メルマガ北海道人

HOME > 第86回

『メルマガ北海道人』第86号 2008.9.11. ―「北海道人」、たわわに実った―

 住宅街を散歩をしていると、あっちの庭にもぷらん、こっちの庭にもぷらん、無防備にぶどうがぶらさがっています。長い年数が経ったようなぶどう棚には、数えられないほどの房が、枝もたわわに実っていました。甘く食べごろになったことに気づいたのでしょう。ハチがぶどうの一粒にしがみついていました。先を越されてしまったようです。
 豊穣の秋――ヒトもハチも、その入り口に立って近ごろちょっと興奮ぎみです。
 『メルマガ北海道人』第86号、ぶどうのようにたわわに実った連載ばかりを載せて配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 福田首相の辞任が話題になっている上海で、毎日のように知人からあることを質問されるという上林さん。さて、1987年はチャンインにとって転機の年でした。出張先の深センで彼を待っていのは、外国製タバコやナイトライフ……。ひと儲けしようと誘われ、次に向かったのは中国最南端にある海南島でした。

連載【とろんのPAI通信】

 8年前、とろんさんがタイのPAIに「MOON VILLAGE」を作り始めたときのことです。小川の対岸にいるタイの人たちは、日本人たちが次々と建物を建て始め、そこに人がぞくぞくと集まってくる風景を見て、妄想が湧き起こり、それが事実であるかのような錯覚を起こしました。蟲編につづき、今回は「イノチのバランス(人編)」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 世間では医師不足の問題が取り上げられていますが、離島では問題はさらに深刻です。黒島では2003年まで医介輔というあまり聞きなれない身分の人が診療をしていました。医介輔が引退して以降数年間、無医地区になった黒島。もしも、島で急患が出たら? 助けはどこからやってくる!?

【上林早苗の『上海日記』】 第40回

海南島へ

 オリンピックテロ警戒キャンペーンの余波でビザが更新できず、半年ぶりに4日間ほど日本に帰った。いつもながら空の青さとサービスのよさに感激し、「日本もそんなに悪くない」と満足して上海に帰ったその日、福田首相が辞意を表明。「我和[イ尓]不一様(あなたとは違うんです)」がニュースになっていた。毎日のように中国の知人たちから「日本の首相はどうしてそうコロコロと変わるのか」と質問され、返答に窮している。
 「外の世界を見てみたい」――。誰でも一度はそう思うものだが、チャンインにとって1987年はそのきっかけとなる年だった。まずは『生活美学報』のアルバイト記者として降り立った深センである。
 深センはチャンインにとって外国のようだった。駅に着くと「香港ドルあるよ、香港ドル!」と両替商たちが叫んでいる。商店の店頭にはソニーやサンヨーなどあこがれの日本製電気製品や、マルボロやケントなど外国製タバコがずらりと並び、しかも配給切符なしで買えた。初めて食べるヨーグルトの味にも驚いたし、何より水がミネラルウォーターという商品として売られていることに目を丸くした。
 「たかが水をわざわざ金で買うなんて、どういう神経なんだ?」
 店主が広東なまりの中国語で笑った。
 「水は水でも栄養のある水だよ。お前さん田舎から来たね」
 いわゆるナイトライフを覚えたのもこの時である。取材先の美容室経営者で香港人のジョニーが指南役として連日チャンインを街に連れ出してくれた。特に興味深かったのは当時、ブレイクしたばかりの香港歌手、レスリー・チャンのナイトショーだ。ショーの終盤、客の一人からリクエストされたレスリーは、中越戦争で戦死した人民解放軍兵を悼む中国大陸の名曲『血染的風采(血染めの風采)』を熱唱していた。チャンインは首をかしげた。

上海市のトラックで移動する「民工(地方出身の労働者)」たち。上海では万博を控え、地下鉄建設が進んでいる(南昌路)

 「資本主義国から来た人間が共産党の歌をこんなにうまく歌えるなんて……」
 ジョニーは女遊びも教えてくれた。当時の上海には一般人が入れる風俗店はほとんどなかったが、その頃の深センでは高級幹部や富裕層向けに一晩1000元、外国人向けは3000元を相場として、風俗産業が盛んであった。チャンインは24歳で遊びたい盛り、拒めるはずもない。上海に戻る頃には少なからず大人びた気がし、生まれ育ったこの街がずいぶん田舎で陳腐に思えた。
 「海南島へ行かないか。有償記事ばかりで作る経済新聞を創刊して、ひと儲けしよう」
 上海の新聞社に勤める記者から誘われたのは、衝撃の深セン出張から帰った1年半後、フィアンセの鄭さんから一方的な別れを告げられた直後のことだった。ちょうど中国全土をインフレが襲った時期で、上海でも油や醤油、調味料が高騰。チャンインの母・シューリャンさんも桶いっぱいに醤油を貯めていた。チャンインは思った。買いだめは一時しのぎの措置でしかない。インフレに対抗する方法はただ一つ、物価の高騰をものともしないほどの金を持つことだ。恋人をつなぎとめるカギも「金」である。中国の最南端にある海南島は経済特区に認定されたばかりの注目の地。そこで新聞記者として金儲けができるなら理想的ではないのか――。「まずは戦え。考えるのはそれからだ」。ナポレオンの名言を座右の銘にする彼の行動は速い。彼女と別れたわずか一カ月後の1988年9月、チャンインは海南島の玄関口である海口の港に降り立っていた。
 まだ観光地化されていない南国の島は閑散としていた。しかし、とれたてのカキはおいしく、風俗遊びは深センのなんと半値。それに白い砂浜はまぶしいほど美しく、チャンインは初めて目にする光景に大学時代に好きだったフォークソング『外婆的澎湖湾(おばあちゃんの澎湖湾)』を思わず口ずさんだ。
 「夜風が優しい澎湖湾 白い波が砂浜をさらう 太陽をさえぎるヤシの木もなく ただ青い海が広がるだけ」
 ここでならうまくいきそうな気がしていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第33回

