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『メルマガ北海道人』第82号 2008.8.7.―「北海道人」、木陰のよろこび―

 夏、街路樹がつくる木陰はまるでオアシスです。ギラギラと脳天を照りつける太陽から逃れ、ゆらゆら揺れる木陰でふーっと一息。木陰に入ったとたん、気温がグッとさがり、そこに風が吹いてくれば最高! 目的地まで街路樹が続いていればラッキーです。木陰を選んで渡ってどこまで行ける――。影ふみ遊びをしている間に、気がつけば夕暮れになっていたとさ。
 『メルマガ北海道人』第82号、木から木へ小走りしながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 「上海日記」第38回のタイトルは「就職浪人」。前回、外国映画が見られない、という理由で寧波テレビ局を辞めてしまったチャンイン。その後始末で教授はおおわらわ。しかし、そんなことは気にせず頻繁に大学に出入するうちに次の就職先が見つかります。途中、ノーカットの『金瓶梅』にふらふらっと寄り道。

連載【とろんのPAI通信】

 前回、ジャングル化していた岡山の実家の庭を簡素な日本庭園にし、ハレバレしたとろんさん。今回は、とろんさんが3歳のときに自殺してしまった実母の墓参りに行きます。命日である7月15日に家族5人揃っての墓参り。その日は、現在の母親の誕生日でもありました……。なんだか「ややこしや♪7月15日」。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島では旧暦6月の豊年祭が終わると、旧盆行事の「アンガマー」が行われるそうです。「アンガマー」は、沖縄本島で言う「エイサー」で、本土で言う「盆踊り」のようなもの。チョンダラーが踊り手をはやしたて、ウタシャが唄い、若月さんがおばーのパンチを受けてしまう。「アンガマー」とはいったいどんな行事?

【上林早苗の『上海日記』】 第38回

就職浪人

 オリンピックがいよいよ目前に迫っている。ここ上海の実感でいえば、テレビ報道と地下鉄などの警備のほかは、「治安維持」のため私たち外国人ビザの発給が難しくなったぐらいで、お祭りムードというのは今のところ感じられない。むしろ、テロだけ防いで後は好きに盛り上がってください、といった冷めた人も多く、北京との温度差は大きそうである。ともかく早く無事に終わってほしいと私も願うばかりだ。

 卒業まもないチャンインは配属先の寧波テレビ局を「外国映画が見られないから」という理由で逃げ出した。もちろん大学側のメンツは丸つぶれ、教授は後始末に大わらわである。さすがにその後しばらくは校門をくぐることもできなかったのかと思いきや、むしろ暇に任せて頻繁に大学に遊びに行ったというから図々しいことこの上ない。さらには学生寮にもぐりこみ、いつのまにか寝泊りまでするようになった。根性のすわった就職浪人である。
 金庸の『金瓶梅』に出会ったのはその頃だった。『金瓶梅』は中国の好色文学の古典的存在で、四大奇書の一つだ。それだけにいつの世も禁書とされ、当時も一般に出回っているのは過激な性描写、つまり「不潔」な部分が削除された「潔本」と呼ばれるカット版のみ。「全本」と呼ばれる完全版はごく一部の特権階級だけが持っていた。チャンインの言葉を借りれば「高級幹部は自制心があるから毒本を読んでもよく、民百姓は教養がなくガマンが効かないからダメだった」のだそうだ。
 ある時、その貴重なノーカットの「全本」を院に進んだ友人が指導教授から借りることに成功した。その老教授は日ごろから政府の文学閲覧制限を皮肉ってこんなことを言っていた。
 「私は古典文学研究者です。しかし、この私でも『金瓶梅』を読むとやはり情欲にとらわれて仕事が手につきません(笑)」
 老教授さえ「ガマンできない」作品とはいったいどんなものか。学生たちの興味をそそらないわけがない。院生はまず借りた「全本」と「潔本」を一行ずつ読み比べた。そしてカット部分を確認し、ひとしきり堪能すると、別紙にそれを手書きで写し、ストーリー完全無視の自家製「金瓶梅・性描写集」を作りはじめた。研究のためではない。あくまで個人的な趣味として、である。チャンインは感心した。
 「なんて気骨のある男だろう」

老朽アパートのエレベーターホール(虹鎮老街)

