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第15回 大地に記録された防災情報
第15回 大地に記録された防災情報

三陸海岸と仙台平野で被災した友人の見舞いのついでに各地の被災現場を訪問したとき、興味のあることに気付いた。岩手県宮古市の田老地区は、万里の長城と揶揄されたほどの壮大な堤防を長年の努力によって建設してきたが、残念ながら、今回の津波に対抗できなかった。
その破壊された堤防の上部から市街を眺望すると、足元から遠方まで、鉄筋コンクリートの数戸の建物を例外として、完全に壊滅状態であるが、その彼方に無傷の壮大な建物があった。寺院である。そして寺院よりも背後の住宅などはすべて無事であった。
そこで、以後に訪問した被災現場で神社や仏閣の状況を確認すると、鳥居などが破損した神社はあったが、社殿は大半が無事であった。驚嘆したのは、宮古港外の岩礁の上部にある神社と鳥居で、はるか上部を津波が通過していったにもかかわらず無事であった。
仙台平野でも同様の現場を目撃した。日本有数の稲作地帯である仙台平野は完全に冠水し、本来は田植の時期にもかかわらず、瓦礫の堆積場所となっていた。その田畑のなかに、高さ1mもない小山があり、上部に神社と鳥居が設置されていたが、これも無事であった。
その仙台平野の端部に浪分神社という、ささやかな神社がある。その名前は400年前の慶長年間の巨大な津波が、この地点まで到達して2方向に分岐していったことに由来する。今回の津波も同様に、この神社の手前まで襲来したが、神社は無事であった。
これらの事例は奇跡ではなく、集落の人々にとって重要な存在である神社や寺院の場所を長年の経験を参考に入念に選定してきた結果である。しかし、土木技術に依存する現代には、その歴史の教訓は無視され、神社仏閣の位置が防災に役立つことはなかった。
道内にも多数の神社仏閣があるが、渡島半島の一部を例外とし、ほとんどが明治以後の開拓時代に創設されたものであり、その位置は慎重に選択されたにしても、反映している経験の時間は十分ではない。しかし、道内には、それ以上の時間を蓄積した情報がある。
アイヌの人々の名付けた地名である。土木技術をほとんど保有しなかった人々は土地の特性を地名に記録してきた。この北方の大地も地震や津波に安全な場所ではない。そのためにも地名に記録された土地の特性を考慮した社会を構築していく必要がある。
(2011年6月)
月尾 嘉男(つきお よしお)
1942年愛知県生まれ。1965年東京大学工学部卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1978年工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、総務省総務審議官などを経て、2003年より東京大学名誉教授。2004年2月ケープホーンをカヌーで周回する。専門はメディア政策。著書は『IT革命のカラクリ』『縮小文明の展望』など。趣味はカヌー、クロスカントリースキー。
・月尾嘉男の洞窟(http://www.tsukio.com/)