コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。

HAKODATE MAP 03


函館編 3


カフェは静かなジャズが流れていた。
白波をかきわけてゆったりと走る、壁のポスターの蒸気客船は、かなり古いものでタイタニック号あたりの時代を感じさせた。そのポスターを背にした若いふたりが、グリーン色のソーダー水をずるずる吸いあげている。そしてときどき、見詰めあったままでもずるずるしているのだ。コラコラもっと離れろ。てなこと感じてしかたがなかった。
おそらく、ポスターをながめながら、タイタニックの映画でも思い出しているんだね。
そんなときスーっと白いがっちりしたマイカケ姿のマスターが近づいて来た。
笑いながら覗き込むように、久しぶりと声をかけてくれた。ほんとうに久しぶりだよね、この前さ、7年ぐらい前に来たときはさ、いなかったようだけど。そうなんだよね、その頃はね、ハワイにいたんだよ。エッ、なんでハワイ?
・・・・・てな会話がつづくなか、ところでホントにボクのこと覚えているのかな。20年ぶりなんだけどさ。その頃さ、マスターはロングヘアーでよれよれのジーンズだったよな、ホントに覚えている?
ほら、だって今はさ、かなり髪うすくなってさ、その頃の面影なんかないよな。
・・・・・てなこと、ココロの奥で思うものです。もちろんマスターにも自信がないんです。記憶の迷路をもてあそぶように、昔をたぐりよせながら確信のもてない会話がつづく訳ですよ。
・・・・・だけどさ、まったく昔のままだよね。あれなんか、よく残っていたよね。赤と白のコカコーラのまるっこい冷蔵庫とか、ソフトクリームの照明器具とか、天井のすすけたペンキの色もさ、古いアメリカそのままなんだよね。

「hakodate minato」「ズーズルルル」「ズルズル ズルン」「近い」

オープン当時と変わらない、やさしさが湧きあがってくるような空間だった。マスターの頭はうすくなっていたが元気だった。
カフェを出た頃、灰黒のどんよりしていた空には、やわらかな白い雲が走りはじめていた。教会やお寺にはさまれるように、ボクはけっこうキツイ坂道を登っている。
さらにもっと上にあるチャチャ登りと言う名の坂をめざしていた。以前にも登って、てっぺんから見下ろす港の風景がたまらなく気持ちがいいことを知っているから、つい登ってしまう。だけどね、7年前とはカラダのつくりがちがっていた。膝裏の筋肉に痛みがきて、かばうように歩いてしまう。
もーこれ以上は無理だな、てなふうに思ったとき後ろの小学生たちから声をかけられた。おじさん、上まで登りますか、てなこと聞いてきた。

「namidaAFuRete tukiFutatu」「ゲゲゲ」

「えっ・・・どうしてヨ!」
「あのですね・・・上で記念写真、撮ってくれますか?」
ストレートな子供の要求だった。もーさ、足が動かないのよ、てなこと言えなかった。
あと180m、おじさんは登ってしまった。すでに小学生たちは、港をバックに笑いながらならんでいる。どこか会話になまりを感じていた。
「な、修学旅行? どこから来たの」
「あのですね、青森です!」
グループの班長らしき者が、そー答えて、ピースサインでシャッターの催促をする。おじさんの息はまだととのっていないのだ。目の前にだされたカメラをかまえる。
「行くぞー。 お前ら、もっと笑えーって」ゲゲゲてな笑いがおこり、むじゃきな輝きでまぶしいぐらいだった。その表情を逃がさないように2枚ほど撮った。
「おじさんも撮ってヨ。 お前らの記念にしてくれないの」と言ってみた。子供たちは少しとまどった顔をしたが、ゲゲゲとまた笑って走るように坂を下っていく。はるか下に見える港の風景にすいこまれていくようだった。


くたびれたおじさんはチャチャ登りのてっぺんで座り込んでいる。そして港の向こうの山並みを走る白い雲を観ていた。

「スキ」「カァー」「おじさんカワイソーだから パッチよ」

プロフィール

鯨森惣七(くじらもり そうしち)

室蘭生まれ。東京八丈島でダイバーとして漁師と共に働く。のちにCM制作の職に就く。札幌でTOMATOMOONとサクラムーンを設立、プロデュースする。近作として、JR車内誌での「陽だまりがあれば地球人」、サッポロビールでの「ボクだって星の王子様」などのイラストエッセイ。現在、HTBテレビ「ハナタレナックス」の収録スタジオのデザインおよびオープニング映像・タイトルの企画制作を手掛けている。2010年5月に絵本「ぺ・リスボーの旅・ダラララー」を出版した。
cuzira@leo.interq.or.jp

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