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        <title>Special story of HOKKAIDO-JIN | 北海道人</title>
        <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright(C) HEART ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>
        <lastBuildDate>Tue, 02 Aug 2011 18:22:33 +0900</lastBuildDate>
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        <item>
            <title>北海道の星空へようこそ　〜ネイチャーミュージアム北海道の取り組み</title>
            <description><![CDATA[<img alt="北海道の星空へようこそ　〜ネイチャーミュージアム北海道の取り組み" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/ss_title_13.jpg" width="590" /><br />
<span style="font-size:12px;">RIKUBETSU</span>
<p style="text-align: right;">
	<span style="font-size:12px;">文・ネイチャーミュージアム北海道実行委員会</span></p>
<div style="margin-top: 15px; line-height: 160%; font-size: 14px; color: #0a297c;">
	<p>
		　2009年にスタートしたネイチャーミュージアム北海道（略称：NMH）は、北海道の魅力を「星空」という新たな切り口からご紹介する情報ポータルサイトです。『北海道人』では今後、ネイチャーミュージアム北海道のコーナーを設けて、北海道の星空や自然の新たな魅力を皆さまに伝えていきます。今回はイントロダクションとして、ネイチャーミュージアム北海道の取り組みについてご紹介します。</p>
</div>
<div style="margin-top: 10px; line-height: 160%; font-size: 14px; color: #333333;">
	<img alt="北海道といえば......" height="40" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/item13_01(1).jpg" vspace="10" width="590" /><br />
	<p>
		　北海道と言えば食文化、雪まつり、世界遺産、よさこいソーランなどといったキーワードを思い浮かべていただけると思いますが、なんと言っても豊かな自然環境が最大の魅力です。空気が澄んだ冬の夜空に観られる満天の星、夏の夜空には思わず溜め息が出てしまう程の天の川、そして条件さえ整えばオーロラの観測も可能なほど、美しい星空を観るには最適の環境が整っています。そんな北海道の星空や、綺麗な夜空を心行くまで堪能できるエリアとそのエリアに関する沢山の情報、星にまつわる様々なコンテンツをお届けすることが、ネイチャーミュージアム北海道の出発点です。</p>
</div>
<div style="margin-top: 10px; line-height: 160%; font-size: 14px; color: #333333;">
	<img alt="北海道の魅力をもっと掘り起こしたい" height="40" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/item13_02(1).jpg" vspace="10" width="590" />
	<p>
		　豊かな自然のほかにも、北海道にはまだまだ魅力的な要素が沢山あります。恵まれた自然環境の中で育まれた様々な文化、人の動き、素敵なスポット&hellip;&hellip;。そういった事柄のいくつかは道内外を問わず広く知られていますが、あまり知られていないことも数多く存在しています。ネイチャーミュージアム北海道では、そういったあまり知られていない北海道の魅力をコンテンツとして発信してゆきたいと考えています。星空を切り口にサイトをスタートしたのも、こうした理由からでした。<br />
		&nbsp;</p>
</div>
<p style="text-align: center;">
	<img alt="" height="333" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/vol13_ph02.jpg" width="500" /></p>
<div style="margin-left: 45px;">
	<span style="font-size:12px;">RIKUBETSU<br />
	<br />
	</span></div>
<div style="margin-top: 10px; line-height: 160%; font-size: 14px; color: #333333;">
	<img alt="実は情報ポータルサイトだけではない　ネイチャーミュージアム北海道" height="60" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/item13_03.jpg" vspace="10" width="590" />
	<p>
		　ネイチャーミュージアム北海道は、単なる情報ポータルサイトとして運営している訳ではありません。そのひとつに、コンテンツを発信する上でクリアすべき技術やノウハウ、リソース、コストといった問題を解消すべく、ネイチャーミュージアム北海道の趣旨にご賛同いただいたコンテンツホルダーの方々に、容易に情報発信しやすい機能を提供することが挙げられます。また、ネイチャーミュージアム北海道にアクセスしてくださるユーザの皆さまには、サイトに掲載されたコンテンツを楽しく有意義に活用していただける機能やアプリケーションを提供するということも挙げられます。さらに、こうしたコンテンツ流通の中から生まれる新たな人の動きや、コンテンツホルダーの方々へのフィードバック機能を提供することで、よりコンテンツが流通しやすくなるようなコンテンツ・プラットフォームであることを目指しています。<br />
		　そのために必要なネットワークやサーバ、アプリケーションなどを構築・開発し、機能提供するということもネイチャーミュージアム北海道のミッションです。加えて、ネット上のコンテンツ流通だけではなく、リアルのイベントなどとの連動を行いながら北海道の文化や産業を盛り上げるお手伝いをしたいと考えています。</p>
	<br />
	<p>
		　ネイチャーミュージアム北海道がスタートしてから2年が経ち、新たな展開の時期を迎えようとしています。これからのネイチャーミュージアム北海道にどうぞご期待ください。</p>
	<p>
		<span style="color:#0a297c;"><br />
		<strong>＜運営組織について＞ </strong></span></p>
	<p>
		<a href="http://www.nmhokkaido.jp/" target="_blank"><img align="left" alt="" height="207" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol13/vol13_ph03.jpg" style="margin-top: 5px; margin-right: 10px;" width="300" /></a> 　ネイチャーミュージアム北海道は「Nature Museum Hokkaido実行委員会」が運営しており、本委員会は、北海道総合通信網株式会社が主催しております。</p>
	<a href="http://www.nmhokkaido.jp/" target="_blank">http://www.nmhokkaido.jp/</a></div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201108/post-12.php</link>
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            <pubDate>Tue, 02 Aug 2011 18:22:33 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>小樽に「北のくらし」をたずねて</title>
            <description><![CDATA[<img alt="小樽に「北のくらし」をたずねて" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ss_a_title.jpg" width="590" />
<div style="color: rgb(51, 51, 51);">
	<p style="text-align: right; margin: 10px auto; font-size: 12px;">
		文・写真／及川直也</p>
<!-- Area01 -->	<img alt="■創業107年、新海金物店が守る「小樽の商人気質」" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/item_01.gif" width="540" />
	<div style="float: right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="創業107年の老舗「新海金物店」" class="img" height="220" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph01.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="300" />
		<p style="width: 300px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲創業107年の老舗「新海金物店」</p>
	</div>
	<p>
		　小樽市中心街を東西にアーケードが伸びる「サンモール1番街」。幅約11メートルという広い通りには現在、飲食や衣料品店など12店ほどが営業している。2005年に115年の歴史に幕を閉じた旧丸井今井小樽店の正面で、一世紀以上にわたって営業をつづけているのが「新海金物店」（稲穂1）だ。<br />
		　同店の創業は1905（明治38）年。初代は山梨県から来道し、他店で修行したのち、この地で独立したという。家庭用品からプロの調理人まで対応する、老舗金物店として地元の信頼を集めている。</p>
	<br />
	<p>
		　「私が物心ついたころ、この周辺は小樽でも一番の繁華街でした。ウチの前に丸井さん、（旧）グランドホテルの脇に『ニューギンザデパート』、いまのオーセントホテルのところに『大國屋デパート』があって、その城下町のように商店街が広がっていました」<br />
		　と語るのは、同店相談役の新海貴美子さん（60）。この商店街で生まれ育ち、マチの盛衰を直に見てきた&quot;歴史の証人&quot;である。</p>
	<div style="float: left; margin-top: 10px; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="「今までのお客さんを大事にしながら、時代と共に扱う商品も変えていく。同じことしていたら続きませんよ」" class="img" height="190" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph02.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="270" />
		<p style="width: 270px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲「今までのお客さんを大事にしながら、時代と共に扱う商品も変えていく。同じことしていたら続きませんよ」</p>
	</div>
	<p>
		　「祖母からよく明治時代の話を聞きましたが、店は最初、暖房器具の販売からはじまったそうです。5、6人の若い住み込み従業員たちが、夜中まで鋳物のストーブを担いで配 達したという。売れば儲かった時代ですから、それだけ需要があったということでしょうね」<br />
		　本道への物資輸送が船中心であった昭和初期まで、小樽はモノとカネが行き交う拠点として栄え、「北のウォール街」と呼ばれていた。幌内の石炭、樺太で生産された木材や鉱物、海産物などは小樽港に集約され、本州などへと送られた。また逆に、米や味噌、日常の生活用品などは本州から船で小樽へ運ばれた。<br />
		　「今みたいに、蛇口ひねればお湯が出るような時代ではありませんからね。井戸から水をくんで、薪や石炭を焚いてお湯を沸かすというような時代だった。本州の生活と比べれば、ここで住むこと自体が、想像を絶する厳しいことだったと思います」（新海さん）<br />
		　新天地・北海道で生きる人々の、炊事や洗濯、掃除、除雪といった生活の基本にかかわる、さまざまな「道具」を揃える金物店は、モノがあふれる現代では想像がつかないほど 重要な存在であった。</p>
	<div style="float: right; margin-top: 10px; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="店頭で巨大な鍋やヤカンが目を引く「新海金物店」" class="img" height="270" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph03.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="185" />
		<p style="width: 185px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲店頭で巨大な鍋やヤカンが目を引く「新海金物店」</p>
	</div>
	<p>
		　店頭で目を引く、巨大なやかんやフライパンを通り抜け、明るい店内を見渡す。意外なことに、雑多な商品が積み上げられた「昔の金物屋さん」のイメージはなく、実用的な商品が整然とレイアウトされていることに気付く。<br />
		　「小樽はお寿司屋さんも多く、業務用の道具を帳面づけで買うお客さんも沢山いますが、同時に現金のお客さんの裾野を広げていくことも大切だと思っています。特にこれからはIH（電磁）クッキングヒーターがメインになりますから、それに合わせて鍋やフライパンも全部変わっていきます。今までのお客さんを大事にしながら、時代とともに扱う商品も変えていく。同じことしていたらつづきませんよ」（新海さん）</p>
	<div style="float: left; margin-top: 10px; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="時代はIHヒーターへと転換している" class="img" height="270" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph04.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="185" />
		<p style="width: 185px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲時代はIHヒーターへと転換している</p>
	</div>
	<p>
		　昭和30年代に書かれた、ある業界団体の記念史に、明治期の小樽の商人について「小樽商人はものごとにたいして進取の気象にとみ、果断で磊落な性質をもっている。また、小樽商人は信用を重んじ、共同の精神にとんでいることは、全国でもめずらしいくらいである。しかも義侠心にとみ、倒産しようとしている店があると同業者たちはおたがいに助けあうという美風がある」と書いてあった。時代の流れを鋭敏に読み、新たなものに挑戦する「進取の気象」はもちろん、一時廃業の危機が伝えられた同店を、地元青年会議所メンバーの協力で老舗ののれんを守ることになったというエピソードも、小樽商人に深く刻み込まれたDNAがそうさせたのではないかという気がしてくる。<br />
		　明治から大正、昭和、そして平成へ。時代や街並みは変わりつづけることだろうが、小樽の変わらぬ「商人気質」が、これからもマチを支えていくのである。</p>
	<p style="margin-top: 10px; font-size: 12px;">
		<b>■新海金物店</b>　小樽市稲穂1丁目3-5<br />
		　TEL：0134-33-4649</p>
<!-- EndArea01 -->	<div style="margin: 10px auto; padding: 0pt; width: 590px; border-top: 1px dotted rgb(51, 102, 136);">
		&nbsp;</div>
<!-- Area02 -->	<img alt="■小樽マダムが語る北国のくらし" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/item_02.gif" width="540" />
	<div style="float: right; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="小樽の暮らしについて語ってくれた蓮野祐子さん（写真左）、金子昌子さん、石川いゑさん" class="img" height="220" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph05.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="300" />
		<p style="width: 300px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲小樽の暮らしについて語ってくれた蓮野祐子さん（写真左）、金子昌子さん、石川いゑさん</p>
	</div>
	<p>
		　古き良き生活の匂いが失われようとしている現代。小樽に長年暮らす女性たち集まってもらい、「北のくらし」について振り返ってもらった。<br />
		・<b>石川いゑ</b>さん（90）ちぎり絵講師<br />
		・<b>金子昌子</b>さん（74）<br />
		・<b>蓮野祐子</b>さん（70）</p>
	<br />
	<p style="font-weight: bold; font-size: 1em; color: rgb(51, 102, 136);">
		●石炭ストーブ</p>
	<br />
	<p>
		　「昔の北海道の生活？　まずは暖房から違うわね。燃料にも種類があって、薪ストーブでしょ、それから石炭でも、塊炭（かいたん）、粉炭（ふんたん）があった」（蓮野さん）</p>
	<br />
	<p>
		　戦前までの木造住宅は一重窓で断熱材も入っておらず、すきま風が吹き込んでいた。「吹雪の明けた朝、枕元に雪が積もっていた」という笑い話が聞かれるのもこのころである。すきま風の通る機密性の低い部屋を、薪や石炭ストーブで強力に暖めるのが当時のやり方であった。<br />
		　石炭は秋に一冬分を買い込んで物置に貯蔵し、使う時に少しずつ家に運び入れる。家庭用として一般的に使用されていたのは粉炭だが、燃焼カロリーの高い塊炭（かいたん）も、細かく砕いてストーブに使われていた。<br />
		　ストーブの形にも様々あり、北海道で代表的だったのが、安価で燃焼効率のよい「ルンペンストーブ」であった。（デジタル図鑑を参照）<br />
		　冬の準備として欠かせないのが、ストーブの煙突掃除。先端にブラシのついた器具を使い、煙突内部に付着したススを取り除く。煙突掃除専門の業者も存在する。<br />
		　石炭ストーブはすぐに部屋が暖まらないので、早起きをしてストーブに火を入れ、部屋を暖めておくことも主婦の大切な仕事のひとつであった。<br />
		　「はじめに新聞紙を、それから細かく割った薪を置いて、そこに火をつけてから石炭をくべる。下手にやると消えちゃうし、少しでも変になると、煙が出たり、わっと燃えたり、と苦労することになる」（金子さん）</p>
	<br />
	<p>
		<span style="font-size: 12px;">・（北海道デジタル図鑑）ストーブ<br />
		<a href="http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/18.html" target="_blank">http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/18.html</a></span></p>
	<br />
	<p style="font-weight: bold; font-size: 1em; color: rgb(51, 102, 136);">
		●七輪でニシンを......</p>
	<br />
	<p>
		　生活といえば「食」である。当時の食生活はどうだったのだろうか。</p>
	<br />
	<p>
		　「ウチにはかまどがありましたから、ご飯はお釜で、薪で炊いていました。はじめは火力を細くして、吹いてきたら薪を抜き取って弱火にする。蒸す時には炎もちょっとに。目が離せませんでしたね」（金子さん）<br />
		　昭和20年代後半までの小樽では、夕食時になると、どこの家でも軒先で七輪に炭火をおこし、煙を上げながらニシンを焼く光景が見られたという。</p>
	<br />
	<p>
		　「七輪で焼いたニシンが一番おいしかったわね」（蓮野さん）<br />
		　「そう。私はそこに、お酢とお醤油をかけて食べるの」（金子さん）<br />
		　「ウチは大根おろしだったね」（蓮野さん）<br />
		　「私はニシンの白子が好きだったの。何とも甘い、トロッとしてね」（金子さん）</p>
	<br />
	<p>
		　食糧事情の厳しかった戦中戦後も、小樽では魚が安く手に入った。特にニシンは当時のスタンダードといっていい魚だったが、ピークの明治30年に97万トンを記録した漁獲高は年々減少をつづけ、戦後最大の豊漁である昭和28年の28万トンを最後に、ほぼ「幻の魚」となった。<br />
		　道は1996年から「日本海ニシン資源増大プロジェクト」を開始し、水産試験場を中心に、稚魚の生産や放流など、ニシン復活への様々な取り組みを行っており、近年漁獲高が増加するなどの動きもみられる。</p>
	<br />
	<p>
		<span style="font-size: 12px;">・（北海道デジタル図鑑）　ニシン漁文化<br />
		<a href="http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/11.html" target="_blank">http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/11.html</a></span></p>
	<br />
	<p style="font-weight: bold; font-size: 1em; color: rgb(51, 102, 136);">
		●「漬け物」の知恵</p>
	<br />
	<div style="float: left; margin-top: 10px; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="" class="img" height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph06_02.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="270" /></div>
	<p>
		　昭和30年代あたりまで、北海道の一般的な食事の献立といえば、ご飯にみそ汁、魚、漬け物が「定番」だった。北海道の長い冬を過ごすための保存食として、漬け物は重要な存在であった。現代では塩分の高さが問題とされるが、食物繊維やビタミンを含む、日本独特の発酵食品として再評価が進んでいる。</p>
	<br />
	<p>
		　「たくあんなんてどこの家でも漬けてたでしょ。あと白菜、ぬか漬け、にしん漬け。大きな樽に一年分。段階に分けて、いろいろつくるんですよ」（蓮野さん）<br />
		　「白菜は長く持つから二度漬けする。あと粕味噌だとかね。漬け物は自分の家で漬けるもので、今でも店で買う気はないわ」（金子さん）<br />
		　「昔はどこの家も、もっと家族が多かったしね。漬け物には、その家の特徴があった。漬け物を漬けるのが上手な人がいるでしょ。ご近所に配って『いやあ、今年はどうなんでしょ』なんて楽しみにされると、ああ今年も漬けなきゃなんない、って、よその人たちのために漬けたりするのよ」（石川さん）<br />
		　「私もそうね。自分の家で食べるのは半分くらい。あとはみんなよそへあげちゃう」（金子さん）<br />
		　「これも社交術のひとつなのね。ウチなんかもばあちゃんいたもんだから、秋になるとねじり鉢巻きで張り切ってた。大根洗って、丸太を組んだ台に干して。それから大根の葉っぱを切っておいてね、それを大根の上に乗せて漬ける。漬かったらぬかを洗って、おつゆの実にしたらおいしいの」（石川さん）<br />
		　「大根の葉っぱはね、カラカラになるまで干して、水に戻して、ちょっと湯がいておつゆに入れるの」（金子さん）<br />
		　「なげる（捨てる）ところないもねぇ」（蓮野さん）<br />
		　「いまお店屋さんなんかに行くと、大根の葉っぱ切って売ってるでしょ。漬け物というのはやっぱりね、冬の保存食みたいなものとして作ったと思うから、昔の人って偉いなあって思うわねえ」（石川さん）</p>
	<br />
	<p style="font-weight: bold; font-size: 1em; color: rgb(51, 102, 136);">
		●ご近所づきあい</p>
	<br />
	<div style="float: right; margin-top: 10px; margin-left: 10px; margin-bottom: 10px; padding: 0pt;">
