メルマガ北海道人

HOME > 第94回

『メルマガ北海道人』第94号 2008.11.6. ―「北海道人」、街にも初雪が―

 11月4日、札幌や道内の多くの街で初雪が降りました。雪が吹きつける朝、子どもたちと何かの準備をしていた幼稚園の園長先生は満面の笑みを浮かべていました。「寒くていやだわ〜」と言う人も、「ついに降っちゃいましたね」と言う人も、なぜか笑顔でいつもよりハイテンションでした。みんな雪を待っていたんですね。
 『メルマガ北海道人』第94号、お待たせしました! 七日ぶりに配信します!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 チャンインが結婚を意識しだしたのは26歳のとき。知人に女性を紹介され、二つ返事で交際をスタートさせました。二人の交際は順調にすすんで結婚話が浮上、挙式準備が行われているときに父チョンカンさんの体調に異変が……。「上海日記」第44回のタイトルは「父の死」です。

連載【とろんのPAI通信】

 電子辞書によると「悟り」とは、「迷いのない真理に到達した状態」。辞書「とろん」にはもっと具体的に説明が書いてあるそうです。2歳3カ月の太一くんはすでに悟りの状態で生きている! もしかしてこの世は、悟りの……いや地獄の……いやいや天国の……。今回は浮き沈み無重力状態を体感できるPAI通信です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 今回の原稿が送られてくるときに黒島のADSL回線にトラブルが生じました。原稿の内容は、電圧や海底送電線や電波などについてでした。原稿内容が回線に何らかの影響を及ぼしたのではないかと考える、若月さんとメルマガ編集部です。みなさんもコラムを読んで、原因究明にご協力を!

【上林早苗の『上海日記』】 第44回

父の死

 ここ1年間で中国の投資家の平均損失額は一人あたり38万元(約570万円)というニュースを見た。えっと驚いて経済ニュースサイトを見ると、上海総合指数がいつのまにか1728ポイントにまで落ちている。確かに去年のピーク時、つまり6000ポイント前後で買った人からすれば悪夢のような数字だろう。そういえば2カ月ほど前、「庶民の株神」「小さなノストラダムス」と呼ばれる上海の株価予想者にお会いする機会があったが、その時、彼は「1777前後を底値として2、3年は低迷が続く」と断言していた。予測が正しければ、そろそろ下落は止まるということになるが、世界金融危機が襲う今、それも楽観的な考えかもしれない。「株は儲かる」と固く信じてきた中国の株ビギナーたちにとって眠れない日々が続いている。

 チャンインが結婚を意識しはじめたのは26歳の時、だという。当時の上海の結婚適齢期は今よりずいぶん早いから26にもなっていい人がいないということは人間性に問題があるのではと思われそうで、どうにも我慢がならなかったらしい。だから1989年、一歳年下の女性を知人から紹介された時には、二つ返事で交際をスタートさせた。すっと整った顔立ち、清楚な雰囲気。そして上海工業大学卒で紡績工場のエンジニアという肩書きに何より興味を引かれた。完全な文系人間のチャンインには理工系という未知の世界に生きる彼女が神秘的に思えたのである。交際が1年半ほど続いた後、二人の間で結婚話が浮上、挙式の準備が着々と進んでいった。
 父チョンカンさんの体調に異変が現れたのは、そんな矢先のことだった。禁煙したにもかかわらずせきが止まらず、原因不明の高熱が続く。おかしいと思って病院へ連れて行くと、すぐに本人抜きで主治医から話があった。医師はレントゲンフィルムを見せながらこう言った。
 「ほら、帯状の腫瘍があるでしょう」
 素人目にも黒い影が一列の線になっているのが見える。肺がんの末期、余命一カ月だという。
 チャンインたちはとても本人に真実を告げられなかった。老いた父を絶望させるのは忍びないし、それに気落ちすれば生命力も落ちてしまう。しかし、病状は目に見えて悪化していった。見舞うたびに頬がこけ、顔が土色になってくる。じき食事も受けつけなくなり、会話もできなくなった。

世界遺産・望楼のなかで弁当を食べる職員(広東省開平)

