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『メルマガ北海道人』第84号 2008.8.28. ―「北海道人」、夏 VS 秋―

 朝、秋子さんが通りを行く姿を見かけました。涼しい風のなかをさっそうと駆けて行きました。太陽が照りつける昼、偶然、同じ木陰で夏子さんが休んでいました。ハンカチで汗を押さえながら。きれいに日焼けした夏子さんは最近ちょっと疲れ気味。それに比べて色白の秋子さんは元気一杯です。今、二人が柔道で勝負したら、技あり優勢勝ちで秋子さんに軍配があがるでしょう。ちょっと前なら、夏子さんの内また一本勝ちでしょう。
 『メルマガ北海道人』第84号、夏と秋の間でゆれながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 復旦大学中文科のマドンナ鄭さんとチャンインの交際は、大学卒業後も続きました。結婚家具もほぼ揃い、週末は彼女がチャンインの実家に泊まる。誰もが結婚秒読みと思っていたある日、鄭さんの妊娠が発覚します。戸惑うチャンイン。「上海日記」第39回のタイトルは「失恋」――。

連載【とろんのPAI通信】

 PAIの山中で高床式の家に住んでいたときには、アリとの戦いの日々だったというとろんさん。まさか実家のある岡山県で虫と戦うことになるとは……。猛毒の強力噴射スプレーを武器に虫と戦うとろんさんの上にB29が飛来したかのような重低音。共存か排除か? 今回は「イノチのバランス(蟲編)」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島と石垣島を結ぶ高速船の数は一日14往復。沖縄の他の離島と比べ、八重山諸島の定期船の便数はかなり多いよう。その定期船の運賃が7月から値上げされました。原因は言うまでもなく原油の高騰。また、原油高騰が黒島の基幹産業にも影響を与えています。今回は黒島のプチオイルショックについて。

【上林早苗の『上海日記』】 第39回

失恋

 あれよあれよという間にオリンピックが終わって、中国はひと段落。あとは中秋の名月を迎えれば、上海の一番いい季節、秋だと思うと、この「秋老虎(残暑)」の日々も苦にならなくなってくる。
 チャンインと復旦大学中文科のマドンナ、鄭さんとの交際は大学卒業後も順調に続いていた。彼女が卒業する頃には結婚家具もほぼ買いそろえ、週末になると彼女がチャンインの実家に泊まりにくるという半同棲状態だった。本人たちを含めて誰もが結婚秒読みだと思っていた。
 そんなある日、彼女のお腹に赤ちゃんがいることが発覚する。診断は妊娠3ヵ月。チャンインは戸惑った。たしかに結婚を考えていた。考えてはいたけれど、夫になることと父親になることは別である。何より世間から後ろ指を差される「できちゃった婚」になってしまうことはプライドの高いチャンインにとっては耐えがたかった。
 二人は中絶を決めた。当時、中絶手術を受けるには勤務先の証明が必要だったため、チャンインはコネを駆使して偽名による手術に成功。入院中はチャンインの姉が付き添い、手術後は母がつきっきりで世話をした。時が経つにつれ、心身の傷は癒えていった。
 それから一年が経った夏のある日のことである。チャンインが帰宅すると鄭さんの荷物がすべてなくなり、便せん一枚の手紙だけが残っていた。
 「私たち二人の性格は合いません。あなたには今後もっといい人が現れるでしょうし、私にも好きな人がいます。別れましょう」
 前兆がなかったわけではない。鄭さんは復旦大学を卒業後、上海の職工大学に就職。研修生としてまず上海郊外・南匯区の中学校に教師として赴任していた。その頃から彼女はチャンインとのちょっとしたスキンシップさえ嫌がるようになっていたのだ。
 ようやく事の深刻さに気づいたチャンインは、あわてて彼女を呼び出した。事情を問いただすと、彼女は淡々と答える。
 「職場で出会った人なの。7歳年上のいい人よ」
 衝撃の告白はそれだけで終わらない。追い討ちをかけるように鄭さんは過去の浮気を暴露しはじめた。
 「実はZさんも私のことが好きだったの」