		<img alt="「漬け物は、社交術のひとつでもあったのね」と語る石川さん" class="img" height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol12/ph06.jpg" style="border: 1px solid rgb(113, 60, 68);" width="270" />
		<p style="width: 270px; margin-top: 3px; padding: 0pt; font-size: 0.8em; color: rgb(113, 60, 68); line-height: 120%;">
			▲「漬け物は、社交術のひとつでもあったのね」と語る石川さん</p>
	</div>
	<p>
		　こうした「生活の知恵」は、ご近所づきあいによって伝えられるものだった。<br />
		　「今はそういうのがないから、殺伐としてるんでないの。隣近所もあんまり昔のように行き来しないものね」（金子さん）<br />
		　「昔なら向こう三軒両隣で仲良くして、お味噌やお米の貸し借りしてたけど、いま全然ないものね。私、原因なんだろう、って考えたことあるんだけど、いまの若い奥さんたちは、子どもを預けられるようになったら働き出すんですよ。<br />
		　昔は女性は家庭を守るということで、奥さん連中は家にいた。それで漬け物つかったら、ちょっとお茶飲みにおいで、って声をかけて。出すのは漬け物だとか、お芋ふかして、それでみんなで団らんしたもんだけど。いまそういうのが全然ないの」（蓮野さん）<br />
		　時代とともに、日本人の家族関係や労働観は大きく変化している。しかし我々の周囲には、今でもこのように豊かな生活文化を持った人々が存在しているのだ。時には古きを訪ね、北海道のくらしを再発見してみるのはいかが？</p>
	<p style="text-align: right;">
		&nbsp;</p>
	<p style="text-align: right; font-size: 12px;">
		※参考文献『北海道の衣食と住まい』（北の生活文庫5・北海道）</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201104/post-11.php</link>
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            <pubDate>Fri, 15 Apr 2011 17:01:36 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北海道でスキーしよう！</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol11" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="北海道でスキーしよう！　新世代の伝道者たちがその魅力を伝えます" border="0" height="465" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ss_a_title.jpg" usemap="#Map" width="590" /> <map name="Map"><area coords="421,20" href="#" shape="poly" /><area alt="skier file No.001 森脇俊文さん　もっとスキーをしよう！　「北海道スノースポーツミーティング実行委員会」委員長" coords="434,13,588,231" href="#01" shape="rect" target="_self" /><area alt="skier file No.002 児玉毅さん　世界のビッグマウンテンを滑降。北海道の魅力を発信するプロスキーヤー" coords="434,234,587,452" href="#02" shape="rect" target="_self" /><area alt="skier file No.003 工藤了さん　ダイナミックな滑りをカメラで追う。写真でスキーのかっこよさを伝えるカメラマン" coords="275,234,430,451" href="#03" shape="rect" target="_self" /></map></h1>
<!-- 森脇さん -->	<a name="01"></a>
	<p class="right">
		文／及川直也、写真／及川直也、工藤了、ルパン、『北海道人』編集部</p>
	<hr align="center" noshade="noshade" size="1" width="540" />
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="「みんなで"スベルベサ"」" border="0" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/title01.gif" width="540" /></h2>
		<div class="clearFix">
			<div class="img-area01">
				<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph01.jpg" width="370" />
				<p class="caps">
					都心から車で20分のところにあるさっぽろばんけいスキー場には、多くの人が訪れる</p>
			</div>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">森脇俊文</span><br />
				（もりわき・としふみ）さん。</p>
			<p class="prof">
				「北海道スノースポーツミーティング実行委員会」委員長、パーソナルトレーナー、コアサポート北海道CTO</p>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">Profile</span></p>
			<p class="prof">
				1975年、札幌市生まれ、札幌市在住。6歳からスキーをはじめ、個人指導を中心に、体の不調を整える仕事をする傍ら、北海道の冬の魅力を感じてもらうため、北海道の冬の業界を活性化するために「北海道スノースポーツミーティング」を立ち上げ、精力的に活動を行っている。<br />
				<span class="sc">□</span>憧れのスキーヤー：三浦敬三、行ってみたいスキー場：アラスカ周辺</p>
		</div>
		<h5>
			<span>■</span>北海道スノースポーツミーティング</h5>
		<p class="ex">
			　―森脇さんが代表を務める「北海道スノースポーツミーティング」とは、どういう組織ですか。</p>
		<p>
			　簡単に説明するなら、スキー、スノーボードを通して北海道の冬の魅力を再発見してもらう活動を行う実行組織です。実行委員会が8名で、あとはその都度のイベントで仲間が手伝ってくれて、そこにお客さんが来てくださるという形になってます。イベントは夏冬問わず、オールシーズンでやってます。</p>
		<p class="ex">
			　―夏もやるんですか。</p>
		<p>
			　真夏に札幌・中央区のアミューズメントビル「ノルベサ」の3階を借り切って、「スベルベサ」というイベントをやりました（笑）。プロスキーヤーとプロスノーボーダーが集まって、ウインタースポーツの話をして盛り上がりました。さらに札幌・円山にあるギャラリーカフェで「スキー・カフェ」と銘打った展示を行ったり、各種のシンポジウムなどにも参加しています。</p>
		<h5>
			<span>■</span>スキーとの出会い、「スーパースキー学習」</h5>
		<p class="ex">
			　―森脇さんが本格的にスキーをはじめたのは？</p>
		<p>
			　小学校1年生からスキー授業はありましたが、高校時代（札幌西陵高校）に合唱部と掛け持ちで入部したのがスキー部だったんです。最初は新入生向けの部活紹介を見て、一番（スキー部が）おもしろそうだったのでたまたま選んだのですが、その後、今をときめくプロスキーヤーになる人たちが何人もいたんです。僕の同期にプロスキーヤーの<a href="http://yamaki-x.com/" target="_blank">山木匡浩さん</a>、一つ下には先日南極にも行ったプロスキーヤー兼山岳ガイドの<a href="http://www.sasakidaisuke.com/" target="_blank">佐々木大輔くん</a>がいて、すごくいい環境のなかでスキーをしているうちに、どっぷりとスキーの魅力にはまって、現在こういう活動をしている状態ですね。</p>
		<p class="ex">
			　―そんな中で考案されたのが、子どもたちをプロが指導する「スーパースキー学習」。大変話題になりました。</p>
		<p>
			　通算3シーズン目になりますが、前々回やったシステムで言うと、12人のプロスキーヤーのうち、8人のプロが8班に分かれて子どもたちにレッスンをする。残りの4人のスキーヤーが各所に隠れていて、偶然現れるような設定で、子どもたちに圧倒的なスキーテクニックを見せる。<br />
			　これはスノースポーツミーティングという公開ミーティングの場で、札幌の公立小中校でスキー授業が減ってきているが、どうやったらスキー授業を復活できるかという問題提起があったんですね。そのときに全日本のデモンストレーターである<a href="http://www.flead.com/keisuke/" target="_blank">井山敬介くん</a>が、「スキー授業を復活したところで、おもしろくないスキー授業をしてしまうと、逆にスキーをやる人は減るんじゃないのか」と発言した。それじゃ自分たちができる限り最高におもしろいスキー授業を実際にやって見せよう、ということになったのがはじまりです。</p>
		<div class="img-area02">
			<img height="300" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph02.jpg" width="230" />
			<p class="caps">
				スキーの魅力について熱く語る森脇さん。真剣な眼差し</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―イメージとしては、少年野球のチームにイチローがやってきて、華麗なバッティングを見せるような。</p>
		<p>
			　目の前で一流選手の動きを見せることにより、子どもたちに強烈な印象を与えることができます。北海道はスキーヤー、スノーボーダーをふくめ、オリンピッククラスの人が身近に山ほどいて、彼らも自分たちが身につけたものを伝えたいと思っている。交流する機会を作りたいんだけど協力してくれないかい、という話をしたら、みなさん手弁当で快くスケジュールを空けて来てくださったんです。</p>
		<p class="ex">
			　―子どもたちの実際の反応は。</p>
		<p>
			　最もスキーが苦手で、これまではスキーを履かずに授業していた子どもたちの班も、スキーを履いて「スーパースキー学習」に参加しました。レッスンの非常に上手なプロに頼んだら、午後、ロッジに帰ってきた子どもたちの目が輝いていた。表情が明るくなって、鼻息が聞こえるんじゃないかというぐらいに興奮している。うまくいっているんだろうなと思っていました。<br />
			　これは後日談ですが、その班にいた女の子のお母さんから連絡が来たそうです。これまでスキーが嫌いだった娘が、「スーパースキー学習」から家に帰ってきた途端に「来週スキーに行きたい、スキーにつれていってくれ」と言って、びっくりしたという。それから家族で3、4回スキーに行ったそうですが、まさしく北海道の冬の魅力を、その子に伝えることができた。<br />
			　嫌いなものを好きにするのはすごいことで。それはなかなかできることじゃない。授業をやって、最も嬉しかったエピソードですね。</p>
		<h5>
			<span>■</span>スキーパラダイス北海道</h5>
		<p class="ex">
			　―いわゆるスキーの魅力、スキー環境としての北海道の魅力とは。</p>
		<p>
			　例えば、札幌という土地に限定して言えば、190万人都市で雪が年間約6メートル積もり、都心から約20分でスキー場がある街は、地球上に札幌しかない。まさに「奇跡の島」といっても過言ではない。<br />
			　北海道よりも北に行くと、寒すぎて外での活動が困難になる。北海道より南に行くと、雪がべたべたになる。極上のパウダースノーの環境にもかかわらず、そのポイントに大都市がある。<br />
			　その雪質を求めて、世界中のスキーヤーが北海道に集まって来ている。今や北海道は地球上で最も注目されているリゾートタウンで、資産価値があるポイントなのにもかかわらず、地元の人がその魅力に気付きにくくなっている。ずっと暮らしているからこそ、価値の再確認ができればいいと思いますね。住んでない人の方が、良さを知っていることもありますから。</p>
		<h5>
			<span>■</span>教員をサポートする「スーパースキー研修」</h5>
		<div class="img-area03">
			<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph03.jpg" width="300" />
			<p class="caps">
				さっぽろばんけいスキー場でのレッスン風景。この日は大人にスキーの楽しさを伝える</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―最近はスキー人口が減っているといわれていますが、これからスキーを再び、あるいははじめて挑戦したいと思っている人々に向けて。</p>
		<p>
			　まずはですね、これから子どものスキーヤーは増える傾向に進むと思います。札幌市教育委員会は新たに「読書、環境、雪」という3つの重点項目を掲げ、札幌らしい特色ある教育のシステムを構築しています。平成24年度には体育の授業時間が6時間増えるので、スキー授業が復活する学校も増えるでしょう。これまで札幌市の中学校は、冬季オリンピックの開催都市なのにもかかわらず、昨年まではスキー授業を行っている学校が35％ほどだったんですから。今年は実施予定校が増え、約50%の中学校がスキー授業を計画しているそうです。そのためのサポートとして、スキー授業を担当する教員のためにスキー授業の組み立て方を指導する「スーパースキー研修」が力になればと考えています。<br />
			　大人に対しては、一気にスキーヤーが増えるのは難しいのかなと思うんですね。ただ言えるのは、10年以上前からスキーをしなくなった人、この10年スキーを買ってない人は、一気にスキーにはまる可能性がありますよ、と伝えたいです。形状が変わって、カービングスキーというものが生まれまして、これほど力を使わずに、簡単にターンすることができるようになったことを知らないままにスキーを休んでいる人たちが多いんです。短くて、昔よりも扱いやすい、とても曲がりやすい、力を必要としないスキーに乗ったときに、再びスキーの楽しさを思い出される方というのは、とても多いんじゃないかなと思ってます。</p>
		<h5>
			<span>■</span>スキーをすると頭がよくなる</h5>
		<p class="ex">
			　―「子どもがスキーをすると頭がよくなる」というのがあるそうですが。</p>
		<p>
			　基本的には、スキーは状況判断が非常に必要とされるんですね。雪質が変化しますし、斜度が変化しますし、雪の状況、斜面のバーンの状況が変化します。その中で自分がスピードを上げたり落としたり、いろんな状況判断の能力というのが、必要とされるので、それを身体全身を使って行いますから、もちろん頭がよくなるとかそういったところでは、十分に考えられると思います。</p>
		<p class="ex">
			　―スキーはコストがかかるものという印象があるようですが。</p>
		<p>
			　スキーを上から下に滑る道具とだけ捉えてしまうと、なんで年間に数回しか乗らないものに、これだけのお金をかけなければならないのと思ってしまうんですけども、地球上で奇跡的に恵まれている場所にいる私たちが、雪質を調べることで「理科」、オリンピックの聖火台を見ることで歴史」、そして身体を使うことで「体育」で、それを感想文に書けば「国語」。で、リフトの人たちとの挨拶だったり、マナーを学ぶことで「道徳」を身につける課外授業だと考えていただくと、いま「横断的学習」というのが学校の中で注目されているんですけれども、その横断的な学習を、まさに北海道というフィールドを使って最大限に使うことができるのが、スキー授業なんですね。<br />
			　それを単なる上から滑り降りるだけのスポーツという風に考えてしまうので、他の魅力、トータルとしてのスキーの魅力を感じない。どうしても道具にお金がかかるイメージがあるので、そういう負担の方ばかり見えてしまうんですけど、メリットは実は、頭がよくなる。そういったところで、いろいろな、理科だったり社会だったり、国語だったり体育だったり、道徳だったりという、色んな部分を、社会を学ぶことができる。<br />
			　僕自身はスキーで人生を学んでいるので、人生の縮図だと思っています。いろんな発見がスキーを通して得られるということを考えると、単なる体育として捉えられているのは、我々がまだ魅力を伝え切れていないところだと思うので、これからの課題だと思っています。</p>
		<p>
			<strong>●<a href="http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/" target="_blank">不調改善トレーナー森脇俊文の「QOL向上委員会」</a></strong>（ブログ）</p>
	</div>
<!-- -->	<hr align="center" noshade="noshade" size="1" width="540" />
<!-- 児玉毅さん -->	<a name="02"></a>
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="「スキーを自由に楽しもう！　新雪を風のように駆け抜けて」" border="0" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/title02.gif" width="540" /></h2>
		<div class="clearFix">
			<div class="img-area04">
				<img height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph04.jpg" width="250" />
				<p class="caps">
					春香山のパウダースノーで雪しぶきをあげる児玉さん<br />
					（写真撮影：工藤了）</p>
			</div>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">児玉毅</span><br />
				（こだま・たけし）さん。</p>
			<p class="prof">
				プロスキーヤー</p>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">Profile</span></p>
			<p class="prof">
				1974年生まれ、札幌市出身、札幌市在住。1995年、19歳で『三浦雄一郎スノードルフィンスクール』に入門。1998～99年アメリカにスキー武者修行、2000年冒険野郎集団「なまら癖ーX」を結成、冒険スキーヤーとして世界中の斜面に挑戦。<br />
				これまでの冒険の主なもの：北米大陸最高峰マッキンリー（6,194m）山頂からスキー滑降、2001年北千島探険スキー、2003年グリーンランド遠征（山への移動にシーカヤックを用いる）、2004年ネパールのメラピーク（6,457m）からスキー滑降、2005年世界最高峰エベレスト（8,848m）登頂。<br />
				また、北海道スノースポーツミーティング実行委員会メンバーとして、スノースポーツの普及や振興に取り組んでいる。<br />
				<span class="sc">□</span>憧れのスキーヤー：三浦雄一郎</p>
		</div>
		<h5>
			<span>■</span>人生を変えた三浦雄一郎さんとの出会い</h5>
		<p class="ex">
			　―スキーとの出会いは。</p>
		<p>
			　三浦代表が世界的に有名な冒険スキーヤーということもあり、全国各地から一流のスキー選手が集まっていた。レースはもちろん、モーグルのナショナルチームやエアリアル、あるいは山スキーだとか、いろんなジャンルの、名だたる人びとが集まっていました。<br />
			　僕もやっぱり体育会系出身ですから、やるからにはだれにも負けたくない、という気持ちがあって、認められるためにうまくなろう、と努力していくうちに、スキー本来の魅力にどっぷりとハマっていった。それで20歳のとき、シベリアにヘリスキーに誘われたんですね。</p>
		<p class="ex">
			　―いきなり。</p>
		<p>
			　ある時、尊敬する先輩に、「だれも滑ったことのない山を滑ってみないか」と。シベリアに、今まで人類がだれも滑ったことのない山があるという。行ってみたいな、と思って、自分のお小遣い全部はたいて行きました。<br />
			　ヘリコプターでずっと飛んでいって、「どこを滑ろうか」とみんなで話し合うんです。今までゲレンデスキーしか知らなかった中で、こんなスキーがあったんだと驚いたのと同時に、これこそスキーなんだというような、スキーの自由さを知って、衝撃を受けました。<br />
			　日本に帰ってきたら、もうゲレンデに目がいかないんですね。山並みとか、周りの景色に目が行くようになっちゃった。地図を広げて調べるようになって、独学で山の勉強をして、自分で登って、滑るということをはじめました。<br />
			　今でこそバックカントリースキーやパウダーみたいなものが一般的になってきていますが、当時はあまりなかった。どうはじめていいか全くわからなかったので、手探りで、道具だけ揃えてとにかく山へ行って、ロッジなどで詳しい人に聞いたり、実際に痛い目に遭いながら学びました。</p>
		<h5>
			<span>■</span>「何歳からはじめてもいい」「あと70年はスキーできるよ」</h5>
		<div class="img-area02">
			<img height="300" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph05.jpg" width="230" />
			<p class="caps">
				児玉さんの口からは驚くような冒険のエピソードが次々と語られる</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―シベリアで、冒険スキーに魅せられた。</p>
		<p>
			　それまではどっちかと言うと、結構平凡な感じで育ってきてたんですね。自分の中で、何かオリジナルなことに挑戦してみたいなという気持ちはありましたが、何をしていいかわからなかった。自分を変えたかったというのもあるんですね。<br />
			　一般的に、僕のように大学生からスキーをはじめるというのは、アスリートとしては遅いんです。しかし、三浦雄一郎さんは36歳ぐらいの時にエベレストや富士山滑降に挑戦して、ようやく檜舞台に立った方ですから、「何歳からはじめてもいいんだよ」と言われた。現在もなおチャレンジしつづけているという人ですから。僕もどんどん夢を追って行けたんです。<br />
			　大学生として、就職活動の時期を迎えたころに怪我をして、スキーができなくなったんです。毎日本当に辛くて、窓の外で雪が降っているのを見るのも嫌で、山も目に入れたくないぐらいだった。<br />
			　その時、もう亡くなられましたけど、三浦雄一郎さんのお父さんの、100歳までスキーをつづけてらした三浦敬三さんに、「あと70年はスキーできるよ」と言われて。その時23歳でしたけど、びっくりしちゃって。<br />
			　これはやる価値があるんだ、と思い込んで、大学を卒業してからアルバイトしてお金をつくり、当時エクストリームスキーのメッカだった、アメリカへ修行に行きました。</p>
		<p class="ex">
			　―凄いですね。</p>
		<p>
			　英語力ゼロだったんですけど、辞書とガイドブックを持たずに行きました。案の定むっちゃくちゃ苦労しましたけど、そのお陰で向こうのいろんな人に助けてもらって、たくさん友だちができて。2年連続して行ったんですね。<br />
			　アメリカでは毎日、「滑る」というか「落ちる」というか、一歩間違ったら死んじゃうんじゃないかと思うような、ガケみたいな急斜面を滑っていましたから、日本に帰ってきたらあらゆる斜面が平らに見えるんですよ。<br />
			　最大斜度は、60度ぐらいのところを滑ってたでしょうね。国内だと、せいぜいあっても35度ぐらいですよ。国内の急斜面を直滑降で行けちゃうぐらい、自分がレベルアップしていたのか、感覚が麻痺していたのかわかりませんが、そんな状況になっていた。そこで確信して、プロスキーヤー宣言しました。ちょうど2000年のことです。<br />
			　それから仲間たちと一緒に、世界中の山を回りました。グリーンランドや北千島も行きましたし、南米でスキー放浪をしたりとか、マッキンリー山頂から滑ったり。他にもウズベキスタンや中央アジアの方へ滑りに行ったりだとか。<br />
			　とにかく世界中、雪さえあればどこでも滑れるというのが僕のモットー。リフトがかかっているところは限られてるけど、雪が積もってる山は無限にある。もう、じっとしてはいられない、という気持ちで、ひたすら楽しそうなところを見つけては、そこに遠征に行くというスタイルでやってました。</p>
		<h5>
			<span>■</span>北海道は世界一</h5>
		<p class="ex">
			　―世界中の山を滑った経験を踏まえて、北海道はどんな環境ですか。</p>
		<p>
			　2005年にエベレストへ登って、無事に帰ってきました。ちょうどその時期に結婚をして、子どももできた。そこで子どもをどこで育てようか、と考えたんですよ。<br />
			　海外もふくめて、ここに住んでみたい、あそこに住みたいというのはありました。でも色々考えて、やっぱり札幌で育てたいと思ったんですね。<br />
			　なぜかと言うと、札幌は非常に恵まれた場所だということに気付いたんです。まずは自然の豊かさ、雪の豊富さですね。<br />