 宣告から2カ月目を迎えたある日の真夜中、母から電話があった。
 「今すぐ来なさい」
 一番仲のよかった男友だちをたたき起こし、病院に駆けつけると、すでに父の意識はなかった。しばらくして点滴が落ちなくなると、チャンインは反射的に時計に目をやった。1990年4月5日、午前3時40分。中国では一番「陰気」が強い時刻、人がよく死ぬといわれる時間である。
 チャンインは外に飛び出すと、走行中の農業用トラクターを大声で呼び止めた。父の妹を中山公園近くの自宅まで迎えにいかなければいけない。礼金の折り合いがつくと、荷台にチャンインを乗せたトラクターはバタバタとけたたましい音を立てて走りだした。その時に見た暗闇の上海を今でも忘れられないという。
 遺体には大きな丸模様があしらわれたダブダブの死に装束が着せられた。親の死を悼むための白い麻布を腰に巻いたチャンインは、死者のための対句「挽聯(ワンリエン)」を書いてから棺に父の好きだった中国将棋の駒と扇子を入れた。かたわらでは母シューリャンさんが呆然と立ち尽くし、涙一滴も見せないでいる。そのかわりに葬式があると呼ばれる「泣き女」たちがチャンインから聞いた故人の苦労話を元に、泣きわめきながらこう叫んでいた。
 「ウウウウ、大人になるまでビスケットを見たことなかったよねえ。そのぐらい貧乏だったねえ、苦労したねえ、ウウウウ」
 チャンインは吹き出すのをこらえるのがやっとだった。
 祭壇には入院直前、ひそかにチョンカンさんが撮影していた遺影用写真が飾られ、家族を驚かせたという。病名を隠したつもりでいたが、本人には死の予感があったのだろう。その昔、故郷・蘇北を離れ、上海の汪精衛傀儡政府に仕え、医者の家にと「婿入り」した父。享年69歳と決して長寿ではなかったが、その世代の人間としては平穏で恵まれた人生を送り、満足だったのではないか。チャンインはそう思っている。
 そして父の死からわずか10日後、チャンインは周囲の反対を押し切り、結婚披露宴を強行開催する。これはその後、彼の人生でもっとも悔やまれる決断の一つとなる。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第37回

もしかしてこの世はすでに天国?

 この間、愛妻はるかの電子辞書で「悟り」を探索してみたら「迷いのない真理に到達した状態」と説明していたけど、ボクだったら、もっと具体的に「枠や限界感覚がなくって、善悪美醜上下左右男女を越えた好奇心、或いは愛、に満ち溢れた状態」とか説明しちゃうな。
 このボクの説明が的を射ているとしたら、2歳3カ月に成ろうとしている「太一」などは、日常的にフツーに悟った状態で生きていることになる。この3次元世界に産まれ出て、何歳になるまでこの悟った状態がつづくのかはわからないけど、全力を挙げてボクらを巻き込み、時間とエネルギーと経済力を奪いながら成長してゆく様は、この世の大人たちの世界を想起してしまう。大人たちは、まさに仕組まれたように、幼児期の悟り状態に向かおうとする「回帰本能」のようなものに突き動かされながら、この世界を作っていく。
 太一は、新幹線やシャベルカー、飛行機、ヘリコプター等が大好きで、大人たちは悟り状態の小さな子どもたちが、よりエクスタシーを感じ遊べるモデルをこの世にせっせと産み出そうとする。太一はモノを壊すのが大好きで、相手と戦うときは目を輝かし、スーパーでは好き勝手に手にとっては平気で自分のものだと思ってしまうし、わざと危険なことをして喜ぶ。大人たちは戦いが好きで、戦争の名の下に、人の土地や国を平気で侵略し、破壊し、人を殺し、略奪し、社会や法律の名の下に、ドロボーや詐欺のような手口で生活を営み、危ない登山や冒険を好み、命がけのスピードレースをしたりする。
 太一は、ボクが元気のないとき、ボクの肩をたたいて「まっいいか」「おかちゃんがいるからだいじょうぶ」「まあまあだなあ」とかいっては大人のように元気づけてくれ、「はいどうぞ」といってほかの子どもにおもちゃをあげたり、ボクらが嫉妬するほどほかの見知らぬ人になついて、別れるとき「いかないでねえ」「一緒にいく!!」とか叫んでは、ほんとに涙を流すのだ。そして別れてしまうと、あ!!っと忘れてほかへ向かってゆく。大人の中にも、ただ生きているだけでひとを元気づけてくれる人もいるし、本や絵やありとあらゆる手口でひとの魂を揺さぶりゆく人もいて、大人たちも別れでほんとに涙を流したりする。そして、いつの間にか、時とともに笑顔がもどってくる。もしかしてこの世はすでに悟りの世界?

