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        <title>となりの北海道人「私のお父さん」 | 北海道人</title>
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        <language>ja</language>
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            <title>第51回</title>
            <description><![CDATA[<a name="240"></a>
<div class="item-area">
	<img alt="" height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol051/240.jpg" width="134" /><br />
	<h5>
		■240『教室に漂うパンの香り』</h5>
	<p>
		<b>宮内優子さん</b>（66）＝主婦、帯広市出身、札幌在住</p>
	<p class="clearFix">
		　&mdash;お父さんはどういう方ですか。<br />
		　父はずっと教職にありまして、長く小学校で、その後中学に移り、最後は中学の校長で定年を迎えました。私は父が教えていた小学校に通っていたんですよ。担任になることはありませんでしたが、私の担任が休みの時などに教壇に立つことがあったり、朝礼で顔を合わせることがありました。<br />
		　&mdash;勉強については？<br />
		　厳しかったですね。母も元教師ですし、無理矢理させるというよりも、勉強するようにし向けてくる雰囲気がありました。家で机に座って眠そうにしていると、父がそばに来て「手品を見せてやろうか」と、楽しませてくれたものです。<br />
		　&mdash;思い出に残っていることは。<br />
		　小学4年ぐらいのことですが、帯広でも学校給食がはじまることになりました。父は子どもたちにおいしい給食を食べさせたいという思いで、率先して取り組んでいました。新潟で行われた給食に関する研究会に、私を連れていってくれたことがあります。帰りには東京にいた兄のところにも寄りました。<br />
		　学校にパンを焼く機械を導入したのも、父でした。3時間目ぐらいになると、教室にパンを焼く香ばしい匂いが漂ってきたのを思い出します。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="239"></a>
<div class="item-area">
	<img alt="" height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol051/239.jpg" width="134" /><br />
	<h5>
		■239『退職後、カメラマンの現地コーディネーターに』</h5>
	<p>
		<b>不破直継さん</b>（38）＝「田沢商会」常務取締役、帯広市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　&mdash;話題のスイーツ店「<a href="http://candy-danish.com" target="_blank">キャンディーデニッシュ札幌店</a>」（エスタ地下）の仕掛け人、不破さんは帯広出身。お父さんはどういう方でしたか。<br />
		　父は「東北海道新聞」で新聞記者をしていたそうです。その後、除雪車などの重機を扱う会社へ移り、取締役として定年まで勤めたあとは、カメラマンの現地コーディネーターになりました。<br />
		　&mdash;カメラマンの現地コーディネーターとは？<br />
		　道内で撮影するカメラマンのために、すべての手配を進める仕事です。撮影ポイントの紹介や現地までの案内はもちろん、絶好の撮影時刻や撮影時の絞り、アングルまですべてアドバイスするので、カメラマンはただシャッターを押すだけ、という感じらしいです。4、5人の撮影旅行のグループを引率したり、顧客には全国的に超有名なカメラマンもいます。<br />
		　&mdash;凄いですね。<br />
		　父自身も作品を撮っており、東京で個展を開いています。74歳になりますが、あちこちを忙しく飛び回っています。真面目一筋の父ですが、老後を楽しむため、若いうちにしっかり働いておくこと。父の背中を見て、それを学びました。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/tonarino/201204/51.php</link>
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            <pubDate>Thu, 05 Apr 2012 14:45:19 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第50回</title>
            <description><![CDATA[<a name="238"></a>
<div class="item-area">
	<img alt="" height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol050/238.jpg" width="134" /><br />
	<h5>
		■238『父が書いた小説を映画にしたい』</h5>
	<p>
