第16回 「北海道人論」の手がかり

おまえのかあちゃんデ~ベ~ソ!

第16回 「北海道人論」の手がかり

 唇を捺されて乳房熱かりき癌は嘲ふがにひそかに成さる

 メスのもとあばかれてゆく過去がありわが胎児らは闇に蹴り合ふ

 われに似しひとりの女不倫にて乳削ぎの刑に遭はざりしや古代に

 1922年(大正11年)、北海道に生まれたこの女流歌人は、1954年(昭和29年)8月3日に逝った。最期の言葉は「もういちど生きたい」だったらしい。

2011年6月30日の東京スカイツリー 写真:和多田進

2011年6月30日の東京スカイツリー

 死の1カ月前に歌人の処女歌集が出版され、没後に遺歌集が編まれた。しかし、この歌人は10年ほど前まで、北海道では「不倫の女」として語ることさへはばかられる女性であったという。なかんずくその出生・出身地域ではそうであった。「郷土の恥」ということだったのだ。
 宮沢賢治もそうであった。生きていたとき、岩手では排斥の対象だったし、石川啄木も同じ境遇であった。概して、共同体の隠された体質――異分子排斥ということが何故に起こるのか、人類学だとか民俗学だとかに疎い私には不明である。しかし、事実の問題として、異分子排斥の生理はコミュニティに付随して存在するように見える。井上ひさしの芝居『雨』、今村昌平の映画『神々の深き欲望』、ユルマズ・ギュネイ監督のトルコ映画『路』の主題のひとつはそのことである。
 賢治や啄木は後年、復権した。復権どころか、むかし彼らを排斥したコミュニティは、いまでは彼らを商売の道具にして恥じない。比して、前記北海道の女流歌人の復権は必ずしもいまだ賢治や啄木の域に達していない。理由はいろいろあるだろう。いろいろある理由のひとつに、あるいは北海道に特別の「人間関係観」のようなこのがあるのではあるまいか、と私は考える。善悪を言いたいのではない。そこに「北海道人論」を考える手がかりのひとつがありはしないかと思うのである。

プロフィール

和多田 進(わただ すすむ)

ジャーナリスト、編集者。1945年北海道生まれ。1976年晩聲社創立。『週刊金曜日』初代編集長兼社長。月刊誌「CHAI」編集長。荒木経惟「日本人ノ顔」プロジェクト代表。日本聞き書き学会理事。著書に『生きてるうちが花なのよ 編集現場で考える』(晩聲社)、『横撮り』(バジリコ)、『ドキュメント帝銀事件』『Story A 天才アラーキーの撮影現場』(いずれも新風舎文庫)など多数。

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