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『メルマガ北海道人』第83号 2008.8.21.―「北海道人」、遊びつかれたあとに―

 晴れたら海や山へ行き、曇りや雨だったら読書や家の仕事を――。こんな風に夏の予定を考えていた人は、長く続いた晴天のせいで遊び過ぎてへとへとになっているのでは。また、お盆時期と重なった今回の北京五輪。テレビの前で釘づけになった人も大勢いたのではないでしょうか。手に汗握る競技の連続だったので、動いていないわりには疲れていたりして。
 遊びつかれた人を癒すように、数日前から涼しい風が吹き始めました。ありがたいような、さびしいような……。まだまだ残暑のふんばりに期待したい! もうちょっとガンバレ、夏!
 『メルマガ北海道人』第83号、未練がましく夏にしがみついて配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 一発のチョーキング音で田野城さんをノックアウトしてしまうアーティスト、カルロス・サンタナ。モントルー・ジャズフェスティバルの最高責任者も絶賛した彼の演奏の凄さはどこにあるのでしょう。音楽に大切なもの、プロとはいったい何なのか? Lesson38は「音楽のできる人、音楽のわかる人」について。

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 オリンピック開催中の北京から岩崎さんのレポートです。競技の結果のみならず、さまざまな話題で盛り上がる北京五輪。開幕式当日、写真デスクから岩崎さんに撮影依頼のメールが届きます。向かった先は天安門広場。開幕式に打ち上げられる五輪の花火を待っていたところ……。またまた新たな五輪疑惑浮上?

連載【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】

 「写真機携帯症患者の病状報告」第4回目は、「写真は『空間』を写せない」という考えから始まり、人間と時間・場所についての考察、さらには「人間の運命」へと話は展開してゆきます。暑さで朦朧とする頭で難しい文章を読む……受験の夏を思い出すような今回の「濡れにぞ濡れし」は汗に濡れて読むべし!

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 38

音楽のできる人、音楽のわかる人

 先日、ライブが終わるとお客さんが私にこう言いいました。
 「田野城さんのテナーサックスの音はジョン・コルトレーンに似ていますね」と。
 常にオリジナリティーを重んじる私にとって、それはまったくもってありがたくない言葉なのですが、今回、その言葉は何の違和感もなく、むしろ自然な感じで心に浸透していきました。私はこれまで人前でジョン・コルトレーンの曲を演奏したことがありませんでした。
 己の気持ちにいったい何が起こったのか……? 興味津々なのですが、ひとつ明快に言えることは、コルトレーンフリークのごとく演奏したのではなく、己の音、磨き上げた自分だけの音をコルトレーンのキャンパスにぶつけてみたかった、ただそれだけでした。コルトレーンの胸を借りて試合がしてみたかった! そう言った方が正解かもしれません。
 先日、ある雑誌のインタビューで「一番好きな曲は?」と訊かれ、私は何のためらいもなくメキシコ出身ギタリスト、カルロス・サンタナの『哀愁のヨーロッパ』と答えました。彼はメジャーデビューする前にウッド・ストックに出演した経歴をもつ凄い方です。私は高校から大学時代にかけて、彼の演奏をむさぼるように聴いたものです。彼の何が凄いって、ギターから放たれるたった一発のチョーキング音。それだけで私は脳天を斧でかち割られたかのようにノックアウトされてしまうのです。無意味な音ではなく、心のこもった「音魂」の凄さを私に教えてくれた数少ない音楽家の1人です。
 世界で最も注目を集めているモントルー・ジャズフェステバルの最高責任者であるクラウド・ノブス氏はロックやジャズなどあらゆる音楽に精通した人物です。彼がサンタナの創り出す情熱的なラテンロックや一音にかける集中力の凄さをとても賛美していたことを今でも忘れられません。この「音魂」を心で感じ、本物かどうか見ぬく力をもっていることが世界標準の条件です。
 今後、どれだけ時代が変化し、デジタル化が浸透しようとも、人間としての証しである「音魂」は消えることなく輝き続けるのです。
 そこで言えることですが、プロフェッショナルとアマチュアの違いのひとつとして、音楽に対する考え方や組み立て方がまったく異なるということがあります。本物のプロが奏でる音楽とは「綺麗に聴かせる」「音程を合わせる」…… そんなものではありません。何をもって綺麗というのか? 何をもって音程を合わせるというのか? それらのことはつまらない精神の垢にすぎません。
 プロとは、器械ではなく人間臭さの中にもっと大切なものがあるのを知っている人のことです。だからこそ「私の音を聴け〜!!」と言わんばかりに己の音で見事な演奏をするのです。たとえそれで音がはずれようとも、それを気にするなどプロにとってはまったくナンセンスな話です。
 私にはある関心事があります。小・中・高校などの吹奏楽団でワンポイント指導をしてくるなかで、非常に「残念」だと感じたことがあります。音楽が大好きで部活を続けてきた彼らの90パーセント以上が高校卒業とともに楽器を辞めてしまうという事実です。いったん音楽を辞めてしまった彼らに「音楽を楽しもう」と声をかけてもこと既に遅し。もう二度と楽器を手に持とうとしません。何故だと思いますか?
 この事実を関係者の皆さんも真剣に考えるべきだと思います。自分たちが行っている音楽教育に間違いがないか? 現場に本当に必要なのはいったい何なのだろうか? と。
 その理由の一つは、「音楽が学問になってしまった」こと。クラシックやジャズが学問になり、音楽が知識と技術をはかることに重点をおくようになってしまった…… 。それが弱点となって現れた結果だと私は判断しています。
 音楽の人間臭さが削ぎ落とされ、大切な哲学が無視されてしまった。結果、「音楽のできる人」がたくさんつくられましたが、彼らのいったいどれくらいが「音楽のわかる人」であるのか私は疑問に感じます。「できる」ではなく「わかる」ということが音楽では大切なのです。またこれは、何事においてもあてはまることなのです。