			　たしかに海外でも、雪が降るところは降るんです。ただ、大きなストーム（嵐）がドーンと来て、ドカ雪をもたらして、あとは2、3週間全く降らないとか、そんな気候が多かった。安定したパウダースノーで滑れるという感じではないんです。<br />
			　ヨーロッパの方に行けば、高いところに雪が降ったりしますが、氷河で堅かったり。北海道を外から見た時に、この雪質は凄いことじゃないかと気付いたんです。<br />
			　こんなに恵まれた環境で、海外からスキーヤーがたくさん来ているのに、北海道の人々がよく理解していない。それってもったいないと思ったんですね。安定して良質の雪が降ることをプラスに捉えて、自分たちの生活が豊かになる方向に持っていけないかな、なんとかしたいな、と思ったんです。<br />
			　そこで賛同する仲間と一緒に北海道スノースポーツミーティングというものを作って、スキー振興につながるような試みを、手探りではじめました。</p>
		<h5>
			<span>■</span>「スキーは楽しい！」</h5>
		<div class="img-area06">
			<img height="300" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph06.jpg" width="230" />
			<p class="caps">
				キロロリゾートのゲレンデにて。スキーをはいて様々なポーズをとってくれる</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―スキーの魅力とは。</p>
		<p>
			　僕は子どもの時から、鳥のように自由自在に空を飛んでみたいという夢があったんです。スキーはそれに近いと思います。<br />
			　山の上から、重力と自分のスキーさばきのみで、自由自在に滑り回る。時に飛んだりとか、新雪を風のように駆け抜けることができる。こんな爽快なスポーツはないと思っています。<br />
			　最近は小学校などから頼まれ、スキー学習をやる前に、興味が湧くような話をする事前授業もやっていますが、「楽しむ」ということがキーワードですね。<br />
			　大人たちの中には、「スキーはうまくならなきゃいけない」「うまく滑れなくて恥ずかしい」みたいな発想に縛られている人が結構いる。<br />
			　スキーって、等身大で楽しめるスポーツだと思うんですよ。競技なら別かもしれないですが、他人と比較するものでもない。もし一等賞をつけるんだったら、その日一番楽しんだ人だと思うんです。楽しんだ人が最も価値が高い。自分のペースで、あんまり周りの情報に左右されずに、雪原の上を駆け抜ける爽快感を楽しんで欲しいですね。</p>
		<h5>
			<span>■</span>冬を楽しみな季節に</h5>
		<p>
			　僕らの場合、冬が来るのが楽しみで仕方ないですから。雪降ってきたら、顔がニヤケちゃう。そう思うのと、「うわぁ雪降ってきたわ、雪かきあるし、寒いしなあ」みたいなことになってくるのと、差は凄く大きいと思います。</p>
		<p class="ex">
			　―冬、長いですもんね。5カ月は雪がありますから。</p>
		<p>
			　その5カ月をいかに楽しく、充実して過ごせるかという。それは大人にも言えるし、子どもたちにもぜひ伝えていきたいし、それがまた、郷土愛みたいなものにもつながっていくと思うんですよ。北海道を好きでいる、北海道に住みたい、北海道に残ろう。そういう中にいい人材が残る、集まる。それがまた北海道の活性化にもつながる部分もあると思うし。大事なことなんじゃないかと思いますよね、地元が好きだ、ということは。</p>
		<p class="ex">
			　―今後滑ってみたい山は。</p>
		<p>
			　たくさんありますね。「えっそんなところでスキーできるの」という場所でスキーするのが面白くて。例えばハワイとか。あとはトルコとかイランとかも滑れるし、レバノンとか中東も天然雪が降って滑れるし。アイスランドとか、あとは、いくらでもありますね。本当に、滑りつづけても滑りきれないんで、楽しいところから順番に片づけていこうかなと。まあそういうのを自分のライフワークとして、何かこんな極端な、変わった奴もいたんだなと、&rdquo;スキー馬鹿の人生&rdquo;をやっていきたいですね。</p>
		<p>
			<strong>●<a href="http://www.takeshi-kodama.com/" target="_blank">児玉毅公式HP</a><br />
			●<a href="http://yaplog.jp/takeshi-kodama/" target="_blank">児玉毅流</a> </strong>（ブログ）</p>
	</div>
<!-- -->	<hr align="center" noshade="noshade" size="1" width="540" />
<!-- 工藤了さん -->	<a name="03"></a>
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="「北海道の雪の素晴らしさを伝えたい」" border="0" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/title03.gif" width="540" /></h2>
		<div class="clearFix">
			<div class="img-area04">
				<img height="320" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph07.jpg" width="250" />
				<p class="caps">
					赤井川で深雪を滑り降りる工藤さん<br />
					（撮影：ルパン）</p>
			</div>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">工藤了</span><br />
				（くどう・りょう）さん。</p>
			<p class="prof">
				カメラマン</p>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">Profile</span></p>
			<p class="prof">
				1975年生まれ、千葉県出身、小樽市在住。ニュージーランド、カナダ、アジア各国を旅行し、2001年『工藤写真事務所』を設立。雑誌や広告の撮影を中心に活動。2002年に写真展「アドベンチャーレース」を札幌クリエイトにて開催。2008年に写真展SKICAFE＠ESQUISSEを開催。Jリーグフォトオフィシャルカメラマン。<br />
				<span class="sc">□</span>憧れのスキーヤー：安田朋樹、滑ってみたい山：いつか自分の山を買って滑る斜面</p>
		</div>
		<h5>
			<span>■</span>自然の素晴らしさに感動</h5>
		<p class="ex">
			　―スキーを撮影するだけではなく、自らもスキーを楽しんでいる工藤さんですが、ご出身は関東ですね。</p>
		<p>
			　僕は千葉県で生まれて、10代のころからヤマハSR400にキャンプ道具を積んで、日本全国を働きながら旅していました。沖縄から北海道へ来て、働いていた先で紹介されたのが長野県の車山高原スキー場。そこで住み込みのアルバイトをしながら本格的にスキーをはじめました。<br />
			　次の年には、八方尾根のスキー場でワンシーズンリフト係をして働き、その後、ニュージーランドやカナダへワーキングホリデーに行きました。NZで知り合った友人から北海道の素晴らしさを聞いていたこともあり、カナダから直接北海道へ帰ってきて、彼の紹介で北海道のスキー場でアルバイトをしました。<br />
			　最初はスキー写真を撮る気は全然なかったんですが、ニセコに住んでると、自由な感じがあって、仲間もいっぱいいたんで、撮ってみようかという雰囲気になった。最初はなかなかうまく撮れなくて。難しかったのが良かったんでしょうかね、はまったんですね。<br />
			　スキー業界って、アスリートがスポンサードを受けて、食べていけるのはピラミッドのごく一部。ほとんどの人は物品提供だけとか、そういう形なんですよね。だけどそういうスポンサーとのつながりが結構あったので、仲のいい人たちにプロモーションやマーケティングの方を紹介してもらって、撮ったポジ（フィルム）を持って東京へ営業に行くようになったんです。そこから徐々に発展していって、アウトドア系の雑誌だとかに企画を持ち込んで。<br />
			　僕はそのころ、北海道に来て間もなかったということもありますから、北海道の自然の素晴らしさに感動していたんです。雪の軽さだとか、美しさとか、人とか、温泉だとか。それを人と会って伝えていた。それが、「面白そうだから形にしようか」ということになって、雑誌や広告になっていったんです。全部スキーが繋げてくれた人間関係のおかげなんです。</p>
		<h5>
			<span>■</span>スキー写真はスキーヤーが命</h5>
		<div class="img-area08">
			<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph08.jpg" width="300" />
			<p class="caps">
				工藤さんの庭とも言える春香山での撮影風景</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―スキー写真の特徴は、どういう点ですか。</p>
		<p>
			　僕が気をつけていることは、撮影を熟知しているスキーヤーと仕事をすることです。スキー写真は、スキーヤーが命なんですよ。スキーヤーが良くないと、写真も良くないです。僕たちは基本的にはシャッターを押すだけですから。主役はスキーヤー。<br />
			　スキーヤーは技量以外に、撮影に特化した能力もいるんです。光の捉え方や構図などはカメラマンの感性ですけど、スキーヤーがどう「見せて」くるか。骨格、筋力、技術、そして斜面をどう攻めて滑るかのイメージが、スキーヤーごとに違うのが撮っていてかなり面白い。そこでそうくるの～みたいな。<br />
			　写真は瞬間で表現するものですから、教科書的なフォームできれいに滑ったとしても、いくらスピードが出てても、ただ棒立ちにしか見えない。低速でも身体を倒して、しぶきが上がっていなければ、スピード感も見えないじゃないですか。あえて体勢を崩す事で生まれる緊張感みたいなのが写るんですね。もちろん、それは作り込み的な写真で、すごい急斜面をすごいラインですごいスピードで滑っているのを写せば、命をかけた「本物」の一枚になるんですけどね。</p>
		<p class="ex">
			　―スキーヤー側の演技力も必要になってくる。</p>
		<p>
			　だから、いいスキーヤーといい光があれば、スキー写真はだれでも撮れる。ただ、撮影のための滑り方やレンズとの距離感がわかるスキーヤーは、たくさんコミュニケーションを取って、良い作品を作ろうと気持を一つにして、いっぱい滑って、いっぱい失敗してはじめて生まれるんじゃないですかね。それはカメラマンも一緒だと思います。<br />
			　昔はポジですから、山の中で写真の上がりを確認できませんでした。撮ってる我々はファインダーで確認していてわかりますから、スキーヤーに「もっとこうしないと絵にならないよ」とアドバイスをする。そうじゃないとプロスキーヤーとしてスキー雑誌のグラビアを飾れないし、表紙にもならない。お互いの未熟さや、一瞬の晴れ間が出た時のチャンスを逃したりして、日の出前から苦労して雪山に登っても無駄足になる事がほとんどでした。そんな事を怪我と弁当は自分持ちで延々ワンシーズンやるんですからすごい情熱ですよね。もちろんスキーカメラマンの先輩たちが育ててくれたスキーヤーがいるおかげで、私もスキー写真が撮れたんですけどね。</p>
		<h5>
			<span>■</span>冬山の苦労</h5>
		<div class="img-area09">
			<img height="200" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph09.jpg" width="200" />
			<p class="caps">
				雪崩に遭遇する危険があるときに携行する「ビーコン」</p>
		</div>
		<p>
			　こういう道具があるんですけど&hellip;&hellip;（と機械を取り出す）。</p>
		<p class="ex">
			　―これは何ですか。</p>
		<p>
			　これは「ビーコン」といって、雪崩などで雪の中に埋まった時に、電波を出して位置を知らせるものです。これをみんな身に着けて登ります。<br />
			　自然が相手ですから、撮影の条件って限られるんですよ。日数も限られてるじゃないですか。光も、ライティングしているわけじゃなくて、一瞬の光を捉えるしかないんですね。だから凄く緊張感のいることだし、大変なんです。寒い中を何時間も光待ちをしたり、かなりストイックな世界なんです。好きじゃないとやれませんよ。できたらただ良い雪を求めて滑ってたいのが本音です。</p>
		<p class="ex">
			　―まさに命がけの撮影なんですね。最近はデジタルカメラが主流ですが、特に冬の撮影となると、寒さでバッテリーが落ちたりする場合があります。何か対策をされてますか。</p>
		<p>
			　そうですね、トライアンドエラーから学ぶしかないんですけど、最近のプロ機は電池の性能も高くて、以前のようにバッテリーが落ちることは減りましたね。<br />
			　一応、バッテリーの予備は何本か持っています。ジップロック（ビニール袋）の中に乾燥剤を入れて、インナーのお腹のところに入れておくとか。冬山だと、平気でマイナス10度～20度になっていますから、そういうところでバッテリーが落ちないようにすることは、やってましたけどね。フィルム時代のように、（寒さで）フィルムが切れるとか、完全にバッテリーが落ちてシャッターが下りなくなるとか、巻き上げなくなるというのは今はないので。</p>
		<h5>
			<span>■</span>キング・オブ・スポーツ</h5>
		<div class="img-area08">
			<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol11/ph10.jpg" width="300" />
			<p class="caps">
				スキーの話をするにつれ、表情と語り口がどんどん真剣になっていく工藤さん</p>
		</div>
		<p class="ex">
			　―工藤さんにとってのスキーの魅力、北海道の魅力といいますと。</p>
		<p>
			　北海道の魅力といえば、まず札幌という街があります。190万都市の近郊に、もの凄い大自然と仕事がある。海も山も、スキー環境も。クロスカントリースキーの練習場も、いっぱいあるんですよね。ゲレンデもスノーボードも、こぶもパウダーも、山スキーも、ジャンル問わず恵まれた環境なんです。<br />
			　もし「スキーはお金がかかる」というイメージしかない方がいるとしたら、それは間違いなんですね。僕がやっているスキーは山スキーやクロカンですが、はじめに道具をそろえたら10年ぐらいは使えますので、ランニングコストはほとんどかかっていませんね。<br />
			　僕は子どものころにスキーも雪もない環境で育った人間です。スキーの素晴らしさはキング・オブ・スポーツといわれるほどです。世界には様々なスポーツがありますけど、斜面を前にしての高揚感、あんなシンプルな道具で、山があれば、雪が降れば一面スキー場になる。あの爽快感は、凄いことだと思いますよ。ほんと。</p>
		<p class="ex">
			　―今後の目標は。</p>
		<p>
			　最近はデジタル化の影響もあり、プロの目でしかわからない写真家の技術が軽視されている事があります。写真も文化ですから、正当な評価を与えなければ育たないし、それに見合った評価をしなければ文化も育たないと思うのですが、日本はそういう評価が薄い。スキー写真にもそれが言えるんではないでしょうか。<br />
			　私も生きていくために、いろんな写真を撮ってきましたが、これからはマーケットのニーズに合わせる表現とはちがう写真とも真っ正面から向き合い、自分の方向性をちゃんと持って生きる、という意味での「自立」をしていかないと、ちゃんとしたものも言えないし、ちゃんとした写真も撮れないんじゃないかなと日々反省しながら思っています。写真以外の事も楽しみながら、力を出し切ってチャレンジしつづける事が大事なのではないのかなと。まずは自らスキーを楽しむ事から。100歳を過ぎた、故三浦敬三さんにお会いできた時のご本人の言葉がいまでも頭にこびりついています。記者の「なぜまだスキーをするのですか？」の問いに「まだスキーがうまくなりたいからです」と、即答でした。</p>
		<p>
			<strong>●<a href="http://www.h2.dion.ne.jp/~rul/" target="_blank">RYOKUDO.COM</a></strong></p>
	</div>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201101/post-10.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201101/post-10.php</guid>
            <pubDate>Wed, 26 Jan 2011 13:18:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北海道人　ゆく年くる年</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol10" id="text-area">

		<img alt="" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/ss_a_title.jpg" width="590" />
	<p class="gray">
		　2010年も残りわずかとなりました。ゆく年を振り返る時間がないほど、忙しい師走を過ごしている方もいらっしゃると思います。2010年最後の特集は、今年北海道で活躍した忙しいかたがたをつかまえて、ゆく年を振り返るとともにくる年への思いを語っていただきました。みなさんのゆく年はどんな年でしたか？　くる年、2011年が良い年でありますように&hellip;&hellip;。</p>
	<p class="right">
		文／杉本真沙彌　写真／杉本真沙彌、しｎ</p>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="312" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/ph01.jpg" width="312" />
		<p class="prof">
			<br />
			<span class="red">&hearts;</span><b>石栗麻衣</b>（いしぐり・まい）さん<br />
			<span>●</span>洋菓子工房べんべや・パティシエール、1982年生まれ、札幌市出身、札幌市在住</p>
		<h5>
			洋菓子工房べんべやのパティシエール・石栗麻衣さんは、とうもろこしを使ったスイーツ「さっぽろコーンヴェリーヌ」で、さっぽろスイーツ2010「生洋菓子部門」のグランプリを受賞しました。コンテストへのチャレンジは今回で4回目、パティシエールとしては同コンテスト初のグランプリ受賞となりました。石栗麻衣さんにとって2010年はどんな年だったのでしょう。そして、2011年に向けて思うことは&hellip;&hellip;。</h5>
		<p>
			<img alt="学生のころはいつも2番とか10位以内とか。1番になったのははじめてです" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/item_01.gif" width="500" /></p>
		<br />
		<h2>
			＜ゆく年を振り返って＞</h2>
		<p>
			　コンクールには2種類のスイーツを出品しました。時間をかけたほうは、審査を通らず、受賞したさっぽろコーンヴェリーヌは、書類選考の応募締め切りの1週間に思いついたものなんです。野菜のスイーツということもあり、まったくのチャレンジでした。札幌ならとうもろこしがいいな、と思いました。大通公園のとうきびワゴンとか、幼いときに大通公園で遊んで楽しかったことなどのイメージがあります。<br />
			　書類選考を通ってからは、どうやったら野菜のおいしさが伝えられるか&hellip;&hellip;あまいだけではなく、塩加減、チーズとの相性、酸味のあるルバーブのコンポートとの組み合わせなど、味、食感、色などについて試行錯誤を繰り返しました。<br />
			　ただ、自分が納得できるものを作りたい、コーンのおいしさをどうやったら一番ひきだせるかということを考えて作りました。ですから、受賞の連絡をいただいたときは、本当に驚いて&hellip;&hellip;まず店の代表である土井シェフに報告すると、信じられないといった感じでした。でも、試作品を食べてもらったときに、「いつもよりおいしい、これはいけるんじゃないかと思っていた」と、あとからききました。<br />
			　自分にとって今年は、飛躍の年というのでしょうか。学生のときは1番をとったことがなかったんです。2番とか10位以内とか&hellip;&hellip;。1番に選んでいただくのは、はじめてでした。まわりのいろいろなことに影響が出ました。取材を受ける機会もたくさんありました。文字になった記事を読むと、話すこともそうですが、もっとちゃんとしたものを作らなくちゃとか、今まで以上に気配りも必要だなとか。自分がこれまでしてきたことを今までと違う目線で考えられるようになった一年でした。</p>
		<br />
		<h2>
			＜くる年に思うこと＞</h2>
		<p>
			　お菓子作りの基本的なことはいつになっても変えずに、もっとおいしいものを作れるように素材の使い方を極めていきたいです。素材をどのように使ったらおいしくなるとか、これとこれを組み合わせたらおいしいとか、バリエーションも増やしていきたいですね。</p>
		<br />
		<h2>
			【Data】</h2>
		<p class="prof">
			<span>●</span>洋菓子工房べんべや　本店<br />
			　住所　札幌市手稲区星置3条9丁目10-7　TEL　0120-773310<br />
			　営業時間　10：00～20：00<br />
			・<a href="http://www.benbeya.jp/" target="_blank">http://www.benbeya.jp/</a></p>
	</div>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="312" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/ph02.jpg" width="312" />
		<p class="prof">
			<br />
			&spades;<b>鯨森惣七</b>（くじらもり・そうしち）さん<br />
			<span>●</span>イラストレーター、エッセイスト、1948年生まれ、室蘭市出身、札幌市在住</p>
		<h5>
			ポータルサイト『北海道人』の連載「コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。」でもおなじみの鯨森惣七さんが、2010年の5月に絵本『ペ・リスボーの旅・ダラララー』を出版しました。10歳のリスボーが旅をして、生きる勇気を学ぶ物語は完成までに2年をかけた94ページの大作です。念願の絵本を産み落とした2010年は鯨森さんにとってどんな年だったのでしょう。そして、来年の抱負は&hellip;&hellip;。</h5>
		<p>
			<img alt="こんなに頭を使ったことがなかったよ、国語2だったからね　リスボーで自分のエネルギーの半分がなくなっちゃった" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/item_02.gif" width="500" /></p>
		<br />
		<h2>
			＜ゆく年を振り返って＞</h2>
		<p>
			　絵本を描かないかって声がかかったのが、2008年の10月ぐらいだったかな。その1カ月前くらいに、デザイン学校で講義をするんだけど、最初に予定してたテーマが「広告について」。どんな人たちの前でやるのかなと思って下見に行ったら、無理だなと思った。学生がぺろぺろしてふにゃふにゃしてたから、お互いに解りあえない時間を過ごすことになるような予感がした。広告のことより、もっと基本的な、生きることについて話そうと思った。それでテーマを「人間はあほやなぁ」に変えて、地球の話、親子の話、自然から生物が生まれてきて、そこに社会的に大事な物があるという内容にして、教科書を作った。イラスト入れてね。<br />
			　終わってからアンケートを読んだら、もっと親と話してみるとか、自然のことがわかった、興味を持ったとか書かれていて、伝わったと思った。うれしかった。<br />
			　いまの若い人にはこういうのが必要なんだと思った。だから、絵本の話がきたときには、描きたいことがあったんだね。この絵本は、15歳くらいとか、これから子どもを産む若い奥さんとかに読んでほしいと思って描いたんだよね。<br />
			　描くことが決まってプランを練らなきゃならない時期に、まったく何にもしてなくて、そのうち痛風で入院して、そこにスケッチブックが届いた。病院のベッドの上で絵本がスタートしたんだよ。<br />
			　はじまってからは、絵はどんどん生まれてくるし、文章もそんなに苦労しなかった。よく&ldquo;書かされている&rdquo;っていうけど、そんな感じ。気がついたら94ページになっていた。<br />
			　絵本が発売になってからは、ふわふわしてた。ほぼ2年の間、ひとつのことに集中してたってことがそれまでなかった。こんなに長い文章もはじめて書いたし。正直、そんなに考えたことがないって話。描き終わったときには7キロやせてた。いまは半分ぐらいエネルギーがなくなっちゃったから、これから補充しなくちゃいけない、ぼろぼろですね。</p>
		<br />
		<h2>
			＜くる年に思うこと＞</h2>
		<p>
			　リスボーの第二弾を書きたいね。じっくり時間をかけてやりたい。子ども用の絵本も書きたいね。小学校4年生ぐらいまでの子ども向けの話を書きたい。それから、絵本を外国の人にも見てもらいたい。それを支援してくれる方やスポンサーが現れるとうれしいです。</p>
		<br />
		<h2>
			【Data】</h2>
		<p class="prof">
