第50回

私のお父さん

第50回

話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。


■238『父が書いた小説を映画にしたい』

松田一伸さん(52)=シンセングループ代表取締役“創長”、ラジオDJ、歌志内市出身、札幌市在住

 —テレビCM制作やスマートTVショッピングサイト「dododo(ドゥドゥドゥ)」を運営する松田さんは歌志内生まれ。元炭坑のマチですね。
 父は16歳から炭坑で働きながら高校へ通いました。専門は発破で、洗濯していた作業着のポケットからダイナマイトが出てきて、驚いたことがありました。
 —それは大変(笑)。
 よく殴られて、おっかない存在でした。ウチには猫や犬、ハムスターを飼っていて、さらに父が雀やカラスのひなを持ってきたり、坑道でコウモリを捕まえて、家の中に放していたこともありましたね。
 定年後は書道の師範の免状を取ったり、絵画や地元の社交ダンス協会の会長を務めたりと、多趣味でした。いまは病気をしてすっかり小さくなりましたが、父にその半生を小説として書いてもらったことがあります。私は3年前にテレビドラマの監督をやったことがあるので、ぜひこの物語を映画にできたらいいなと思っています。

(及川直也)


■237『お前なら何でもできる』

坂東守さん(60)=司法書士(坂東法務事務所 代表)、夕張市出身、札幌市在住

 —ご出身は夕張。
 父は警察官で、官舎が併設された交番で育ちました。5歳で札幌に移り、小中高と過ごしました。父はシベリアに4年ほど抑留された経験を持つ元軍人ですから、厳格で、口をきくのも恐ろしいくらいでした。
 私は高校2年で学生運動に関わり、関西の大学でも活動をつづけました。中退して工場に入り、その後も様々な職業を経験しました。
 —お父さんもご心配だったのでは。
 あるお米屋さんで仕事をしている時、店主が「支店を出さないか。嫁も世話してやる」と言ってくれました。人生これでいいのかと思った時に、一念発起して司法書士に挑戦することにしました。そのとき父に手紙を書いたのですが、父は「お前なら何でもできる」と返事をくれました。
 あとになって知りましたが、父は私がいつ復学してもいいように、と、大学の学費を8年間払いつづけていたそうです。
 —お父さんに歌のプレゼントをされたとか。
 『ありがとう。—父へ—』というCDを制作し、私が作詞し、歌っています。父は健在で、先日100歳になりました。

(及川直也)

■236『充実した人生の送り方を示してくれました』

後呂寿重さん(63)=楽しみたガール、滝川市出身、石狩市在住

 ―近々、お母さんと「第九」を聴きにいかれるとか。
 はい。2年前に他界した父も「第九」が好きでした。父は多趣味な人で、囲碁、弓道、写真撮影、絵画鑑賞、家庭菜園……80歳になってパソコンもマスターしたんですよ。
 ―お父さんは獣医師や栄養士の資格もお持ちだったそうですね。
 昭和20年代に公務員になり、もっぱら公衆衛生に携わっていました。私が子どものころ、父はよく部屋にシーツを張って幻灯機で画像を映し、食中毒の予防法などを住民の方々に説明する練習をしていました。それから、父が小麦粉の生地の江戸風桜もちを作ってくれた日のことも忘れられません。私は長らく消費者と生産者が学び合う活動をつづけていますが、あの日の感動が、「食」を大切にするきっかけになっていると思います。
 ―お父さんの教えで最も印象に残っていることは。
 すべての人、物に対する思いやりですね。晩年の母に対する優しさは格別でした。母の親族はみな首都圏に住んでいるので、母を春と秋に1カ月ずつ実家に送り出し、父は自炊していました。離れている間、夫婦で手紙のやり取りをしていて、互いを思いやる言葉が綴られたその手紙は、私たち子どもにとっても宝物です。

(道産ヨネ)

■235『15歳で親元を離れた』

玉手成一さん(兄・40・写真左)、玉手功二さん(弟・40)=元力士(「ちゃんこ定食 玉ちゃん」経営) 札幌市出身、札幌市在住

 ー双子の玉手さんご兄弟は、元間垣部屋のお相撲さん(兄・若昇龍、弟・若天章)。入門のため、15歳で親元を離れたそうですね。
(兄)最初は弟だけを出して、長男は家に残すという話でしたが、母が「どうせなら二人で行け」と。途中で帰りたくなっても、父はきっと家に入れてくれないから頑張るしかないと思っていました。入門して3年ぐらいは家に戻れないのですが、19歳で一度帰った時はとても喜んでましたね。
 ーお父さんはどういう方ですか。
(弟)頑固ですね。頑固。父はそのころ日通のドライバーをしていて、近寄りがたい雰囲気がありました。勉強のことなんかはノータッチでしたが、時々ガツンと怒られたものです。
 ー今は札幌でちゃんこ料理屋さん。
(兄)店をはじめたのも、父のアドバイスがきっかけです。ちゃんこ鍋と聞くと高いイメージがありますが、ウチは「ちゃんこ定食」として、気軽に食べてもらえる価格設定にしています。

(及川直也)

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