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- 鯨森惣七の「コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。」
きらきらひかるやさしい風に逢いたい 7(最終回)
月は静かに 夜道を照らしてくれた
森はだまったまま やさしく抱きしめてくれた
天気は上々で、白い雲がながい尾を引き、そのあとを灰色の雲が追いかけているような空。水平線の左側から突っ張りでているような野羊山の山頂には、黒っぽい雲が静かに横たわっている。ただなんとなく風の動きが、さだまっていないような気がする。海面を観たが白波は立っていない。
なんとか南島には行けそうだと判断した。
桟橋の壁肌にロープでくくられたボートのなかで、ジミーをふくめ4人の少年たちがはしゃいでいた。というより船をゆさぶり、早くだせよコールをしているのだ。
ダイバーで相棒の欣ちゃんが、舳先に座り込み、岸壁のロープをはずしはじめていた。
ボクは後座でエンジンの調子をうかがっていた。回転をあげるようにアクセルをしぼると、甲高いエンジン音が桟橋の壁肌をたたくようにひびき、青い煙を噴き上げた。それを聞いていた少年たちはロックンロールのギタリストのポーズをまねてはしゃいでいた。
いつでも走れる準備はできた。少年たちとふたりのおとな、海賊船の出航のような気分だった。
船首を沖にむけて、二見湾を走らせた。南島に向かうには、あの左側にある野羊山の突きでた岬をおおまわりして外海にでないとならない。
波はなく、他にいきかう船もなかったが、沖からもどってきた小型の漁船とのすれちがいざまに、舳先に立っていた少年がタオルを振りながら何かをさけんでいた。
けれど、エンジンの音で聞き取れないまますれちがった。
「何だ? 聞こえた・・・?」ジミーたちに聞く。うつろな表情で首を振った。
彼は漁師の子供で、ジミーたちの仲間でもあった。
何かを必死に伝えようとしていたが、誰も理解できなかった。
僕らのボートは、岬をおおまわりしながら、小さくうねる波をかきわけて外洋にでた。
いきなり、潮の流れに引きずり込まれた。川の流れにもてあそばれる笹舟のようになった。野羊山が小さくなっていく。
岬の裏側で、激しい流れの潮目が海面をもりあげ、うねりとなって荒れ狂っていることを、あの少年は伝えようとしていたのだ。
空模様もおかしな状態になってきた。パラパラ雨が降りだしてきた。
風も海面をさらって、うねりを白く変えていく。
さきほどまではしゃいでいた少年たちは、船板にカラダをへばりつけ怖がっていた。どんなときでも笑った顔の欣ちゃんでさえ、青ざめているようにみえた。
どうしたらいいのか、解らないままボクらは流されていた。
海面がおおきくもりあがったと思ったら、さらにぐいぐいもりあがっていき、エンジンをフル回転させても、船は波をかきわけ進もうとしない。
うねりの水しぶきが顔を洗い、少年たちもずぶ濡れになった。不安と冷えで震えているのに、「もー帰ろうよ」とは誰も言わなかった。
この少年たちの沈黙の勇気を、冷静に受け止めなければならないと思った。
このまま流されるように南に向かっていけば、目的の南島の横にでる。
しかし、タイミングよくボートを切り返せるか、自信はなかった。
判断に迷った。
左側にみえる海岸線まで数キロはある。助かる道はコペペ海岸をめざすしかない。だけど、舵を切るにしても、難しいのは同じだった。少年たちの顔をみると、興奮して目を赤くしていた。決意するしかなっかた。
強い潮の流れにまともに立ち向かえば、ひっくり返る可能性もあった。考えられることは、小刻みに舵を左に切って、また流されながら、舵をゆっくり切る。時間をかけて、慎重に潮目から逃れるしかないと思った。
海岸線に向かって神に祈った。コペペの砂浜が光っている、そんな感じがした。
「痛いって・・・そんなに叩くなよ!」
「馬鹿やろ! 助かったから痛いんだよ」
「まー・・・よく助かったなー このやろ!」
笑いながらふたりのおとなはコペペの砂浜に寝転がっていた。
開放された気持ちと、達成感のようなものがカラダを熱くさせていた。
海岸にいた人に事情を話し、さきに少年たちを町まで送ってもらった。
別れるときジミーはガッツポーズを掲げながら、涙を流した。
「あいつら・・・いいケイケンしたな」と欣ちゃんが、沖をみながら言った。
「そーだよな! あいつらいつか、そのうちさ、自分たちで行くだろな・・・」
沖から吹きあげてきたゆるい風が、気持ちよくからみついてきた。
・・てなこと津軽海峡をわたる連絡船のデッキで、荒れる海を観ながら思い
出していた。あれから8年もたった。少年たちは当時のボクと同じぐらいの年齢になっている。逢ってみたいと思った。あの日のこと、どんな風に記憶として残っているのか、聞いてみたくなった。
連絡船は函館港に着岸した。
ポンコツのスポーツカーを札幌に向け、5号線を走らせていた。噴火湾の海岸線が前方に観えはじめてきた。おだやかな銀色の水平線がボクを誘ってくる。八雲の駅をすぎたあたりで、ハンドルをゆっくり右に切って、淡々とおいしげる背丈黄あわ草のなかをきりさくようにわき道を走った。
その先には、海がある。
乾いた土煙をふりまくデコボコのわき道では、すれ違う車はまったくなく静かだった。ポンコツのスポーツカーを砂地の草原に止めた。
誰もいない海、きらきら照らしている陽光をさえぎる雲さえみえない静かな空。草原に座りこんで、ただジーっと水平線をながめていた。
エーゲ海の島々に囲まれたギリシャの海。そのことばが頭から離れなかった・・・スエズ運河の仕事がだめになって、八雲の水平線をながめている自分が悲しいと思った。
ひと月がたとうとしていた。ボクは札幌で職についてしまった。あの日、ポンコツのスポーツカーは、八雲の海でとうとうエンジンが動かなくなった。やはり発電機が機能しなくなった。さらにその発電機は古すぎて、やむなく廃車にすることになってしまった。
車もなく資金も底をついたので、しばらく札幌で働くことにしたのだった。
しばらくのつもりが、春がきて、夏が終わって、秋がすぎると長い冬がやってきた。長すぎる冬をのりこえることができたのは、春の櫻を愛しいと思ったからだった。厳しい冬を耐えてきたソメイヨシノの花は、カレンで、滑らかなやさしさをまばゆいほど輝かせてみせてくれた。
たったそれだけで、ボクは癒された。
うっとしい人間関係とか、自分の存在さえ見失ってしまう都会の生活で、活きぬこうとする勇気をもらった。
北の国の自然には、人の能力をはるかに超えてしまう包容力を感じる。やさしさがたっぷりとある。そして学ばなきゃならないことが幾らでもある。
活きる目的を失って、ふらふらって来てしまった北の国。
すでに33年になる。それが不思議でしかたがない。
5万円のポンコツのスポーツカーは、ボクをここに導いてくれた天使だったのか。
鯨森惣七(くじらもり そうしち)
室蘭生まれ。東京八丈島でダイバーとして漁師と共に働く。のちにCM制作の職に就く。札幌でTOMATOMOONとサクラムーンを設立、プロデュースする。近作として、JR車内誌での「陽だまりがあれば地球人」、サッポロビールでの「ボクだって星の王子様」などのイラストエッセイ。現在、HTBテレビ「ハナタレナックス」の収録スタジオのデザインおよびオープニング映像・タイトルの企画制作を手掛けている。2010年5月に絵本「ぺ・リスボーの旅・ダラララー」を出版した。
・cuzira@leo.interq.or.jp