イノチのバランス(人編)

 甘い「ハチのナミダ」、今だに我が家の天井から落下中である。マヤ暦の元旦、7月26日に落下し始めて、今日は9月1日新月だから、もう、一カ月と一週間目である。ボクの大量殺戮で、かなりのハチたちが逝ってしまったけど、それでも相当数のハチたちが天井裏に通じる通風口から出入りしている。今のところ、ボクらとハチとは愛妻はるかの主張する「共存」という形になっている。
 不思議なもので、その鳥肌がたつほどの圧倒的なハチの数が、ぐ!!!っと減ってくると、ボクの主張する「絶対排除」への強い思いも、ぐ!!!っと減ってくるのだ。これはボクの意思というよりも、ボクら生き物に仕組まれたイノチのバランス力の為せる技だろう。ボクらの健康的な体には善玉菌も悪玉菌もバランスよく共存していて、疲れとかでバランスが崩れて悪玉菌が急増してくると、自動的にその増えすぎた悪玉菌を排除しようとするイノチのバランス力が働き始める。そのバランス力とは、相手の数を適当に減らすこと、あるいは相手との距離感をある程度作ることだろう。これも不思議なことだけど、相手の数が多いと距離感が縮まって危険信号が出てくるし(病気とか不安とか)、数が減ってくると距離感が作られ、安心して元気になるのだから。
 これらのことは蟲だけではなく、人にもいえることだ。8年前、ボクがタイ北部の桃源郷PAIに一人で住み始めたときはなにも問題が起きなかったのに、しばらくして、友だちと「MOON VILLAGE」という村作りを始めた途端、イノチのバランス力が働き始めた。蛇行する小川を挟んだ向かいに「SUN HUT」というゲストハウスがあった(月と太陽でまさに陰陽曼荼羅、イノチのバランス力!!)。突如と出現した(異様でわけのわからぬ)日本人たちが次々と建物を建て始め、次々と人が集まってくる風景に、「SUN HUT」の彼らは鳥肌が立ち始めたのだろう。その距離感の喪失から彼らの妄想が湧き起る。外国人なのに無許可でゲストハウスを営業してる! どうみても大麻を吸ったり売買している!! そして、どこでどうなったのか、うちのゲストハウスから女性の高級パンツばかりを盗んでる!!!

痴呆力全開中の元気な父(9月13日で82歳)

 その妄想力はエスカレートしてゆき、町の警察にその妄想を事実として密告したのだから。そして、突如の強制調査!!! ゲストハウスもやってないし、大麻も発見されないし、下着ドロボーでもないという事実が警察によって証明されたにもかかわらず、その妄想力はさらに高まり、自らを閉じ込めるように、あの美しい小川の畔沿いに鉄条網の柵を作ってしまったのだ。危機的な距離感によって妄想が産まれ高まり、その距離感を作ろうと必死に相手との壁を作っていく。
 ここ岡山にいても同じようなものだ。突如とボクのような(異様でわけのわからぬ)57歳が、26歳年下の美人の愛妻はるかと孫のような太一といつも一緒に毎日アチコチをぶらぶらしているものだから、そのフツーでない距離感が妄想を産ませ高まらせる。あの男はどうやって食ってるんだろう! あんなジジイと一緒に居られるあの若い美人はきっとタイ人にきまってる!! どうしてあんな気が狂った格好でいられるのだろう!!! 公園で太一と遊んでいると、はるかやボクに向かって近所の子どもたちが、なんの遠慮も隠しだてもなく、「うちのかーちゃん、とーちゃんがそういってたよ」と話してくれるのだから。そして、そういう子どもたちもそうだけど、そういう妄想が渦巻く中でも、ボクたちの存在に興味を持ち面白がって近づいてくる大人たちもいて、次号では、そういう距離感を持つ人たちから産まれゆく「一瞬先はひかり」の様子を描いてみたいな。
 人と人、あるいは生き物、モノ、国や思想や宗教や時代との「適度な安心できる距離感」、国と国、民族と民族、大陸と大陸、星と星、そして男と女との「適度な安心できる距離感」。その「適度な安心できる距離感」を作るために、自動的に全力でイノチのバランス力が働き続ける。そして、その「適度な安心できる距離感」を、突如と平和的文化的生物学的に揺るがしゆき、人の魂や細胞を破壊創造しゆくものが「アート」であり「突然変異」だ。
 ボクの住む総社の町の水は地下水なので、暑い真夏でも驚くほどの冷たくっておいしい水が飲め、冷水シャワーを浴びられる。この美しい水を飲み浴びながら「適度な安心できる距離感」を「うやむや」に揺るがしゆく存在として、今日も、また近所や町中をぶらぶらしよっと。

