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『メルマガ北海道人』第96号 2008.11.20.―「北海道人」、冬の花を買って―

 多くの庭では、菊やバラなどわずかな種類を残し、今期の開花はほぼ終了したようです。最近の庭の主役は、縄でぎゅっと縛られたり筵(むしろ)で包まれたりしている木々です。ずいぶん寂しくなりました。外はこんな様子ですが街の花屋さんはどうでしょう。赤や緑、濃いピンクの花々が店先を飾り、一年で一番にぎやかなようにも感じられます。なかなかうまく育てられないクリスマスカラーのポインセチア、これまた管理が難しいシクラメン。今年もまた冬の花を一鉢買い求めてしまいそうな、緑不足のこのごろです。
 『メルマガ北海道人』第96号、冬の花みたいに彩り鮮やかな連載をのせて配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 古くから「親の死後3年は嫁をとらない」という言葉がある中国で、父チョンカンさんの死からわずか10日後に結婚披露宴を行ったチャンインは、いま思うとそれは若気の至りだったと――。一般市場に株取引の門戸が開かれた1992年、チャンインに転機が訪れます。第45回タイトルは「株式との出会い」です。

連載【とろんのPAI通信】

 PAI通信を読みつづけてくださっている方のなかには、一度PAIに行ってみたいと思っている人もいるのでは。今回は桃源郷PAIの新天地、NEW MOON VILLAGEへのとろんさん的旅の道のりを追体験できる内容です。おすすめ宿や快適なバスなどの情報もあります。ちなみに11月20日現在、1バーツは2.72円です!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 たいていのことでは驚かない! と思って読み進めるも、「えぇっ!」とおもわず声をあげてしまうのが「沖縄県黒島の日々」の凄さです。今回のキーワードは「のろし」です。ええ、「のろし」です。八重山の島々で次々と揚げられたのろしの理由は? 八重山でいったい何が!

【上林早苗の『上海日記』】 第45回

株との出会い

 全国的に見ると凶悪犯罪が少ないと言われている上海。しかし、年末になると、故郷で帰りを待つ妻子への「土産」が必要なのか、地方出身者による大胆な窃盗・強盗犯罪が増える。私自身、就寝中に自宅に侵入され、枕元の貴重品を盗られたことがあったが、つい先日、知人宅に入った盗人はなんと家人が起きている気配に気づきながらも、玄関の鍵を工具で開け、侵入してきたそうだ。幸い、大声で助けを求めると去っていったらしいが、その肝のすわりかたが何ともおそろしい。ニュースによると金融危機の影響で一部の工場労働者が解雇、または待機を言い渡され、春節前の帰郷ラッシュがすでにはじまっているとのこと。失業者の増加、帰郷がそのまま治安悪化につながらなければいいが、と思う。

 中国には古くから「守孝三年不得婚娶(親の死後3年は嫁を取らない)」という言葉がある。現代ではそこまで長くなくとも最低一年は喪に服して祝い事を自粛するのが一般的だ。ところが、チャンインはその常識を破り、父チョンカンさんが他界してわずか10日後、予定通りに自宅近くのレストランで知人親戚60人を招いての披露宴を決行した。当然、周囲からは進言や忠告、反対があったことだろう。しかし、そのことはなぜか記憶に残っておらず、覚えているのは披露宴で誰かが歌を歌っていたこと、新婦が赤いツーピースにお色直ししたこと、途中で友人の子どもが習字を披露しはじめ、主役の座を奪われたことしかない。
 どうしてもその日、挙式しなければいけなかったとか、常識を覆したかったとか、そうした明確で深刻な理由があったのかといえば、そうではなかった。父の死が悲しくなかったわけでももちろんない。むしろ、親の死と自分の結婚を結びつけなければいけない理由が理解できなかったために、あえて予定を変更しなかっただけなのだという。新婦は新婦で実家が手狭だったため、自分が一刻も早く嫁入りして家族の居住環境を和らげたいと考えていたといい、若い二人にとって合理的といえば合理的な決断であった。

団地で洗濯物を干す人(茅台路)

 しかし、若気の至りだった、とチャンインはいまになって思う。葬儀用の「豆腐飯」を食べた10日後に祝杯を交わすことは、どう考えても父への配慮を欠いた行為だった。翌年、二人に女の子が誕生。文系の夫と理系の妻に間に生まれたことから「理文」と名づけられたが、生活習慣や価値観の違いなどをめぐって夫婦間のいさかいは絶えることがなかった。
 「あの世でへそを曲げた父が邪魔をしているのではないか」
 「祝福されていないのではないか」
 チャンインにはことあるごとにそう思えてしかたなかったという。
 有償記事新聞で生計を立て、家計を支えるチャンインに転機が訪れたのは1992年。鄧小平が歴史的な南巡講話のなかで株式制の実験を提唱した年のことである。それまでも取材で「老法師」と呼ばれる国民党政権時代の株トレーダーと知り合い話を聞くうちに、株というのは自分の人生を変えてくれるものという漠然とした予感があったが、そのときは株式市場が未確立で、一般人にとって株はまだまだ遠い世界のことだった。
 ところが1992年、鄧小平のひと言で一般市場に門戸が開かれると、たちまち株が大ブームになった。体育館や学校に設けられた受付窓口に購入希望者が殺到し、夜通し行列に並ぶ姿があちこちで見られた。資産を増やそうと真剣に考える人、株が何であるかを知る人がそのなかにどれだけいたかわからない。昨年や一昨年、中国全土に広がった株ブームとはやや異なり、当時はとにかく「投資家」というステイタスがほしい人や、流行に乗り遅れたくない人が盲目的に株の世界に飛びこむケースが圧倒的だったという。自分がまさにその一人だった、そうチャンインは認める。一度入ったが最後、抜け出せない魅惑的な迷宮。全財産と家族の生活を賭けた新たな人生がはじまろうとしていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第38回