ボクら「運命号」のPAIロット「太一」、いつでもどこでも、くるくるすまいる

 10月15日満月のフライトでバンコクに着いたとたん、この大都会を潤す大河「チャオプラヤ河」沿いの公園で、ばったり15年ぶりの男友だちに再会したと思ったら、その30分後に路上で2年ぶりの女友だちと遭遇してしまった。2年前には妊娠していて、今回は子連れでインドへ向かう途上だった。バンコクに3泊し、夜行寝台列車で北上した古都チェンマイでも3泊し、桃源郷PAIに向かう22日半月の朝、4本の大木に囲まれた古いお寺でお参りしていると、西の山から巨大なレインボー! ミニバスで3時間かけて、夕方、山の中のPAIのオーラに入るや否や、今度は、東の山に大きく弧を描くダブルレインボー!!
 あまりの出来過ぎな展開に子どものようにはしゃいで、まずは町外れのゲストハウスに泊まって、旅の疲れを癒そうとしたら、翌朝、季節はずれの洪水がPAIの町を襲い、PAIに架かる竹橋4つ全部があ!!っと流されてしまった。平年は8月、9月に何度もやってくる洪水なのに、昨年は一度もなくって、今年は5月に2回と、この10月下旬に一回だけという異常な季節はずれの洪水。早朝のこの洪水風景を目にしたとたん、ボクの中の何かのスイッチが入って、一気にネガティブな方向に沈みはじめ、すべての風景がモノクロ化してしまい、眠れないままの絶不調な朝を迎えてしまった。もしかしてこの世はすでに地獄の世界??
 愛妻はるかも太一も蒼ざめたボクを心配してくれて「源泉へいこう!」「おとちゃん、だいじょーぶ」とかいって、3人で、まずは、森の中の温泉へ向かう。温泉で身がほぐれた後、昨年の49日間の祭り「たましいのかくじっけん」での願いであった65年前に日本軍とPAI人で作った壊れかけの鉄橋の修復が実現していて、多くの旅行者たちが何も知らずに歩いて渡っている風景を目にしたとたん、再び何かのスイッチが入って、光が差し込んできたのだ。そしてその後、山の中の新居に4カ月ぶりに辿り着いてみたら、ムーンビレッジから移植した「太一の木」(太一の出産時に、はるかの胎盤と一緒に植えた記念樹)に黄色い花が一輪咲いているのを目にしたとたん、あ!!っと、心もほぐれ、いつもの「ダイジョーぶ」とろんに戻って、なんだか、ほんとに、ほ!!っとしたな。もしかしてこの世はすでに天国???

