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『メルマガ北海道人』第98号 2008.12.4.―「北海道人」、粉砂糖をパラパラと―

 洋菓子店の店先で、粉砂糖がかかった白くて長いお菓子を見かけるようになりました。シュトーレンと呼ばれるクリスマスを迎えるためのお菓子だそうです。
 高速道路から札幌の街を見渡すと、赤や緑のトタン屋根に粉雪がサラッと積もっていました。遠くに見える小さな家は粉砂糖をパラパラふりかけたお菓子の家のようでした。お菓子の家をムシャムシャ……。暖房が効いたバスにゆられてうとうとすれば、そんな夢を見てしまいそうな、慌ただしい12月がはじまりました。
 『メルマガ北海道人』第98号、100号まであと2号! 慌ただしさを隠して粉砂糖のようにパラパラ配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 先日、上海生活通算8年目で8回目となる引っ越しをした上林さんが、歴代住居の家賃を振り返り、思わずうなってしまったそうです。上海の不動産の高騰ぶりは尋常ではないよう。さて、株ブームが到来した1992年からはじまったというチャンインの「栄光の10年」。第46回は「豪遊生活のはじまり」です。

連載【とろんのPAI通信】

 今回は「桃源郷PAIの新天地 後編」です。MOON VILLAGEを離れたとろんさんたちが移り住んだ新天地NEW MOON VILLAGEとはどんな場所なのでしょう。木と竹と葉っぱでできている高床式の新居、目覚ましは建物の隙間から差し込んでくる光、美しく蛇行した小川……。PAIから早くも歓喜の歌が聞こえてきました。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 記念すべき第20回を迎えた「沖縄県黒島の日々」。今回のタイトルは「クマ被害」です。子どもたちに「クマさん」と呼ばれている若月さんが、黒島でクマ○○の被害にあったそうです。クマさんVSクマ○○。いやいや、クマ○○と戦ったのは二匹の猫でした。詳しくは本文で!

【上林早苗の『上海日記』】 第46回

豪遊生活のはじまり

 先日、上海生活通算8年目にして8回目となる引っ越しをした。なぜこれほど頻繁なのかといえば、不甲斐ない性格のせいで転職が多く(現在7社目)、そのたびに新しい職場の近くに越すというのがほとんどなのだが、この機にあらためて歴代住居の家賃を思い出してみて、思わずうなってしまった。月300元(約4500円)の部屋に住んでいたのが1998年。それが2004年には1500元(約2万2500円)となり、2006年には3100元(約4万6500円)に。そして、このたびの新居が3500元(約5万2500円)である。各物件の広さや立地の違い、物価や給料の上昇を差し引いて考えたとしても、ここ10年の上海の不動産の高騰ぶりはやはり異常だと言えるだろう。あと何年、この気ままな上海生活が続けられるだろうと悩む日本人の友人知人は近ごろ、少なくない。

 新中国成立以来、初めての証券取引所が上海に開業したのは1990年のことである。その2年後、鄧小平が「南巡講話」で株式制の試験的実施を提案すると、中国に空前の株ブームが到来。ここからチャンインいわく「栄光の10年」がはじまる。
 しかし、当時、株といっても今の中国のように気軽に手を出せたわけではない。証券会社では投資規模によって初期投資3万元以下の人のための「散戸室」、3万元から10万元の「中戸室」、10万元以上の大口投資者だけが使える「大戸室」に分かれていた。投資額からいえば当然「散戸室」クラスに属するチャンインだったが、例のごとく記者としてのコネとハッタリを頼りに八方手を尽くして、「大戸室」に潜りこむことに成功した。一人3台のパソコンと昼食付きという「大戸室」ならではの特別待遇も魅力だったし、何より「散戸室」ではプライドが許さなかったのである。

コンビニ前の井戸端会議(古北路)