 完成までなどとても待ちきれない気分だった。今すぐ読みたい、手に入れたい。ならいっそ自分でやってしまおうじゃないか。どうせ就職浪人の身、時間なら余るほどある――。院生にうまく言って「お宝」を又借りし、さっそく写本に取りかかった。
 『金瓶梅』はたしかに名著だった、という。ストーリー展開は人を飽きさせず、表現も美しい。女体や艶事についてもたしかに事細かく書いてあった。書いてあったのだが、チャンインには大いに不満であった。なぜか。その表現が「雨露が落ちる」だの「つぼみが開く」だのと実に文学的、『プレイボーイ』の愛読者から言わせると「婉曲きわまりなかった」からである。チャンインはいくらも進まないうちにこの壮大なプロジェクトを投げ出してしまった。
 そうして大学にブラブラと出入りしているうち、就職口が見つかった。先輩の一人が国営大手新聞W報を紹介してくれたのだ。部門は校正部で、仕事は編集者の指示どおりに植字がされているかどうかの確認作業である。夜8時から朝4時までの夜勤で、実に無味乾燥な毎日だった。
 半年後に配属されたのは「群衆工作部」で、さらに頭が痛かった。この部門では読者からの電話や手紙、来訪を受けつけ、それを整理・分類する。新聞に掲載できるのは記事への賞賛や感謝の言葉などごく一部なので、その他の批判や問題提起を参考資料としてまとめ、職員に回覧させたり、関係機関に報告しなければいけなかった。投書内容はといえば、当時はまだ配給制が残っていたせいで「一家に牛乳一本では(配給量が)足りない」とか「ガスが止まった」など、日常問題がほとんど。時には無茶を言う読者たちをうまくあしらわなければならなかった。
 「冗談じゃない」
 チャンインにとって新聞社の醍醐味はなんといっても「記者」である。記者証を翻し、巷で「タダ飯」「タダ宿」「タダ映画」の厚優遇を受けるのが「あるべき姿」だ。それがどうしてまた住民委員会の苦情受付のような雑用をしなければいけないのか。チャンインは大いに不満だった。こうして彼は誰もがうらやむW報をまた辞めてしまう。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第31回

ややこしや♪7月15日

 ボクがまだ3歳のとき、ボクを産んだ実母はボクをこの世に残したまま自殺して、独りであの世に逝ってしまった。そのころの記憶は全くないのだけど、なんだか、実母の葬式の日のボクは、三輪車に乗って「まつりだ! まつりだ!!」と独りでハシャイデいたらしい。8月6日で2歳になるボクの長男(太一)のワンパクぶりを観ていると、なんだか、そういう自分の3歳児の風景が生々しく想像できるから不思議だ。実母が逝ったのは彼女が29歳のときだから、愛妻はるかが太一を産んだのと同じ年齢で、今、生きていれば83歳!!! 命日が7月15日なので、暑い中、車に家族5人で乗って墓参りに行ってきた。生まれて初めて自発的に、形式的じゃない心からの墓参りができた。この今の自分のそういう変化に驚きながら、先祖や実母たちの墓の周りの草群を刈り取ってキレイにし、太一や愛妻はるかや痴呆の父や重度糖尿病の今の母とともに、入魂の墓参りができて、なんだか、またもや岡山おかやまして、さらにハレバレしている。
 そして、その重度糖尿病の今の母は、この同じ7月15日で77歳に成った。昨年2007年7月7日、49日間の祭りのオープニングに結婚式をしたボクと愛妻はるかにとって、「7」という数字は特別で、77歳に成った今の母を心から祝うため、墓参りの帰りに家族揃って久々の楽しい外食を共にし、夕食は愛妻はるかが心をこめて作り、手作りのケーキには7本のローソク!! そして、77歳に似合う夏服をボクらからプレゼントされた母は「これまで生きてきた中で一番シアワセじゃ」ともぐもぐとつぶやき、なんだか、やっと、この(ややこしや♪7月15日)がクリヤーできた気がして、またもや、ハレバレ。
 小さいときからボクはこの7月15日が大の苦手で、実母の自殺した命日なので、今の育ての母の誕生日を心から祝うことができなかったのだ。それも長い間、「実母と今の母と父とは淫らな三角関係にあって、そういう関係の中、実母は見せしめに今の母の誕生日を意識的に狙って自殺したのだ」とボクはなぜだか確信していたのだから。

我が家の庭に突如と花開いた(ボクの大嫌いなサボテン)の一日だけの愛おしくもキレイな白い花

 確かでない情報を元に自ら作り上げた確信的妄想ほど破滅的なものはない。世界中の国々や民族や宗教や人間関係の戦いのほとんど全ては、この手の一方的なユルギナキ妄想からはじまっているんじゃないかな。
 そして、この7月15日は、PAIで6年がかりで作り上げた村、ムーンビレッジの土地の契約が終焉した日だ。3年間の契約を2回繰り返し6年経った。この6年間に桃源郷PAI は、なぜだか急展開し続け、土地の値段も急騰し続け、6年前に比べると5倍以上になってしまい、貧しくって優しく信頼できる大家さんも「二人の息子たちの結婚資金のために」と、土地の売却を決めてしまったのだ。
 6年前に「100万バーツ(約300万円)で買わないか?」と彼に言われたとき、ボクは「これからこの土地はどんどん高くなるから、一番高くなったときに売ったらいいよ。それまで借りられればいいし」と、ボクらの明日のことなど何も考えないで返事をしたら、6年後、ホントに土地が急騰し、ホントに売られてしまったのだ。まあ、これも、運命ってやつだ。この7月15日で、もうボクらの土地でなくなったムーンビレッジ。道路を挟んだ向かいに「夢蝶(ゆめむし)」というゲストハウスが在って、日本人の女友だちでオリジナル民族衣装作家(ゆう)が運営している。ムーンビレッジ26の建物のうちの3つをここに移築し、自転車6台と日本のマンガや単行本も沢山置いてきたので、ムーンビレッジの香りが少しは残っているゲストハウスだ。新天地NEW MOON VILLAGE についての情報はこの「夢蝶」を訪ねたらいい。PAIで唯一の日本人のたまり場となっているオススメの母系ゲストハウス。
 そのゲストハウスのオーナーの“ゆう”が、7月12日、この岡山のボクらの家に泊まりに来てくれた。そして、ボクが手入れした後の庭に残っているボクのダイキライなサボテンの一つから、この日の夜、真っ白な大きな花がパーンと咲いて、皆を驚かせた(写真)。彼女がやってきた夕方に蕾になり、夜、ピカピカのひんやりした石のテーブルに座って氷入りのエビスビールを飲んでいると、これみよがしに、あ!!っと、花開いたのだ。そして、翌日の夕方、彼女を見送って家に帰ってみたら、すでに花は寂しく閉じ、ぐったりと萎んでいた。この神々しいまでのグッドなタイミングの、一日だけの真っ白なサボテンの花、華。ボク或いはボクらに向かって、一体なにを伝え放って逝ったのだろうか???

