狸小路の「みこし」大特集 第1回

第1回「狸小路のみこし」

文・写真/及川直也

産声を上げる狸小路

 道内最大の商店街といえば「狸小路商店街」だ。市道「南2条南3条仲通線」の西1丁目から西7丁目まで、総延長900メートルの全蓋アーケードが覆う狸小路には、約200店が軒を連ねている。観光やショッピング、グルメスポットとして、サッポロの魅力を提供しつづける狸小路のはじまりは、明治の開拓時代までさかのぼる。
 明治政府が「北海道開拓使」を札幌に置き、新天地の開発に取り組みはじめたのが1869(明治2)年のこと。その2年後には円山に札幌神社(現・北海道神宮)が遷座され、明治6年には例祭がはじまっている。ちょうどそのころ、北海道開発にともない、本州から流入してきた作業員などへの新たな需要に着目した商人が本州各地から集まり、現在の狸小路2~3丁目周辺に商家や飲食店が建ち並ぶようになった。その一角がのちに「狸小路」と呼ばれるようになったという。

 

ゆく人を楽しませる夏祭りの飾り

▲札幌狸小路商店街振興組合理事長を務める菊池恒さん

 毎年夏、狸小路をゆく買い物客の目を楽しませるのは、丁目ごとに趣向をこらしたアーケード装飾だ。白地に力強い筆文字で「狸」と染め抜かれた垂れ幕や提灯が印象的な4丁目。6丁目ではみこしのレプリカが3基吊り上げられており、外国人観光客たちが盛んにデジカメを向けていた。オリジナリティを目指す2丁目は、涼しげな夏の花を飾っている。
 札幌狸小路商店街振興組合の菊池恒理事長(キクヤ楽器社長)は、
 「毎年狸まつりは、7月21日から8月20日まで。今は安全上などの問題から、飾りの取り付けは業者さんがやっていますが、昔は丁目ごとに飾りのコンテストをやっていた。7丁目に古いアーケードがあるじゃないですか。あれが昭和33年から35年にかけて建っていったんです。僕はそのころの生まれで、子どものころは自分の店で作った飾りを店の前に出して、どこの店がいいかを決めていたらしいですよ。
 現在ではいろいろな規制がありますので、飾りの安全性には非常に気を遣ってます。強度を考え、普通のロープではなく金属製のワイヤーを使うなど、細心の注意を払っています」
 と語る。飾りにも流行があるようで、以前多かったビニールの吹き流しから、高級感と耐久性に優れた、布製の垂れ幕が増えてきているという。

狸みこしの登場

▲同商店街振興組合副理事長の内山晴記さん

 1954(昭和29)年からはじまった商店街の夏祭り「狸まつり」にみこしが登場したのは、1960(昭和35)年のことだった。振興組合の内山晴記副理事長(一光堂代表取締役)が語る。
 「狸小路商業組合(当時)が中心となって設立した道央信用金庫(現・北海信金)の10周年記念事業として、1960(昭和35)年に寄贈されたのが『狸御輿(たぬきみこし)』です。価格は当時で50万円、現在の価値に直すと約1500万円と言われています」
 商店主や従業員が中心となって担いでいた狸みこしだが、次第に担ぎ手の確保に苦労することになる。
 「本来60~70人で担げば適正のみこしを、30~40人ぐらいで必死に担いでいたものです。
 昔のみこしはまさしく“暴れみこし”で、今のような整然とした担ぎ方ではなかった。みんな酒飲んで酔っぱらって、『ワッショイ、ワッショイ』と大きな掛け声をかけて、あっちへふらふら、こっちへふらふら、と、うねるような荒っぽいみこしだった。私も子どものころに見ていましたが、とても今のみこしみたいではなかったですね」

成長する狸みこし

 そんな商店街のみこしに「革命」が起こるのは、昭和40年終わりごろのこと。
 「担ぎ手がなかなか集まらない。本当に集まらない時はバイトを使ってた時期があるぐらいですからね。そういう中で、これじゃ駄目だ、という人が出てきた」
 改革の声を上げたのは、青年会のメンバーである商店主の子弟たちだった。東京の大学で学び、本場の江戸まつりの雰囲気を体験してきた彼らは、狸小路のみこしに違和感を覚えるようになった。
 「彼らがみこしに駆り出されるようになり、担いでいるうちに『こんなスタイルじゃ駄目だ』と感じはじめた。彼らは東京で、三社のみこしだとか、本場の江戸みこしを見てるわけですよ。やっぱりああいうスタイルでやりたい。そして、みこしが好きな人間をもっと掘り起こそうという気運が盛り上がってきた」
 青年会メンバーは市内のみこし好きなどにも声をかけ、1978(昭和53)年5月に会員26人で「御輿同好会北海睦」をスタートさせた。みこしを通じた人々の輪は次第に広がりを見せるようになり、1980(昭和55)年からは8月の狸まつりに加え、6月の北海道神宮祭の奉納御輿にも参加しはじめる。翌1981(昭和56)年8月の狸まつりからはすすきのコンコンみこし、1982(昭和57)年からは四番街繁盛みこしとの連合御輿渡御(みこしとぎょ)が実現するなど、年を追うごとに参加団体が増えていき、祭りの規模が拡大していった。