 しかし、いざ「大戸室」に入ってみると、そこはまるで「ごろつきの集まり」だった、という。委託建設業者の成金社長に業界不詳の青年実業家、収入源不明の肉屋に、闇の両替商。日本留学の5年間で4500万円を稼いだと自慢げに話す者までいた。高等教育を受けて、いわゆるまっとうな道を歩んできたと思われる人間は一人もおらず、エリート大学卒で記者という自分の存在がずいぶん浮いて見えた。
 チャンインは仲間たちに見くびられないために専門用語を覚えることからはじめることにした。銘柄そのものが少なかった当時、株は企業名でなく銘柄コードの下3ケタで呼ぶのが投資家たちの常であり、たとえば「陸家嘴(ルージアズイ)」株を3万株購入したという話をしたい場合、「昨日、663(リウリウサン)を3万買った」と言えなければ門外漢と見なされたのだ。ほかにも「米一粒」が100元、「一挺分」が1000元、「一組」が1万元を指すなど、夜の業界用語と思われる隠語が山ほどあったという。しかし、幸い記憶力がずば抜けているうえ、職業柄、人当たりが抜群のため、すぐに輪には溶けこめた。
 何事も簡素化が好ましいと考えるチャンインは、複数の銘柄を同時に持たないことに決め、新たな銘柄を買えば、必ず別の銘柄を売ることにした。企業の年度報告やチャート分析には目もくれない。銘柄選択は名前が気に入ったからだとか、買い値の下一ケタがたまたま「8(発財=儲けること)」だからとかいうたわいない理由で決めた。
 「10元になったら2万株、買っといてくれ」
 両足をパソコン机にかけたまま、常駐の女性職員にそう声をかける。すると取引所にすぐ連絡が入り、数十分後にはパソコン画面で株価ラインが上昇するのが確認できた。中国の株市場を操っているという感覚がこの上ない快感だったという。
 そうして勘と気分とハッタリだけで売り買いした結果、わずか3万元の資金はいつのまにか50万元になっていた。以来、買い物や食事の時には一番いい品物や食べたい料理ではなく、「店内で一番高級なもの」を注文。賭けマージャンでも一晩に1000元や2000元負けたところで痛くもかゆくも感じないようになった。そうして成金チャンインの豪遊は徐々にエスカレートしていく。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第39回

桃源郷PAIの新天地 後編

 PAIの冬は12月から2月まで、3月と4月が一瞬の春、40度以上に高まる夏。そして、5月から10月までの半年間が虹多発の雨季。だから今、この11月は短くてはかない秋。まあ、冬と長い雨季の間に微かなる秋を感じられれば、ラッキーかもしれない。という意味では、11月23日の今朝はラッキーで、冬の寒さも雨季の湿り気もなくって、秋の朝。
 木と竹と葉っぱでできている高床式の我が家は、透明で美しく蛇行する小川を見下ろせるベランダがあり(写真)、そのベランダから部屋に入ると裏側の狭いベランダに通じる。その狭いベランダのすぐ下には小川から引いた水路が在り、ボクは毎朝、その水路で顔を洗ってなべや皿も洗い、大きなタライで洗濯もしている。どんなにたくさんの洗濯物があっても、ゆすぎがあ!!っという間にできるので、楽で楽しくってとてもシアワセ。水路で心行くまでゆすいで絞った洗濯物を、この裏のベランダに丁寧に干してゆく朝の作業がボクは大好きだ。滝へ通じる山道はこの水路と並行して走っているので、道から眺めるベランダに干された大量の洗濯物が、まるで無国籍の旗群のように見え、なぜだか心沸き立つのだ。
 ベランダから部屋に入って急な階段を上ると三角形のロフトが在り、ボクら3人はそこに身を寄せ合って眠っている。地上から一番離れた最も安全な処を寝床にするなんて、やっぱ、ボクら人間も知らぬうちに本能全開ということなんだな。そのことがなんだかとても嬉しい。
 電気がないので、葉っぱの屋根や竹の壁の隙間から差し込んでくる夜明けの光線を感じて目が覚める。毎朝、太一が一番先に起き、はるか、ボクの順。ここに移る前までの生活では、それがまるで逆だった。山に移ってきてからはじまったこの順番の変化が一番嬉しいのは何故???

新居ベランダからの太一ふーけい(竹がまだ緑色で生々しい)

 小川に下りる白い階段を作った。朝、この26段の白い階段を小説の主人公のように舞い降りて小川の中でうんちをするのが日課になった。流れ行くボクの細長い分身にちゃんとバイバイできるし、一気におしりも洗い流せるし、なんだか、動物じみたエクスタシーを感じる朝の瞬間だ。朝うんちをした同じ小川で、昼の最も太陽が強く輝く時間に、その強力な光線を全身に浴びながら素っ裸で水浴びをする。こーもんやおちんちんにその光の矢印が突き刺さる、またとない異次元快楽ふーけい。冬、PAIは5度以下になるときもあるけど、昼間太陽が出れば暑い!!! 沖縄の一番南の島々、波照間島や与那国島よりもPAIはもっともっと亜熱帯なのだから。
 我が家の周りはコーヒー園になっている。今が収穫の時期なので、愛妻はるかは赤く熟したコーヒー豆を収穫して干し、毎朝、皮むき作業に余念がない。このコーヒー園の中に、台所、厠、倉庫などが新居と並んでいる。この我が家のテリトリーを南に抜けると、ザボン園がはじまり、そのザボンの薄暗い森のトンネルを抜けてゆくと、あ!!っと明るく広い空間が拡がり、畑やちょっとした草原が出現し、そのはるか向こうには1700メーターの聖山ドイチーチョン(ボクは、くるくる三角山、と呼んでいる)を中心とした山々が背景を飾ってくれている。草原には牛、ヤギ、鶏たちがいて、そこを抜けてゆくとアーティストKEMさん&よしのカップルが住んでいる。彼らは家を全て自分たちの手で作っている。土の家で、まだまだ未完成状態の中、寒い冬が来ようとしている。
 二日前、あすか&ひでさん&麻陽ファミリーがPAIに戻ってきて、今日から彼らの新居の掃除がはじまった。旅人から住人に落ち着くまでには一カ月はかかるだろう。ボクらのコーヒー園からザボン園に入るあたりの小川の近くに、竹と木と葉っぱでできた新居が在る。この新天地には、今、3家族8人が住んでいる。タイでは面積を「ライ」という語で表す。1ライは1600平方メートル。ボクらの新天地は15ライの広さ。前のムーンビレッジに比べて約4倍の広い新天地。
 11月28日(金)大安新月の真昼に「新居祝い」をボクらの新居でやる。PAIに住むタイ人、日本人、西洋人の中でボクがあ!!!っと感じている人たち全員を招待する真昼の祝い事。PAIの魅惑存在たちと、山と川と大空の息づきの中、各自が持ち寄った食べものたちを囲みながら、笛タイコさんしん歌、歓喜の歌。