午後、水浴びしたばかりの犬(柳林路)

 Zさんは30代の作家である。少し前に『中国電影之夜(中国映画の夜)』という新聞社主催のイベントがあって、チャンインは鄭さんを連れて参加、その時に二人して劇団の若手脚本家であるZさんと知り合った。彼女の話によると、どうやら後日、本人から連絡があり、会うようになったというのだ。当時、Zさんは妻と別居中で劇団の招待所(関係者を泊めるための宿泊所)に寝泊りしていたため、二人の密会はもっぱらそこで行われていたらしい。「緑帽をかぶせられた(寝とられた)」屈辱で上気するチャンインに、とどめを刺すかのように、彼女は言った。
 「Zさんは名声も将来もあったから」
 確かにZさんは有望な脚本家である。一方のチャンインは寧波テレビ局をスピード退職し、次の新聞社アルバイトも辞職。この頃はちょうど雑誌社の編集アルバイトをしながら、上海戯劇学院・戯劇文学学科の大学院を「モデル志望の美人が多そう」という理由で受験、見事に失敗したところだった。チャンインはやっとの思いで言い返した。
 「じゃあ、Zと結婚すればよかったじゃないか」
 「彼には奥さんがいるから。あなたもそうだけど、男って無責任よね」
 ちなみに鄭さんはチャンインの性格を熟知している。この暴露話も彼を傷つけ、別れる気にさせるための作り話だったかもしれない。しかし、チャンインはこの時、彼女の話を信じた。そもそも鄭さんが男性の誘いをはっきり断れないタイプなのは学生時代から知っている。作家の熱心な甘言に流されたのだとしても決して不思議ではなかった。同僚、青年作家、そして自分。あの時おろした子どもの父親は誰だったのだろうか。チャンインはすっかり気分が悪くなり、もめることなく「一人目の妻」と別れた。
 この一件を境に何かが変わった、とチャンインは言う。文学には見向きもしなくなり、作家になる夢も消えた。女性にとっては安定が何よりも大事で、金こそが能力の証。もし自分に金さえあれば、彼女は浮気などしなかっただろう――そう思った。時は1988年。ちょうど中国がイデオロギーの時代から文化至上の時代、そして経済の時代へと変わろうとしていた時期だった。チャンインは失恋を機に故郷・上海を離れ、はるか南の島・海南島で一旗上げることを決心する。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第32回

イノチのバランス(蟲編)

 タイのPAIでの生活は山中なのでコブラやサソリもでてくるけど、日常的にはアリとの戦いの日々だった。我家は高床式なので、アリチョークという猛毒マーク入り(白ドクロ)の白チョークで、地上からの一本一本の柱に一周ラインを2、3本入れておくと、地上から家に向かうアリたちの侵入がほとんど防げた。それでもアリの季節になると、彼らは家の屋根上までしなり伸びた竹を伝って登ったり、電線を伝ったりして密かに我家に侵入し、いつの間にか、衣類や物ものをしまってあるプラスティックの箱の中に大量の卵を産み育てようとし、ある日、ボクが箱を開けてみて、その内部風景にギョ!!! とする。アリの卵を食べる人種もいるらしいが、ボクにとっては最悪の風景で、鳥肌が立ち、吐き気をもよおしてしまう。
 その対処方法は、箱ごと外にソット持ち出して、スバヤク衣類や物ものから一つずつ丁寧にアリや卵を払い落して、ボクのお気に入りのオレンジ色のアリスプレーで箱の中のアリや卵を全滅させる。そして、その箱をスミズミまで心行くまで洗い、箱と衣類などを太陽の下で充分乾燥させ、また入れなおすのだ。毎日の生活で、少しでもアリの先鋒隊を発見したら「ココはダメ!!!」と言い聞かせながら、お気に入りのアリスプレーで彼らを一匹残らず壊滅させる。これをやらないと、その先鋒隊からの報告を受けた大軍がわ!!!っと押し寄せてくるのだ。そうなるとボクのお気に入りのアリスプレーで、ものすごい数の犠牲者をだすことになるので、早期発見・早期壊滅が一番犠牲者を少なくし、ボクらも不快な目に合わなくて済むのだ。
 ここ岡山県総社での生活では、そういう蟲たちとの戦いはないものと確信していたけど、まず、ジャングル化した庭から発生したものすごい蚊の大群が待ち受けていた。ボクがものすごい勢いでそのジャングルを美しいシンプルな日本庭園にしたことで、発生源を断たれた彼らは、みるみる減っていったし、追い打ちをかけるようにすべての窓に網戸を取りつけ、さらに金鳥蚊取り線香を3ヶ所に設置したことで、彼らとの戦いはなくなった。と、思ったら、次はハチ、だ!!