   元気の感染源、アホとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第14回

空を飛ぶ島の救急車

黒島のヘリポートから飛び立つ海上保安庁のヘリ(訓練)

 石垣島と西表島の間の海は、両島の頭文字から「石西礁湖(せきせいしょうこ)」と呼ばれ、サンゴ礁が発達している浅い海域である。黒島はその石西礁湖に浮かんでいる。
 サンゴ礁を避けながら浅い海域を縫うように定期船は走っている。島々を結ぶ定期船の便数は多いものの、最終便の時間は早い。暗くなると航路が見えにくくなり、座礁の危険があるためである。黒島では18時10分黒島発石垣行きが最終となる。
 島々にはヘリポートが設置されており、海上保安庁のヘリがよく訓練のため飛来する。黒島で急患が発生した場合、患者は船よりヘリで搬送される場合が多い。特に夜間は定期船が運航していないためヘリが頼りとなる。
 訓練ではありえない深夜や早朝にヘリの音が聞こえると、島民は「急患が出た」と察知する。こちらでのヘリの音は救急車のサイレンと同様である。住宅街を救急車がサイレンを鳴らしながらやってくると、近所の人が集まってくるように、人口わずか200人少々の島ではヘリの音が聞こえると、「誰だろう」と心配して島民がヘリポートに集まってくる。
 2003年までは看護師以上、医師未満の存在である医介輔(いかいほ)が診療所で診察をしていた。医介輔(正式名称は介輔)とは、米軍の統治下に置かれていたときに作られた沖縄独特の制度である。戦時中に医療に従事していた者や衛生兵だった者が、「米国海軍軍政府布告」により、介輔(Medical Service Man)として身分が公認され、戦後の医師不足を補うためにへき地で活躍していた。その医介輔が2003年に引退して以降、黒島は無医地区となった。人口500人以上の島には診療所を置く義務があり、医師が確保される。多くの離島を抱える沖縄の無医地区で、黒島が最も人口の多い地域であった。急患が発生すると消防団が活躍し、ヘリの要請などをする。あまりヘリを飛ばしたくない県側は、詳しい状況を聞いてくる。しかし、消防団員は島の一般男性であり、医療従事者ではない。そのため、苦しんでいる急患を適切な処置によって早く楽にしてあげたいという人情と、出した結論に責任を持ちたくないということから、「大丈夫」という判断は下さず、「ヘリ要請」となる。
 私は夜間に発生した事故の第一発見者となったことがあり、興奮している事故者の頭の出血をタオルで抑えたり、消防団へ連絡したりした経験がある。現場では消防団長と県のヘリ担当者が電話でケンカしていた。「事故の状況をファクスで送れ」という県のヘリ担当者と、「事故現場にファクスはない」という消防団長による言い争いが平行線のまま続いていた。きっと県の担当者も責任を負いたくないためにファクスで要請の証拠を残しておきたかったのであろう。財政の問題もあると思うが、ヘリは飛ぶためにあるものなので、もっと気前よく飛ばして欲しいものである。「たいしたことがなく、よかったね」で済ますと、出世に響くのだろうか。
 黒島には一昨年から医師が常駐するようになった。やはり医師の判断というのは力がある。医師がヘリを要請したらすぐに飛んできてくれるし、受け入れ先の病院に的確な連絡がいくため、患者への対応がよりスピーディーとなった。私も含め、適当なことばかり言う一般島民から根拠もなく「大丈夫」となぐさめられるより、医師の口から「大丈夫」と言ってもらう方が、患者は安堵できるだろう。
 通常、急患ヘリでは家族が1人付き添う。お年寄りや子どもの多い大家族に暮らす人は、付き添いで何度もヘリに同乗している。離島に暮らす者の宿命かもしれない。
 今のところ、私自身は黒島ではヘリのお世話になっていない。できれば今後もお世話になりたくないが、昼間に急患の付き添いで同乗し、空から黒島を見てみたいという不謹慎な願望は少しある。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

全国のこだわりの逸品を探して

『北海道人』セレクト第1弾 九州・福岡より まるさんの「極上ふりだし」

味噌汁やお吸い物、うどんがとびきりの“ご馳走”に変わる。50種類もの魚類、産地にこだわった海藻、完全無農薬栽培の野菜などを原料に、「美味しい」と「安心」が一つになった究極のだし。

詳細はこちらです!
『北海道人』セレクト第1弾 九州・福岡より まるさんの「極上ふりだし」

次号予告

 次号の配信は9月18日です。この日はアムロ・レイが機動戦士ガンダムに初搭乗した日だそうです……。メルマガ編集部もいつまでも初々しさを忘れずにいたいものです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!
 
※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