   毎日毎日わくわくドキドキはらはらとろん。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第20回

クマ被害

 「沖縄人」と書いて「ウチナーンチュ」と読む。沖縄の人は本土と沖縄の間に明確に線引きをし、沖縄以外の都道府県を「本土」、「内地」、「ヤマト」などと呼ぶ。
 これは、北海道同様、他府県と地続きでないことが大きい理由だと思われる。もっと細かく言えば、黒島を含む八重山諸島の人々は沖縄本島のことを「沖縄」と呼び、「沖縄に行ってくる」などと言って那覇に出かけたりする。つまり、沖縄本島との間にも、なんとなく線引きをしている。これは単なる距離感だけでなく、琉球王府による支配を受けていたという歴史認識もあると思われる。その琉球王府は、薩摩から支配を受けたことから、「沖縄」と「本土」の距離感にも歴史的な背景がふくまれているかもしれない。
 生物地理学上でも線引きがある。生物の分布によって種子島や屋久島と奄美諸島の間、沖縄本島と宮古・八重山諸島の間、与那国島と台湾の間などが線引きされている。
 さて、ここ黒島では、師走に入っても蚊が多く、職場では毎日蚊取り線香を焚いている。蚊取り線香のCMが「日本の夏……」などと宣伝していることから、日本の「蚊」は夏の風物であると私は思っている。このことからもわかるように、いまさらながら日本は細長く、南西のはじっこに住む者として、「本土」との違いを感じずにはいられない。
 違いを感じるのは気候や生物だけではない。同じ日本人でありながら、人種も違うと私は思っている。私が思う沖縄人の特徴は、髪の毛が黒くて目が大きく、二重瞼で鼻が低い。そして毛深い。
 沖縄の血が半分流れている私が合致する点は毛深さである。ヒゲも濃いが、胸毛を筆頭に体毛も毛深い。そのため、私は黒島では子どもたちに「クマさん」などと呼ばれている。体が大きく毛深い私は、クマと呼ばれても仕方がないと自分でも思っている。

我々が被害に悩まされたクマネズミ本人

 ところで、黒島をふくめ、沖縄にはクマは生息しない。ついでに言えば、サルも生息しない。しかし、伝承には線引きがないようで、クマやサルが登場する民話が沖縄にはある。これは本土や海外、つまりクマの存在する地域から伝わってきたことを示唆している。黒島にもクマに関する民話の聞き取り記録がある。存在もしない生物の話が語り継がれることがあり得るのかと思うが、聴取者によると、戦前に黒島を訪れた芝居巡業でクマが登場した影響だろうという。
 黒島に本物のクマはいないが、クマネズミは存在する。私の職場は日中は戸が開けっ放しであることもあり、クマネズミをよく目にした。飼育している生物の餌などが何度も被害に遭った。エサの入ったプラ容器をしっかり密閉していても、その容器をかじって穴を開けてしまうのである。引き出しの中に忍ばせていた菓子も何度もやられ、挙句の果てにパソコンのコードまでかじられるという深刻な被害が発生していた。
 かつて黒島ではたびたびネズミに収穫物をやられる被害が発生していた。大発生と呼ばれる甚大な被害が出た年もあったようである。昔の新聞で、ネズミの被害が発生した当初、役場からの駆除対策に従わずにカミツカサを集めて「願い」を実施してしまったという記事を目にした。「神頼み」をしているその間に、農作物を全滅させてしまった人々を厳しく批判した記事だった。黒島の人の信心深さとのんびりかげんには驚かされる。
 さて、私の職場でやりたい放題であったクマネズミであるが、こちらも黙ってやられつづけるわけにはいかない。私は5月から2匹のネコを飼いはじめた。ネコが好きであることが半分、ネズミ対策が半分だったが、ネズミ駆除の効果は抜群だった。おかげで、いまではクマネズミを見かけることも、被害に遭うこともなく喜んでいるが、もうすぐ終わろうとしている今年がねずみ年であっことにふと気がついた。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

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 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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