第5回 道内の地名は貴重な財産

未来パイロット・北海道

第5回 道内の地名は貴重な財産

▲東西蝦夷山川地理取調図首[20]
安政6(1859)年に松浦武四郎がつくった北海道地図の知床半島の部分(北海道大学附属図書館所蔵)

 現在では山梨県韮崎市に合併されているが、かつて山梨県北巨摩郡清哲村という村名があった。一見由緒ありそうな名前であるが、これは明治の市町村大合併で、水口、青木、折居、樋口という大字を合併したとき、それぞれの名前の漢字の一部を合成したものである。
 清哲という名前に特別の意味はないから、民俗学者柳田国男が指摘したように、時間とともに、大字の名前の由来は消滅し、清哲という高僧でも存在していたと誤解されかねない。大森と蒲田を合成した東京都大田区も有名であるが、このような事例は全国に無数にある。
 その問題を加速したのが1960年代に郵便配達の便宜のために実施された住居表示の変更である。その実験都市となった石川県金沢市では、930程度存在していた町名の半分以上が消滅した。明治の廃仏毀釈の熱病で、多数の寺院や仏像が消滅した状況に匹敵する。
 この視点からすると、道内の地名には大変な資産がある。アイヌの人々の名付けた地名である。これも明治時代に漢字に変更する過程で変質し、明治、昭和、平成の三度の市町村大合併で相当に消滅したが、近代の歴史が短期であるだけ、多数が維持されている。
 アイヌ文化には文字の記録がないので、江戸時代の探検家松浦武四郎の地図や各種の記録、明治時代に地名を編纂した永田方正の地名辞書、昭和時代の篤学山田秀三の地名研究など、それぞれで解釈の相違があるが、相当部分は解明されている。
 その特徴は地形を反映していることである。知床は[シリエトク]で大地の先端、阿寒は[アカム]で雌雄の山々が両輪のように屹立している場所、風連は[フレペツ]で赤色の河川など、現在でも観察することのできる地形を表現している。
 都会になっている場所でも、札幌は[サツテホロ]で多数の干潟のある場所、小樽は[オタルナイ]で砂浜のある河川、留萌は[ルルモペ]で海岸が河川に進入する場所など、どのような地形に現在の都市が建設されているかを想像することができる。
 金沢では旧名の復活運動を推進し、ようやく11の町名を復旧した。それ以外にも東京都台東区、長野県上田市など復活運動を開始した地域は増加している。そのような潮流からすれば、道内の地名は復活させることはあっても減少させてはいけない貴重な財産なのである。

(2010年8月)

プロフィール

月尾 嘉男(つきお よしお)

1942年愛知県生まれ。1965年東京大学工学部卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1978年工学博士。名古屋大学工学部教授、東京大学工学部教授、総務省総務審議官などを経て、2003年より東京大学名誉教授。2004年2月ケープホーンをカヌーで周回する。専門はメディア政策。著書は『IT革命のカラクリ』『縮小文明の展望』など。趣味はカヌー、クロスカントリースキー。
月尾嘉男の洞窟(http://www.tsukio.com/)

月尾 嘉男(つきお よしお)

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