			<span>●</span><a href="http://www.htbshop.jp/shop/item_detail?category_id=104967&amp;item_id=359215" target="_blank">「ぺ・リスボーの旅・ダラララー」はこちらから購入できます</a><br />
			<span>●</span><a href="http://www.hokkaido-jin.jp/contents/art_culture/czr/vol20/" target="_top">『コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。』</a><br />
			<span>●</span>鯨森惣七さんへのメールは<a href="mailto:cuzira@jcom.home.ne.jp" target="_blank">こちら</a></p>
	</div>
	<img alt="北海道人アンケート　☆あなたのゆく年くる年を聞かせてください！" class="sub-t" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/ss_a_subt.gif" width="540" /> <img alt="女性編" height="40" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/list_title01.gif" width="200" />
	<ul>
		<li>
			2010年は小波が立つ海の上の小船みたいな感じ、ゆらゆらしていてちょっと船酔いしました。<br />
			2011年は大波も小波もなんのその、大型クルーザーで驀進します！　みたいな感じで。<b>（20代、主婦）</b></li>
		<li>
			今年は娘の高校受験に始まり、自分の資格取得のための準備などバタバタとしていましたが、年末になって希望通りの就職先が決まり、大変意義のある一年となりました。<br />
			2011年は新たな職場で新たな出会いを期待しつつ、心機一転がんばります。<b>（40代、福祉施設職員）</b></li>
		<li>
			2010年は「旅」の年でした。5月に明治神宮、浅草、横浜＆中華街、鎌倉、茅ヶ崎、箱根へ。11月には福岡、長崎、大分などへ。北海道には無い空気、色、建造物&hellip;&hellip;素晴らしいモノがたくさん観られた2010年でした。<br />
			2011年は「変化」でしょうか&hellip;&hellip;。環境の変化がありそうな年。期待と不安が6対4ぐらいで押し寄せます。自分のペースで進んで行けたらOKな2011年。<b>（30代、会社員）</b></li>
		<li>
			今年は勤めていた会社が倒産したり、しっちゃかめっちゃかだった。なんとか生きてはいるけどね。<br />
			2011年は痩せる算段などをしつつ、健康に過ごせるようがんばりがんばりたいな。<b>（70代、主婦）</b></li>
		<li>
			2010年は苦しまぎれで前に進めたって感じかな。<br />
			2011年は日常と少し違うことをすると、次の展開が見えてくるかも。<b>（40代、ライター）</b></li>
		<li>
			今年は、娘の幼稚園行事、息子の学校行事、自分の仕事などで、気がついたらあっという間に1年経っていた。旦那や子どもたちと休みが合わず、家族との時間があまりとれなかった。<br />
			2011年は家族との時間も、自分の時間も、もう少し、ゆったりもちたい。携帯やパソコンもいいけど、もっと本を読みたい。<b>（30代、パートタイマー）</b></li>
	</ul>
	<img class="sub-t" height="1" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/line.gif" width="540" /> <img alt="男性編" height="40" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/list_title02.gif" width="200" />
	<ul>
		<li>
			2010年は、責任分解点という言葉では人間は割り切れませんね、という年でした。<br />
			1950年～2050年の間になくなるものをまとめた「絶滅年表」というものがあるのですが、2011年は10年スパンでものごとを考えるきっかけになるいい年だと思います。<b>（40代、会社役員）</b></li>
		<li>
			2010年は、もの凄い「のぼり坂」と、もの凄い「くだり坂」の出現。つまり激しいアップダウン&hellip;&hellip;両方キツイ。<br />
			2011年は、「新たな坂」の出現に備えた準備運動期。<b>（30代、会社員）</b></li>
		<li>
			2010年は長い講習会（滋賀県で開催）がようやく終わった年でした。<br />
			2011年はまた新しい勉強をはじめたいですね。<b>（30代、理学療法士）</b></li>
		<li>
			今年は小学校に入って、仲のいい友だちができてすごく楽しかった。<br />
			2011年は、秋に腕の骨にひびが入って、体育やおにごっこができなかったから、たくさん走ったりして遊びたい。<b>（7歳、小学生）</b></li>
		<li>
			漢字一文字でいうと、今年は｢<span class="mc">友</span>｣ですね。色々な事がありましたので。<br />
			2011年は｢<span class="mc">緩</span>｣です。気負わず、力を抜いて過ごしたいものです。<b>（30代、僧侶）</b></li>
	</ul>
	<img class="sub-t" height="1" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol10/line.gif" width="540" /></div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201012/post-9.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201012/post-9.php</guid>
            <pubDate>Wed, 22 Dec 2010 13:15:41 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>進化する北海道のワインづくり</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol09" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ss_a_title.jpg" width="590" /></h1>
	<p class="wine">
		　1963年、池田町の十勝ワインが戦後はじめて本格的に開始した北海道でのワインづくり。ふどう栽培にもワイン用のヨーロッパ品種が数多く導入され、今や北海道は日本一のワイン用ぶどうの栽培地となった。ワイン醸造所も大小20カ所近くにまで増え、品質もどんどん向上している。とはいえ大量に流通される輸入ワインに比較しての生産量の少なさから、北海道民でも触れる機会が少ない北海道のワイン。ファンがさらなる普及に向けて、「応援団」を立ち上げている。</p>
	<p class="right">
		文・写真／田中勲　写真提供／道産ワイン応援団・荒井早百合さん</p>
	<h3>
		<img alt="道産ワイン応援団が今や会員300人！" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/item_01.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph01.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲大盛況だった「蝦夷vinワインセレクション」で。道産ワインの作り手に囲まれる荒井さん（写真中央）</p>
	</div>
	<p>
		　500円程度で購入できる輸入ワインが道内のコンビニエンスストアの棚に並ぶなど、お酒としての値ごろ感もよくなったことから、家での食事にワインを飲むという習慣が北海道にも根付いてきている。しかし、意外と知られていないのが、北海道がワイン用のぶどうの生産量では日本一ということ。北海道産のワインはもちろん、日本一のワイン生産量を誇る山梨のものでも、国産のワインが一般の家庭の食卓にのることは、まだまだ少ないのが実情だ。<br />
		　荒井早百合さんは、ワインの仕事をしてきた&hellip;&hellip;というわけではなく、10年以上勤めた百貨店を辞めたあとは、ごく普通の家庭の主婦として暮らしている。横浜生まれの荒井さんは、三十代で国産ワインのおいしさに目覚め、東京に住みながら山梨のぶどう栽培家やワイナリーを頻繁に訪問するようになった。転機は2008年、それまで単身赴任をしていたご主人のいる札幌へ転居したことだった。住んでみることで、改めて北海道のワインのレベルの高さに惚れ込み、即座にインターネットを通じて「道産ワイン応援団」を結成し、有志でワイン会を開いたり、ワイナリーを訪れたり。今年7月には、ノボテル札幌で北海道のワインを楽しむ「蝦夷vinワインセレクション」を開催、100人以上のワインファンを集めた。2周年を迎えた道産ワイン応援団は、現在会員数300名を数える。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="日本中が注目するぶどう産地・余市町" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/item_02.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph02.jpg" width="300" />
		<p class="caps caps-300">
			▲どこまでもつづくかのように、美しく広がる垣根仕立てのぶどう畑。この風景は余市ならではのもの</p>
	</div>
	<p>
		　北海道に住むようになったとき、まず荒井さんが訪れたのは山梨同様、ぶどう畑だった。<br />
		　「余市町のぶどう畑の美しさには圧倒されました。山が全部一枚の畑になっている光景は、山梨をはじめ日本の他の地域には全くないものでしたね」<br />
		　そんな余市町には、荒井さんが「余市の七人侍」と呼ぶぶどう栽培家がいる。<br />
		　「藤本毅さんや田崎正伸さん、北島秀樹さんなど、7人のとても素晴らしいぶどう栽培家さんたちです。苦難の時期にもぶどう栽培を諦めず、今や&ldquo;匠&rdquo;として、ワインづくりがわかった上で、ぶどうを栽培されているエキスパート。毎年勉強のために、みなさんでドイツにも行かれているというのも凄いなと思います。お話を聞いているだけで、ぶどう栽培への情熱が伝わってくるんです」<br />
		　余市町のぶどうは、北海道ワインや余市ワインなどの道内のワイナリーだけではなく、その高品質さから山梨など本州のワイナリーにも運ばれて、ワインに生まれ変わっている。また、長野のワイン醸造家が、ぶどうの良さに惹かれ余市町に移住し、ぶどうの栽培から醸造までを手掛け、5年後のワインのリリースを目指す、というケースも出てきている。今や余市町のワイン用ぶどうは、日本中のワイナリーの注目の的なのだ。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="続々と台頭するワインの新しい担い手" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/item_03.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph03.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲その情熱からか、ワインについて語りだすと止まることがない岸本雅直さん</p>
	</div>
	<p>
		　北海道での戦後のワインづくりは、1960年代に池田町が主体となってスタートした十勝ワインが先駆者だ。そののち、北海道ワイン（小樽市）やはこだてわいん（七飯町）、ふらのワイン（富良野市）、余市ワイン（余市町）などが誕生。今では小さいものもふくめると、ワイナリーの数は20近くにのぼる。近年特徴的なのは、生産量の多いデイリーワインが作られる一方、ぶどうや醸造方法に工夫を凝らした高品質のワインが数多く登場するようになったことだ。特にミニワイナリーと呼ばれる規模の小さな醸造所のワインに、そういう傾向が強い。<br />
		　洞爺湖のほとりにある月浦ワイン（洞爺湖町）も、その品質の良さで今注目を集めているワイナリーのひとつ。2000年にワインの醸造を開始したので、その歴史はまだ10年だが、毎年山梨で行われている国産ワインコンクールでは２００５年より、道内小規模ワイナリーとしては初の５年連続での賞の獲得を果たした実力派だ。使っているぶどうは、洞爺湖湖畔の自社畑で手塩にかけて栽培したもののみ。月浦ワイン責任者の岸本雅直さんは、「ぶどうがいいから、醸造に手間がかからず、いいワインができる」と言い切る。そんな岸本さんがこだわるのは、「北海道らしいワイン」をつくること。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="216" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph04.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲印象的な顔のイラストは同じだが、月浦ワインのラベルは毎年デザインが変わるのが特徴</p>
	</div>
	<p>
		　「ぶどうの品種や味の方向性もふくめ、これが北海道のスタンダードというものが、そろそろできてこないと、消費者が北海道のワインを選択してくれなくなる。飲み手のみなさんの協力も得て、北海道らしいワインの基準を確立していきたいですね」<br />
		　2000年を境に、月浦ワインと同じくぶどう栽培からワイン醸造までを行う小規模なワイナリーが他にも、山崎ワイナリー（三笠市）、宝水ワイナリー（岩見沢市）、奥尻ワイナリー（奥尻町）と誕生してきた。これからの何年かは、これらのワイナリーが北海道のワインづくりの牽引車となることは、間違いないだろう。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="作り手を身近に感じられるワイン" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/item_04.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph05.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲出されたワイン1本1本について、その畑や作り手のことを解説していく</p>
	</div>
	<p>
		　10月28日、道産ワイン応援団結成2周年を記念するワイン会が札幌で行われ、荒井さんを中心に20名近くのワイン好きが集まった。まずはどこの何かがわからないように包まれた9本の道産の白ワインを飲んで、自分なりのランクづけをするゲームからスタート。ひと通り全員が飲んでから正解が発表されると、「当たった！」とか「びっくり！」などの声が飛び交う。ワインの感想だけではなく、それを生み出したぶどう畑やワイナリーを訪れたときの話にも花が咲く。生産者を身近に感じることができるのが、北海道のワインの大きな楽しみだ。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="170" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol09/ph06.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲自分のワインを手にポーズをとる滝沢さん。作り手と飲み手の交流が、さらに上質のワインを生み出す原動力だ</p>
	</div>
	<p>
		　さらにこの会のゲストは、「可否茶館」の創業者で今は三笠市でワインづくりに没頭する滝沢信夫さん。滝沢さんがリリースした「TAKIZAWAソーヴィニヨン・ブラン2008」は、日本のワインのレベルをはるかに超越した味わい。おいしいワインを楽しみながら、それを作った醸造家と語らうという贅沢な時間が流れていく。荒井さんの夢は、こんな機会を通じてもっと多くの人々が北海道のワインのことを理解するようになることだ。<br />
		　「家に必ずあったり、レストランにも常にリストにのっていたり。道産ワインがもっと身近な存在になればいいな&hellip;&hellip;と思っています」</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h2>
		<span>●問い合わせ</span>　<strong><a href="http://achans.blog92.fc2.com" target="_blank">道産ワイン応援団</a></strong><br />
		　・荒井早百合さん<a href="mailto:mail@dosanwine.jp">メール</a></h2>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201011/post-8.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201011/post-8.php</guid>
            <pubDate>Thu, 18 Nov 2010 13:13:05 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>はじめまして、「中村のとりめし」です。</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol08" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ss_a_title.jpg" width="590" /></h1>
	<p class="navy">
		　美唄にはかの有名な焼き鳥の他にもう一つ、鶏を使った郷土料理が存在する。あちらがプロの技なら、こちらは米どころ中村のお母さんたちが作るぬくもりの味わい。誰の心にもふるさとを思い出させる中村自慢の郷土料理が「中村のとりめし」だ。地区をあげてとりめし商品の製造・販売をはじめて今年で13年目。秋には待望の家庭用袋詰めセットも発売されるという。昔も今もこれからも、お母さんたちの愛情がたっぷりつまった「中村のとりめし」を紹介しよう。</p>
	<p class="right">
		文／佐藤優子　写真／グレアトーン　江本秀幸</p>
	<h3>
		<img alt="貴重な鶏を使ったふるまい料理がはじまり" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/item_01.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph01.jpg" width="175" />
		<p class="caps caps-175">
			▲旧JAびばい中村支所が「えぷろん倶楽部」の活動拠点</p>
	</div>
	<p>
		　「中村のとりめし」を語るには、明治時代にまで時計の針を戻したい。三重県と滋賀県からの移民団が美唄市北西部の現中村地区に降り立ったのは、1894（明治27）年のこと。リーダーは当時22歳、農場主の中村豊次郎。石狩川自動揚水機の開発に成功するなど米どころ中村の基盤を築いた人物だった。<br />
		　さらに豊次郎は小作人一戸につき、オス1羽・メス2羽の鶏を貸し出し、ひなが生まれたらそれを返させる方法で養鶏を奨励した。こうした足跡から見ても農家からの信頼はさぞや厚いものだったに違いない。中村地区の命名はこの豊次郎の姓に由来する。<br />
		　決して豊かとはいえない農家の台所事情でも、遠方からの友人や祝いごとの席はとっておきの料理でもてなしたい。そう考えた中村の人びとが家庭で作り出したふるまい料理が「とりめし」のはじまりだ。自慢の米と貴重な鶏を、当時高価だった砂糖、醤油、酒をふんだんに使って炊き上げた。細かな味つけは家ごとに異なり、現在も各家庭で「わが家のとりめしの味」が受け継がれているという。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="地域ぐるみで応援！　「えぷろん倶楽部」誕生" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/item_02.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph02.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲えぷろん倶楽部の皆さん。現在は正会員10名、賛助会員13名。「無理はしない、させない」チームワークで支え合う</p>
	</div>
	<p>
		　家庭の味だったとりめしが今や中村地区の郷土料理として世に広まりつつある。その背景には「中村の米をもっとたくさんの人に食べてもらいたい」という地域全体の思いがあった。もしとりめし商品の販売が本格化すれば、実際の作り手となるのは農家のお母さんたちだ。家族はもちろん地域ぐるみの支援が欠かせない。この&ldquo;言うは易し&rdquo;の大仕事に、「中村の米を、そして100年の伝統がつづくとりめしを広められるなら」と人々は心を一つに取り組んだ。<br />
		　1998（平成10）年、9人のお母さんたちを中心とする「えぷろん倶楽部」が結成。調理以外のさまざまな準備――調理場がある元JAびばい中村支所の貸し出し手配や市内近郊の販路拡大など――は、地元の組合や団体関係者たちが奔走した。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<span class="ph-block"><img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph03.jpg" width="240" /></span>
		<p class="caps caps-240">
			▲現在とりめし商品は丸弁当やおにぎりなど。美唄、岩見沢、三笠、砂川、奈井江のAコープや浦臼のJAピンネで発売中（卸し曜日が異なるので事前に要確認）</p>
	</div>
	<p>
		　商品化にあたり最も時間をかけたのは「中村のとりめし」として売り出す味を決めること。昔は濃い口が好まれたが、ヘルシー志向の現代ではあっさり味が主流。幾度も試食を繰り返し、コクを残しつつ食べ飽きない味を完成させた。実際に食べてみると、鶏の脂でほどよくテリが出ているとりめしは見た目より薄味で旨味も十分。道内各地のイベントに出店するたびに行列ができることからも、その人気の高さがうかがえる。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="朝6時半からとりめし、午後から農作業" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/item_03.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph04.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲釜宅にはキンカン（内卵）をサービス。炊きたての湯気がごはんに落ちないようにふきんをかぶせて届ける心遣いが嬉しい</p>
	</div>
	<p>
		　「えぷろん倶楽部」の出勤時間は早朝6時半ごろ。田植えや年末年始を除けばほぼ通年で営業している。通常は6、7名でその日の注文に対応する。今年の夏からは調理場に洗米機を導入した。「冬場は手が冷たかったからこれでずいぶんラクになったの」。最低でも1日3、4釜、時には10釜以上の注文をこなすための強力な助っ人になっている。<br />
		　取材当日は釜宅の準備の真っ最中。釜宅とは小売りの弁当と並ぶ主力商品で、とりめしを1升や2升の釜ごと届ける豪快さが人気を呼んでいる。会社や学校行事、慶弔の場に重宝すると評判は上々。炊きたてのおいしさにリピーターも多いという。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph05.jpg" width="175" />
		<p class="caps caps-175">
			▲イベントに出店するときは大忙し。10月20日からは札幌三越のホクレン大収穫祭に出店する</p>
	</div>
	<p>
		　調理が終われば宅配も伝票整理もすべて自分たちで行い、作業が終わるのは正午ごろ。メンバーはそれからわが家の農作業や家事、育児に戻っていく。そんな働きもののお母さんたちを支えているのは「家族の協力、地域の応援」。そしてなによりも「地元の宝物であるとりめしを広めたい」という郷土愛が、大きな原動力になっている。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="「遠くの人にも食べてもらいたい」夢を実現" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/item_04.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph06.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲「日々に追われて誰も新商品のことを口にしない時期もあったよね」と笑いながら開発秘話を振り返る</p>
	</div>
	<p>
		　「えぷろん倶楽部」を結成して今年で13年目になる。「とりめしを遠くの人にも食べてもらいたい！」という長年の夢を叶え、ついにこの秋から家庭用袋詰めセットが登場する。中村産の米「ななつぼし」と「とりめしの素」2合炊き用1回分が一箱に2セット入っている内容だ。とりめしの素の原材料を見ると、「鶏肉、醤油、鶏脂、清酒、砂糖」と添加物は一切なし。「家のかまどからはじまったとりめしは台所にある素朴な調味料で作る」――中村地区が守りつづけてきたこだわりがここにもしっかりと反映されている。<br />