		<b>松田一伸さん</b>（52）＝<a href="http://www.shinsen.co.jp/" target="_blank">シンセングループ</a>代表取締役&ldquo;創長&rdquo;、ラジオDJ、歌志内市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　&mdash;テレビCM制作やスマートTVショッピングサイト「<a href="http://dododo.co.jp/" target="_blank">dododo（ドゥドゥドゥ）</a>」を運営する松田さんは歌志内生まれ。元炭坑のマチですね。<br />
		　父は16歳から炭坑で働きながら高校へ通いました。専門は発破で、洗濯していた作業着のポケットからダイナマイトが出てきて、驚いたことがありました。<br />
		　&mdash;それは大変（笑）。<br />
		　よく殴られて、おっかない存在でした。ウチには猫や犬、ハムスターを飼っていて、さらに父が雀やカラスのひなを持ってきたり、坑道でコウモリを捕まえて、家の中に放していたこともありましたね。<br />
		　定年後は書道の師範の免状を取ったり、絵画や地元の社交ダンス協会の会長を務めたりと、多趣味でした。いまは病気をしてすっかり小さくなりましたが、父にその半生を小説として書いてもらったことがあります。私は3年前にテレビドラマの監督をやったことがあるので、ぜひこの物語を映画にできたらいいなと思っています。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="237"></a>
<div class="item-area">
	<img alt="" height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol050/237.jpg" width="134" /><br />
	<h5>
		■237『お前なら何でもできる』</h5>
	<p>
		<b>坂東守さん</b>（60）＝司法書士（<a href="http://www.bando-office.com/" target="_blank">坂東法務事務所</a>　代表）、夕張市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　&mdash;ご出身は夕張。<br />
		　父は警察官で、官舎が併設された交番で育ちました。5歳で札幌に移り、小中高と過ごしました。父はシベリアに4年ほど抑留された経験を持つ元軍人ですから、厳格で、口をきくのも恐ろしいくらいでした。<br />
		　私は高校2年で学生運動に関わり、関西の大学でも活動をつづけました。中退して工場に入り、その後も様々な職業を経験しました。<br />
		　&mdash;お父さんもご心配だったのでは。<br />
		　あるお米屋さんで仕事をしている時、店主が「支店を出さないか。嫁も世話してやる」と言ってくれました。人生これでいいのかと思った時に、一念発起して司法書士に挑戦することにしました。そのとき父に手紙を書いたのですが、父は「お前なら何でもできる」と返事をくれました。<br />
		　あとになって知りましたが、父は私がいつ復学してもいいように、と、大学の学費を8年間払いつづけていたそうです。<br />
		　&mdash;お父さんに歌のプレゼントをされたとか。<br />
		　『ありがとう。&mdash;父へ&mdash;』というCDを制作し、私が作詞し、歌っています。父は健在で、先日100歳になりました。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="236"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol050/236.jpg" width="134" />
	<h5>
		■236『充実した人生の送り方を示してくれました』</h5>
	<p>
		<b>後呂寿重さん</b>（63）＝楽しみたガール、滝川市出身、石狩市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―近々、お母さんと「第九」を聴きにいかれるとか。<br />
		　はい。2年前に他界した父も「第九」が好きでした。父は多趣味な人で、囲碁、弓道、写真撮影、絵画鑑賞、家庭菜園&hellip;&hellip;80歳になってパソコンもマスターしたんですよ。<br />
		　―お父さんは獣医師や栄養士の資格もお持ちだったそうですね。<br />
		　昭和20年代に公務員になり、もっぱら公衆衛生に携わっていました。私が子どものころ、父はよく部屋にシーツを張って幻灯機で画像を映し、食中毒の予防法などを住民の方々に説明する練習をしていました。それから、父が小麦粉の生地の江戸風桜もちを作ってくれた日のことも忘れられません。私は長らく消費者と生産者が学び合う活動をつづけていますが、あの日の感動が、「食」を大切にするきっかけになっていると思います。<br />
		　―お父さんの教えで最も印象に残っていることは。<br />
		　すべての人、物に対する思いやりですね。晩年の母に対する優しさは格別でした。母の親族はみな首都圏に住んでいるので、母を春と秋に1カ月ずつ実家に送り出し、父は自炊していました。離れている間、夫婦で手紙のやり取りをしていて、互いを思いやる言葉が綴られたその手紙は、私たち子どもにとっても宝物です。</p>
	<p class="write">
		（道産ヨネ）</p>
</div>
<a name="235"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol050/235.jpg" width="134" />
	<h5>
		■235『15歳で親元を離れた』</h5>
	<p>
