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『メルマガ北海道人』第92号 2008.10.23.―「北海道人」、高い空を飛んでいるのは―

 空が高く感じられるようになってから2カ月以上たちました。札幌ではここしばらく秋晴れがつづいているので、空を見上げる回数も増えているような……。晴天のある日、バタバタバタと物々しい音が上空から聞こえ、見上げるとドクターヘリが飛んでいました。ヘリが視界から消えたあと、さらに高いところをカラスが飛んでいきました。急いでいるように見えました。空では何が起こっているのでしょう。たまに見上げなければ空の事情をつかめなくなるかもしれません。
 『メルマガ北海道人』第92号、地に足つけて空に気をつけて配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 今回は、天安門事件の混乱が収束し、「全国民のビジネス界参入」のスローガンが叫ばれていたころの話です。上海に戻ったチャンインたちは有償記事新聞を創刊しました。「同墓地に入れば、あの世でとびきりの空気を吸えるだろう」。これはチャンインが書いた墓地の記事です。第43回は「札束と文学」。

連載【とろんのPAI通信】

 バンコクに飛び立つ4日前に早々と上京し、愛妻はるかさんや太一君と別行動をとったとろんさんは、女友だちと原宿で合流して、なんと帽子ファッションショーに参加することになりました! 「good」タイミングは「GOD」タイミング。フライト直前のPAI通信に奇跡の連鎖が見えてきます!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、表土が薄く、雨水は地下に浸透するため川がありません。それなのに黒島にはダムがあり、コイがいるそうです。コイはどこから、ダムはなぜ? ああ、また一つ黒島の秘密を知ってしまう……。

【上林早苗の『上海日記』】 第43回

札束と文学

 ここにきて中国でも不穏な空気が流れている。これまで「世界がどうなろうと中国だけは不景気知らず」「オリンピック後、経済は好転する」と根拠のない確信を持っていた市井のへそくり個人投資家たちも今回の世界的な金融危機騒動で、ようやくそのことに気づきはじめたらしい。個人レベルでは高価な買い物を控え、株には近づかずにいるぐらいしかできないが、中国に進出する日本企業も経費削減に全力を挙げ、なかには撤退する会社や、その影響で夜逃げする中小企業も増えていると聞いた。これからどんな変化が起きるのか、見守っていきたい。

 海南島から帰って以来、チャンインの仕事はトントン拍子に進み、仲間と隔週の有償記事新聞『上海市場信息報』を創刊した。ちょうど天安門事件の混乱が収束し、その影を払拭するかのように中国で「全民下海(全国民のビジネス界参入)」のスローガンが叫ばれていたころの話である。
 取材先はコーラの栓工場から墓地まで、実に多岐にわたっていた。少し変わったところでは練炭工場だろう。当時の経済体制下では生活必需品の市場を国が管理していたので、練炭の宣伝で契約を取れるとはチャンイン自身、思わなかった。「練炭の火をうまく燃え盛らせるには」などと豆知識が書かれた記事は非常に興味深かったという。結局、支払いの段になって先方が1000元は現金で払うが、残りの2000元分は現物、つまり練炭で払いたいと申し出て、問題となった。練炭2000元分といえば事務所に入りきらない量だ。結局、500元の現金をもらうことで決着が着いたという。
 それより正気の沙汰とは思えないのが、チャンインの書いた上海初の民営墓地の記事である。
 「同墓地に入れば、あの世でとびきりの空気を吸えるだろう」
 「現世で味わえなかった幸せが土中で手に入るとのことだ」
 極めつけは読者特典で、記事持参なら格安で墓を買える、というものだった。

1930年代に外国帰りの華僑が故郷に建てた望楼(広東省開平自力村)

 収入源は何も契約金だけではない。「うまく書いてくれ」とチップ1200元をポケットに押しこむ農民企業家がいれば、500香港ドルを握らせて「これで茶でも飲め」という香港かぶれの社長もいた。ある年の春節前には突然の訪問客が自宅にニワトリ2羽と魚の干物、豚足を届けたという。帰宅して驚くチャンインに母シューリャンさんは報告した。
 「知らない人が喬記者のお宅ですかと訪ねてきて、置いていったのよ」
 送り主が取材先だったことはまちがいない。
 当時の上海市委宣伝部長・陳至立は公式の場で新聞業界の腐敗ぶりを批判し、こう言ったそうだ。
 「今どきの記者というのは、テレビが欲しければテレビ工場を取材する。けしからん」
 もっともな指摘である。チャンイン自身、家族が「マフラーを新調したい」とつぶやけばマフラー工場を取材し、家のオーディオコンポが壊れたなら音響機器工場を記事にしていた。目的はもちろん取材帰りの「土産」。取材はあくまで物品獲得のための口実だった。しかし、慣れというのは怖いものである。チャンインもそのうち金を出して物を買うことがバカらしくなり、空腹を感じると通りがかりのレストランに入って取材だと偽って飲食代をタダにさせることもあった。ポケットに分厚い札束があるのに、である。
 このころになると学生時代あれだけ好きだった文学は遠い存在になっていた。時おり読んだとしても『新民晩報』の文学欄ぐらいのものである。しかし、作家になるという夢を完全にあきらめたのかといえばそうではなかった。チャンインいわく、経済政策が緩和され、商売のチャンスが広がるなかで商売人にならずに新聞や雑誌にこだわったのは将来ちゃんとした文学をするため、有償記事の文末にいつも本名ではなくペンネームで署名したのは作家になった時に恥をかかないため、また同窓生に商業記事を書いていることを知られたくないためだった、という。匿名の有償記事で儲けることは、金銭欲と作家になる夢との間の妥協点であったらしい。働かずにすむほどの大金が貯まったら、いい小説を好きなだけ書ける。今にその日が来るにちがいない。そう信じて一年、二年と月日が流れていった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第36回