		　新商品ができるまでにプロの手が入った箇所は外装だけで、あとはすべて「素人集団」の手探りで挑戦した。いつもはガス釜で炊き上げる味を家庭の炊飯機で再現するため、脂の量や口ざわりに気をつけながら納得がいくまで試食をつづけたという。さらにもう一つ頭を抱えた難題は食材を入れるパック選びだった。色や素材、耐熱性などどれも実際に試してみないことにはわからない。煮沸の途中で中身がもれたりの失敗を繰り返しながら、自慢の味にふさわしい現在の包装にたどり着いた。メンバーの佐藤秀子さんはこう語る。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="160" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol08/ph07.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲家庭用「中村のとりめし」は精米300g・2袋ととりめしの素170g・2袋入り。自宅の炊飯器で簡単に調理できる</p>
	</div>
	<p>
		　「まずは数量限定の発売ですが、とりめしは中村の宝物。皆さんに知っていただける商品が増えて嬉しいです」<br />
		　その昔、遠方からの友をもてなす「中村のとりめし」は平成の今、遠くの友にも食べてもらえる新商品に姿を変えた。変わらないのはふるさとを愛するぬくもりの味わい。久しくふるさとを離れている人にこそ届けたい家庭用「中村のとりめし」は10月28日から発売される。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h2>
		<span>●問い合わせ</span>　<strong>郷里の味なかむら えぷろん倶楽部　電話0126-69-2562</strong></h2>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201010/post.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201010/post.php</guid>
            <pubDate>Thu, 14 Oct 2010 13:10:28 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>花にハチが集まって、ハチに人が集まった！　第2回</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol07" id="text-area">
	<img alt="" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ss_a_title.jpg" width="590" />
	<p class="brown">
		　広大な自然のある北海道は蜜源となる花も多く、全国の養蜂家がミツバチを移動させてきて活動をしている土地だ。札幌の都心部を考えても、道庁の森や北大植物園、大通公園、中島公園などがあり、蜜源となる樹木や花も豊富である。<br />
		　2010年春、札幌の都心部で3つの養蜂プロジェクトがスタートした。「赤レンガはちプロ」「サッポロ・ミツバチ・プロジェクト」「サッポロハニーエンジェルズ」の看板を背負ったミツバチたちが、札幌の街中を飛びまわっている。花の蜜を集めたミツバチたちが帰る先は、なんとビルの屋上！<br />
		　ビル屋上のハチたちが集めた蜜は、複数の花が混じる百花蜜と呼ばれている。季節ごとに色や香りが違うこのなんとも魅力的なはちみつを使ったおいしいスイーツが話題を呼んでいる。はちみつを使ったスイーツと、蜜を集めるミツバチたちに注目が集まった。</p>
	<p class="right">
		文・写真／杉本真沙彌</p>
	<div class="clearFix" id="line-block">
		<h2>
			第2回<span>◆</span>京王プラザホテル札幌の「さっぽろハニーロール」と「サッポロハニーエンジェルズ」</h2>
		<h2 class="btm-line">
			庭先で採れたはちみつを使ったロールケーキと、はちみつを提供している有限会社アイズの取り組み</h2>
		<p>
			<br />
			<strong class="brown">「サッポロハニーエンジェルズ」について</strong><br />
			・運営　有限会社アイズ<br />
			・巣箱の設置場所　北海道自治労会館（北区北6条西7丁目）、<br />
			　第7松井ビル（中央区南2条西7丁目）<br />
			・ミツバチの種類　セイヨウミツバチ　ヨーロッパ種の雑種　<br />
			・ 群数　5群でおよそ24万匹（2010年7月末現在）</p>
	</div>
	<p>
		●京王プラザホテル札幌</p>
	<h3>
		<img alt="庭先のミツバチ、はちみつとの出会い" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/item_01.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ph01.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲かなりのお客さんがリピーターとなっているさっぽろハニーロールはいつも完売する。はちみつの香りが最後に残るので好き、とはお客さんのコメント</p>
	</div>
	<p>
		　京王プラザホテル札幌1Fのペストリーブティック「ポピンズ」で、毎月8（ハチ）のつく日に数量限定で販売されている「さっぽろハニーロール」は、美味しいものに敏感な女性たちがこぞって買い求めるという人気の商品だ。このケーキを考案したのは、同ホテル製菓料理長・中村不二男さん。パティシエ歴34年、幼いころに食べた生クリームを使ったショートケーキのおいしさに感激してこの世界に入り、現在も1日に2、3個は食べるというケーキに魅せられた人物である。<br />
		　中村さんは「銀座みつばちプロジェクト」に関心を持ち、以前から都心部で採れるはちみつに魅力を感じていた。そんな中村さんのところに、同ホテルのすぐそばにある北海道自治労会館の屋上で養蜂をやっているという話が耳に入ってきた。屋上にその様子を見に行くと、そこではミツバチたちが元気に飛び回っていた。このはちみつで商品を作りたいと思い、自治労会館の屋上で養蜂を営む「サッポロハニーエンジェルズ」（有限会社アイズ）との縁もあって、はちみつを分けてもらうことが決まった。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="季節の花が香るロールケーキ" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/item_02.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ph02.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲さっぽろハニーロールを楽しんで作っているという中村料理長</p>
	</div>
	<p>
		　このはちみつは、採れる量がそのときどきによって違い、分けてもらえる量も限られている希少品。&ldquo;多くの人に手軽に食べてもらえるお菓子を&rdquo;と考え、ロールケーキをつくることに決めた。<br />
		　はちみつは、ケーキの生地、焼きあがったスポンジに打つはちみつシロップ、ハニーミルクジャムと贅沢に使われている。はちみつをふくんだスポンジはしっとりしていて、中には生クリームと、はちみつと相性の良いオレンジが入っている。ジャムの量、はちみつシロップの濃さなどを決めるため、かなりの回数焼きなおして完成したというこのさっぽろハニーロールは中村さんの自信作。口の中に広がるはちみつの香りとさわやかなオレンジの酸味がシンプルなロールケーキを特別なものにしている。<br />
		　庭先で採れたこのはちみつは、季節によってさまざまな花の蜜が混じる百花蜜。はちみつのサンプルを比べると、色も香りも違うのがわかるそうだ。<br />
		　「6月のはちみつを食べたとき、これは大通の花だな、と想像していました」<br />
		　秋口には栗の花などの蜜がとれ、蜜色も濃くなり独特の香りになる。<br />
		　札幌の街中に咲く季節の花の蜜を使ったさっぽろハニーロールが食べられるのは、10月いっぱいだろうか。<br />
		　「来年は春一番からミツバチさんに活動していただいて&hellip;&hellip;。来年のことを思うといまから楽しみです」と中村さんは笑顔で語る。<br />
		　この秋、ロールケーキを食べながら目を閉じて、ホテルの近くを飛び回るミツバチや、大通公園など都心で咲いた季節の花々に想いをめぐらせてみてはいかがだろう。次の春がいっそう待ち遠しくなるのでは。</p>
<br />
	<h2>
		<span>◆</span>京王プラザホテル札幌　「さっぽろハニーロール」の情報は<a href="http://www.keioplaza-sapporo.co.jp/index.php/restaurantAndBar/view/57" target="_blank">こちら</a></h2>
	<div class="clearFix line">
		&nbsp;</div>
	<p>
		●サッポロハニーエンジェルズ（有限会社アイズ）</p>
	<h3>
		<img alt="自治労会館の屋上で活動！　「サッポロハニーエンジェルズ」" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/item_03.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ph03.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ミツバチの巣箱がある屋上のフェンスの前で。代表取締役の杉山さん（左）と養蜂を担当している田岡さん（右）</p>
	</div>
	<p>
		　前述のさっぽろハニーロールにはちみつを提供しているのは、杉山充宏さんが代表取締役を務める有限会社アイズだ。ラーメン店・三代目月見軒札幌駅北口店を経営する同社は、アグリビジネスの1つとして、都市型養蜂プロジェクト「サッポロハニーエンジェルズ」を立ち上げた。<br />
		　銀座ミツバチプロジェクトをニュースで知った杉山さんは、4年前から同プロジェクトのイベントに積極的に参加するようになった。そこで聞いた「ミツバチ（昆虫）に優しい街づくりは、人に優しい街と必ずなる」という一言が、養蜂業にいどむきっかけになったと語る杉山さんが、実際に銀座の屋上に立ったとき、「札幌の方がいけるんじゃないか」と思ったそうだ。しかし、札幌には長い冬がある。<br />
		　北海道はスイーツ原料の宝庫、はちみつだけではなく加工品をつくれば成功する、と発想を転換することにより、ビジネスとしての道が見えた杉山さんは、2010年の1月に道庁に北海道で都市型養蜂業者第1号となる届出を出した。銀座の屋上に立ってから4年後だった。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="ミツバチが教えてくれたこと" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/item_04.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ph04.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ミツバチの世話をする鈴木さん。丁寧に作業をしながらミツバチの様子を観察する。ハチの立場で世話をすれば刺されることはないそう</p>
	</div>
	<p>
		　2010年5月から屋上での養蜂がスタートし、現在、サッポロハニーエンジェルズのミツバチたちは、北海道自治労会館（北区北6条西7丁目）と、第7松井ビル（中央区南2条西7丁目）の屋上を活動拠点とし、それぞれに3群17万匹、2群7万匹（2010年7月末日現在）がいると推定されている。採蜜の頻度は、5月は月1回、6～7月は週に1回、8月は月2回行われた。蜜の量は、6～7月にかけては1群から1週間で約12キロも採れたそうだ。<br />
		　働きもののミツバチたちのお世話を担当しているのは、田岡義信さんと、鈴木秀則さんの二人で、プロジェクトをはじめるにあたり、屋上養蜂の第一人者である岩手県の藤原養蜂所、藤原誠太氏のもとで約半月間修行をしたそうだ。<br />
		　岩手に行ったはじめのころは、刺されるという恐怖感があってハチが怖かったという田岡さんだが、今では、働きバチが女王蜂のために育児をしたり、部屋の掃除をしたり、女王蜂の身体を舐めたり、餌を口移しであげたりしている姿を見ていると、時間があっという間に経ってしまうというほどハチが身近な存在になっている。また、ハチには人間たちが忘れてしまった世界があるように感じるとも言う。<br />
		　世話をするために巣箱のふたを開けると、そのときどきの花の香りがするという。春一番に開けたときはほんのり桜のいい香りがしたそうだ。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="はちみつスイーツの展開と来年のプロジェクト" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/item_05.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol07/ph05.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲元気に活動している「サッポロハニーエンジェルズ」のミツバチたち。中央にいる一番大きいのは女王蜂</p>
	</div>
	<p>
		　京王プラザホテル札幌にはちみつを提供するほかには、自社ブランドのロールケーキを販売している。開発・製造は札幌のわらく堂が担当。北海道産米粉を使ったもちもちとした食感のスポンジの中に、生クリームとカスタードクリームが巻き込まれ、甘みにはすべてはちみつを使っているというぜいたくなロールケーキだ。<br />
		　8月26、27日に行われた自治労全国大会では 、協力してもらった自治労会館のみなさんへの還元という意味も込めたというjichi roll（ジチロール）が販売された。8月31日からは同商品をeco-ROLL（エコロール）として一般発売をはじめた。再利用できる包装箱に入っていることからこの名前が付けられたというエコロールは、三代目月見軒札幌駅北口店とサッポロハニーエンジェルズのサイトで買うことができる。<br />
		　さて、今後のサッポロハニーエンジェルズの展開はどうなるのだろうか。杉山さんはすでに来年に向けてスタートをはじめている。<br />
		　「まずは群を6倍ぐらいにし、巣箱の置き場も10カ所程度に増やしたいと思います。ビルのオーナーさんにはすでにお願いをし、OKをもらっています。そして、京王プラザホテル札幌さんに充分なはちみつを提供できるようにしたいです」<br />
		　秋の花が終わると、ミツバチたちの越冬の時期がくる。<br />
		　「北海道で越冬させるには、自分たちはまだ技術不足。今年は、このミツバチがやってきた埼玉県の熊谷養蜂所にお願いして預かってもらいますが、3年後ぐらいには自分たちで越冬させたいと思っています」</p>
	<p>
		　北海道ではじまった都市での養蜂プロジェクトには、たくさんの夢や可能性が見え隠れしている。一年目のプロジェクトでミツバチが教えてくれたこと、ミツバチやはちみつを通じて見えてきたものは想像以上に多かったのでは。今後もミツバチとミツバチをめぐる人びとから目が離せない。</p>
<br />
	<h2>
		<span>◆</span>「サッポロハニーエンジェルズ」のはちみつを使った「eco-ROLL」の情報は<a href="http://honey-angels.shop-pro.jp/" target="_blank">こちら</a></h2>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201009/2-1.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201009/2-1.php</guid>
            <pubDate>Fri, 24 Sep 2010 13:05:49 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>花にハチが集まって、ハチに人が集まった！　第1回</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol06" id="text-area">

		<img alt="" height="340" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ss_a_title.jpg" width="590" />
	<p class="brown">
		　広大な自然がある北海道は蜜源となる花も多く、全国の養蜂家がミツバチを移動させてきて活動をしている土地だ。札幌の都心部を考えても、道庁の森や北大植物園、大通公園、中島公園などがあり、蜜源となる樹木や花も豊富だ。<br />
		　2010年春、札幌の都心部で3つの養蜂プロジェクトがスタートした。「赤レンガはちプロ」「サッポロ・ミツバチ・プロジェクト」「サッポロハニーエンジェルズ」の看板を背負ったミツバチたちが、札幌の街中を飛びまわっている。花の蜜を集めたミツバチたちが帰る先は、なんとビルの屋上！<br />
		　都心部での養蜂、その1年目のチャレンジはどのように行われたのか。ミツバチとのふれあいを通じて見えてくるものは&hellip;&hellip;。屋上のミツバチに人々の視線が集まった。</p>
	<p class="right">
		文・写真／杉本真沙彌</p>
	<div class="clearFix" id="line-block">
		<h2>
			第1回<span>◆</span>「サッポロ・ミツバチ・プロジェクト」</h2>
		<h2 class="btm-line">
			市民が参加する都市部の養蜂。ミツバチが人にもたらしたもの</h2>
		<p>
<br />
			<strong class="brown">「サッポロ・ミツバチ・プロジェクト」について</strong><br />
			・運営　サッポロミツバチプロジェクト実行委員会、事務局　株式会社ノーザンクロス<br />
			・巣箱の設置場所　太陽ビル屋上（札幌市中央区南1条西4丁目）<br />
			・ミツバチの種類　セイヨウミツバチの雑種<br />
			・群数　3群でおよそ6万匹（2010年7月末現在）</p>
		<p>
			　ひらかれた養蜂をめざし、市民からサポーターを募集。環境指標生物であるミツバチとのふれあいを通じて都市環境の見直し、子どもたちの環境教育や食育、はちみつを使った商品開発などを展開している。ワークショプをはじめとするこれらの活動を通じ、様々な世代や人的資源の交流づくりをすすめている。</p>
	</div>
	<h3>
		<img alt="なぜ札幌の都心部でミツバチなのか" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_01.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph01.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲さっぱちの中心人物、プロジェクトマネージャーの酒井さん。いつもニコニコ、この笑顔に人が集まってくる</p>
	</div>
	<p>
		　「札幌の街中でミツバチを飼おう！」と最初に言ったのは、サッポロ・ミツバチ・プロジェクト（以下さっぱち）事務局のプロジェクトマネジメントをしている酒井秀治（35）さんだ。きっかけは、道庁赤レンガ庁舎前にあるイチョウ並木とその周辺を整備して市民の憩いの場をつくるという計画が持ち上がり、そのコーディネイトを酒井さんが所属する株式会社ノーザンクロスが担当したことだった。<br />
		　憩いの場をつくるにあたり問題になったのは、道庁をねぐらにしているカラスの存在だった。数も多いのでふん害もひどく、何か対策はないかと調べているうちに、黒いものを攻撃する性質のあるミツバチが良い、という情報にたどり着いた。情報は、2006年から東京・銀座のビルの屋上で養蜂に取り組み、都市型養蜂のさきがけとして知られる銀座ミツバチプロジェクト（通称：銀ぱち）にあった。酒井さんがすぐに銀ぱちの代表・田中淳夫さんに連絡を取り、会って話をきくと、「銀座でやっていることはカラス対策のためだけじゃない。大人の楽しみなのであって、地域再生やまちづくりのためにミツバチを飼ってはどうか」とアドバイスを受けた。札幌でもなんとかミツバチを飼いたい、と酒井さんが思ったのは2009年。この年の11月に太陽北海道地域づくり財団の助成金に応募し、平成22年度（2010年）の助成対象に選ばれた。このあと押しもあって、いよいよさっぱちが動きだすことになった。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="一からのスタートに養蜂の師匠、神様あらわる" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_02.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph02.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲太陽ビルの屋上に設置されたミツバチの巣箱。周りには野菜やハーブなどの家庭菜園もあり、好環境</p>
	</div>
	<p>
		　養蜂をはじめるにあたり、だれから指導を受けたら良いかを考えているときだった。新聞にさっぱちの記事が載るとすぐに、「父が養蜂をやっていた。養蜂をやっているところを見学させてもらえないだろうか」という問い合わせがきた。<br />
		　酒井さんが&ldquo;神様がやってきた&rdquo;と思ったというその人は、 長年佐賀県で養蜂に携わってきた城島常雄さん（86）。3年前、佐賀県から娘さんが住む北海道にやってきた。城島さんは「娘がボケ防止のためにやらせようと思った」と言うが、酒井さんは城島さんの養蜂への熱意に特別なものを感じたという。どうするか&hellip;&hellip;すべてがこれからというときに、城島さんとの出会いがあった。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<span class="ph-block"><img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph03.jpg" width="240" /></span>
		<p class="caps caps-240">
			▲巣箱の入り口に群がるミツバチたち</p>
	</div>
	<p>
		　さっぱちへの参加を決めると、城島さんは佐賀にもどり、かつて使っていた養蜂道具を北海道に送った。足りないものは地元の養蜂仲間に頼んで調達してくれた。ミツバチも城島さんの知り合いである佐賀の養蜂家から取りよせた。養蜂業は素人がやるには難しい業種と言われている。素人が頼んでも、健康なミツバチが届くとは限らない。<br />
		　5月26日に佐賀を出発したミツバチは船に揺られ、4日後の5月30日に札幌へ到着。翌5月31日、太陽ビルの屋上に3つの巣箱が設置された。ふたを開けた巣箱からは、ミツバチたちが元気に札幌の空に飛びたった。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="お父さんと呼び、養蜂を学ぶ日々" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_03.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph04.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲城島さん（写真左）が作業する様子をじっとみつめる酒井さん。プロの技術や知恵がひとつずつ伝えられる</p>
	</div>
	<p>
		　ビル屋上のミツバチガーデンでは、3群でおよそ6万匹（2010年7月末現在）のハチが活動している。<br />
		　「実際にミツバチたちを目の前にしたとき、ハチがどういう状態にあるかは、養蜂の本を読んでもわからない」<br />
		　酒井さんは、巣板の扱い方、はちみつのたまり具合、燻煙器の使い方、分蜂（巣別れ）を防ぐ方法など、城島さんが作業する姿を見ながら学んでいる。ある日の二人のやり取りはこんな内容だった。　「お父さん、この巣箱のハチだけいつも気が荒くて、蜜の量が他より少ないのはなんででしょう」<br />
		　「品種改良しましょう。気の荒いハチをカットして、おとなしく勤勉なハチだけを残しましょう」<br />
		　これは、おとなしくてよく働くハチのいる巣箱から女王蜂の幼虫をもってきて、気の荒い巣箱に入れて品種改良をする方法で、こんなプロの技を身近で経験している。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph05.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲慣れた手つきで燻煙器を使い、ミツバチをおとなしくさせる。この日のミツバチのご機嫌は&hellip;&hellip;</p>
	</div>
	<p>
		　城島さんのきびしいところは？　という質問には、「一度自分の作業を見せた後に僕にやらせるのですが、だまって見ているだけで口出しをしないところでしょうか」と酒井さん。<br />
		　「歳だからいついなくなるかわからんでしょう。だからはやく憶えてほしい」<br />
		　これは一日も早く一人でできるようになってほしいという城島さんの親心なのだ。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="さっぱちに集まる人たち～養蜂家を目指す中学生" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_04.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph06.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲養蜂家をめざす斉藤くん（写真左）と師匠となる城島さん。年齢差は71歳！</p>
	</div>
	<p>
		　取材した8月13日は「地元町内会子どもワークショプ」が開催される日だった。待ち合わせ場所にいち早く到着していたのは、市内の中学3年生・斉藤等くん（15）とお母さんだった。今日はどうして参加したの？　と聞くと、「養蜂家になりたいんです」という答えが返ってきた。中学2年のときに読んだ『獣の奏者』（上橋菜穂子著）がきっかけで養蜂家になりたいと思ったという斉藤くん。この物語には蜂飼いが登場する。<br />