		<b>玉手成一さん</b>（兄・40・写真左）、<b>玉手功二さん</b>（弟・40）＝元力士（<a href="http://www.jog-biz.com/jogshop/20090912175731.html" target="_blank">「ちゃんこ定食　玉ちゃん」</a>経営）　札幌市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　ー双子の玉手さんご兄弟は、元間垣部屋のお相撲さん（兄・若昇龍、弟・若天章）。入門のため、15歳で親元を離れたそうですね。<br />
		（兄）最初は弟だけを出して、長男は家に残すという話でしたが、母が「どうせなら二人で行け」と。途中で帰りたくなっても、父はきっと家に入れてくれないから頑張るしかないと思っていました。入門して3年ぐらいは家に戻れないのですが、19歳で一度帰った時はとても喜んでましたね。<br />
		　ーお父さんはどういう方ですか。<br />
		（弟）頑固ですね。頑固。父はそのころ日通のドライバーをしていて、近寄りがたい雰囲気がありました。勉強のことなんかはノータッチでしたが、時々ガツンと怒られたものです。<br />
		　ー今は札幌でちゃんこ料理屋さん。<br />
		（兄）店をはじめたのも、父のアドバイスがきっかけです。ちゃんこ鍋と聞くと高いイメージがありますが、ウチは「ちゃんこ定食」として、気軽に食べてもらえる価格設定にしています。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
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            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/tonarino/201111/50.php</link>
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            <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 13:41:24 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第49回</title>
            <description><![CDATA[<a name="234"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol049/234.jpg" width="134" />
	<h5>
		■234『無口な親父が大漁の時には&hellip;&hellip;』</h5>
	<p>
		<b>釜澤一男さん</b>（82）＝漁師、ペンション『亜留芽利亜（アルメリア）』オーナー、島牧村出身、稚内市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―アルメリアの料理は新鮮な魚介類が魅力ですね。<br />
		　ウニ、エビ、タコ、ナマコ、サケ&hellip;&hellip;自分で獲ってきたものを出してます。昔はフグも獲れたんですよ。親父も漁師で、昭和のはじめから終戦までは樺太で漁師を束ねる船頭をやってました。<br />
		　―当時はやはりニシン漁ですか。<br />
		　そう。親父は島牧から樺太の真岡に渡って約20年いたんだけど、19年間豊漁だったそうです。だけど昭和20年8月20日、真岡はソ連軍に艦砲射撃され、家族全員、漁船で命からがら逃げてきました。<br />
		　―お父さんは、どんな人でしたか。<br />
		　親父も私も無口だったから、話した記憶はほとんどないの。樺太時代、私は鉄道に勤めていたから、なおさらだね。稚内に根を下ろしてから、親父に漁を学んだんだけど、よく働く人で、体を動かすことで仕事を教えてくれました。大漁のときは上機嫌で、うちの娘たちが浜から船上のおやじに「じいちゃーん！　どうだったーっ」と声を掛けると、両腕で大きなマルを作って大漁を知らせていました。</p>
	<p class="write">
		（道産ヨネ）</p>
</div>
<a name="233"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol049/233.jpg" width="134" />
	<h5>
		■233『父から学んだマネージャー論』</h5>
	<p>
		<b>ミラクル加藤さん</b>（28）＝<a href="http://mariachi25.exblog.jp/" target="_blank">「カリブ居酒屋マリアッチ」</a>（札幌市豊平区）マネージャー、小樽市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―札幌・平岸にある「カリブ居酒屋マリアッチ」のマネージャー、「ミラクル加藤」さん。明るいキャラクターが魅力です。<br />
		　小樽の実家はじいちゃんの代から続く電気工事・家電店で、父は販売部の店長でした。お酒が好きな、マイペースな父ですが、小樽北照高時代はスキー部のマネージャーだったそうです。「選手は滑走路を通るけれど、マネージャーはみんなの荷物を背負って、林の中を滑らなければならない。だから一番難しいんだ」と語っていました。僕もいま、お店のマネージャーという肩書きで仕事をしていますが、そんな父の姿から学んでいる部分があるかも知れませんね。人の見えないところで、重たい荷物を背負っている、みたいな（笑）。<br />
		　―なるほど。陰ながらの努力の大切さ。<br />
		　父がゴルフをやる時の口癖に、「パーでいいんだ」というのがあります。素人はパー（規定打席で回る）でもいいじゃないか。イーブンで凄い成績を残せる。僕も一時期、よくこの言葉を使っていました。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="232"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol049/232.jpg" width="134" />