著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第41回

祝北京五輪!

 いよいよ北京五輪が始まった。テレビにかじりついているのか、当局によって北京を追い出されてしまったのか、理由は定かではないが、毎年夏に見る上半身裸で犬の散歩をするおじさんやパジャマとスリッパで街を徘徊するおばさんを今年はさっぱり見ない。それどころか、30人に一人はボランティアの洋服を着ていて、50人に一人は五輪関係者か報道関係者しか持っていないパスを首から下げている。街の広告も五輪一色だ。先日まで建設中だった建物も大きなビルの絵が書かれた覆いで囲まれて、遠くから眺めているとまるで完成したビルのようだ。近くで見ると偽の人間が描かれていたりしてかなり異様だが……。
 そう、気がつくと北京市内は映画のセットのようになってしまった。知り合いのレストラン経営者は客足がバッタリ減ってしまったと五輪開催をかなり恨んでいた。行きつけの海賊版DVD屋も気がつけば店の門に鍵が厳重に掛けられていた。どうやら摘発に合って何処かに逃げてしまったようだ。私の親友白タクの段さんも、五輪期間中は車のナンバープレートが偶数奇数によって交通規制が行われているため、2日に1日は全く仕事ができないでいる。元々白タクなど怪しい仕事をしているから、もろに規制の餌食になるのだが、意外にも「テロに巻き込まれる確率が減るからまあいいや」と開き直ってしまっている。
 このような状況でもかなりの人たちが五輪で盛り上がっているようだ。
 海外では合成の花火映像や口パクの少女、少数民族を装った漢族の子供たちの起用に批判的な報道も目立つ開幕式だが、北京では既にDVDになり、爆発的な売り上げを記録している。タクシーに乗るたびに運転手から「素晴らしい開幕式だった」と同意を求められるが、私は開幕式をこれっぽっちも見ていないのだ。