		　中学生が養蜂家と会い、直接指導が受けられるような機会はそうあるものではない。斉藤くんは、ワークショップに参加し、城島さんと直接交流することで、夢に向けて一歩一歩前進している。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="160" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph07.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲さっぱちで養蜂を見学した中学生から届いた夏休みの自由研究のレポート。丁寧でわかりやすく、すばらしい出来。きっと100点にちがいない</p>
	</div>
	<p>
		　城島さんがこのプロジェクトに参加して一番うれしかったのは、養蜂家になりたいという斉藤くんがいることだそう。酒井さんも同様に、幼い世代が養蜂に興味を持ってくれることがうれしいと語る。夏休みの自由研究で養蜂をやりたいと、ワークショップに参加した中学生からは、完成したレポートのコピーと丁寧に書かれたお礼の手紙が酒井さんのもとに届いていた。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="採蜜、ワークショップ、8月までのさっぱち" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_05.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph08.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ワークショプに参加した子どもたちに話をするのは、さっぱち事務局の統括であり、株式会社ノーザンクロスが発行する季刊誌『カイ』の編集長である伊田行孝さん</p>
	</div>
	<p>
		　一般的に半径3～4km程度と言われているミツバチの活動範囲を、巣箱が設置してある太陽ビルの屋上を中心に考えてみると、さっぱちのミツバチが飛んでいくのは大通公園や北大植物園、創成川緑地や中島公園、円山公園あたりまでと考えられる。さっぱちのミツバチたちは、ニセアカシア、ライラック、ニレなど季節ごとに咲くさまざまな花から蜜を集めてきている。このように複数の花の蜜が混じったものを百花蜜といい、1種類の花のものを単花蜜という。6～7月には週に1度のペースで採蜜が行われ、1回の蜜量はおよそ20kg。花が少なくなった8月は2週間に1度となった。そのときどきにより色も香りもが違うのが百花蜜の楽しみである。さっぱちサポーターにはちみつを食べ比べてもらったところ、香りが強くさわやかな味という評価の7月7日のはちみつが、一番人気だったそうだ。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="160" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph09.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲巣板を入れて、採蜜作業をする子どもたち。少し緊張の様子</p>
	</div>
	<p>
		　ワークショップは8月末までに3回開催され、採蜜体験や、屋上にある家庭菜園の世話、みつろうキャンドルや石けん作りなど、多岐にわたる内容で実施されている。北海道純馬油本舗とのコラボレーションで販売されるハチミツ入り石けんの表面には、ワークショップで子どもがデザインしたかわいらしいミツバチの刻印が入れられる。この他にも、町村農場のハチミツドーナツとソフトクリーム、LITTLE JUICE BARのいちごけずりやレモネードなどはちみつを使ったコラボ商品が続々登場している。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="プロジェクトを振り返って" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_06.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph10.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ワークショップで配られたミツバチとはちみつについての資料</p>
	</div>
	<p>
		　東京で7年、札幌で3年――建築を専門とし、まちづくりの仕事にたずさわって10年になるという酒井さんは、このミツバチのプロジェクトに対する想いをこう語る。<br />
		　「プロジェクトを進めると、いろんな人がいろんな意見を言ってきます。大変なことではありますが、それを聞いていたいし、何でも受け入れたいと思います。サポーターは募集人数に制限をもうけていたのですが、希望者は極力受け入れることにしました。 参加してくれる人は一所懸命に知恵やアイディアを出してくれるんです。ですから、だれでも参加しやすい、ゆるい雰囲気でどれだけやれるか&hellip;&hellip;。僕以外の人がやればもっときっちりしたプロジェクトになると思います。でも僕はこのゆるくて、いろんなひとが出入りできる感じを保つことが大事だと思うんです。会社の仲間にも感謝しています。自分の仕事で忙しいのにほんとうによく手伝ってくれる&hellip;&hellip;」<br />
		　さっぱちが産声を上げた春、酒井さんは「ハチは蜜を集めて、人も集めるんだ」という想いを語った。周囲からはクサイ言葉と冷やかされたそうだが、養蜂家の城島さんや養蜂家をめざす斉藤くんとの出会い、多くのさっぱちサポーター、協力企業など、ミツバチに集まってきた人が多数いる。酒井さんは、ミツバチを通じていろいろな人と出会えたことが、一番の財産だという。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="はちみつカフェ、屋上ガーデン～これからのさっぱちについて" height="50" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/item_07.gif" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="180" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol06/ph11.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ビン詰めされたさっぱちの貴重なはちみつ。このはちみつがスイーツになったり、石けんになったりして、多くの人のもとへ届けられる</p>
	</div>
	<p>
		　さっぱちのミツバチが活動するのは9月末ころまでになりそうだ。この秋には、はちみつを使ったメニューを提供する期間限定の「はちみつカフェ」が予定されている。プロジェクト一年目にして盛りだくさんの内容という印象をうけるが、「まだまだやりたいことがある。やりたいことに身体がおいつかない」というのが酒井さんの心の内だ。<br />
		　蜜源となる屋上ガーデンを増やしたいと考えている酒井さんのところには、すでに複数のビルオーナーから、屋上ガーデンを作ってもいいよ、との申し出がきているそうだ。また、はちみつを販売して売り上げの一部を蜜源づくりに使う緑化基金、ミツバチの蜂針療法などなどアイディアは尽きない。やりたいことに身体がおいつかないということにもうなずける。<br />
		　取材の途中、さっぱちサポーターから酒井さんの携帯に連絡が入った。<br />
		　話は、「屋上ガーデンをすすめるためには、身動きのとれない酒井さんじゃなくて、ほかにだれか専任の担当者をたててください」という内容だった。サポーターがプロジェクトを自分のこととして考え、プロジェクトマネージャーであれ遠慮なく意見を言ってくる。まさにこれが、酒井さんが願っているさっぱちのありかたなのだと思う。</p>
<br />
	<h2>
		<span>◆</span><strong>さっぱち日記やレポートなど、プロジェクトのことがよくわかる！</strong><br />
		　<a href="http://sappachi.com/" target="_blank">「サッポロ・ミツバチ・プロジェクト」</a></h2>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201009/1-1.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201009/1-1.php</guid>
            <pubDate>Thu, 09 Sep 2010 13:00:05 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>狸小路の「みこし」大特集　第2回</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol05" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="480" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ss_a_title.jpg" width="590" /></h1>
	<h2>
		<span>■</span>第2回　狸みこしに密着！　「狸八徳例大祭」レポート</h2>
	<p class="right">
		文・写真／及川直也</p>
	<p>
		　8月7日、狸小路商店街の夏まつり「狸八徳例大祭」がはじまった。午前9時の札幌地方の気温は30・3度、湿度63％。前日から蒸し暑さがつづき、天気予報は「この2日間が暑さのピーク」と伝えていた。まつり本番を迎えたアーケードを抜ける風も熱を帯び、身体にまとわりつくような湿度を感じる。</p>
	<div class="clearFix" id="line">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="ワーッショイ！　子供みこしが練り歩く" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_01.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph01.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲狸小路の「子供みこし」がまつりを盛り上げた</p>
	</div>
	<p>
		　商店街が動きはじめた午前10時、狸小路5丁目にある狸神社（本陣狸大明神社）前では、「狸小路子供みこし」の受付が進んでいた。前回で紹介した「神輿部長」の中川功清さん、副部長の永井幹朗さんの姿も見える。参加希望の子どもには、背に「たぬき祭」と染め抜かれた「狸小路子若連」の半纏と帯が貸し出され、神社前に設えられた2基のみこしの前で記念撮影が行われる。我が子の晴れ姿を納めるべくカメラを構えた親たちは、子どもを取り囲んで盛んにシャッターを押しつづけ、通りはちょっとした撮影会の場と化していた。<br />
		　午前11時、子供みこしは7丁目に向けてスタートした。最前列に紅白の綱を引く子どもたち、曵き太鼓がつづき、2基のみこしが商店街の真ん中をゆっくりと練り歩く。<br />
		　「ワーッショイ！」ドン、ドン。<br />
		　「ワーッショイ！」ドン、ドン。<br />
		　子どもたちの高い掛け声がアーケードに響き渡る。沿道で子どもを見守る親たち、カメラを向ける外国人観光客。だれもがその愛らしい姿に目を細めている。みこしの列は7丁目で折り返し、綱を引く子どもたちと交代しながら、1丁目まで渡御を披露した。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="緊張から興奮へ――狸みこしが進みはじめる" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_02.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph03.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲狸神社例大祭に集まった、商店街の役員たち</p>
	</div>
	<p>
		　つづいて午後2時30分。5丁目「狸神社」前には粋な半纏姿の人々が続々と集まってきた。例大祭のはじまりである。狸小路は濃緑に「狸」の一文字、紺色は「北海睦」。他にも「新冠」、「熊雄」、「藍心」、「星神」、「栗澤」などの背紋が見える。神前に整列した人々の表情には緊張感が溢れ、真剣な空気が伝わってくる。そこへ商店街振興組合の菊池恒理事長、内山晴記副理事長といった商店街の役員たちが、涼しげな白の浴衣に黒い羽織姿であらわれた。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<span class="ph-block"><img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph09.jpg" width="240" /></span>
		<p class="caps caps-240">
			▲「狸みこし」が商店街を練り歩く</p>
	</div>
	<p>
		　儀式を済ませたみこしの前に、担ぎ手たちが位置に着いた。周囲の興奮は一気に高まる。菊池理事長の一本締めにつづき、渡御の司令塔である、「北海睦」の髙橋勝弘頭が拍子木を打ち鳴らすと、馬（みこしを支える台）からみこしがゆっくりと離れた。力が入る。拍子木が打ち出す一定のリズムに合わせ、担ぎ手たちはみこしを揺らしはじめる。<br />
		　ソイヤッ！　サッ！　オイサッ！　ハッ！<br />
		　熱気と叫びが周囲にとどろき、みこしは商店街を力強く進みはじめた。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="真剣！　汗も吹き出す練習風景" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_03.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph06.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲夜の商店街で行われる、北海睦の練習会。みんなで担ぎ棒を組み上げる</p>
	</div>
	<p>
		　本番の1週間前、狸みこしを支えるみこし同好会「北海睦」の練習風景を見学に行った。シーズン中の日曜夜、狸小路1丁目の一角を借りて月2回ほど行われる練習には、北海睦のメンバーをはじめ、様々なグループの人々が集まってくる。Tシャツに半ズボン、そして足元は白足袋というスタイルの参加者たちは担ぎ棒を組み上げ、半丁ほどを数往復する。目の詰まった担ぎ棒は相当の重さがあり、メンバーたちの額からは瞬く間に汗が噴き出した。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph08.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲Tシャツに白足袋が光る。真剣な練習が美しいみこし姿をつくる</p>
	</div>
	<p>
		　参加者の職業は様々、年代も18歳から64歳までと幅広い。最高齢の中村彦（すぐる）さんは狸みこしをはじめ、道内で開催されるまつりに年間50回ほど参加しているという。「みこしの楽しさは、やはり人との出会い。今では道内各地にみこし仲間がいる。北海睦でも観風会やもちつきなど、何かと顔を合わせる機会が多い」と語る。昨今、社会で失われたと言われる「人のつながり」も、日本人が古来から伝える「まつり」の中には、しっかりと息づいているのだ。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="狸小路を抜けて、連合神輿渡御へ" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_04.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph16.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲6丁目「鈴木商店」の前で水分補給をする担ぎ手たち</p>
	</div>
	<p>
		　狸みこしは7丁目を折り返し、6丁目の酒店「鈴木商店」前で振舞酒を受けた。店主の二代目、鈴木勉さん（70）は「みこしが来るのが毎年楽しみ。神宮祭ではもっと沢山の担ぎ手が集まる」と、忙しそうに立ち働いていた。ビールなどで水分を補給した担ぎ手たちは感謝の言葉を述べ、一本締めとともにアーケードを1丁目へ向けて進んだ。<br />
		　狸小路の渡御を終えたみこしは、丸井今井前ではじまる「北海道祭」の連合御輿渡御へと移動した。これは道内のみこしが集まり、ススキノを目指して渡御しながらマチを盛り上げるもので、北海道神輿協議会によって毎年開催されている。今回は狸みこしをはじめ、6基のみこしが参加した。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph10.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲親から子、子から孫へと引き継がれる</p>
	</div>
	<p>
		　マスコミの注目は、昨年、民事再生申請で参加を取りやめた丸井今井札幌本店が、札幌三越とともにみこしを復活させたこと。同協議会の切明正勝会長も、挨拶で丸井・三越の合同みこしにエールを送った。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="雨が人を熱くする。盛り上がりは最高潮" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_05.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph11.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲滝のような雨もなんのその、女性も加わり、ソイヤッ！　サッ！　オイサッ！　ハッ！</p>
	</div>
	<p>
		　いよいよ出発、という段になり、空からは滝のような雨が降り出した。沿道に詰めかけた観客たちは、慌てて周辺のデパートなどに飛び込んだ。みこしの一団は水しぶきを上げながら、駅前通をススキノへと動き出す。総勢千人を超える6基のみこしが、日暮れの街を練り歩く勇壮な姿。ソイヤッ！　サッ！　オイサッ！　ハッ！　という叫び声が商業街にこだまする。<br />
		　雨中の渡御を司る、北海睦の小林充人副頭の動きを見る。馬の上にすっくと立ち、拍子木を手に列をまとめ、正確なリズムを打ちつづける姿は、まるでオーケストラのコンダクター（指揮者）のようだ。宮入りでは「真っ直ぐみこしを入れる」ため、小林副頭の&ldquo;指揮&rdquo;で何度もみこしが行きつ戻りつするのも、観客を引きつける力強いパフォーマンスのひとつだ。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph12.jpg" width="240" />
		<p class="caps caps-240">
			▲狸みこしの「司令塔」、北海睦の小林副頭</p>
	</div>
	<p>
		　渡御が佳境に入ってくると、みこしの上に人が乗って立ち上がった。膝で絶妙にバランスを取りながら、扇子を片手に風を送るようにみこしを進める仕草を見せる。<br />
		　「ご神体が入ったみこしは、『神様の乗り物』と言える。みこしを激しく揺らすのは、神様の力、魂（スピリット）を街の隅々まで行き渡らせるという意味がある」と小林副頭。<br />
		　担ぎ手たちが懸命の力で担ぐみこしが生み出す熱気、圧倒的なエネルギーの源泉は、目には見えない「神様」の力なのかもしれない。みこしを担ぐ人々は、マチに神の力を届ける配達人の役割もあるのだ。</p>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph13.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲夜のススキノを渡御する。絶妙のバランスでみこしを盛り上げる</p>
	</div>
	<p>
		　雨は次第に小降りとなった。担ぎ手の熱気で、雨は湯気となって全身から上っていく。その肩には一様に、「こぶ」が盛り上がっている。こぶを持つ担ぎ手が言うには「医師によると、同じ所に衝撃が加わることで、身体を守ろうとしてこぶができる。体質にもよるので、できる人とできない人がいる」とのこと。特に痛みはないという。</p>
	<div class="clearFix">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="つづいてゆく狸みこし、北海道のみこし" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/item_06.jpg" width="540" /></h3>
	<p>
		　「いまの北海道のみこしは、東京の江戸みこしのスタイルを学ぶことが主眼になっている。しかしこれも、これから10年、20年、50年とつづけていくうちに、北海道オリジナルの&ldquo;かたち&rdquo;ができてくるんじゃないかと思う」<br />
		　と語る小林副頭。江戸の伝統に学び、じっくり時間をかけて独自のものを生みだそうとする姿勢。北海道のみこし文化は、まだはじまったばかりなのだ。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol05/ph14.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲ススキノに姿を見せた連合御輿渡御</p>
	</div>
	<p>
		　渡御を終え、ススキノ・ラフィラ前に集合した6基のみこしを前に、神輿協議会の切明会長は「今日は帰ってもシャワーいらないね」と会場を笑わせた。全身をずぶ濡れにした参加者たちの笑顔は、満足そうに輝いて見えた。<br />
		　雨に濡れた狸みこしは商店街に戻り、これから約1週間かけて乾燥させてから倉庫に収められるという。アーケードを吹き抜ける風もどこかひんやりとして、間もなく来るであろう、秋の訪れを感じさせた。</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201008/2.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201008/2.php</guid>
            <pubDate>Thu, 12 Aug 2010 12:56:35 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>狸小路の「みこし」大特集　第1回</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol04" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="480" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ss_a_title.jpg" width="590" /></h1>
	<h2>
		<span>■</span>第1回「狸小路のみこし」</h2>
	<p class="right">
		文・写真／及川直也</p>
	<h3>
		<img alt="産声を上げる狸小路" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_01.jpg" width="540" /></h3>
	<p>
		　道内最大の商店街といえば「狸小路商店街」だ。市道「南2条南3条仲通線」の西1丁目から西7丁目まで、総延長900メートルの全蓋アーケードが覆う狸小路には、約200店が軒を連ねている。観光やショッピング、グルメスポットとして、サッポロの魅力を提供しつづける狸小路のはじまりは、明治の開拓時代までさかのぼる。<br />
		　明治政府が「北海道開拓使」を札幌に置き、新天地の開発に取り組みはじめたのが1869（明治2）年のこと。その2年後には円山に札幌神社（現・北海道神宮）が遷座され、明治6年には例祭がはじまっている。ちょうどそのころ、北海道開発にともない、本州から流入してきた作業員などへの新たな需要に着目した商人が本州各地から集まり、現在の狸小路2～3丁目周辺に商家や飲食店が建ち並ぶようになった。その一角がのちに「狸小路」と呼ばれるようになったという。</p>
	<div class="clearFix" id="line">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="ゆく人を楽しませる夏祭りの飾り" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_02.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ph01.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲札幌狸小路商店街振興組合理事長を務める菊池恒さん</p>
	</div>
	<p>
		　毎年夏、狸小路をゆく買い物客の目を楽しませるのは、丁目ごとに趣向をこらしたアーケード装飾だ。白地に力強い筆文字で「狸」と染め抜かれた垂れ幕や提灯が印象的な4丁目。6丁目ではみこしのレプリカが3基吊り上げられており、外国人観光客たちが盛んにデジカメを向けていた。オリジナリティを目指す2丁目は、涼しげな夏の花を飾っている。<br />
		　札幌狸小路商店街振興組合の菊池恒理事長（キクヤ楽器社長）は、<br />
		　「毎年狸まつりは、7月21日から8月20日まで。今は安全上などの問題から、飾りの取り付けは業者さんがやっていますが、昔は丁目ごとに飾りのコンテストをやっていた。7丁目に古いアーケードがあるじゃないですか。あれが昭和33年から35年にかけて建っていったんです。僕はそのころの生まれで、子どものころは自分の店で作った飾りを店の前に出して、どこの店がいいかを決めていたらしいですよ。<br />
		　現在ではいろいろな規制がありますので、飾りの安全性には非常に気を遣ってます。強度を考え、普通のロープではなく金属製のワイヤーを使うなど、細心の注意を払っています」<br />
		　と語る。飾りにも流行があるようで、以前多かったビニールの吹き流しから、高級感と耐久性に優れた、布製の垂れ幕が増えてきているという。</p>
	<h3>
		<img alt="狸みこしの登場" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_03.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ph02.jpg" width="175" />