8月6日広島の日に2歳に成った太一、産まれて初めて神社の石段を独りで登りきった!!

 知らぬうちにいつの間にか、一階の八畳の居間の天井裏に巨大なハチの巣ができていて、天井裏から外に通じる通風口からものすごい数のハチが出入りしていたのだ。太一を庭の子ども用プールに入れて遊ばせていたら、いつの日かハチが数匹現れ始めたので、おかしいなとアチコチ巣を探していたら、その通風口辺りがハチだらけで、夕方から夜にかけてハチの活動が停止するころには、ギョ!!!っと呼吸が止まってしまうほどのハチの大群がその通風口を守るようにジッとしているのだ。通風口が全く見えなくなったハチの山、大群風景。
 太一が刺されたらイヤ!!! なので、ボクはさっそく薬局に直行し、黄色の猛毒の強力噴射スプレーを買ってきた。そしてハチたちがじっとして動かぬ夜に、そっと、梯子を架け、3メーター離れた位置から、そのハチの山をめがけて8秒間の連続ジェット噴射。
 その日は、7月26日。マヤ暦の元旦、だ。元旦の突如のボクの攻撃に驚き混乱したハチの大群は、一斉に家の庭を狂ったように不規則に飛び、散り、地上めがけて落下してゆく。その恐ろしい死の乱舞風景を、居間の中からじっと見守るボク。すると、見えぬ天井裏の空間からB29の飛来かと驚くほどの、ぶきみな重低音のハチの大軍の轟音!!! 横になっていた愛妻はるかや痴呆の父も、その耳慣れないぶきみな重低音の響き(母は耳が遠いので、平然!!)に不安そうに起きてきた。
 どこから侵入してきたのか、数匹のハチが居間の中を狂ったように飛び回る。その侵入恐怖風景とともに、何処にあるのかわからぬほどの天井の隙間から、透明な液体がポトリポトリと落下し始めてきたのだ。事情を知った愛妻はるかは「ハチのナミダだよ!!!」とボクに抗議する。ボクのこの突如の攻撃でパニック化したハチたちが、自分たちがせっせと集めた蜜をひっくりかえしたのだろうか??? そのマヤ暦の元旦の夜からのボクは、この甘い「ハチのナミダ」の落下を防ぐために、土色の布製ガムテープを毎日せっせと天井に貼ってゆくハメになってしまったのだ。
 それから3週間たった8月17日満月の夜の今、居間の天井には土色のガムテープのモザイク模様がいまだに展開中で、床にはガラスの大ザラ4枚を設置して、防ぎきれない「ハチのナミダ」を溜めつづけている始末だ。この「ハチのナミダ」との戦いはいつまで続くのか? 毎年このハチたちはやってくるのだろうか?? 蟲たちとの共存か排除か??? 愛妻はるかは共存派、ボクは絶対排除派。果たして“ボクら”はどうなるのだろうか???? 次号は、イノチのバランス(人編)を描いてみようかな。