北京五輪開幕式の夜、喜び疲れて眠る市民

 開幕式当日、数日前の地元新聞のコピーがメールで届けられた。新聞の一面写真は北京の中心天安門の前に美しく輝く五輪の形をした花火の写真だった。「こんな花火見たことあるか、是非とってきてくれ」と写真デスクからの依頼のメールだった。たしかに日本のどんな花火大会でも見たことのない美しい五輪型花火の写真だ。こんな花火を打ち上げられるなんて、中国の技術もたいしたものだと思わず感心してしまった。
 というわけで、私は開幕式の時間帯に打ち上げられるという五輪花火を撮影するために天安門広場に向かった。広場は花火が打ち上げられるため、報道陣と関係者以外は立ち入り禁止になっていたが、開幕式が始まる数十分前になると、集まった数千人の民衆が天安門広場を取り囲んで「頑張れ中国!」などと叫び始めた。武装警察も導入された厳重な警備にもかかわらず、開幕式が始まるとそれを突破した民衆が広場になだれ込んできた。いろいろデモを取材してきたが、喜びのあまり警備を突破する人々というものを初めて見た。
 広場の中をグルグル回りながら叫び続ける民衆をよそに、私は五輪型の花火がいつ上がってもいいようにカメラを構えて待つ。数時間過ぎた後、花火は最後に上がるのではないかとの情報を得て開幕式の終わる11時30分まで天安門で待機する。深夜12時を過ぎたころ、構えていた方向と違うところから一斉に花火が上がった。「やられたー」と思ったが新聞で見た五輪の形をした花火は全然打ち上げられない。うー、もしやあの写真も合成だったのでは……と途方に暮れながら私の開幕式の夜は過ぎていった。

終わり

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】 第8回

写真機携帯症患者の病状報告(4)

 写真は一般に「空間」を撮影する、と認識されているのではあるまいか。しかし、本当にそうなのだろうか?
 「空間」は「時間」とセットになって考えられるように思うが、写真は「空間」を写せない、というのが私の考えである。しかし、「時間」は写せる。「時間」は「そのとき」のことでもあり時代のことでもあるのだから、これは写る。まあ、写真は「時間」を写す道具だと言ってもいいくらいのものだろう。
 ところが、「空間」というのはのっぺらぼうで実体がなく、具体性に欠けていてとりとめのないものだから写真には写らない。では、写真に写し出されている空間のようなもの、あれはなんなのかということになる。あれは、「場所」である、というのが私の答えである。
 「場所」は「空間」と違って具体的な実体であり、存在するものであり、記憶である。良し悪し、善悪は別にして、「場所」は人間の存在そのものと不可分に結び合っている。
 一枚の写真がある。ベッドに裸体で横たわっている老女がいる。室内である。ベッドの先には窓がある。窓にはカーテンがぶら下がっている。窓の外には森が見える。……老女は、自分が毎日使う寝室で裸になり、写し手に心を許したのだった。
 このように、一枚の写真の中に「場所」が写し込められる。これは「空間」という概念ではとらえられないだろう。「場所」しか写真には写らないと私が考える所以である。

東京亀戸('08.6月)

 人は、多くを「場所」に規定されて生きる。いくら居住の自由が保証されているとはいっても、同時に二つの「場所」に居住すること、暮らすことは不可能だ。
 東京と札幌に一軒ずつ家を持つことはたしかに可能だろう。しかし、その二軒の家で同時に寝起きはできまい。8月8日午後8時に、一人の人間が札幌と東京の「自宅」で同時に起床することなどできっこない、という意味である。
 仮に一日ずつ交互に札幌と東京で寝起きしたとして、それは生活でも暮らしでもあるまい。半年とか一年、ある事情でそういう「生活」をしたとしても、それはそういうことが可能だという実験と変わりがない。
 ともかく、人間はある「場所」に生まれ、ある「場所」で育って人間となる。そこで自己がかたち創られていく。常識も美意識も、ありとあらゆることが「場所」によって私に注入され、私に教える。要するに、私はそれに教えられる。もちろん「時間(時代)」にも人間は教えられる。それらから、つまり「場所」と「時間」の教えから人は逃れることができない。これは「人間の運命」であり、「時間の運命」であり、「場所の運命」でもある。
 写真に即して言えば、写すほうも写されるほうも「場所」と「時間」の枠の中から脱出することができない、ということである。だから、それしか写真には写らない。それがすべてなのだから――。一升マスには二升は入らないのである。
 この話はもちろんこれで終わりではない。先がある。でも、この先は実にややこしい。私も一生考えつづけるけれど、これを読んで下さったみなさんもときどき「時間」と「場所」のことを思い出して考えてみてほしい。「場所」と「時間」と「人間の運命」ということについて。

次号予告

 次回は8月ラストの配信になります。空が高くなったり、空気が澄んできたり、秋の姿が見え隠れしてくるころでしょうか。
 さて、次号のメルマガラインナップは、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」、若月元樹の「南の島から――沖縄県黒島の日々」です。
 『メルマガ北海道人』第84号は8月28日(木)に配信します。

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