第21回 有島武郎と木田金次郎から

おまえのかあちゃんデ~ベ~ソ!

第21回 有島武郎と木田金次郎から

 小さき者よ。不幸なそして同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。
 行け。勇んで。小さき者よ。


 有島武郎の『小さき者』へはこの文章で終わる。私は二人の娘たちが中学校を終えたときに有島のこの言葉を彼女らに贈った。私自身が、幼い時分からこの言葉に励まされ、鼓舞されてきたのだったから、両親の勝手な離婚に遭遇させざるを得なかった彼女たちにもこの言葉を噛みしめてほしかったのである。彼女たちが、私の思惑通りにこの言葉を受け取ったかどうかは分からない。けれども、何かしら父親の思いは伝播されたはずだと思いたい。

2011年11月21日の東京スカイツリー 写真:和多田進

2011年11月21日の東京スカイツリー

 有島は東京生まれだが、札幌農学校(北大)に学んだ。父親は薩摩藩士で大蔵官僚だった。その息子である武郎は、北海道の狩太村(現・ニセコ)にあった有島農場を小作に開放したことでも知られる。『宣言一つ』は、武郎が農場を開放するに際しての決意であり、その思想的根拠を示した文字通りの「宣言」であった。そこには、人間としてまっとうに生きたいという武郎の祈りが記されているのだと私は考える。武郎は、北海道という土地で自分を悩み、その悩みから人間として生きる道をみつけようとした人だったとも思う。土地が、場所が、彼に人間を考えさせたということだろう。
 武郎が「発見」した絵描きに木田金次郎がいる。『生まれ出づる悩み』のモデルとされる画家木田金次郎がその人だが、彼の絵のほとんどは出身地岩内の大火で焼失した。残存している木田の絵を見て中川一政の影響あり、と私は読むが実情については知らない。いずれにしろ、有島に励まされた木田は立派な絵描きとなった。前回書いた黒く怪しい歴史も、有島や木田たちの歴史もまた北海道なのである。あざなえる縄として北海道を把握したいと思う。

プロフィール

和多田 進(わただ すすむ)

ジャーナリスト、編集者。1945年北海道生まれ。1976年晩聲社創立。『週刊金曜日』初代編集長兼社長。月刊誌「CHAI」編集長。荒木経惟「日本人ノ顔」プロジェクト代表。日本聞き書き学会理事。著書に『生きてるうちが花なのよ 編集現場で考える』(晩聲社)、『横撮り』(バジリコ)、『ドキュメント帝銀事件』『Story A 天才アラーキーの撮影現場』(いずれも新風舎文庫)など多数。

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