		<p class="caps caps-175">
			▲同商店街振興組合副理事長の内山晴記さん</p>
	</div>
	<p>
		　1954（昭和29）年からはじまった商店街の夏祭り「狸まつり」にみこしが登場したのは、1960（昭和35）年のことだった。振興組合の内山晴記副理事長（一光堂代表取締役）が語る。<br />
		　「狸小路商業組合（当時）が中心となって設立した道央信用金庫（現・北海信金）の10周年記念事業として、1960（昭和35）年に寄贈されたのが『狸御輿（たぬきみこし）』です。価格は当時で50万円、現在の価値に直すと約1500万円と言われています」<br />
		　商店主や従業員が中心となって担いでいた狸みこしだが、次第に担ぎ手の確保に苦労することになる。<br />
		　「本来60～70人で担げば適正のみこしを、30～40人ぐらいで必死に担いでいたものです。<br />
		　昔のみこしはまさしく&ldquo;暴れみこし&rdquo;で、今のような整然とした担ぎ方ではなかった。みんな酒飲んで酔っぱらって、『ワッショイ、ワッショイ』と大きな掛け声をかけて、あっちへふらふら、こっちへふらふら、と、うねるような荒っぽいみこしだった。私も子どものころに見ていましたが、とても今のみこしみたいではなかったですね」</p>
	<h3>
		<img alt="成長する狸みこし" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_04.jpg" width="540" /></h3>
	<p>
		　そんな商店街のみこしに「革命」が起こるのは、昭和40年終わりごろのこと。<br />
		　「担ぎ手がなかなか集まらない。本当に集まらない時はバイトを使ってた時期があるぐらいですからね。そういう中で、これじゃ駄目だ、という人が出てきた」<br />
		　改革の声を上げたのは、青年会のメンバーである商店主の子弟たちだった。東京の大学で学び、本場の江戸まつりの雰囲気を体験してきた彼らは、狸小路のみこしに違和感を覚えるようになった。<br />
		　「彼らがみこしに駆り出されるようになり、担いでいるうちに『こんなスタイルじゃ駄目だ』と感じはじめた。彼らは東京で、三社のみこしだとか、本場の江戸みこしを見てるわけですよ。やっぱりああいうスタイルでやりたい。そして、みこしが好きな人間をもっと掘り起こそうという気運が盛り上がってきた」<br />
		　青年会メンバーは市内のみこし好きなどにも声をかけ、1978（昭和53）年5月に会員26人で「御輿同好会北海睦」をスタートさせた。みこしを通じた人々の輪は次第に広がりを見せるようになり、1980（昭和55）年からは8月の狸まつりに加え、6月の北海道神宮祭の奉納御輿にも参加しはじめる。翌1981（昭和56）年8月の狸まつりからはすすきのコンコンみこし、1982（昭和57）年からは四番街繁盛みこしとの連合御輿渡御（みこしとぎょ）が実現するなど、年を追うごとに参加団体が増えていき、祭りの規模が拡大していった。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="250" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/l-ph01.jpg" width="188" /></div>
	<p class="clearFix">
		　1985（昭和60）年8月には「北方圏国際フェスティバル」に三基連合みこしとJC万灯みこしが参加、1986（昭和61）年4月には北海睦をはじめ道内の御輿会でつくる「北海道祭御輿連絡協議会」が発足し、翌年8月からは連合みこしや一万人の盆踊りなどの大イベント「熱響舞夏（ねっきょうマイサマー）北海道祭」が開催され、多くの観客を集めるようになった。</p>
	<div class="clearFix" id="line">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="にぎやかなまつりを期待" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_05.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ph03.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲神輿部長の中川功清さん</p>
	</div>
	<p>
		　いまの「狸みこし」を取り仕切る、商店街振興組合の「神輿（みこし）部長」は1902（明治35）年創業の老舗「中川ライター店」（狸小路4）の4代目、中川功清さん（47）だ。みこしの重さは？　とたずねると、<br />
		　「みこしの重さはあまり公表しないのが常のようで、我々も聞いてないですね。かなり重いものではあるんだけども、それが何キロだとか言うのは、やっぱり『粋』じゃないんだね」<br />
		　なるほど。でも実際に担ぐと、重い。</p>
	<p>
		　「重い。重いですね。みこしは造り方だから、大きいから重いとか、ちっちゃいから軽いというものじゃなくて、その造り、みこし自体の『質』で重さが違うんだ」<br />
		　住居は町内の外だったが、小学生のころから狸小路の祭りを見つづけてきた中川さん。狸みこしに関わって約10年になるが「まさか自分がみこしの音頭取ってやるとは思ってなかった」と日焼けした笑顔を見せた。<br />
		　商店街に広がる、祭りへの高揚感。今年はどんな祭りになるのだろうか。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="173" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/l-ph02.jpg" width="240" /></div>
	<p class="clearFix">
		　「楽しみですね。天気が良ければいいな、と思うし、にぎやかにできればいい。中心部、景気悪くなって、だんだん元気なくなってますよね。それを商売だけで盛り上げようとしても、マチの元気な表情は出てこない。やっぱりお祭りとか、こういうイベントで、元気な、にぎやかな中心街を表現できればいいと思う。マチに来てくれる人がおみこしやお祭りを見て、ああ今日は中心街に出てきて良かったなと思ってくれれば嬉しいですね」</p>
	<div class="clearFix" id="line">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="お客様がいてのみこし" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_06.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="181" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ph04.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲神輿副部長の永井幹朗さん</p>
	</div>
	<p>
		　道内でもここ一軒、と言われる祭りグッズ専門店「祭屋　永井」（狸小路1丁目）の永井幹朗専務（42）は、神輿副部長だ。店内には祭半纏や鉢巻きなどの商品が、所狭しと並んでいる。人気の「東京江戸一」ブランドや、エアークッション入りの足袋などが好評で、特にこの季節は全道各地からの注文に大忙しだ。</p>
	<p>
		　「よその店で修行して、30歳ぐらいで狸小路に帰ってきましたが、それから一回も休まずにみこしを担いでます。肩が腫れて、内出血したりすることもありますが、みんなでリズムを合わせる一体感が楽しいですね。みこしのあとの『なおらい』（打ち上げ）も楽しいんですけど」<br />
		　永井さんがみこしで気を配るのは、まずは観客の安全という。</p>
	<div class="ph-block ph-block-left">
		<img height="161" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/l-ph03.jpg" width="240" /></div>
	<p class="clearFix">
		　「私たちはこういう商店街のみこしですから、まずはお客様を怪我させないことが第一ですね。見ているお客様の安全と、代々つづく狸小路のみこしを守るために、安全だけはしっかり守り、楽しく担いでいます。お客様がいてのみこしですから」</p>
	<div class="clearFix" id="line">
		&nbsp;</div>
	<h3>
		<img alt="狸まつりを楽しむ" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/item_07.jpg" width="540" /></h3>
	<div class="ph-block">
		<img height="220" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol04/ph05.jpg" width="270" />
		<p class="caps caps-270">
			▲狸小路5丁目に奉られている「本陣狸大明神社（通称・狸神社）」は昭和48年、狸小路100周年を記念して建立されたもので、はじめは4丁目に置かれていた。商売繁盛や安産など「八つの徳」があるとされている</p>
	</div>
	<p class="clearFix">
		　明治以来の「狸小路」の伝統を守り、商店街の末永い発展と繁栄を願う「狸八徳例大祭」は、今年は8月7日、5丁目の「本陣狸大明神社（通称・狸神社）」を中心に行われる。狸みこし渡御や子どもみこしなど、様々なアトラクションが繰り広げられ、札幌の短い夏を熱く盛り上げる。<br />
		　それに先立つ7月31日（土）には、午後5時から10時まで「さっぽろ狸まつりナイトバーゲン」が開催される。この日に向け準備された特売品や出店など、趣向を凝らした企画が満載だ。詳しい問い合わせは同商店街振興組合（電話：011-241-2125）および、<a href="http://www.tanukikoji.or.jp/" target="_blank">狸小路のサイト</a>までにて。</p>
	<p>
		※「狸小路の『みこし』大特集」第2回目では「狸八徳例大祭」などの様子をお届けします。みこしを担ぐ人たちにグッと迫った内容になる予定です。お楽しみに！</p>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201007/1.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201007/1.php</guid>
            <pubDate>Thu, 29 Jul 2010 12:51:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ライダー天国北海道</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol03" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="乗らずにわかるか！　ライダー天国北海道" border="0" height="465" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ss_a_title.jpg" usemap="#Map" width="590" /> <map name="Map"><area coords="421,20" href="#" shape="poly" /><area alt="「ツーリングのカルチャーショックで移住」ライダー1号　帆足岬さん" coords="405,3,583,18,566,235,537,233,533,217,458,227,385,219" href="#r01" shape="poly" /><area alt="「北海道のカラッとした風を感じる心地よさ」ライダー2号　八反田浩弓さん" coords="358,241,533,219,559,434,383,454" href="#r02" shape="poly" /></map></h1>
	<a name="r01"></a>
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="ライダー1号 ツーリングのカルチャーショックで移住" border="0" height="60" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/title01.gif" width="540" /></h2>
		<div class="clearFix">
			<div class="img-area01">
				<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph01.jpg" width="370" /></div>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">帆足 岬</span><br />
				（ほあし・みさき）さん。</p>
			<p class="prof">
				東京生まれ。都内のフランス料理店で修業を積み、28歳の時に北海道へ移住。イタリアンに転向して、今は「リストランテ バンビーノ」のオーナーシェフ、札幌市在住</p>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span>オートバイ</p>
			<p class="prof">
				ヤマハ YZ250F（オフロードレーサー）<br />
				ドゥカティ デスモ 450（街乗り用）ほか、多数</p>
		</div>
		<h5>
			オートバイの聖地と呼ばれる北海道に移住して22年。誘われてはじめたオフロードレースにのめり込む帆足さんが見た、北の大地の魅力と、ここでしかできない楽しみ方とは&hellip;&hellip;。</h5>
		<div class="img-area02">
			<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph02.jpg" width="300" /></div>
		<p>
			ヘトヘトになるし、だから順位だって下の方だし、レースが終わった後は廃品みたいになってるけど（笑）、ヘルメット脱いで、ザブザブ頭洗って「終わったね」「あー、終わった終わった」ってホッとして知らない人とでも笑いあえる。いいんだよな、これが。そのためにやっているような気もするんだよね。</p>
		<p class="ex">
			糊のきいたシェフコートに口ひげ。修業を積んだ料理人の気配を漂わせる帆足さんだが、オフロードレースの話をはじめると、本当にもう、やんちゃな顔になる。</p>
		<p>
			オフロードは僕にとって鬼門だったんですね。なぜって？　絶対に楽しいはずだけど、とっても危険。だから、足を踏み入れないようにしていた。ところが、友だちを介して知り合った方がたまたまレースをやっていて。僕の店に食事に来るたびに、「楽しいよ、オフロード」って呪文のように唱えるんです（笑）。その人を先生に毎週、専用コースに練習に行くようになって&hellip;&hellip;。ハマりましたね。</p>
		<p class="ex">
			高校時代からオートバイに乗ってきたという帆足さん。フランス料理の世界に入り、東京のレストランで働きながらも、暇さえあれば走っていた、というより&ldquo;攻めて&rdquo;いた。</p>
		<p>
			走ってはケガして、捕まって（もう、時効だよね）、また走ってはケガをして。無茶をしていた時期もあったなぁ。北海道にも青函連絡船で何度か。で、札幌の周辺を走って驚いたのが、こんな都会のすぐそばに狐なんかが住む山があったり、30分も行けば海も湖もあって、それでいてパルコもある（笑）。すごいカルチャーショック、というか感動して、これはもう、北海道に住むしかないな、と。</p>
		<p class="ex">
			ビルの中の、穴蔵のような場所から抜け出したかったという気持ちもあったと帆足さん。知り合いの誘いもあって、移住を決めた。ところが、すぐには来られなかった。</p>
		<div class="img-area03">
			<img height="300" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph03.jpg" width="230" /></div>
		<p>
			来週にでも行くと、その知り合いに連絡したんだけど、結局、こっちに来られたのは3カ月も後になってから。今思えば、北海道に向かうことがよっぽど嬉しかったのか、それから毎日のように東京近郊の峠に走りに行くようになって、最後は（事故で）膝が裏返っちゃった&hellip;&hellip;。笑いごとじゃないよね。</p>
		<p class="ex">
			札幌のレストランで勤務した後、もともと興味があったというイタリア料理に転向し、最初は裏参道で開業。現在の場所に移転して8年ほどになる。ザックリとした質感、気取らない雰囲気の帆足さんの店には、オートバイやスキーなど、北海道の自然との関わりをおもしろがる仲間が、折々に集まる。</p>
		<p>
			北海道の人はもっと、北海道を自慢すべきだと思うね。どの季節だって、楽しいことがたくさんある。オートバイなら、今の季節はツーリングだけど、僕は、まずはオフロードの練習かな。よし、次のレースこそは&hellip;&hellip;。</p>
		<p>
			<strong>■帆足さんのお店　リストランテ バンビーノ</strong><br />
			札幌中央区北6条西19丁目22番地　TEL: 011-614-3377<br />
			・<a href="http://www.bambino33.com" target="_blank">http://www.bambino33.com</a></p>
	</div>
	<hr align="center" noshade="noshade" size="1" width="540" />
	<a name="r02"></a>
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="ライダー2号 北海道のカラッとした風を感じる心地よさ" border="0" class="yb" height="60" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/title02.gif" width="540" /></h2>
		<div class="clearFix">
			<div class="img-area01">
				<img height="260" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph04.jpg" width="370" /></div>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span><span class="name">八反田　浩弓<br />
				</span>（はったんだ・ひろみ）さん。</p>
			<p class="prof">
				札幌市生まれ、在住。福祉系の大学を卒業し、札幌市内の病院にソーシャルワーカーとして入職。社会福祉士の資格を持つ</p>
			<p class="name-area">
				<span class="sc">■</span>オートバイ</p>
			<p class="prof">
				ヤマハ ドラッグスター1100（イレブン）</p>
		</div>
		<h5>
			父の誘い、兄の影響で自然とオートバイに乗るようになる。今は、大排気量のアメリカンを駆るとともに乗馬にも執心する八反田さんが感じる、北海道とオートバイとは&hellip;&hellip;。</h5>
		<div class="img-area02">
			<img height="210" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph05.jpg" width="300" /></div>
		<p>
			3人でツーリングに出かけたのはまだ、1回だけです。その時は、父がハーレー、兄が1100cc、私が250ccのそれぞれアメリカンタイプ。おもしろくて、「今度は、もっとロングで行こうよ」と誘っても、今は火付け役の父の方が「肩が痛い」とか言って（笑）。</p>
		<p class="ex">
			札幌市内の病院でソーシャルワーカーを務める八反田浩弓さん。患者の支援――経済的に困っている人の支払いの相談、手すりの設置に対する補助制度などの情報提供、時には患者の買物を代行することもあるという。そんな話とオートバイがどうにも結びつかない。</p>
		<p>
			普通、女の子がオートバイに乗りたいなんて言ったら、反対するでしょ、親は。でも、ウチは逆。私が小さいころから父は「早く免許をとれ、とれ」と。知らない間に刷り込まれていった感じですね。それで、大学に入学してすぐにオートバイ、車とつづけて取得しました。</p>
		<p class="ex">
			大学4年の時、お兄さんが排気量制限のない大型二輪免許を取ると言いだしたことに刺激され、八反田さんも試験に臨んだ。</p>
		<p>
			なんとなく兄に負けたくないという気持ちで、先に取っちゃいました（笑）。3人でツーリングした時に兄が乗っていた1100ccを譲ってもらって、今はこれが大切な愛車。父がずっと私に免許を勧めたのも、実は家族でツーリングしたかったからみたいなんですね。</p>
		<p class="ex">
			父親の&ldquo;教育&rdquo;によって、自然にオートバイに乗るようになった八反田さん。現在のソーシャルワーカー、福祉分野に属する仕事に就いたことも、お父さんの影響があると話す。</p>
		<div class="img-area03">
			<img height="300" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol03/ph06.jpg" width="230" /></div>
		<p>
			消防の現場を経て消防学校の校長を務めていた父から、救急現場や医療機関のようす、そこで働く人たちの話をよく聞かされたこと。それといつも、「女性も専門技能を持つべきだし、福祉分野がこれからは重要になる」と勧められたこと。漠然とですが、病気や障がいを持つ人たちの役に立ちたいと思うようになって福祉系の大学に進学したんです。</p>
		<p class="ex">
			医療機関の日々は忙しい。休日でも会議や研修がある。だから、オートバイに乗る時間があまり取れないことが悩み、という八反田さん。一方で8年ほど前から馬にも乗っている。</p>
		<p>
			私、午年なんです（笑）。そのせいなのか馬が大好き。それである時、思い立ってサラブレットのメッカ、日高まで行ってはじめて乗ったんですが、これがおもしろくて。翌日には近くの乗馬クラブに申し込んでいました。</p>
		<p class="ex">
			オートバイのことを、その世界では「鉄馬」と呼ぶ。ライディングフォームが似ているからだ。鉄の馬と本物の馬、実際に共通点があると八反田さんは言う。</p>
		<p>
			オートバイも馬も、風を感じるのが気持ちいい。夏の北海道なら、カラッと爽やかな風、それに花や、草や、そのほか色々な匂いもわかります。今年はきれいな景色を探して、さて、どこへ行こうかな。</p>
	</div>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201006/post-7.php</link>
            <guid>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201006/post-7.php</guid>
            <pubDate>Thu, 10 Jun 2010 20:12:12 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>北のグリーンフィンガーズ ～園芸家が語るガーデニングの未来～</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol02" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="360" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_lttl.jpg" width="590" /></h1>
	<div id="prof">
		<br />
		<p class="name">
			<b>工藤敏博</b>（くどう・としひろ）</p>
		<p>
			<strong>■Profile</strong><br />
			ガーデンプランナー、ローズグロワー、園芸店経営。1955年生まれ、札幌市出身。77年から札幌市豊平公園緑のセンター勤務、札幌市百合が原公園管理事務所長を経て退職。2007年から園芸店「Gee&#39;s Green Growers（ギーズ・グリーン・グロワーズ）」を経営。現在、拓殖大学北海道短期大学環境学科客員教授、「イコロの森」のローズガーデンプロデューサー、各種講演会で講師を務める。バラの専門家で、著書に『北海道のバラづくり』（北海道新聞社）がある。</p>
	</div>
	<h5>
		　工藤さんにはじめてお目にかかったのは、百合が原公園の管理事務所長をなさっていたときだ。真っ黒に日焼けした顔が印象的で、聞くと、夏は朝の2時から起きて植物の世話をしているとのことだった。Green fingersという言葉を目にするとき、まず思い浮かぶのが工藤さんだ。百合が原でお会いしてから10数年経った現在の工藤さんは、どんなことを考え、植物に携わっているのだろうか。北海道のガーデニングについてお訊きした。</h5>
	<p class="right">
		文・写真／杉本真沙彌</p>
	<div id="block">
		<h2>
			<img alt="北海道の気候はガーデニング向き" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t01.gif" width="370" /></h2>
		<div class="img-area">
			<img height="188" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ph02.jpg" width="250" />