    すこしは写真に目覚め始めた介護生活中のとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第12回

アンガマー

家から見たアンガマーの様子

 旧暦の7月13〜15日の3日間は旧盆で、沖縄全域で祖先の供養が実施される。新暦に当てはめると今年の旧盆は8月13〜15日となり、本土の一般的な盆休みと重なってしまった。
 黒島では旧暦6月の豊年祭が終わると、青年たちが旧盆行事である「アンガマー」の準備に取り掛かる。ところが、今年は7月27日に予定していた豊年祭が行われなかった。台風接近のため、取りやめとなったのである。
 その、豊年祭取りやめの決定も簡単に結論が出たわけではない。気象庁の発表する台風の予想進路を見る限り、開催できない状況であることは2日前から明白であったが、主催者である公民館の役員らは前日まで結論を出しきれなかった。しかも、出した結論が中止でも延期でもない、「7月27日はとりあえず取りやめ」なのである。台風通過後の会合では、今年の豊年祭は中止にしてしまうのか日を取り直して延期にするのかが議論となった。通常、豊年祭は旧暦の6月中の開催でなければならない。今年は豊年際の予定日後すぐに旧暦7月に入ってしまうため、新たな日程が組めないという難点があった。旧暦7月はお盆月のため祖先を供養する行事以外はやらないものらしい。旧暦の8月に開催する案も浮上し、議論となった。
 従来どおり旧暦6月に開催するべきだ。期間中にできないなら中止するべきだとする派と、旧暦8月に開催して奉納舞踊などを継承するべきだとする派に分かれた。双方が、「伝統の継承」を理由に議論は対立した。結局、カミツカサの判断に委ねることとなり、結果、中止という結論にいたった。こうして例年と違って豊年祭を終えず、「アンガマー」の準備が始まったのである。
 「アンガマー」とは、沖縄本島で言う「エイサー」で、本土で言う「盆踊り」のようなものである。「アンガマー」の語源は「行脚(あんぎゃ)」とも言われている。二晩かけて島内の仏壇のある家をまわるので「行脚」説に説得力を感じる。
 「アンガマー」では、サンシンや太鼓の奏者を先頭に頭に花笠をかぶり、サングラスをし、手ぬぐいで口から下を隠して誰だか分らないように仮装した青年たち30〜40人ぐらいが屋敷内に入って庭に並び、サンシンに合わせて2曲ぐらい踊って旧盆で帰ってきているという各家の祖先を喜ばせる。さらに、京太郎(ちょんだらー)と呼ばれる顔面白塗りの男が踊り手をはやしたてたり家々から寸志を回収したりする。かつてはお酒をもらっていたそうで、その名残なのか、京太郎は酒甕を担いでまわる。アンガマーの最中、唄者(うたしゃ)以外は裏声しか発してはならない。なぜならば、仮装した青年たちは「精霊」であって、「この世の者ではない」からである。サングラスは現代風であるが、昔は「ミーカガン」と呼ばれる木製の水中メガネを装着して踊っていたらしい。
 かつては、仮装している青年の正体がバレてしまうと、再び仮装して出直すほど仮装にこだわったのだという。踊り手たちでもお互い誰が誰だか分らないぐらいであるから、「アンガマー」を迎え入れる家の人たちはどの青年が踊っているのかわからない。
 昨年、「アンガマー」が入った家で、精霊に扮した太った青年が、その家の小さい子どもを何度も空に投げて手荒にあやした。青年はあやすつもりでやったようだが、子どもは大声で泣いてしまった。その家を去った後、家のおばーがアンガマーの行列を追いかけてきた。そして、孫を手荒にあやしたことを怒りながら私のお腹を何度もパンチしてきた。体格が似ていただけでとんだとばっちりを受けてしまった。
 ちなみに、真犯人である青年はその家の親せきであった。何はともあれ、パンチ力の弱いおばーで良かった。

わかつき・もとき・・・1947年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次週のメルマガはお盆のためお休みです。次回の配信は2週間後の8月21日(木)です。
 次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!
 
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