日常的相対性とろん

 10月15日満月のフライトでバンコクへ飛ぶ。早々と11日に上京し、ボクはその足で女友だちと原宿で合流した。愛妻はるかと太一は飯田橋で下車し、新潟県長岡から上京した母と東京笹塚に住む二つ年上の美人の姉と合流した。フライトまでの日々、お互い別々に東京での濃い時間を過ごすのだ。
 人の生は長くも短くも長くって、死に行くまでの生のうねりの中で「good」タイミングな瞬間というものに何度も救われたりする。偶然なんかじゃない「GOD」タイミングという瞬間だ。その女友だちとの合流も、まさにその「GOD」タイミングで、その日、彼女は帽子のデザイナー「るーちゃん」がオーガナイズした帽子ファッションショーに参加して、渋谷から青山通りや表参道などを歩いていたのだ。
 演奏しながらの路上アート・ハプニング・ファッションショー。彼ら50人ぐらいの奇抜なパーフォーマンスグループの流れと、岡山から新幹線に乗って上京したボクの流れが、おおいなるなりゆきで、土曜の賑わう表参道の最高の盛り上がりの渦の中で合流したのだ。その女友だちだけでなく、たまたま必然、多くの友だちたちも奇抜な帽子をかぶって参加していて、上京直後フライト直前に、あ!!っと懐かしの再会ができ、ボクもそのままファッションショーに参加し、そのデザイナーの家で最終電車まで過ごしたのだ。10年以上も会ってない友だちもいて、なんだか、その満月に向かう風の強い夜のパーティーで、その「なりゆき力」にお互いがインスパイヤー、鼓舞され元気になり、またもや救われた夜。
 自分の生き様がこのままでいいんだということ、こんな自分のどうしようもない生き様をこのまま続行してゆくことこそ、人に伝わる「なにか」を知らぬ間に放っていけるのだということ。岡山での介護生活もPAIでの活動も、正直言って「行ったりきたりして何やってんだろう」と?マークが出てきていた時期なので、なんだか、今回のこの「good」タイミングも、またもや「GOD」タイミングになって救われたな。

一瞬先は光!!!

 ボクの母はボクが7歳のときにやって来た継母で、ボクの記憶の中では父も含めて悪い印象ばかりで、そういう息の詰まるような家庭の雰囲気から「一刻も早く」「できるだけ遠く」に離れたくって15歳からボクの旅がはじまったのだから、シアワセな今になってみれば、彼ら両親に感謝しないではいられない。
 年月が経って彼らの介護生活がはじまって岡山に帰り、地元の素晴らしさに驚いたり、新しい人間関係の中で光に向かって展開してゆこうとしている今、かつては嫌っていた両親に対して「子は親を選んでこの世に産まれてくる」のではないかと思うようになってきている。人の運命は不思議さに満ちていて、まさにイノチのセッションだな、とも思う。自分の強い「想い」の核が自分の関わる現実を「形」作ってゆく。ボクが父や母や人に否定的支配的な想いを持てば父母や人もボクに対して否定的支配的になるし、関係もうまく働かなくなるのを、この一年の介護生活でイヤ!!というほど身にしみている。
 母の性格は何故だか、すべてを悪いほうにしか受け止められない、人を疑う、自分のせいで周りの人たちが不幸になっている、スグ死にたがる、といったネガティブ思考回路がすっかり出来上がっていたのに、愛妻はるかや太一の登場で「なにか」が溶けはじめ、ボクの中の彼女へのわだかまりが無くなってきたこの一年間で、ウソのように母は人が変わった。光に向かって生きなおしてみよう!!! という彼女の変化によって、彼女の表情まで変わり、かつては正視できぬほどの妖怪じみた顔が、今ではその穏やかな笑顔でボクや父や周りにいる人たちに安心を与えているのだから。
 すべて相性なのだろう。自分の飲む薬、入る施設、かかりつけのドクターからはじまって、親子関係、夫婦関係、周りとの人間関係、そして自分の産まれた家、町、国、果ては自分が喋り描く言葉や着る服や髪型、たべものに至るまで、「今の自分」にピッタリ合った相性に嵌(はま)り、自分本来のイノチのピッチや波動に波乗りしてゆけば、自分の持って産まれた種が花開き、「good」タイミングで「GOD」タイミングが起き行き、日常的に当然たる奇跡の連鎖が起きて行くのだろう。