			<p class="caps">
				店の外に並んだ鉢植えのバラに目を配る工藤さん。切った先の姿を想像しながら行うバラの剪定はとても楽しいそうだ</p>
		</div>
		<p>
			　近年流行しているイングリッシュガーデンでは、ボーダーガーデンなど多種類の植物を組み合わせるのが特徴です。雪が積もるので北海道は本州に比べ、ガーデニングに向いていないと考える方もいらっしゃるようですが、そうではありません。北海道は気候が合うため、イングリッシュガーデンで使われている多種類の植物を使いこなせます。本州は暑さで根がやられてしまうので半分くらいしか使えないかもしれません。本州の夏のような高温多湿の気候ではイギリスでセレクトされたような種類は合わないんですね。北海道は日本の中で唯一ピッタリ合う地域です。</p>
		<h2>
			<img alt="イギリス的な庭づくりは過渡期" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t02.gif" width="270" /></h2>
		<p>
			　イングリッシュガーデンで使われる植物が北海道に合う。じゃあ、イギリス的にやればいいのか&hellip;&hellip;。イギリスっぽい庭づくりをしている現在は、過渡期なのだと思います。見本としてやってみせるのはいいけれど、イギリスには敵わない。そんなに長い歴史はないものの積み重ねてきた園芸的な技術、植物を見る目がイギリス人にはあります。植物の構成やいろんな要素を考えて庭をつくっています。気候が合うからといって後を追っても追いつきません。おそらくイギリス人は、そういう場面を見たらくすっと笑うでしょう。よくやってるね、と。</p>
		<h2>
			<img alt="北海道ガーデンを飾る植物たち" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t03.gif" width="370" /></h2>
		<div class="img-area">
			<img height="188" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ph03.jpg" width="250" />
			<p class="caps">
				生き生きした葉が美しいバラの鉢にかこまれて。独自で輸入しているバラは、日本でここだけというものもある</p>
		</div>
		<p>
			　その土地の気候に合った、歴史に合った、文化に合った、景観に合った、ほかにはない独自性を庭づくりに出せれば、北海道の観光にも貢献できるでしょう。「北海道ガーデン」はおそらく、自生種をふくめて北海道らしい植物が主体となるでしょう。では、山に生えているものを庭に植えればいいかというと、それは園芸ではありません。移植しただけです。ある目的に適う個体を選抜することを&ldquo;系統選抜&rdquo;というのですが、同じ種であっても園芸的に使えるものとそうでないものがあり、自然にあるものから園芸的に使えるものを見つけて庭に入れていく。時間がかかることですし、それは次の世代の楽しみです。<br />
			　そして、北海道に自生しているものだけではなく、世界の植物をふるいにかけます。イギリスでたくさん使われている植物でも、北海道の方がもっと合うということもあります。北海道の植物と世界のものを組み合わせてできるものが、北海道ガーデンになるでしょう。</p>
		<h2>
			<img alt=" 北海道にあった景観づくり、庭づくりとは" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t04.gif" width="370" /></h2>
		<p>
			　日本庭園の伝統があり、坪庭的な仕掛けが生きるのが本州の庭です。北海道には身近に原生林があり、広大な敷地があります。それは本州にはないものです。「北海道にふさわしい景観というのはどんなものだろう」とずっと前から考えてきて、どこにいってもそういう目で見ています。大規模な施設などの新たな作り物よりも、いまある景観の質を上げること、それが大事なのではないかと思います。<br />
			　個人の庭でもそうです。バラは植えたけど、もとからある庭木が生きているでしょうか。おばあちゃんやお父さんが植えたオンコはどうでしょう。庭になじむまで数年もかかる木ものなど、景観のベースとなる緑の質を高めることが大事です。ちょっとしたことなんです。意識して目的を持って庭づくりをする、庭木をスクリーンに見立てて刈り込みにするとか。それからバラだよ花だよと言いたいですね。<br />
			　北海道には華美でない庭づくりが合うと思います。北欧がそれに近いかもしれないです。単純で、整然としていて、それが成熟した状態。そうなるとパラダイスですね。</p>
		<h2>
			<img alt="北海道の庭のもう一つの可能性" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t05.gif" width="370" /></h2>
		<div class="img-area">
			<img height="188" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ph04.jpg" width="250" />
			<p class="caps">
				「手は小さいんです」という工藤さんのグリーンフィンガーズ。感覚が鈍くなるので作業するときは素手で行うという</p>
		</div>
		<p>
			　北海道の庭には個人の場面がない。というのは、私的な土地ではありますが、意味合い的には公共的だということです。本州のように生垣や塀がある家は少ないですから、庭が見えちゃうんですね。質の高い庭が連続すれば、通る人にインパクトを与えるでしょうし、生活が豊かになります。新しい施設を作るよりは将来的に管理もいきとどきます。その貴重さ、意味合いを理解して、植物を理解して作ると良いものになると思います。</p>
		<h2>
			<img alt="園芸家にとっての冬" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t06.gif" width="180" /></h2>
		<p>
			　北海道は雪の積もる冬のおかげで土も植物もリセットできます。カキッと冬で切れるということが精神的にも良いと思います。冬の間は庭に対して夢を見て欲しいですね。そういう人が意外と少ないんじゃないですか。庭はその人にとっての天国、パラダイスだと思います。どういった景観になれば、自分にとってのパラダイスであるかを考える時間が冬だと思います。</p>
		<h2>
			<img alt="" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t07.gif" width="370" /></h2>
		<p>
			　北海道の庭にはいらないものが多いです。ヨーロッパはなんでもかんでも植えないですね。自分で管理できる緑があり、花は一部分だけにしか植えません。しぼりこんだ使い方をしています。日本は隙間があれば植えますから（笑）。そうなると夏以降、疲れてしまいます、植物も人も。<br />
			　自然の山並や、二次林的なものもふくめて緑の豊かさはピカ一で、潜在的な緑の質は高いのですが、人が手を加えたときの質が低い。だから、植えるなよ、と思います。景観のじゃまにならないように引き算を考えるべきだと思います。どこに行っても道路脇に白いプランターに植えられた赤いサルビアがあります。あれは、どうなんでしょう。</p>
		<h2>
			<img alt="園芸家という仕事と最近のこと" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t08.gif" width="370" /></h2>
		<div class="img-area img-area-l">
			<img height="225" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ph05.jpg" width="300" />
			<p class="caps">
				めずらしいバラがずらりと並んでいるが、新しい品種ではなく、昔からあるものだそう。耐寒性・耐病性にすぐれた北海道に合うバラたちがひしめく</p>
		</div>
		<p>
			　生き物、植物を相手にする園芸家という仕事につけたのは良かったと思います。植物は正直ですから。人間とかかわるとそうはいきません。父と祖父が生物の学者だったんです。二人とも好きな仕事をしていたのを見ていますから、その影響は受けたかもしれませんね。<br />
			　最近は、朝2時35分にいつも目が覚めます。5時には朝食を食べて、外へ。小さいときから4時くらいに起きて、いやがられていました。まだ寝てなさいって（笑）。変わっていませんね、そのころから。</p>
		<h2>
			<img alt="雪の聖母園との縁" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ss_a_t09.gif" width="160" /></h2>
		<p>
			　百合が原公園で働いていたときに、障がい者の方々と花壇を作ったことがあります。施設の皆さんといっしょに作業したことは、私にとってとても貴重な体験でした。今回、縁があって月形にある障がい者支援施設「雪の聖母園」にバラの苗を育てるためのビニールハウスを作ることになりました。バラは接木苗が一般的ですが、冬が厳しいところは自根苗の方がいいんです。それをハウスで自家生産するんです。施設にいる人たちが、一鉢でも自分で担当してそれに喜びを感じてくれれば&hellip;&hellip;。それは、こっちが勝手に思っていることですけどね。</p>
	</div>
	<div class="clearFix" id="shop-info">
		<img alt="Gee's Green Growers" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol02/ph_prof.jpg" />
		<p>
			■工藤敏博さんの店<br />
			<strong>＜Gee&#39;s Green Growers＞ </strong><br />
			札幌市中央区宮の森3条5丁目6-19　Tel：011-642-4187<br />
			&rarr;【 <a href="http://www.jumpingroses.com" target="_blank">Gee&#39;s Green Growers</a> 】</p>
	</div>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201005/post-6.php</link>
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            <pubDate>Thu, 13 May 2010 20:00:40 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>｢あっ、春だ！｣北海道人がそう感じる瞬間は......</title>
            <description><![CDATA[<div class="vol01" id="text-area">
	<h1>
		<img alt="" height="240" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ss_a_title.jpg" width="590" /></h1>
	<h2>
		　雪にすっぽりと覆われた寒くて長い冬のあとに訪れる季節、春。白一色の景色がほころびはじめ、山の色が変わり、土が見え、草が見えたかと思ったら「待ってました！」と言わんばかりに梅や桜や、道端の花々が一気に咲きはじめる&hellip;&hellip;そんな春は、北海道人にとって特別な季節のように感じます。<br />
		　北海道人が「あっ、春だ！」と感じるのはどんな瞬間なのでしょう。北海道人代表として、4人の方にお話を伺いました。</h2>
	<p class="right">
		文／杉本真沙彌　写真／杉本真沙彌</p>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="216" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ph01.jpg" width="184" />
		<p class="prof">
			<br />
			<span>●</span><b>菅井貴子</b>（すがい・たかこ）さん<br />
			気象キャスター（現在はNHK「おはよう北海道」「つながる＠きたカフェ」に出演中）、横浜市出身、札幌市在住</p>
		<h5>
			フリーキャスターとして全国各地で仕事をし、それぞれの土地の春を経験。暮らしはじめてから6年目を迎えた北海道で菅井さんが見つけた春は&hellip;&hellip;。</h5>
		<img alt="低気圧が北海道の北を通るようになると" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/t01.gif" width="295" />
		<p>
			　気象キャスターという仕事をしていて春を感じるのは、低気圧が北海道の北を通るようになると、ですね。低気圧は掃除機みたいに空気を吸い込みますので、北にあると南風になるんです。こういう天気図を見ると「あっ、春だ！」と思います。でも、理論上はすっかり春なのに地上の空気が暖まっていないせいで、南風が吹いているわりには今日は暖かくならなかったな、ということも&hellip;&hellip;。天気図の方が季節を先取りしていて、地上の実際の感じとは少し時差がありますね。<br />
			　桜前線は、西日本から関東までは時速33キロで進むんですが、北海道にくると時速15キロくらいになります。梅前線は1月にスタートし、4カ月かけて北海道に来ます。桜前線はスピードが速いので、スタートから1カ月後に札幌に到着。ここで二つの前線が一致するんです。途中、桜前線が追い越して、網走では桜の方が早く咲きます。梅と桜がいっしょに咲いているのを見て、こちらに来たころは見間違えたのかと思いました。<br />
			　北海道の冬は真っ白で、4月でもまだ土と雪の白ですよね。そのあとに花が一気に咲くので、花がきれいに見える気がします。百花繚乱というか&hellip;&hellip;こちらにきて花が好きになりました。北海道の春って本州の人が見たらびっくりすると思います。</p>
	</div>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="216" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ph02.jpg" width="184" />
		<p class="prof">
			<br />
			<span>●</span><b>ダム・ダン・ライ</b>さん<br />
			彫刻家・画家、1973年生まれ、ベトナム出身、小樽市在住。</p>
		<h5>
			2002年にベトナムから来札、現在は小樽市春香町で暮らしている。木々に囲まれたアトリエ「Dala Space（ダラ・スペース）」で創作活動を営むダム・ダン・ライさんが想う春は&hellip;&hellip;。</h5>
		<img alt="森が近づいてくる" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/t02.gif" width="295" />
		<p>
			　ベトナムでは乾季が冬にあたるんだけど、気温は16度くらい。ベトナムにいたころはそれでも寒いなーと思っていたね。2002年から札幌に住みはじめたのだけれど、マンションだったから寒くないし、雪が降るのが楽しみだった。2007年に春香町にあるアトリエで暮らしはじめてから、自然のなかにいると冬が長いなーと思うようになった。<br />
			　アトリエの裏側には山があって、冬は木に葉がついてないのでずっと遠くまで見える。春になってくると、葉がでてきて向こうまで見えなくなる。森がこっちのほうにだんだん近づいてくる気がするね。それは春だなあと思う。朝起きて外に出ると、木の香りがするようになる。冬はなんにもしないけど、春になるとするようになるね。<br />
			　1月の末から2月のはじめころまで、アトリエのまわりに雪のオブジェを展示していた。冬は好きだけど、オブジェの展示も終わったし、外で彫刻の制作をしたいので、早く雪が解けてくれればいいなと思う。5月には仲間とイベントをやるので、時間があまりないしね。</p>
	</div>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="216" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ph03.jpg" width="184" />
		<p class="prof">
			<br />
			<span>●</span><b>木村仁美</b>（きむら・ひとみ）さん<br />
			麻酔科医（新さっぽろ脳神経外科病院勤務）、1965年生まれ、空知管内夕張郡栗山町出身、札幌市在住</p>
		<h5>
			自然に囲まれた栗山町で生まれ育ち、現在は札幌で麻酔科医として働く木村仁美さんが感じる春のはじまりは&hellip;&hellip;。</h5>
		<img alt="雪まつりの雪像がこわされるころ" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/t03.gif" width="295" />
		<p>
			　春だなあ、と実感するのは、子どもと円山動物園に行ったり、同時に円山公園が花見客でごったがえすのを見かけるゴールデンウィークのころですね。<br />
			　ただ、春がはじまるぞ、と思うのは、雪まつりが終わったころです。冬の象徴である雪まつりが終わり、雪像がこわされると聞くと、冬もこわれる感じがします。2月の末には春のスイッチが入りはじめ、それからは、日差しが温かくなり、服装が春らしくなり、春がくるぞ、くるぞ、くる、くるって状態がゴールデンウィークまでつづくんですよね。お正月より大晦日、クリスマスよりクリスマスイブが好きなので、春になるまでが好きなんです。<br />
			　近所の一軒家や街路樹のまわりの雪が少し解けて、土や草が見えてくると、春が来ているなあと&hellip;&hellip;。<br />
			　麻酔科医の仕事場は手術室です。温度や湿度は日々一定に保たれ、外気はシャットアウトされていますから、季節どころか日時もわからない（笑）。いつも一様なんです。仕事中はそちらに意識が集中していることもあって、季節を感じるのは通勤途中やオフの日です。気持ちが開放状態でないと、そういう自然の気配はなかなかこころに入ってきませんね。</p>
	</div>
	<div class="block-a">
		<img class="prof-ph" height="216" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ph04.jpg" width="184" /><br />
		<p class="prof">
			<span>●</span><b>田中　綾</b>（たなか・あや）さん<br />
			北海学園大学人文学部日本文化学科准教授・文筆家（北海道新聞の日曜文芸欄でブックガイド「書棚から歌を」を連載中）、1970年生まれ、札幌市出身、札幌市在住。</p>
		<h5>
			事務職から、歌人・文筆家へと転身し、現在は北海学園大学で近代日本文学を教える田中綾さんの春のありかは&hellip;&hellip;。</h5>
		<img alt="春はつくられるもの" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/t04.gif" width="295" />
		<p>
			　このような春の歌があります。「ブーツにてみなゆくゆゑにまれまれにハイヒールはく脚鮮（あたらし）も　」（上田三四二『遊行』）。<br />
			　私が春を感じるのは、上田さんと同じように女性の足もとです。女性の脚がダークカラーのタイツから、ベージュのストッキングに変わると、「あっ、春！」と。女性たちは装いで春を演出するんです。北国では雪どけの4月初旬くらいになって春を実感できるのですから、装いや気分やことばで春をつくりあげていくのだと思います。春というと、こころはずむ季節というイメージがありますが、そんな春にこそ生まれる愁（うれ）い、「春愁」があります。<br />
			　西行の歌に「ねがわくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃」というのがありますが、私はこの歌に春愁の根源を感じてしまいます。ともすれば私のこころは「春愁」に傾きがちです。そうならないように「春」をつくって楽しんでいるのだと思います。ゴールデンウィークごろに季節はずれの雪が降ることがありますね。春愁の時期に降るこの雪を、私はひときわ美しく感じます。</p>
	</div>
	<img alt="北海道人アンケート　あなたの「あっ、春だ！」を教えてください！" class="sub-t" height="30" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/ss_a_subt.gif" width="540" /> <img alt="女性編" height="45" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/list_title01.gif" width="200" />
	<ul>
		<li>
			ザクザク雪になって道路が濡れてドロドロになってくると、春が来た！　とうれしくなります。<b>30代・女性・事務職</b></li>
		<li>
			春の匂い！　なんと説明してよいか分かりませんが、四季の匂いは絶対にわかります。<b>40代・女性・プログラマー</b></li>
		<li>
			プロ野球の開幕ですね。3月くらいからはじまるオープン戦は、練習試合みたいな感じでそれほど盛り上がりませんが、オープン戦に行くようになると、どんなに外が吹雪いていても、札幌ドームまで歩いて行くときに、「ああ、もうすぐ春！」と思うんです。そして、ドームに入って緑の人工芝を観ると、ますます春の気分が高まります。<b>30代・女性・ライター</b></li>
		<li>
			土の匂いです。もわっとする土臭いにおいをかぐと、春だなって思う。昔、実家が農家だったからかも。<b>30代・女性・事務職</b></li>
		<li>
			浅瀬でタコがカニを食べているのを見るとき。<b>40代・女性・漁業従事者</b></li>
		<li>
			ピンク色の夕焼けの空。自宅に帰る途中にピンク色の空を見て「あー春だ」と思ったら帰りたくなくなりました。<b>40代・女性・アトリエオーナー</b></li>
		<li>
			アパレルショップで最新モードのブラウスやカットソーを見かけたとき。「ほら、ステキでしょー。もうニットの季節はおしまいよー。春よー、春なのよー、買っていきなさーい」と誘惑の声が聞こえてくるのです。<b>40代・女性・ライター</b></li>
		<li>
			冬はまるまっていた猫が、床でからだを広げて寝ているところを見るとき。<b>30代・女性・webデザイナー</b></li>
		<li>
			風に吹かれたとき、塵が混じっていて目がパチパチすると。いまはメガネだけどコンタクトのときにはすごく感じたかな。<b>30代・女性・主婦</b></li>
		<li>
			冬の余韻の中、立春を迎えたとたんに陽の光が変わり自然の摂理に畏れを感じます。日ごろどんなに丁寧に拭き掃除をしていても、春の明るい陽光の中では空気中の塵までも目に止まらせて私を戸惑わせるのです。<b>60代・女性・茶道家</b></li>
	</ul>
	<img class="sub-t" height="1" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/line.gif" width="540" /> <img alt="男性編" height="45" src="/hokkaido-jin.jp/upload/images/special_contents/ssoh/vol01/list_title02.gif" width="200" />
	<ul>
		<li>
			福寿草を見たとき。あとは、風だね。春一番が吹くとそう思う。<b>50代・男性・会社社長</b></li>
		<li>
			クロッカスの花が咲いたのを見ると、春だなと思います。<b>40代・男性・会社役員</b></li>
		<li>
			雪で狭くなっていた舗道が広くなると春を感じる。<b>30代・男性・プログラマー</b></li>
		<li>
			雪の下から犬のフンが見えてくると春だなと。踏まないように気をつけて歩かなきゃいけなくなる。<b>30代・男性・デザイナー</b></li>
		<li>
			風の匂いとか、体感温度的なものでしょうかね。<b>30代・男性・会社員</b></li>
		<li>
			道路の白線が引きなおされたとき。<b>30代・男性・会社員</b></li>
		<li>
			バイクに乗れるようになったり、昭和生まれのスカイラインが出せるようになったり。仕事がら転倒による圧迫骨折が少なくなると、春だなーと思う。<b>30代・男性・理学療法士</b></li>
		<li>
			天気が良くて、雪どけが進むような暖かい日。そんな日は、うぉ～うぉぉぉ～って野生の雄たけびがでちゃうね。<b>60代・男性・イラストレーター</b></li>
		<li>
			自分の中に春の空と呼んでいる青空がある。除雪などをしていてその春の空が現れたら、1月でも2月でも「春だ！」と思う。<b>40代・男性・自営業</b></li>
		<li>
			道ばたでほこりをかぶって黒くなった雪を見たときです。あと、北海道ではまだまだ寒いのですが職業柄お彼岸が来ると春を感じます。<b>30代・男性・僧侶</b></li>
	</ul>
</div>
]]></description>
            <link>http://www.hokkaido-jin.jp/special_contents/ssoh/201004/post-5.php</link>
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            <pubDate>Thu, 15 Apr 2010 18:26:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>
