メルマガ北海道人

HOME > 第90回

『メルマガ北海道人』第90号 2008.10.9.―「北海道人」、鮭よ!―

 魚屋さんの店先に、ピカピカした生鮭や鮭筋子が並んでいます。河口には鮭釣りの人たちがずらりと並んでいます。鮭のシーズンです。この時期、川を上り歩いて驚いたことがあります。川の深みにたまっていた落ち葉を竿でそっとよけてみると、そこには大きな鮭が一匹じっとしていました。皮はボロボロであちこち白く変色していました。アクシデントに遭ったわけではなく、天寿をまっとうしようとしているあたりまえの鮭の姿でした。店先のピカピカの鮭も、川でボロボロになっている鮭も同じ鮭だとは……。
 北海道人、脂がのった鮭を食べながらポロリ涙の秋です。
 『メルマガ北海道人』第90号、センチメンタルオータム配信。

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 海南島に渡り、有償記事新聞でひと山当てたチャンインたちは、上海版を作ろうと1989年に地元に戻りました。ある日、デモ活動の学生が引き起こした交通麻痺の様子を見て、2年半前の出来事を思い出します。第42回は「上海の天安門事件」です。

連載【とろんのPAI通信】

 9月27日、地元商店街「れとろーど」で、とろんさんと愛妻はるかさんが初ライブを行いました。地元で起こった文化復興の渦の中に巻き込まれたというとろんさんは、本日10月9日、倉敷で「たま」の元メンバー「知久さん」のライブを企画!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 10月5日、黒島の「東筋」という集落の「比江地御嶽」で、「結願祭」が開催されました。祭りの奉納舞踊には「初番」と呼ばれる演目があり、そこにはミルクの神様が登場し、神様一行の中には「ソーザ」が……。黒島は手ごわい、本文を読まねば!

【上林早苗の『上海日記』】 第42回

上海の天安門事件

 国慶節の長期休暇が終わった。つい先週まで半そで姿でも汗だくになった上海もキンモクセイの香りが漂いはじめ、ようやく秋らしくなってきた。いよいよ上海蟹の季節、と言いたいところだが、粉ミルク騒動もあって現地の人たちは例年以上に食には敏感だ。私も牛乳を見ればこれは本物か、宴席に着くとこの蟹に毒は入っていないかと疑心暗鬼の日々である。

 有償記事新聞でひと山当てたチャンインたちは1989年、海南島を離れて地元に戻り、上海版を作ることになった。
 創刊準備に追われていたある日のことである。曹家渡の自宅2階から何気なく道路を見やると、車が連なっているのが見えた。不思議に思って聞くと、デモ活動の学生たちがバスやトラックのタイヤに穴を開けて交通を麻痺させたという。チャンインは2年半前の出来事を思い出した。
 小規模の「学潮(学生運動)」が上海で起きたのは1986年12月のことだった。街頭演説をしていた復旦大学新聞学科の男子学生をつかまえて話を聞くと、その少し前、アメリカのある演芸団が上海体育館での本番中に交通大学の中国人学生二人を共演者としてステージに上げたところ、幕が引けてから公安局がこの学生二人を許可なく外国人に接近したとして連行。その救出と抗議のために学生たちが立ち上がったというのが事の起こりだったという。しかし結局、年が明けた1987年1月、当時の総書記・胡耀邦が民主化要求デモ拡大の責任を問われて失脚すると、全国各地の学生運動はたちまち沈静化し、上海もわずか2週間で平穏を取り戻した。
 しかし今回のデモは規模が違う、とチャンインは感じていた。人民広場に駆けつけると外灘(バンド)に続く南京路を学生が埋め尽くしていた。上海初代市長・陳毅像の前では各大学の学生が拡声器を片手に演説をし、なかには「中華革命党」を名乗って「共産党を脱退しよう」「自由を手に入れよう」と呼びかける者までいる。復旦大学の院生だった友人は一週間に及ぶハンストで昏倒したものの、近くでシュプレヒコールが起こると猛然と起き上がり、点滴を引き抜いて隊列に戻っていった。南京路の住民はそんな空腹のデモ隊に向かって窓から食べ物を放り投げ、露天商は肉まんを差し出す。学生たちは胸の前で両手の指を組み、まるでこの国の命運を背負っている英雄のような顔つきでそれにこたえていた。

国慶節中はすべての工事作業がストップし、市内はつかのまの静けさに包まれた(馬当路)