桃源郷PAIの新天地 前編

 成田からフライトして、右下に富士の山を観下ろしながら西方へ向かう。リッチな機内食を一回、数時間後にスナックを一回食べると、すでにインドシナ半島の上空。バンコクの新国際空港からエアーポートバスに乗って、大都会クルンテープ(バンコクのタイ名)のカオサンロードに入る。ボクらはカオサンの騒音と人ごみを避けて、屋上や一部の部屋からこの大都会を貫く大河(チャオプラヤー)を眺められる常宿の「RIVER LINE」ゲストハウスに直行する。この大河を眺められる広い角部屋、408号室が空いていて、300バーツ(900円)。
 そして何泊かして、時差からくる旅の疲れが癒されたころ、チェンマイへ向かう夜行寝台列車に乗り、山岳地帯に向かって北上する。上段下段の二つのベッドをとると、窓側の向かい合った二つの席が確保できるので、カップルやボクらのような小さな子連れのファミリーは、とても快適でムードある旅ができるのだ。チェンマイでも常宿が在り、バスタブ、テレビ、冷蔵庫まで付いていて250バーツ(750円)の「KRISTI」ハウス。都会で常宿があるのとないのとでは全く違った旅になる。
 以前は時間と労力をかけて自分の足でアチコチ探し回ってはいろんな安宿に泊まってきたけど、そしてそれが楽しみだったけど、いまは、自分が時をかけて辿り着いた常宿へ直行して、そこで我が家のようにくつろぐ方がもっと楽しい。以前ならチェンマイに行くにも寝台列車など目もくれなくって、昼間、北に向かう適当な鈍行に気が済むまで乗って気に入った町に降りて気が済むまでその町に滞在し、またゆっくりと北上するという旅だったけど、なんだか、これは男女関係に使うエネルギーによく似ていて、究極のパートナー、或いは“片割れ”に出会うまでの狂気の試行錯誤、或いは求愛活動の歴史の後、愛妻はるかとともに歩むいま、他の魅惑の女存在へ向け行くエネルギー量がぐん!!っと減少しているようなものだ。
 この常宿「KRISTI」ハウスでピックアップしてくれるPAI行きのミニバスに乗る。以前は、わざわざバスステーションまで行って、席があるかないかと心配しながら安いローカルバスに乗って4時間かけてPAIまでのんびり行っていたけど、太一が産まれてからは少し高めのクーラーつきのミニバスにしている。ドライバーの後ろの3席を予約しておけば、一列すべてボクらのSPACEで足もうんと伸ばせ、太一も横になって眠れるし、途中、トイレでどこでも止まってくれるし、3時間でPAIに着き、自分の目指すところまで運んでくれるのだ。

太一の“おかちゃん”、ボクの“片割れ”、PAIの華

 PAIでは前のムーンビレッジの道路向かいに、女友だちの“ゆう”が運営しているSPACE「夢蝶(ゆめむし)」という面白い安宿があり、現時点ではここがPAIでの日本人の溜り場になっていて、新天地NEW MOON VILLAGE の入り口にもなっている。NEW MOON VILLAGE をたずねる旅人はここで新天地への道を尋ねたらいい。
 ボクらの新天地はPAIの町中や郊外の「夢蝶」から北方に10キロ、バイクで30分の山中に在り、PAIの盆地で最も古い村(ヴィエンヌア)を抜けてゆく。新天地からバイクでさらに30分山に入り、森の中を歩いて2時間も行くと、神秘の滝「ナムトック フアチャン」(象頭の滝)が在り、この聖なる滝へお参りする巡礼の道の途上にボクらの新天地が在るのだ。昔はボクらの新天地にはレンガ造りの巡礼者への「もてなしの館」が在って、今は瓦礫の山になっているけど、ボクはこの運命の巡り合わせのなかで、無意識に突き動かされながら聖なる滝への巡礼の道での「もてなしの館」を復興しようとしているのかもしれないな。
 その神秘の滝から流れ下る小川(メナム ムアン)沿いにボクらの新天地は在り、この小川から引いた水田用の水路と滝に向かう山道とが平行しながらボクらの新天地を貫いて走っているので、ヴィエンヌアを抜けてから右折して山に向かう道に入ると、あとはただこの用水路に沿った細い山道を5キロも走れば新天地に辿り着く。「ワット プラプッタ バーツ」というこの辺りを司るお寺までは舗装されていて、あとの新天地までの3キロの山道は野となれ花となれ、だ。
 次回の「後編」では新天地NEW MOON VILLAGE の風景描写、ボクらの生活風景を描いてみたいな。小川に下りて、朝一番のウンチをする「歓喜の歌」を歌ってみたいな。

   岡山にかえりたくなくなっているアブナイとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第19回

「のろし」の実験

波照間島と新城島を見つめる島民たち

 沖縄の島々には石を積み上げた高台が存在する。これは通称「火番盛(ひばんもり)」と呼ばれるもので、かつては付近を航行する船を監視し、のろしを揚げて他の島へ伝達する見張り台と通信施設を兼ねていたらしい。この「火番盛」は各島によってその呼び名が異なり、黒島の場合は「プズマリ」と呼ばれている。この「プズマリ」は石が螺旋状に積み上げられており、高さは9メートルで、黒島が最も高いとされている。最高標高が13メートルしかない平坦な島だから高くしたのかもしれないし、サンゴが隆起してできた岩だらけの島なので、材料の石が豊富だったからかもしれない。学校の敷地内にもプチ「プズマリ」があり、戦時中はこの「プズマリ」の上にやぐらを組み、敵機の来襲を知らせたという。
 昨年の11月、島々にあるこの「火番盛」がまとめて国の史跡に指定されたことを受け、教育委員会の主導で「烽火(ほうか)リレー実施検証」なるものが行われた。実際にのろしを揚げてみて、うまく伝達できるか試してみようということである。
 文献によると、唐船や大和船、外国船などの違いは、のろしの本数を変えて伝達していたようである。
 各島々で「烽火リレー」の準備が進められた。律儀に予行演習を実施した島があるようで、「ソテツの葉が白い煙が出やすいらしい」という情報が入り、本番前日にソテツの葉を集めた。
 本番当日、のろしという原始的な実験の開始、つまり点火のタイミングは、携帯電話という現代的な通信手段でやりとりすると決定されていた。
 人が住む島としては国内最南端となる波照間島(はてるまじま)や、人口わずか数名で黒島のすぐ近くにある新城島(あらぐすくじま)ののろしを肉眼で見ようと、黒島島民は海岸で南と東に浮かぶ二つの島を交互に眺めていた。各島で存在感を放つ「火番盛」で実際にその機能を試すという企画は、島民たちの心に響いたようで、動員させられるいつもの行政のイベントと違い、人々の関心が高かったように私は感じた。
 携帯電話の情報で、「波照間島からはのろしが順調に揚がっているらしい」と伝わり、海岸の人たちは波照間島を目を凝らして見ていた。双眼鏡でじっくりと探してものろしは確認できなかった。すぐ近くの新城島から揚がったのろしは、かろうじて見えた。昔の人はよほど目が良かったのか、はたまたのろしを熾すのが上手だったのだろうか……。一方、黒島から揚げたのろしは波照間島から見えたと、後日、波照間島へ出張に行った折に聞かされた。

のろしを上げる様子。背景にはプズマリがあり、手前には灯油缶が……

 それもそのはず、実施要領には、検証なので化学物質の使用は避け、島内で採れるマキを使用するようにとあったが、黒島で揚げられたのろしには灯油などの化学物質が投入されたのである。おまけに今回のろしを揚げた場所の反対、北側に位置する竹富島や小浜島にもしっかり見せてやろうと、島の北側からものろしを揚げるという大サービスをしたので、竹富島や小浜島からは見えたらしい。黒島の場合、「のろし」ではなく、「人々の想い」が届いたといったほうが適切かもしれない。
 黒島は実施要綱を破って灯油などを投入した。現場とは、机上の議論で決められた思惑通りに進まないものだろう。この実験ひとつ見ても、中央集権の難しさを感じてしまう。いくつもの島々からなる竹富町は、島によって面積や人口が異なる。また、文化も言葉も少しずつ違っている。島々のバランスを取ることに、行政は苦労しているようだ。石垣市と竹富町の合併の話がたびたび出てくる。合併してしまうと、バランスを取ることがさらに難しくなってしまうのではないだろうかと私は思う。
 ところで、他の島々は実施要綱通りにのろしを揚げたのであろうか。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

北海道人特集「となりの北海道人」を更新しました

丑年の春が楽しみ!
〜「私のお父さん」 in 斎藤牧場(上)〜

 牛乳は文字通り牛の乳である。乳を出すのは子どもを産んだ後の雌牛で、子どもを宿すには雄牛が欠かせない。こうした当り前のことを、私たちはつい忘れてはいないだろうか。また、牧場といえば、白黒模様のホルスタイン種の群れを思い浮かべる。しかし、ほとんどの場合、そこに雄牛はいない。

つづきはこちらから
北海道人特集 「私のお父さん」in 斎藤牧場(上)

次号予告

 次号配信は11月27日(木)。11月最後の配信となります。1896年11月27日は、R・シュトラウスの指揮で交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」がはじめて演奏された日だそうです。パーン、パーン、パーン、ジャジャーン、ドンドンドンドンドンドンドンドンドン♪
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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