	<h5>
		■232『世の中とはそういうものだ』</h5>
	<p>
		<b>藤野羽衣子さん</b>（32）＝自営業（<a href="http://members.jcom.home.ne.jp/bunkaisya/" target="_blank">分解社</a>）、歌手、札幌市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　ーお父さんはどういう方ですか。<br />
		　父は福祉施設で、調理関係の仕事をしていました。ずーっと苦労して、我慢して、色々人に気を遣うタイプなのですが、でも本人曰く「まあ、そんなもんだ」と構えている。悲観的な諦めではなく、達観してるというか。「軽い」感じです。<br />
		　ー冗談を言ったりとか、そういう「軽さ」ではなくて。<br />
		　あるがままに、世の中のことはそういったものだ、という風に納得する、というか。あるがままのものを認める、ということを父から教わった気がしますね。<br />
		　ー父と娘の会話は、多い方でしたか。<br />
		　そうですね。ウチは母よりも父の方が話しやすいタイプでした。理解があり寛容であり忍耐があり、そして「軽い」。どんな時も娘と対等に向き合って、話を聞いてくれました。いまは定年して、別の児童施設の管理人をしていますが、子どもたちと対等に遊んでくれる大人として好かれているようです。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="231"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol049/231.jpg" width="134" />
	<h5>
		■231『酒飲みで、新聞読みで、講釈好き』</h5>
	<p>
		<b>馬場宏さん</b>（75）＝終活中、札幌市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―毎年、カッコウの初鳴きを記録しているとか。<br />
		　この辺り（南区常盤）は、例年、5月末から6月初めだね。聞く度にカッコウが鳴いたら作付けしていいって、親父やじいさんが言っていたのを思い出します。<br />
		　―ご実家は農家？<br />
		　そう。だけど親父は鉱山で馬方の頭をしていた時期があって、田畑は家族任せ。酒飲みで、ひと度街へ出たら何日も帰ってこない。しびれを切らした馬が結わえていた手綱を切って、空の馬車ひいて帰ってきたことがありました。一事が万事そんな調子。でも、親父は新聞をよく読んでいて、世の中のことに明るかった。戦後、真駒内に米軍が進駐して接収地の図面が新聞に載ったときは、物差しで計って、この辺りはふくまれないことを僕らにも話して聞かせてくれました。<br />
		　―地域の歴史に精通しているのはお父さん譲り？<br />
		　親父の前に、まず、じいさんかな。石川県の生まれで、日本海を渡ってきたときのことなど、いろんなことを話してくれたから。近隣の人たちと「カッコウの里を語る会」を立ち上げて、森づくりや環境美化に取り組んでいるけど、先人に学ぶことはいっぱいありますよ。</p>
	<p class="write">
		（道産ヨネ）</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/tonarino/201107/49.php</link>
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            <pubDate>Thu, 14 Jul 2011 17:41:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第48回</title>
            <description><![CDATA[<a name="230"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol048/230.jpg" width="134" />
	<h5>
		■230『結婚相手の性格は父と似ているかも』</h5>
	<p>
		<b>新目七恵さん</b>（28）＝会社員、<a href="http://www.kaitanshi.com/" target="_blank">『海炭市叙景』北海道応援団事務局</a>、帯広市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　─お父さんとは正反対の性格だとか？<br />
		　私はおおざっぱなで感覚的なんですけど、父は丁寧で論理的。ふざけて言った冗談の意味を聞いたりするようなタイプで、そのせいか父に対してはちょっとそっけない娘でした。でも、社会人となり、地道に働いて頑張っている普通の人たちの素晴らしさに触れるなかで、これまで身近すぎてあたりまえにしか感じなかった両親のことも、改めて見直すようになりました。そもそも家族を養うってスゴイことですものね。<br />
		　─転職した函館で制作に関わった映画も、普通の人を描いたものですね。<br />
		　はい、ありふれた人たちの日常が描かれています。市民がお金を出し合ってつくった映画で、エキストラだけでなくメインキャストにも函館の一般の人たちがたくさん出演しています。うちは家族みんなが映画好きで、子どものころはいつも夕食後にレンタルビデオ屋さんで借りてきたチャップリンの映画を家族一緒に観ていました。映画は父と私の共通項のひとつ。私が映画づくりに関わったことも、「いい記念だね」と喜んでくれました。<br />
