになるのだが。異物を取り込め、ということに&hellip;&hellip;</p>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201101/10.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/watada/201101/10.php</guid>
            <pubDate>Thu, 20 Jan 2011 15:45:22 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>
