第13回 撤退作戦のパイロット

未来パイロット・北海道

第13回 撤退作戦のパイロット

十勝沖地震(1952年)。毎日新聞社「毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 冷戦・第三次世界大戦」より

▲十勝沖地震(1952年)。毎日新聞社「毎日ムック シリーズ20世紀の記憶 冷戦・第三次世界大戦」より

 これまで三陸海岸から仙台平野の沖合で毎年のようにカヤックをしてきた関係で、今回の東日本大震災の被災地域には何人も友人が存在し、安否を心配していた。幸運なことに、数日が経過して、すべての友人の無事が判明した一方、すべての友人の家屋は消滅した。
 なかでも宮古市田老町に生活する友人の自宅には何度も宿泊させてもらったことがあるが、強烈な印象は、その住宅の間近に、巨大な津波対策の防潮堤防が構築されていたことである。延長2.5kmで、田老の万里の長城とも名付けられてきた鉄筋コンクリートの堤防である。
 1933年に襲来した昭和三陸津波により田老が壊滅したとき、当時の地震学会の今村明恒会長が全村を高台に移動させる復興計画を提言したが、先祖伝来の土地に執着した村民の意向で、数千億円の費用と45年間の歳月をかけて実現した堅固な構造である。
 1960年のチリ津波のときには万里の長城が威力を発揮し、周辺の集落が被災したにもかかわらず、田老は無傷で、世界に有名になったが、今回は堤防の2倍にもなる波高の津波が襲来し、堤防は破壊され、馴染みの友人の自宅も消滅した。
 政府が検討を開始した復興計画では、この田老だけではなく、全体に安全な土地に集落を再建する方針が検討されているが、これは重要な論点である。今回の災害により、人間の技術では自然の猛威に対抗できないことが明確になったからである。
 明治以後、人口が3.5倍に増加した日本では生活する住宅用地や生産する農業用地・工業用地の需要が一気に増大し、崖崩れの危険のある場所も、津波の危険のある土地も技術を信奉して開発してきたが、それによって安全は十分には確保できなかったのである。
 明治以来、人口が35倍、日本全体の10倍の速度で増加してきた道内でも、人々が安全ではない場所で仕事や生活をしてきた地域も例外ではない。しかし、道内の人口密度は全国最小であるうえ、今後25年間で人口は120万人以上減少する。土地は十分に余裕がある。
 数次の北海道十勝沖地震を代表とし、ここも安全な土地ではない。戦争では進攻より撤退が数段困難な作戦とされる。東北地方では非常事態における撤退作戦であるが、今回の災害を奇貨とし、最北の土地が平常事態の撤退作戦のパイロットを目指すことを期待したい。

(2011年4月)

プロフィール

月尾 嘉男(つきお よしお)

1942年愛知県生まれ。1965年東京大学工学部卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1978年工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、総務省総務審議官などを経て、2003年より東京大学名誉教授。2004年2月ケープホーンをカヌーで周回する。専門はメディア政策。著書は『IT革命のカラクリ』『縮小文明の展望』など。趣味はカヌー、クロスカントリースキー。
月尾嘉男の洞窟(http://www.tsukio.com/)

月尾 嘉男(つきお よしお)

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