		　─新婚ほやほやの新目さん。結婚もお父さんを喜ばせたニュースですね。<br />
		　ええ。父には言っていませんが、結婚相手の性格は父と似ているかもしれませんね（笑）。</p>
	<p class="write">
		（鶴見裕子）</p>
	<a name="229"></a>
	<div class="item-area">
		<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol048/229.jpg" width="134" />
		<h5>
			■229『今回も一触即発』</h5>
		<p>
			<b>杉本美行さん</b>（45）=便利屋、仙台市出身、小樽市在住</p>
		<p class="clearFix">
			　─ご出身は仙台ですね。東日本大震災でご実家は大丈夫でしたか。<br />
			　地震のあと電話が繋がらず、地震の規模から考えてもとにかく行かなくては、と思いました。翌日、苫小牧発のフェリーが震災の影響で小樽から出港することを知り、「これで行ける」と思い、乗り込みました。フェリーに乗る前には親戚から間接的に、入院している母以外の家族の安否は確認できていました。母の無事は私が行ってから確認がとれました。<br />
			　─ご実家に着いたときのお父さんのご様子は。<br />
			　レンタカーで夜の9時ころ実家の前に着くと、懐中電灯を持って父が出てきました。父も私も平常といった感じでしたね。<br />
			　─滞在していた間、お父さんとはどんなやりとりを。<br />
			　今回に限らず、会って話をすると必ずけんかになります。かつて、父に一方的に殴られたということがあって、今回もすんでのところで殴られるところだったんですけど、知恵をしぼってなんとか回避しました（笑）。母が入院している病院に父と行ったとき、看護師長さんに「死ぬ思いをした」と話していたのを聞きました。本音がわかりづらく、こんなこと言う父じゃないですから、その言葉をメモったくらいです。<br />
			　─その後、もう一度仙台に行ったんですね。<br />
			　父から「もう大丈夫だから来るな、自分の仕事に専念しろ、金を使うな」と言われていたので、事前に知らせずに行ったんですが、いざ行ってみると、とても喜んでくれて、めずらしく「ありがとう」と言葉にしてくれました。</p>
		<p class="write">
			（海空ナツコ）</p>
		<a name="228"></a>
		<div class="item-area">
			<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol048/228.jpg" width="134" />
			<h5>
				■228『修行は独学でやった』</h5>
			<p>
				<b>松重晴彦さん</b>（57）＝会社社長（<a href="http://www.kuleba.jp/shop/detail.php?id=1688" target="_blank">時計宝石の松重</a>）、岩見沢市出身、岩見沢市在住</p>
			<p class="clearFix">
				　─岩見沢4条通り商店街の活性化に取り組む松重さんは、1935年創業『時計宝石の松重』の2代目。お父さんの思い出といえば。<br />
				　オヤジの？　ないよ。全部独学で学んだようなものだ。僕は人生の中で、時計・宝石屋なんかやるつもりでなかった。<br />
				　学生時代は音楽をやっていて、今もバンドでドラムを叩いているんだけど、オヤジに「アメリカにでも行って、宝石の技術を修行してきたらいいんでないか」と言われて。アメリカに行かしてくれるんなら家業に入ろうか、と。<br />
				　─結局、アメリカには。<br />
				　行かないよ。だからだまされたようなもんだ。オヤジは13年前に84歳で亡くなったけど、商売に関して、ものを教えてもらったことはない。独学でライセンス取ったり、自分で修行したようなものだ。<br />
				　時計屋さんの息子というのは、みんな同じだと思う。昔は「技術は目で盗んで覚えろ」というのが鉄則だったから、オヤジさんが手取り足取り教えるなんてことは、まずしないんだ。<br />
				　─4条通り商店街では総務省などと組み、ネット広告システムの実証実験（<a href="http://townguide.sntrial01.jp/" target="_blank">岩見沢市4条通り商店街広告配信サービス</a>）が行われています。<br />
				　これは57店が参加しているもので、登録した消費者が商店街の情報を見て、割引を受けられるというサービス。当店でもオリジナルデザインの宝石や時計などを紹介してます。</p>
			<p class="write">
				（及川直也）</p>
		</div>
		<a name="227"></a>
		<div class="item-area">
			<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol048/227.jpg" width="134" />
			<h5>
				■227『無愛想なおやじだったけれど店は繁盛』</h5>
			<p>
				<b>本間博さん</b>（59）＝建築家（本間建築工房・取締役）、島牧郡島牧村出身、札幌市在住</p>
			<p class="clearFix">
				　─毎年、除夜の鐘を突いているそうですが、どちらで？<br />
				　客殿や宝塔の設計をさせていただいた新善光寺（札幌市）です。除夜の鐘ですから先着108組限定。年の変わり目を実感し身が引き締まります。<br />
				　─そうした姿勢はお父さん譲り？<br />