 「人民の支援に心より感謝いたします!」
 「皆さんもどうかお体を大切に!」
 チャンインは歴史に残るだろうこの事件で「主人公」となれた学生たちを心底うらやましく思った。当時、チャンインは26歳で、すでに社会人である。先頭切って旗を振る資格もハンストに加わる理由もない。それに、公安局の機関紙編集者でこの時、秩序維持のために臨時召集されていた同窓生によると、当局は和平飯店の上層階からドイツ製ビデオカメラを回しており、学生には手を出さないがいったん一般人が出れば、容赦なく捕えるということだったから、なおさらうかつに動けなかった。
 ただ、傍観者だからこそ気づくこともあった、という。大部分の学生は騒動が大きくなればなるほど、目的を見失いつつあるように見えた。共産党のどこがいけないのか、自分たちは中国をどう変えたいのか――。沿道で学生を見守る一般市民の多くも、いったい何に若者たちが不満を持っているのか理解していなかった。自由とは何か、民主化とは何か。それを真剣に考えていたのはごく一部の人だったという。そして、チャンインがこの一件で何より記憶に残ったのは、それまで「反動的」な発言を一切したことのなかった父のつぶやきだった。
 「40年間も中国を統治してこれたのだから、もうそろそろいいだろう」
 戦中は日本傀儡政府に仕え、戦後は国民党政府、解放後は共産党政府と次々と身を転じてきた父。彼にとって政権とは時代とともに移りゆくものであり、そこに愛着や信頼、恨みさえも存在しないことをその一言から感じたという。
 結果的に一連の事件は鄧小平によって鎮圧された。そのとき北京の天安門であったといわれる流血事件は話に伝え聞くばかりで、チャンインはその映像や写真をいまだに見たことがない。ただ、この直後からまるで事件を払しょくさせたいかのように次々と打ち出された経済政策は、チャンインの人生を変えた。 
 「全民下海(全国民のビジネス界参入)」
 天安門事件を機に、中国に本格的な経済振興時代が訪れようとしていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第35回

まるだしのエクスタシー♪

 ボクの長男、太一の産まれ故郷PAIでは「くるくるPAIバンド」というバンドを結成してライブ活動をしていたけど、ここ岡山では一度も音楽活動をしたことがなかった。9月27日快晴の日、地元、総社市の旧商店街「れとろーど」で年に一度の祭りがはじまり、この寂れ切った旧商店街の一角でボクとはるかの二人が初公演!! ボクらに課せられた役割は、適当な場所で適当なタイミングで突如と演奏をはじめるハプニング演奏。岡山で初の演奏だし、二人だけで演るのもはじめてで、マイクも何もない。7人の友人がアチコチから応援しにやってきてくれ、彼らの視線に包まれ勇気づけられながら、「総社宮」という神社の鳥居の前に立ち、まずはボクの日本の横笛と愛妻はるかのアフリカンジャンベ太鼓からはじまった。
 この「総社宮」を中心にして総社の町が起り、そして、その鳥居の斜め向かいに在る空き家を借りて来年から「太一や」という面白いSPACEをはじめる。神社の鳥居を後ろに、左斜め向かいの「太一や」を見ながら、ベースをPAIから総社に移す二人だけの「願かけ」セレモニー演奏だった。最後の曲はインドの女神たちの歌で、その女神たちの名前の間に「愛とお金は天下の回りもの♪」というフレーズを何度も織り込めながら投げ銭を集めたら、4000円以上のコインが帽子の中に入っていた。30分で4000円、時給8000円だからスゴイ!! 集まったお金をバッ!!と一気にビールにかえて、友人たちと乾杯!!! 女たちが立ち上がり、地元に起きた文化復興の渦の中に巻き込まれた記念すべき日だ。これからは「巻き込まれたら巻き返す」というボクのイノチの法則に則って、岡山でイノチの交差がはじまる。しばらくの間、この寂れ切った商店街のただ中から日常的に発信してゆくことになり、来年の「れとろーど」の祭りには「太一や」で店を出しながら、道端で演奏をする予定。

『まるだしのエクスタシー』健在!! IN 蟲文庫

 PAIでは毎年12月7日、ジョン・レノンがニューヨークで撃たれた日を記念して追悼ライブを演ってきたけど、これからは「れとろーど」だな。ジョン・レノンの死といえば、彼がこの世に誕生した10月9日は愛妻はるかの誕生日でもある。そして、次の10月9日、彼女は32歳!!! この愛妻の誕生祝いに、ボクは倉敷の古本屋さん「蟲文庫」で「知久さん」のライブを企画した。「たま」というオモシロイバンドで歌っていた人のソロライブ。彼は昨年のPAIでの49日間の祭り「たましいのかくじっけん」に自費でやってきてくれたばかりか、祭りのオープニング7月7日七夕のボクらの結婚式の日に、2万円もお祝いを出してくれた珍しいPAIフリークなのだ。その恩返しも込めてのライブ企画なのだ。
 「著者は岡山県倉敷市美観地区の一角で妙なる古本屋さんを商う面白い女主人。隣町に住み始めたボクは、その絶妙なる雰囲気に感染し、この本、2冊買ってしまった。いつもとはちょっと違う世界、でシアワセになる本。」
 これは、『苔とあるく』(田中美穂 著 WAVE出版)という本に向けてボクが描いた書評だけど、その「妙なる古本屋さん」が「蟲文庫」で、そこの「面白い女主人」が最近書いた本なのだ。倉敷の美観地区を訪れる人へのオススメのSPACEで、その店と女主人を「観光」したらオモシロイ。
 蟲、といえば例の甘い「ハチのナミダ」、2、3日前から少し肌寒くなったせいか、天井からの落下がピタリと止まった!! 7月26日のマヤ暦元旦から落下しはじめたのだけど、このマヤ暦、2012年の12月で終わっていて、またもや「終末論」関係者の喜びの的になっている。そんな「闇性妄想」の渦巻く中、2012年12月から108日間の祭り「たましいのかくじっけん]第2弾を、PAIのボクらの新天地NEW MOON VILLAGEで!! という「光性妄想」がボクの中から湧き起きているこのごろ。一度湧き起きてしまった「想い」は「形」にしてしまわないとキモチワルイ。この祭りに向かうこれからの4年間、再び祈るような1日1日が刻まれていくのかと想うと、うれしいやらメンドウクサイやらうれしいやら。

