第51回

私のお父さん

第51回

話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。


■242『父は校長だった』

柴田紘典さん(73)=「時計の病院」院長、当別町出身、札幌市在住

 —CMW(公認高級時計修理職人)、国家検定1級時計修理技能士第1号の柴田さんは、「時計の病院」の"院長"。
 父は小中学校の教師で、僻地校を中心に3年ごとに転勤していました。私は昭和14年生まれで、砂川の東洋高圧の工場が空襲で燃え上がる光景や、滝川に石炭から人造石油をつくる工場があったのを覚えています。父は私が小3の時に校長になって以来、中学まで自分の通った学校は常に父が校長でした。
 —それは大変ですね。厳しかったことは?
 父に勉強しろと言われたことは1度もありません。私は1歳の時に解熱剤注射のミスで、左足が不自由になりましたが、自由にやりたいことをさせてくれました。
 初めて父と意見が違ったのは、高校を選ぶときです。父は私を大学に行かせたくて、普通高校に入れたかったのですけども、私はどうしても当時レベルの高かった滝川工業高校に進みたいと言いました。父は私の成績も全部知ってますし、絶対受からないと反対しましたが、最後には折れて「中学3年をもう一度やればいいさ」と言ってくれました。
 父は68歳で亡くなりましたが、飲み屋で一緒に酒を飲んでみたかったですね。

(及川直也)


■241『スーパーカブの旅』

渡辺ゆりさん(37)=ドーナツ専門店「ポッコ・ア・ポッコ」(札幌市中央区)経営、由仁町出身、札幌在住

 —お父さんは元高校の体育教師だったそうですね。
 父は71歳になります。いまは由仁町で親戚と「有氣農園ぼうけん親爺」をやっています。私は札幌で姉と一緒にドーナツ店を開いてますが、その農園の無農薬野菜を使っているんですよ。
 —渡辺さんは菓子職人になるため、18歳で大阪にある専門学校へ。反対はありませんでしたか。
 父は「自分が決めたのだから」と送り出してくれました。出発前に「五か条」を渡されました。「人に迷惑をかけない」「人にやさしくせよ」など書いてありましたね。
 30歳で北海道に戻ることにして、愛車のホンダスーパーカブC100に乗って本州を北上する、と父に告げると「俺も一緒に行く」と。父の車や民宿に泊まり、京都の舞鶴から12日間かけて旅しましたが、楽しかったですね。

(及川直也)


■240『教室に漂うパンの香り』

宮内優子さん(66)=主婦、帯広市出身、札幌在住

 —お父さんはどういう方ですか。
 父はずっと教職にありまして、長く小学校で、その後中学に移り、最後は中学の校長で定年を迎えました。私は父が教えていた小学校に通っていたんですよ。担任になることはありませんでしたが、私の担任が休みの時などに教壇に立つことがあったり、朝礼で顔を合わせることがありました。
 —勉強については?
 厳しかったですね。母も元教師ですし、無理矢理させるというよりも、勉強するようにし向けてくる雰囲気がありました。家で机に座って眠そうにしていると、父がそばに来て「手品を見せてやろうか」と、楽しませてくれたものです。
 —思い出に残っていることは。
 小学4年ぐらいのことですが、帯広でも学校給食がはじまることになりました。父は子どもたちにおいしい給食を食べさせたいという思いで、率先して取り組んでいました。新潟で行われた給食に関する研究会に、私を連れていってくれたことがあります。帰りには東京にいた兄のところにも寄りました。
 学校にパンを焼く機械を導入したのも、父でした。3時間目ぐらいになると、教室にパンを焼く香ばしい匂いが漂ってきたのを思い出します。

(及川直也)


■239『退職後、カメラマンの現地コーディネーターに』

不破直継さん(38)=「田沢商会」常務取締役、帯広市出身、札幌市在住

 —話題のスイーツ店「キャンディーデニッシュ札幌店」(エスタ地下)の仕掛け人、不破さんは帯広出身。お父さんはどういう方でしたか。
 父は「東北海道新聞」で新聞記者をしていたそうです。その後、除雪車などの重機を扱う会社へ移り、取締役として定年まで勤めたあとは、カメラマンの現地コーディネーターになりました。
 —カメラマンの現地コーディネーターとは?
 道内で撮影するカメラマンのために、すべての手配を進める仕事です。撮影ポイントの紹介や現地までの案内はもちろん、絶好の撮影時刻や撮影時の絞り、アングルまですべてアドバイスするので、カメラマンはただシャッターを押すだけ、という感じらしいです。4、5人の撮影旅行のグループを引率したり、顧客には全国的に超有名なカメラマンもいます。
 —凄いですね。
 父自身も作品を撮っており、東京で個展を開いています。74歳になりますが、あちこちを忙しく飛び回っています。真面目一筋の父ですが、老後を楽しむため、若いうちにしっかり働いておくこと。父の背中を見て、それを学びました。

(及川直也)

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