   浮き沈みが大好きなとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第18回

見えにくい問題――電圧と海底送電線、電波そして愛

 私が勤める黒島研究所は全国から大学生を受け入れており、研究テーマや実習内容によっては長期間滞在する学生もいる。
 最近の大学生は、ちょっと前までの学生が持っていなかった携帯やデジカメ、ノートパソコンを持参する。それらの充電のため、学生1人に複数のコンセントが必要となり、学生が多く滞在するとコンセントの争奪戦となる。築30年を過ぎたボロボロの研究所で彼らを受け入れるにあたり、それは頭の痛い問題である。同様に昔からある民宿などでもコンセント数が宿泊者に対して不足しているのではないかと思う。
 研究所ができた1975年ごろ、電気は島で発電されていた。現在は海底送電線で石垣島の発電所から竹富島を経由して黒島に電気が供給されているため、電力は安定供給されていると思っていた。
 数年前、研究所でリースしているコピー機を新機種に変えた。高性能のコピー機に喜んだのも束の間、作動しないことが多く、業者を呼んで原因究明を求めた。原因は電圧の低さであることがすぐに判明した。配線工事をし、コピー機用のコンセントを設置して対応したものの、それでもギリギリの電圧らしい。
 この低い電圧を解消するには、海底送電や変電所など現在のシステムをそっくり取り換える必要があるらしく、簡単にはできないらしい。同様の問題は島々の学校でも発生しているようで、教職員それぞれがパソコンを使用するために各学校では慢性的なタコ足配線と、前述した電圧不足による問題があるそうだ。高性能の機械は電圧に敏感らしい。便利な機能が増えたが、島ではかえって不便になってしまった。

海底送電線から集落を結ぶ電線。おととしの台風ではここの電柱が倒れて停電が長引いた

 また、停電になったときは黒島に原因があるのか、送電線が経由している竹富島に原因があるのかが問題となってくる。黒島が停電して竹富島が停電していないということはあるが、その反対は無い。経由地の竹富島が停電すれば黒島には当然、電気が来ないのである。停電は台風や落雷によるものが多いが、クリアランス船がイカリを下ろして海底ケーブルを切断する事故もある。クリアランス船とは、中国と台湾などは直接貿易できないことから、第三国を経由し、通関手続きをして目的地に向かう形態の船のことである。クリアランス船が寄港するのは石垣島である。石垣港沖には常に中台間の貿易を目的とした大型のクリアランス船が停泊している。クリアランス船の寄港地には寄港隻数に応じてトン譲与税交付金が入るので、石垣市はクリアランス船を歓迎している。一方、投錨によって漁場を荒らされる海人やケーブル切断事故を恐れる電力会社はクリアランス船の寄港を嫌がっており、中台間の関係が良くなって直航が可能となることを望んでいるようである。
 つづいては携帯電話事情について。私が黒島に来たばかりの2003年、島で通じる携帯電話はNTTドコモだけで、それ以外の携帯を持つ観光客から電話を使わせてくれという依頼がよくあった。携帯によるメールでのコミュニケーションが当たり前の世代である学生にとっては大変な問題のようだった。特に交際相手のいる学生は、愛情も電波の影響を大きく受けるようで、石垣島からかすかに届く電波を利用しようと、海岸へ通ってメールをしたり電話をしたりと忙しそうだった。こんな携帯電話の時代だからこそ、手紙や葉書のほうがかえって効果的なアピールになると思うのは私だけだろうか……。その後、auのアンテナが建ち、つづいてソフトバンクのアンテナが建ったことから、研究所から2キロ以上離れた海岸へせっせと通う学生の姿はもう見られなくなった。
 しかし、最近は彼氏彼女がいない学生の割合が増えている。生物の繁殖がどうのこうのと調べたり論じたりする学生たちが、自分たちの繁殖や求愛行動に興味がなかったり、消極的なのはいかがなものか。自分自身のことを思いっきり棚に上げながら心配している。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第41回】

お父さんの話を通じて見えてくるものは、親子関係だけではありません。お父さんが生きた時代や地方の歴史も見えてくるからすごいんです。

今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「仕事と父親業の両立は難しそう」
「時代の荒波の中で生きた」
「貧しかったけれど心豊かだった時代」
「おやじは素晴らしい自由人」

となりの北海道人「私のお父さん」第41回

次号予告

 次号から新連載「SAPPORO MUSIC LETTER」がスタートします。コラムを書いてくださるのは、音楽情報WEBマガジン【SAPPORO MUSIC NAKED】編集長の橋場了吾さんです。北海道でのライブを間近に控えたミュージシャン情報を隔週でお届けします。第1回目にご紹介するミュージシャンは、つじあやのさんです。お楽しみに!

 第95号は新連載に加え、中国の最新情報がわかる北京在住カメラマン岩崎稔の「大陸人の時間」と、写真機携帯症患者の病状が回を重ねるほどに明らかになる編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」、好評2連載を掲載して11月13日(木)に配信します。
 
※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