     120歳まで生きるつもりのイイカゲンな57歳のとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第16回

行事の記録係

 10月5日、黒島の「東筋」という集落にある「比江地御嶽」で、「結願祭」が開催された。
 「 」内の漢字が読める人はなかなかいないと思う。
 「東筋」は「あがりすじ」と読む。沖縄では「東」は「あがり」と読み、「西」は「いり」と読む。聞いた話では東から太陽が「上がる」から「あがり」で、西へ太陽が「入る」から「いり」らしい。身近な例を挙げると、黒島の北西に見える島は西表島(いりおもてじま)と読む。
 「結願祭」は「きつがんさい」と読み、旧正月・豊年祭と合わせて三大行事とされている。神行事と呼ばれるいろいろな伝統行事の締めくくり的なものらしい。今では東筋でしか行われていない。東筋で実施可能なのは、黒島最大の集落であるからだ。といっても、55世帯ほどであるが……。郷友(きょうゆう)と呼ばれる島外に住む黒島出身者の協力を得ながら、「結願祭」を行っている。ちなみに私の住む集落は「宮里」で、「みやざと」と読み、世帯数は5世帯である。その他に「仲本」(なかもと)・「伊古」(いこ)・「保里」(ほり)があり、黒島は全部で5つの集落からなる。
 「比江地御嶽」は「ぺーじわん」と読む。「比江地」(ぺーじ)は固有名詞で、「御嶽」(わん)は簡単に説明すると「聖地」で、信仰の場である。この「御嶽」は沖縄のあちらこちらに見られ、沖縄本島の場合は同じ漢字で「うたき」とか「おたき」と呼ばれる。黒島にも10カ所以上存在する。
 東筋の結願祭は奉納舞踊が多く、楽しくて見ごたえのある行事である。島全体の行事でない上に、自分の住んでいる集落ではないので、準備や後片付けに追われることなく、気軽に見ていられるからかもしれない。
 舞台の上で奉納舞踊を演じている人たちは真剣である。とくに「初番」(すばん)と呼ばれる演目は、古い言葉で口上を述べたりするために緊張している様子がうかがえる。この「初番」にはミルクの神様が登場する。神様が登場するから行事のクライマックスなのであろうと私は勝手に解釈している。

・上:2007 年 結願祭「初番」 ・下:2008 年
去年と今年で、青い衣装のソーザ役の立ち位置が反対になっている。去年が間違っているらしい。

 写真は去年と今年の結願祭初番の模様である。神様一行の中の青い衣装をつけた「ソーザ」が五穀の種を授けるのであるが、2007年と2008年では立ち位置が反対になっている。正しい立ち位置は今年であるらしい。去年は現場で間違いに気づいた人はおらず、のちに写真を見た人が「あれ?」と気づいた。
 私は島の行事などの役割分担で、記録係、つまりカメラマンにされることが多い。今回の東筋の結願祭でも、集落は違うものの「見に来るのであれば写真の提供をお願い」と言われた。普段からデジカメを持ち歩き、いろいろと写真を撮っているからお願いされやすい。ただ私の場合、背景だの構図だのにこだわることがない。プログラムに沿って進む内容を淡々と記録するために撮影しているだけである。プロと呼ばれる人たちの撮った写真を見ると、上手だとかキレイだとかは思う。しかし、私もこんな風に……とは思わない。
 行事等で記録係を引き受けると「このお供えの配置は重要だから写真撮っておいて」などと注文がつくことが多い。「はい、了解です」と簡単に撮ってはいる。しかし、本当は嫌なのだ。“記録係”は喜んでやるが、“記憶係”は御免である。もし、そのお供えの配置自体が間違っていたら、今後は私の撮影した写真をきっかけに間違いがつづいていかないかと考えてしまうからである。「その時」は記録したいが、「その先」までは記録したくない。
 これまで黒島のいろいろなものを写真に撮ってきた。自分で言うのもなんだが、非常に貴重な記録だと思う。ただ残念なのはその大量の貴重な記録を整理する能力がなく、必要な写真が出てこないことである。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は10月16日(木)、世界食糧デーです。日本ではバナナ不足が問題となっています。動物園のゴリラが食べるバナナは確保されているのかと心配になります。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!
 
※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