				　でしょうね。おやじは島牧で雑貨屋をやっていて、「原歌（地区の名）の百貨店」と豪語していました。昭和30年代は、冬になると陸の孤島状態。何でもそろっていなければ地域の人が困るという状況で、食品や日用品はもとより、テレビなど家電も扱っていました。それでも一貫して酒は置きませんでした。酔っ払いが来る店にしたくなかったんです。当時は、もっぱら買物通帳に記入する方式の掛け売りだったから、資金繰りに苦労したと思います。おやじは無愛想で冗談一つ言わなかったけれど、考えがブレなかったし地域のことにも一所懸命。ずっと村議をやっていました。<br />
				　─お父さんの血を感じるのはどんなときですか。<br />
				　間違ったことはしたくないし、許せない。そうした正義感を意識したときやニーズに応えるべく工夫を凝らしているときですね。寺院や住宅などの建築に携わり、建主とともによいもの作り上げていくことに生きがいを感じます。実家の店も僕が設計したんですが、北海道南西沖地震のときも陳列棚から商品が落ちませんでした。まあ、地盤もいいんですがね。</p>
			<p class="write">
				（道産ヨネ）</p>
		</div>
	</div>
</div>
]]></description>
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            <pubDate>Wed, 01 Jun 2011 16:14:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第47回</title>
            <description><![CDATA[<a name="226"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol047/226.jpg" width="134" />
	<h5>
		■226『父が見せてくれた人生の楽しみ方』</h5>
	<p>
		<b>樫田一恵さん</b>（62）＝映画ライター、フローリスト、札幌市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　─お父さんとの一番の思い出は？<br />
		　私が6歳の時、まだ小さい弟たちも連れて親子5人で、暴風雨なのに近所の映画館に『七人の侍』を観に行ったこと。結局停電になり、半券もらって帰ってきました。それが洞爺丸の沈んだ日だったので、よく覚えてます。なんであんな日に映画を、って（笑）。<br />
		　─それほどに映画がお好きだった？<br />
		　父も母も祖母も好きでしたね。昔はテレビなんてないから映画は最大の娯楽。時代劇から洋画までたくさんの映画に連れて行ってもらいましたよ。花を好きになったのも、小学生の時に父と一緒に庭づくりに熱中したから。新しいもの好きで、コーヒー通で、70代でも赤やオレンジ色のゴルフウェアが好きでハイカラなの。子どもを管理せず、やりたいようにさせてくれたし、父からは人生の楽しみ方を教わった気がしますね。<br />
		　─そのお父さんは11年前に他界されたんですね。<br />
		　ビルマ戦線に従軍し、九死に一生を得て、「人間は紙一重の人生」と話してくれた父も、80歳でぽっくりと逝きました。四十九日までは近くに父の匂いがずっとして、そばで守ってくれてると感じました。もうしないから、あっちのほうが居心地いいのかな。</p>
	<p class="write">
		（鶴見裕子）</p>
</div>
<a name="225"></a>
<div class="item-area">
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	<h5>
		■225『私と父、実は結構似てるのかも』</h5>
	<p>
		<b>森田香さん</b>（33）＝会社員、恵庭市出身、恵庭市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　─子ども時代は家族でよく外食や旅行をしたそうですね？<br />
		　うちは農家で年中休みなしのはずなのに、小さいころからいろんなところへ連れて行ってもらいました。農家だからと子どもにガマンさせたくなかったみたいです。そのぶん両親は大変だったと思います。ありがたいことですよね。<br />
		　─じゃ、お父さんとはよくおしゃべりしたり？<br />
		　いえ、今実家にいていつも顔を合わせているせいか、つれない娘です（笑）。同性としてやはり母の大変さのほうによく目が行ってしまうので、プレゼントを贈るときもなんとなく母のほうに比重が&hellip;&hellip;。お父さんってソンですよね。<br />
		　─そんなお父さんと似ているところ、あります？<br />
		　父は好奇心が旺盛で、興味のある記事を見つけたら新聞社に電話で問い合わせたり、講演会に一人で足を運んだりと行動力があるんです。人と会うのも好きで、憧れのシャロレー牛を飼っている人を探し出して、四国まで会いに行ったり。そこまで積極的ではないですけど、私も面白そうなことがあれば一人でも出かけるタイプなので、そういうところはかなり似てます。姉や妹は違うんですけどね（笑）。</p>
	<p class="write">
		（鶴見裕子）</p>
</div>
<a name="224"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol047/224.jpg" width="134" />
	<h5>
		■224『馬を売って大学へ行かせてくれた』</h5>
	<p>
		<b>鈴木宗男さん</b>（62）＝政治家　「新党大地」代表、足寄郡足寄町出身、釧路市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―何かと話題の「ムネオさん」の出身地といえば、足寄町大誉地（およち）。どんな場所ですか。<br />
