第6回 タコ壺

おまえのかあちゃんデ~ベ~ソ!

第6回 タコ壺

 西部邁さんは北海道出身の評論家である。肩書きは評論家だが、ナミのそれではない。知識人なのである。
 この人が東大教授を辞めざるを得なくなった顛末を記した一冊は、『剥がされた仮面 東大駒場騒動記』と題されて1988年に出版された。そこに以下の記述がある。
 「そもそも大学に残る人の大多数がおよそ社会に適応できそうもない。つまり、挨拶の仕方、お礼の言い方、酒の飲み方、何もできない人々が大学に残っている。その上、大学は基本的には社会から隔絶した密室社会というわけですから、その中で十年、二十年、三十年とたった時には、生来の病気がますます病膏肓に達するわけです」

'10年9月1日の東京スカイツリー

 大学というところは、駒場にかぎらず地方の五流大学に至るまで同様なのだと、私のささやかな体験からも想像がつく。しかし、ひとり大学だけが西部氏の言うように「タコ壺」なのであろうか?
 家庭も、官庁も、企業も、要するに小さな八百屋は八百屋なりに、新聞社や広告会社、ガソリンスタンドもそれぞれその集団なりに「タコ壺」を形成しているのではあるまいか。各タコ壺ごとに文化があり、だからそれぞれの言語があり、それぞれの正当があるのである。それぞれに常識が違うということにもなるのであろう。
 各タコ壺の常識は、他の壺の常識を認めることができない。他の常識には想像が及ばないのだ。タコは自分の壺が見えぬから、自分の壺が世界のすべてとなる。たまーにかしこいタコが「待てよ……」と考えることがあるかもしれないが、タコ一般にそういう奇蹟は起こらない。

プロフィール

和多田 進(わただ すすむ)

ジャーナリスト、編集者。1945年北海道生まれ。1976年晩聲社創立。『週刊金曜日』初代編集長兼社長。月刊誌「CHAI」編集長。荒木経惟「日本人ノ顔」プロジェクト代表。日本聞き書き学会理事。著書に『生きてるうちが花なのよ 編集現場で考える』(晩聲社)、『横撮り』(バジリコ)、『ドキュメント帝銀事件』『Story A 天才アラーキーの撮影現場』(いずれも新風舎文庫)など多数。

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