  東京で個人タクシーをやってる51歳の弟の部屋にて。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第17回

川のない島にダム、そこに生息するコイ

 第10回の「ゆがふ雨」でも触れたが、黒島はサンゴ礁が隆起してできた島なので、表土が薄く、雨水は地下に浸透する。そのため、黒島には川がない。だから川に生息するような淡水魚などもいないはずである。本来は……。
 黒島では、農業用水を確保する目的の池が島内のあちらこちらにある。もちろんそこに注ぐ川はないので、周囲の雨水を集める溜池である。島の人たちはその溜池のことを「ダム」と呼ぶ。
 去年、島のあるおじーが「ダムに金魚を獲りに行こう」とやってきた。おじーの話によると、昔、学校が校舎を建て替えるために金魚を養っていた池を埋めることになり、学校近くの「ダム」に金魚を放流した記憶があるということだ。
 「ダム」で投網をするとコイが1匹獲れた。そのコイを見たおじーは「あの金魚がここまで成長したかぁ」と感慨深げだった。しかし、ちゃんと調べるとそれはコイで、年齢は4〜5歳だった。淡水魚は水温がほとんど変わらない海水魚と違い、冬場は水温が下って成長がストップすることで年輪ができるそうで、ウロコを1枚はがしてその年輪を調べる。4〜5歳ということは、黒島生まれのコイと考えてほぼ間違いない。では、そのコイの祖先は一体どこからやって来たのであろうか。
 学校の用務員をやっていた島のおばーの証言で詳細が判明した。その昔、コイを飼うのが大好きな校長先生が黒島に赴任して来た。その校長が、石垣島の自宅の庭にある池を改装するとかで黒島にコイをせっせと運び、黒島校の池にコイを仮住まいさせていたのだという。いまでも生きた魚を石垣島から持ってこようと思うと面倒だ。船は揺れるし、酸欠にならないようにしなければならないし、水温管理にも気を使う必要がある。校長のコイに対する情熱が感じられる。

川のない黒島生まれのコイ

 その校長が黒島校の池に放ったコイは理科の授業で卵から稚魚を孵化させたりして教材としても活用されたらしい。やがて、校舎新築ということになり、学校の池は埋められた。校長のコイは学校近くの「ダム」に放流された……。
 さて、川のなかった黒島にはカエルもいなかった。しかし、現在ではカエルの合唱が聞こえる。サキシマヌマガエルという種類のカエルである。これの歴史ははっきりしている。
 現在の島のおじーたちが小学生のころ、遠足で黒島の北にある小浜島へ渡った。そのとき、黒島では見たことのないピョンピョン飛び跳ねるカエルに驚き、男の子たちはこぞって持ち帰った。おじーたちの持ち帰ったカエルの末裔が、いま黒島で繁殖を続けているのである。
 このように、本来生息していなかった生物は外来種と呼ばれ、問題視されている。黒島で最も注目されている外来種はインドクジャクである。インドクジャクは本来は日本にはいない。小浜島にある某リゾートホテルから黒島の某リゾート関係者が購入したのがきっかけで入ってきた。台風で鳥小屋が壊れたりして逃げ出して野生化してしまった。いまでは島民の数以上生息する。八重山の他の島々もインドクジャクの野生化に頭を抱えている。黒島での具体的な被害は、牛の飼料が食べられたり、家庭菜園などの被害が報告されている。私個人はクジャクの「ミャーミャー」と力いっぱい叫ぶ早朝の鳴き声のうるささに起こされることに怒っている。特に夜型人間の私にとっては、太陽が昇ってからが最も深い眠りに入っているときで重要な時間なのである。
 外来種がなぜ問題視されているのかというと、各島々がそれぞれ独自の生態系を刻んできているということと、島々の面積が小さいので影響が大きいということである。
 これは人間も同様かも知れない。私のように島外から移り住んで来た者が島独自の文化等に少なからず影響を与えている可能性も考えられるのだから。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

10月23日にサイトをリニューアルしました!

「私の好きな店」File.No.05

「hofe(ホフ)」―フレンチ―

第5回目はFile.No.04 「茶月斎(ちゃげつさい)」の店主・小蕎さんの「私の好きな店」をご紹介します。

「私の好きな店」File.No.05


連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第40回】

今回も4人の北海道人にお父さんのことを語っていただきました。ジーンとしたり、ポロリとしたり、クスッとしたり。さまざまなドラマが日常の中に隠れているものなんですね。

今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「お母さんが私の“お父さん”」
「大きな愛情に包まれている実感」
「兄妹4人の面倒をみた父」
「中学時代の門限は午後7時」

となりの北海道人「私のお父さん」第40回

次号予告

 北海道では最低気温が一桁という地域も多くなってきました。上海では半そででも大丈夫なようで、タイは雨季で気温は30度にもなるそうで、沖縄県の黒島では観光客が海水浴をしているそうです。次号が配信されるころ、季節はどれくらい進んでいるでしょうか。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!
 
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