		　私の生まれた大誉地は自然環境の厳しい所で、小・中学校時代の思い出といえば、冬はマイナス30度以下が1週間、マイナス25度以下が1カ月もつづく、厳しい場所でしたね。そんな自然の厳しさが、私に根性だとかやる気だとか、思いやりだとか優しさだとかね、様々なものを教えてくれたと思いますね。<br />
		　―お父さんはどんな方でしたか。<br />
		　オヤジはね、田舎の一百姓でしたけども、政治好きでした。だから町会議員選挙や町長選挙にはいつも関わってました。まあ、その血を私が引いているんでしょう。<br />
		　オヤジはいつもね、子どもたちに勉強させたいという気持ちを持っててくれました。オヤジは大切な馬を一頭売って、そのお金で私を東京の大学へ送り出してくれました。今日、中学時代の恩師たちが集まってくれましたが、「ムネオのオヤジは偉かった。人づくりをした」と言ってくれました。先生たちが評価してくれて、私はうれしかったですね。<br />
		（2010年9月12日収録）</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="223"></a>
<div class="item-area">
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	<h5>
		■223『無口な父が残した一言』</h5>
	<p>
		<b>坂口仁さん</b>（56）＝古書店主（さっぽろ萌黄書店<a href="http://www.d2.dion.ne.jp/~moegi/" target="_blank">http://www.d2.dion.ne.jp/~moegi/</a>）、釧路市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―お父さんは転勤が多かったそうですね。<br />
		　父は開発局勤務で、港湾関連の仕事をしていました。私は釧路で生まれ、間もなく函館へ。それから室蘭、札幌、網走、また札幌と。そして中3の1年だけ釧路で過ごし&hellip;&hellip;と、道内を転々としました。寡黙な父で、家でもほとんどしゃべらない人だった。定年を過ぎてからですよ、家の中で「なんだ、しゃべることできるじゃないか」と思うようになったのは。何か特別なことを話したというわけではありませんが、それくらい静かな父でした。<br />
		　―印象的なエピソードといえば。<br />
		　父は15年ほど前、肺を悪くして亡くなりました。ある日病室へ行くと、私の腕をぎゅっと強く掴んで引きつけた。「なんだ」と顔を寄せると、「煙草」とつぶやいたんです。ヘビースモーカーでしたからね。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/tonarino/201101/47.php</link>
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            <pubDate>Thu, 13 Jan 2011 16:11:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第46回</title>
            <description><![CDATA[<a name="222"></a>
<div class="item-area">
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	<h5>
		■222『無口だけど多才だった父』</h5>
	<p>
		<b>やすこさん</b>（70）＝無職、江別市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　─お父さんは戦前からつづく酒屋さんを経営されていたそうですね？<br />
		　はい、親から店を継いだんです。お酒や食料品、雑貨などいろいろ扱っていて、戦争中も不自由のない生活でした。地方巡業のお相撲さんを泊めるほど大きな家でしたが、昭和28年の江別大火で焼けてしまいました。うちは同じ場所に建て直したんですけど、移転してしまう人も多くて、あのころからまちがなんとなく寂れ出したように思います。80代で店を閉め土地を手放したんですが、大火に耐えた蔵は今でも残っているんですよ。<br />
		　─お父さんの思い出は？<br />
		　お祭りとか特別な日には、父が料理をつくってくれました。八つ目ウナギの蒲焼きなんかも食べましたね。特にお稲荷さんの皮がおいしくて、お嫁に行っても時々「こっち来る時につくって持ってきて」と頼んだりしました。<br />
		　─お父さんと似てるなぁと思うところはありますか？<br />
		　無口でおとなしいところ、でしょうか。商売として表彰状や看板を書くほど達筆で、水引で飾りをつくった結納品をお店で売っていたほど手先が器用。娘の私たちも手工芸が好きで器用なほうです。でも、私は父ほどではないですね。</p>
	<p class="write">
		（鶴見裕子）</p>
</div>
<a name="221"></a>
<div class="item-area">
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	<h5>
		■221『男たるもの働くものだ』</h5>
	<p>