 1985(昭和60)年8月には「北方圏国際フェスティバル」に三基連合みこしとJC万灯みこしが参加、1986(昭和61)年4月には北海睦をはじめ道内の御輿会でつくる「北海道祭御輿連絡協議会」が発足し、翌年8月からは連合みこしや一万人の盆踊りなどの大イベント「熱響舞夏(ねっきょうマイサマー)北海道祭」が開催され、多くの観客を集めるようになった。

 

にぎやかなまつりを期待

▲神輿部長の中川功清さん

 いまの「狸みこし」を取り仕切る、商店街振興組合の「神輿(みこし)部長」は1902(明治35)年創業の老舗「中川ライター店」(狸小路4)の4代目、中川功清さん(47)だ。みこしの重さは? とたずねると、
 「みこしの重さはあまり公表しないのが常のようで、我々も聞いてないですね。かなり重いものではあるんだけども、それが何キロだとか言うのは、やっぱり『粋』じゃないんだね」
 なるほど。でも実際に担ぐと、重い。

 「重い。重いですね。みこしは造り方だから、大きいから重いとか、ちっちゃいから軽いというものじゃなくて、その造り、みこし自体の『質』で重さが違うんだ」
 住居は町内の外だったが、小学生のころから狸小路の祭りを見つづけてきた中川さん。狸みこしに関わって約10年になるが「まさか自分がみこしの音頭取ってやるとは思ってなかった」と日焼けした笑顔を見せた。
 商店街に広がる、祭りへの高揚感。今年はどんな祭りになるのだろうか。

 「楽しみですね。天気が良ければいいな、と思うし、にぎやかにできればいい。中心部、景気悪くなって、だんだん元気なくなってますよね。それを商売だけで盛り上げようとしても、マチの元気な表情は出てこない。やっぱりお祭りとか、こういうイベントで、元気な、にぎやかな中心街を表現できればいいと思う。マチに来てくれる人がおみこしやお祭りを見て、ああ今日は中心街に出てきて良かったなと思ってくれれば嬉しいですね」

 

お客様がいてのみこし

▲神輿副部長の永井幹朗さん

 道内でもここ一軒、と言われる祭りグッズ専門店「祭屋 永井」(狸小路1丁目)の永井幹朗専務(42)は、神輿副部長だ。店内には祭半纏や鉢巻きなどの商品が、所狭しと並んでいる。人気の「東京江戸一」ブランドや、エアークッション入りの足袋などが好評で、特にこの季節は全道各地からの注文に大忙しだ。

 「よその店で修行して、30歳ぐらいで狸小路に帰ってきましたが、それから一回も休まずにみこしを担いでます。肩が腫れて、内出血したりすることもありますが、みんなでリズムを合わせる一体感が楽しいですね。みこしのあとの『なおらい』(打ち上げ)も楽しいんですけど」
 永井さんがみこしで気を配るのは、まずは観客の安全という。

 「私たちはこういう商店街のみこしですから、まずはお客様を怪我させないことが第一ですね。見ているお客様の安全と、代々つづく狸小路のみこしを守るために、安全だけはしっかり守り、楽しく担いでいます。お客様がいてのみこしですから」

 

狸まつりを楽しむ

▲狸小路5丁目に奉られている「本陣狸大明神社(通称・狸神社)」は昭和48年、狸小路100周年を記念して建立されたもので、はじめは4丁目に置かれていた。商売繁盛や安産など「八つの徳」があるとされている

 明治以来の「狸小路」の伝統を守り、商店街の末永い発展と繁栄を願う「狸八徳例大祭」は、今年は8月7日、5丁目の「本陣狸大明神社(通称・狸神社)」を中心に行われる。狸みこし渡御や子どもみこしなど、様々なアトラクションが繰り広げられ、札幌の短い夏を熱く盛り上げる。
 それに先立つ7月31日(土)には、午後5時から10時まで「さっぽろ狸まつりナイトバーゲン」が開催される。この日に向け準備された特売品や出店など、趣向を凝らした企画が満載だ。詳しい問い合わせは同商店街振興組合(電話:011-241-2125)および、狸小路のサイトまでにて。

※「狸小路の『みこし』大特集」第2回目では「狸八徳例大祭」などの様子をお届けします。みこしを担ぐ人たちにグッと迫った内容になる予定です。お楽しみに!

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