第20回 もうひとつの北海道史

おまえのかあちゃんデ~ベ~ソ!

第20回 もうひとつの北海道史

 いまから一カ月ほど前の話である。永田町の事情通に話を聞いていたら、突然「珍念」という言葉が飛び出してきた。別に知己ではないが、懐かしい名前である。これは「政界の牛若丸」の異名もあった元労相山口敏夫の愛称というべき渾名であった。その彼が、いままた永田町界隈に出没していったい何をしようとしているのだろうか? 伊豆山あたりを徘徊している噂も聞いたが。
 彼は、イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則と親密になり、東京協和、安全両信用組合事件に関与した廉(かど)で逮捕され、永田町を「追放」された。しかし、この話は複雑でキリがない。「珍念」からすぐさま私は高橋治則の名前を連想したが、その先が延々とつづく。
 慶応を卒業した高橋の就職先は日航。結婚相手は岩澤靖(おさむ)の次女だった。北海道の人なら岩澤の名は覚えているだろう。金星タクシー(現・金星自動車)を設立(1948年)した人物である。彼は、札幌トヨペット(1956年)の設立者で札幌大学の初代理事長(1967年。ちなみに、二代理事長は靖の父=誠。三代=地崎宇三郎、四代=伊藤義郎、五代=堀達也、現=佐藤俊夫。いずれの名も北海道の"有名人")でもあった。

2011年11月8日の東京スカイツリー 写真:和多田進

2011年11月8日の東京スカイツリー

 さらに、北海道テレビ放送の設立(1967年)も岩澤。他に、電電公社経営委員、経団連理事、日経連常任理事などの肩書きもあったと思う。
 その岩澤の"末路"のはじまりが1981年。仕手株の暴落で300億を超える負債を残して失踪した。娘婿の高橋もまた前述の「珍念」をはじめとする政官人脈に生き血(金)を吸い尽くされて世の中からフェイドアウト。
 以上もまた北海道の歴史だが、こうした「書かれざる歴史」はすぐに忘却される。政治家、財界、官僚がどんな人間関係で結ばれ、何をしてきたのか――。北海道のメディアは格別の決意でそこを報じなければなるまい。時節柄、まずは原発を糸口にこの手の歴史の発掘をするのも悪くはあるまいと思うのだが。

プロフィール

和多田 進(わただ すすむ)

ジャーナリスト、編集者。1945年北海道生まれ。1976年晩聲社創立。『週刊金曜日』初代編集長兼社長。月刊誌「CHAI」編集長。荒木経惟「日本人ノ顔」プロジェクト代表。日本聞き書き学会理事。著書に『生きてるうちが花なのよ 編集現場で考える』(晩聲社)、『横撮り』(バジリコ)、『ドキュメント帝銀事件』『Story A 天才アラーキーの撮影現場』(いずれも新風舎文庫)など多数。

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