		<b>田中正能（たなか・まさたか）さん</b>（31）＝カイロプラクター（中村カイロプラクティックオフィス<a href="http://www.atlas-web.net/" target="_blank">「アトラス」</a>T・Cマネージャー）、釧路市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―カイロプラクティックから美容までをサポートする<a href="http://www.atlas-web.net/" target="_blank">「アトラス」</a>の田中さんは釧路出身。学生時代は結構やんちゃだったとか。<br />
		　中学、高校と、夜中にバイクや自動車に乗って大きな音で走るサークルに入ってました（笑）。父は地元で木材関連の会社を経営していますが、いろいろ迷惑もかけました。中3の時にある問題を起こして、父が「自分は幼い時に父を亡くしたので、子どもとの接し方がわからないのかも知れない。申し訳ない」と謝罪した姿が忘れられません。父が常日頃言っている「男たるもの働くものだ」という教えは、社会人となった自分の支えになっています。<br />
		　―先日、ご結婚されたそうですね。<br />
		　挙式は札幌、披露宴は釧路で開きました。出席した両親も、本当に喜んでくれました。結婚して新たな責任が生まれましたが、今でも年に1、2回は釧路へ帰って、父と酒を酌み交わすのが一番の楽しみです。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="220"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol046/220.jpg" width="134" />
	<h5>
		■220『店の手伝いで学んだ「工夫」の大切さ』</h5>
	<p>
		<b>森脇俊文さん</b>（34）＝「健康運動指導士（<a href="http://medifit-scenes.com/" target="_blank">メディフィットトレーニングスタジオ</a>）、札幌市出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　―スポーツトレーナーとして活躍中の森脇さん（<a href="http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/" target="_blank">不調改善トレーナ森脇俊文の「ＱＯＬ向上委員会」</a>）。ご実家はスーパーマーケットを経営されているとか。<br />
		　40年前、父が青果店からスタートしましたが、今では市内に5店舗。両親はずっと共働きで、僕も小学6年ぐらいからお店を手伝っていました。<br />
		　―印象に残っているエピソードは。<br />
		　ある日、なぜかキュウリが全然売れないことがあった。店員たちが首をひねっているところに父がやってきて、ひと山の本数と値段をいじった途端、急に売れ出したことがある。「商才」とはこういうことなのか、と驚きましたね。ほんのわずかの工夫が、流れを大きく変えることがある。運動指導の場面でも「工夫の大切さ」を考えるきっかけになりました。<br />
		　日頃はおだやかな父ですが、ある時、お店で烈火の如く怒ったことがある。バイトの青年が一斗缶の蓋を開けようとして、手を切りそうになっていたんですね。社員の安全が第一、という姿勢は、自分が部下を使う立場になった現在も心に留めています。</p>
	<p class="write">
		（及川直也）</p>
</div>
<a name="219"></a>
<div class="item-area">
	<img height="134" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/tonarino/vol046/219.jpg" width="134" />
	<h5>
		■219『お父さんの店を手伝って、料理を覚えました』</h5>
	<p>
		<b>ジェム・バヤツさん</b>（38）＝「<a href="http://www.the-kebap.com/" target="_blank">トルコキッチン　ザ・ケバブ</a>」店主、トルコ・イスタンブール出身、札幌市在住</p>
	<p class="clearFix">
		　─若いころのお父さんは羽振りのいいビジネスマンだったとか？<br />
		　そう、ベンツを4台持つような。最初は銀行マンで、その後に独立して金融関係の会社をつくりました。だけど、3年で倒産して逃げちゃった（笑）。しばらくして戻ってきて、勤め人やって、でもやっぱり自分で経営したくて、たくさん借金して今度は大きなレストランを開店させた。当時高校生だった私も手伝っていたんで、その時に料理を覚えたんです。でも、その店も結局つぶれました。<br />
		　─お父さんのどんなところがそうさせたんでしょう？<br />
		　頭は良いけど、責任感がない。人につきあわされてギャンブルにお金を使ったり、面倒なことから逃げて遊びに行ったりするから。仕立屋をしてたお母さんは苦労したね。でも、今は二人とも年金生活で平和に暮らしてます。お父さん、ハンサムなんですよ。<br />
		　─そういうお父さんを見てきたから、ジェムさんは堅実経営ですね。<br />
		　開店は2003年の「日本におけるトルコ年」。テレビでトルコがたくさん取り上げられ話題になっていたので、今がチャンスと決心しました。でも、テレビでお店が紹介されると、しばらくは混むけど常連さんが逃げてしまう。そういうことも勉強しましたね。</p>
	<p class="write">
		（鶴見裕子）</p>
</div>
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            <pubDate>Thu, 09 Dec 2010 16:02:24 +0900</pubDate>
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