第48回

私のお父さん

第48回

話すこともあまりなく、聞くことも少ないお父さんの話。でも、お父さんにまつわる話はおもしろいんです。

■230『結婚相手の性格は父と似ているかも』

新目七恵さん(28)=会社員、『海炭市叙景』北海道応援団事務局、帯広市出身、札幌市在住

 ─お父さんとは正反対の性格だとか?
 私はおおざっぱなで感覚的なんですけど、父は丁寧で論理的。ふざけて言った冗談の意味を聞いたりするようなタイプで、そのせいか父に対してはちょっとそっけない娘でした。でも、社会人となり、地道に働いて頑張っている普通の人たちの素晴らしさに触れるなかで、これまで身近すぎてあたりまえにしか感じなかった両親のことも、改めて見直すようになりました。そもそも家族を養うってスゴイことですものね。
 ─転職した函館で制作に関わった映画も、普通の人を描いたものですね。
 はい、ありふれた人たちの日常が描かれています。市民がお金を出し合ってつくった映画で、エキストラだけでなくメインキャストにも函館の一般の人たちがたくさん出演しています。うちは家族みんなが映画好きで、子どものころはいつも夕食後にレンタルビデオ屋さんで借りてきたチャップリンの映画を家族一緒に観ていました。映画は父と私の共通項のひとつ。私が映画づくりに関わったことも、「いい記念だね」と喜んでくれました。
 ─新婚ほやほやの新目さん。結婚もお父さんを喜ばせたニュースですね。
 ええ。父には言っていませんが、結婚相手の性格は父と似ているかもしれませんね(笑)。

(鶴見裕子)

■229『今回も一触即発』

杉本美行さん(45)=便利屋、仙台市出身、小樽市在住

 ─ご出身は仙台ですね。東日本大震災でご実家は大丈夫でしたか。
 地震のあと電話が繋がらず、地震の規模から考えてもとにかく行かなくては、と思いました。翌日、苫小牧発のフェリーが震災の影響で小樽から出港することを知り、「これで行ける」と思い、乗り込みました。フェリーに乗る前には親戚から間接的に、入院している母以外の家族の安否は確認できていました。母の無事は私が行ってから確認がとれました。
 ─ご実家に着いたときのお父さんのご様子は。
 レンタカーで夜の9時ころ実家の前に着くと、懐中電灯を持って父が出てきました。父も私も平常といった感じでしたね。
 ─滞在していた間、お父さんとはどんなやりとりを。
 今回に限らず、会って話をすると必ずけんかになります。かつて、父に一方的に殴られたということがあって、今回もすんでのところで殴られるところだったんですけど、知恵をしぼってなんとか回避しました(笑)。母が入院している病院に父と行ったとき、看護師長さんに「死ぬ思いをした」と話していたのを聞きました。本音がわかりづらく、こんなこと言う父じゃないですから、その言葉をメモったくらいです。
 ─その後、もう一度仙台に行ったんですね。
 父から「もう大丈夫だから来るな、自分の仕事に専念しろ、金を使うな」と言われていたので、事前に知らせずに行ったんですが、いざ行ってみると、とても喜んでくれて、めずらしく「ありがとう」と言葉にしてくれました。

(海空ナツコ)

■228『修行は独学でやった』

松重晴彦さん(57)=会社社長(時計宝石の松重)、岩見沢市出身、岩見沢市在住

 ─岩見沢4条通り商店街の活性化に取り組む松重さんは、1935年創業『時計宝石の松重』の2代目。お父さんの思い出といえば。
 オヤジの? ないよ。全部独学で学んだようなものだ。僕は人生の中で、時計・宝石屋なんかやるつもりでなかった。
 学生時代は音楽をやっていて、今もバンドでドラムを叩いているんだけど、オヤジに「アメリカにでも行って、宝石の技術を修行してきたらいいんでないか」と言われて。アメリカに行かしてくれるんなら家業に入ろうか、と。
 ─結局、アメリカには。
 行かないよ。だからだまされたようなもんだ。オヤジは13年前に84歳で亡くなったけど、商売に関して、ものを教えてもらったことはない。独学でライセンス取ったり、自分で修行したようなものだ。
 時計屋さんの息子というのは、みんな同じだと思う。昔は「技術は目で盗んで覚えろ」というのが鉄則だったから、オヤジさんが手取り足取り教えるなんてことは、まずしないんだ。
 ─4条通り商店街では総務省などと組み、ネット広告システムの実証実験(岩見沢市4条通り商店街広告配信サービス)が行われています。
 これは57店が参加しているもので、登録した消費者が商店街の情報を見て、割引を受けられるというサービス。当店でもオリジナルデザインの宝石や時計などを紹介してます。

(及川直也)

■227『無愛想なおやじだったけれど店は繁盛』

本間博さん(59)=建築家(本間建築工房・取締役)、島牧郡島牧村出身、札幌市在住

 ─毎年、除夜の鐘を突いているそうですが、どちらで?
 客殿や宝塔の設計をさせていただいた新善光寺(札幌市)です。除夜の鐘ですから先着108組限定。年の変わり目を実感し身が引き締まります。
 ─そうした姿勢はお父さん譲り?
 でしょうね。おやじは島牧で雑貨屋をやっていて、「原歌(地区の名)の百貨店」と豪語していました。昭和30年代は、冬になると陸の孤島状態。何でもそろっていなければ地域の人が困るという状況で、食品や日用品はもとより、テレビなど家電も扱っていました。それでも一貫して酒は置きませんでした。酔っ払いが来る店にしたくなかったんです。当時は、もっぱら買物通帳に記入する方式の掛け売りだったから、資金繰りに苦労したと思います。おやじは無愛想で冗談一つ言わなかったけれど、考えがブレなかったし地域のことにも一所懸命。ずっと村議をやっていました。
 ─お父さんの血を感じるのはどんなときですか。
 間違ったことはしたくないし、許せない。そうした正義感を意識したときやニーズに応えるべく工夫を凝らしているときですね。寺院や住宅などの建築に携わり、建主とともによいもの作り上げていくことに生きがいを感じます。実家の店も僕が設計したんですが、北海道南西沖地震のときも陳列棚から商品が落ちませんでした。まあ、地盤もいいんですがね。

(道産ヨネ)

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