    大量虐殺者のとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第13回

プチオイルショック

取引価格が暴落した5月13日の黒島家畜セリ市場の様子。購買者の席にも空席が目立つ

 黒島と石垣島を約25分で結ぶ高速船の定期便は、3つの船会社合計で一日14往復ある。八重山の他の島々も石垣島との船便は結構あり、観光地であるおとなりの竹富島は定期船だけで一日約50往復もある。竹富島の場合はツアーによるチャーター船も多いと思われるので、港はにぎわっていると思う。
 沖縄の他の離島と比べ、八重山諸島の定期船の便数は相当多い。その理由は、船会社が民間であるという点が大きいと思われる。他の島々は役場の船舶課などが運航していたりする。島に住む者の立場としては、便数が多いことはとても便利でありがたい。観光客にしても選択肢が増えるのは嬉しいことであろう。ところが、民宿などは船の出入港の度に送迎があったりするので船便が多いことは手放しに歓迎はできない。また、黒島の場合、島の基幹産業が畜産なので、夏休み期間中の今でこそ船から降りてくる観光客が多いが、いつもは乗降客もまばらで、石垣島の空気が船で運ばれてきているようなものである。
 そんな便数過剰ぎみの定期船であるが、今回の原油高騰により、7月からの運賃が値上げされた。石垣島から黒島へ渡るのに、片道170円上がり、1300円となった。間引き運航でもして便数を減らし、値上げを見合わせて欲しいところではあるが、3社も就航していれば色々あるようだ。
 離島では、ガソリンなどは元から割高だった。私はいつも軽油を入れていて、通常でも軽油でリットル160円ぐらいだったのが、今では200円前後である。5月の段階でガソリンが1リットル200円を超えている離島もあった。さらに台風などで貨物船が欠航などして給油所の燃料のストックが少なくなると、一回5リットルの給油制限があったりする。8月6日に給油所へ行ったら、「燃料無くなった」と言われてしまった。
 原油高騰のあおりを一番受けたのは、島の基幹産業である畜産である。子牛を生産して出荷している「素牛生産(もとうしせいさん)」などと呼ばれる形態の畜産をしている黒島には、奇数月にセリが実施され、全国の肥育農家から購買者がセリの日に集まってくる。
 5月13日に実施されたセリで、子牛価格が暴落した。購買者が激減し、取引の平均価格が前年同月比マイナス45パーセントという厳しい取引となった。この背景には、原油高騰による肥育コストの上昇があり、肥育農家は仕入れに高値を付けることはできないようだ。黒島の畜産農家もコスト高に泣いているうえ、セリ値の暴落に慌てている。
 沖縄県には黒島・石垣島・伊江島・久米島・宮古島・久米島と、沖縄本島の2カ所で子牛の取引を実施する畜産市場があるが、5月のセリでは、黒島の家畜セリ市場が県内で最大の下げ幅を記録してしまった。このことから、国会議員や県知事が視察に訪れ、その対応などで私は仕事以外の雑務が増えてしまった。
 セリの暴落に悲しむ島内の畜産農家のため、私も一肌脱ごうではないかと、「購買者に家族で来てもらって、研究所でもセリに合わせて家族向けのプログラムでもやりましょうか」と、私の勤める黒島研究所の活用を提案したところ、ある畜産農家の一人は、「仕事で来るから家族はあまり連れて来たがらない。こんな南の島に人を連れて来る場合は愛人の場合もある。だから、そっとしておいてやれ」と言われてしまった。
 そういえば、黒島はハート形をした島なので「ハート愛らんど」などと呼ばれている島であった。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

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「私の好きな店」File.No.04

「茶月斎(ちゃげつさい)」―中国料理―

第4回目は、File.No.03・「ワインと旬菜 ビストロ ヒロ」のシェフ・名取さんの「私の好きな店」をご紹介します。

「私の好きな店」File.No.03

次号予告

 次回の配信は9月4日。オーストリアの作曲家・ブルックナーの誕生日であり、クラシックの日でもあります。関連があるのかなと思いましたが、ク(9)ラシ(4)ックの語呂合わせだそうです。そろそろゲー術の秋がはじまるころです。
 次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!
 
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