メルマガ北海道人

HOME > 第81回

『メルマガ北海道人』第81号 2008.7.31. ―「北海道人」、涼しい海風とひるね―

 夏の昼下がりに、うとうと。涼しい風が吹きぬける場所で、ちょっとだけのひるね。開いたままお腹にのせた本は何でしょう? 外国文学でしょうか、流行の小説でしょうか、厚い辞書なら悪夢を見てしまいそうです。BGMには何がいいでしょう。隣の家から聞こえてくるピアノの練習曲、木々のざわめき、潮騒にまぎれて子どもたちがはしゃぐ声。
 涼しい海風にそよそよあおがれて、木陰でひるね――。つかの間に見るのはどんな夢?
 『メルマガ北海道人』第81号、海風にのせて納涼配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 今回のタイトルは「人間は己自身を表現するために生まれてきた……」です。最近、かつてないほど映画を観ているという田野城さん。その発端は、今年の9月に行われる「第3回札幌国際短編映画祭」の審査員に選ばれたことだそうです。あの名監督たちも元々は……。短編映画の可能性、魅力に迫るLesson37。

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 五輪目前の北京から岩崎さんのレポートが届きました。今回のタイトルは「陳情者たちの北京五輪」。北京には直訴村という中国各地から集まった陳情者が住む地域があります。その近くにある陳情者受付所を訪れた男性に取材をしていると、数十人の私服警官が岩崎さんたちを取り囲み……。警官はいったい何を?

連載【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】

 「写真機携帯症患者の病状報告」第3回目は「写真行為」について。今回は夏休みの特別講座といった感じです。写真行為は、写す、選ぶ、見せるの3つの行為に分けられることができるだろう、からはじまり、ドロボーやホラ吹きの話で終わる講義内容を正確に理解するには、集中力と涼しい環境をご用意ください。

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 37

人間は己自身を表現するために生まれて来た……

 最近、時間を作ってはパソコンをひらき、映画を観ています。しかも一度に5本や6本なんて当たり前。かつてこんなに映画を観たことがあっただろうか……?
 ことの発端は今年9月にひらかれる「第3回札幌国際短編映画祭」の審査員を引き受けたことでした。アンドレイ・タルコフスキー監督の『ストーカー』、フランシス・フォード・コッポラ監督『ゴッドファーザー』、マーティン・スコセッシ監督『ニューヨーク・ニューヨーク』、ウェイン・ワン監督『ブルー・イン・ザ・フェイス』など記憶に残った作品はありますが、私は映画評論家でも熱狂的な映画ファンでもありません。そんな私がなぜ審査員の一人に選ばれたのだろうか? と最初は戸惑いました。
 しかし、映像と音楽は切っても切れない関係。ならば音楽家の視点で映画を観て、ジャッジするのは新鮮に感じてもらえるかもしれない。
 それに興味深い話としては、ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグなども短編映画出身者だということでした。つまり、短編映画祭は次世代の映画界を担う情熱を抱いた映画人にとっての登竜門といえるのではないでしょうか。今回エントリーされた短編映画作品に携わった人の中からもおそらく大物監督や脚本家など優れた映画人が現れるにちがいない……。そう思うと作品を観たい衝動にかられてしまいます! しかも審査員だから誰よりも先に観られるのです。これは一石二鳥、引き受けるしかない!
 これまでに短編映画を観られた方がいるかもしれませんが、作品の時間はだいたい15分〜30分で完結しています。しかし、これが実に素晴らしい! 中身がギュ〜とつまって、それでいてサクサクっと楽に観られちゃうのですから。今回エントリーされた作品を観て感じたのですが、長編映画と比べてもクオリティにまったく差が感じられません。世界76か国から2300本以上の作品が集まってくるこの札幌国際短編映画祭。世界中の人々が、日本の北に位置する北海道・札幌の映画祭に関心を持ってエントリーしてくるのです。これって凄い国際交流じゃないでしょうか。エントリーしてくる国の中には私が聞いたこともないような国がちゃんと入っているんですね。
 今年で第3回目を迎えるこの札幌国際短編映画祭――文化的経済的影響を考えると、地域の方々にぜひとも大切にしてもらいたい、親子そろって楽しんでもらいたい、そして、多くを語り合ってもらいたいと強く感じます。話は変わりますが、作品を観ているうちに何だか中学生時代に読んだ星新一著『ショートショート』や筒井康隆著『霊長類南へ』などとリンクしている感じがしました。
 私はかつてアニメ映画『イメル』(アメリカのTVでON-AIR)の音楽を担当したことがあります。ストーリーは、主人公である妖精イメルが戦争や環境破壊で破滅していくこの世界を嘆き、宇宙の神に助けを求める話でした。私が初めに取りかかった作業は、主人公や登場人物のスケッチと数千枚の絵コンテを観ながらイメージを膨らませ、ラフな作曲をすることです。そして最後に動く映像を観ながら音楽を創っていきます。ただし、普段の演奏や作曲と大きく違うのは、時間制限が厳密に設定されていて何分何秒の単位で曲を完結しなくてはならないというところでした。
 私はそれまで、時間に縛られた曲作りを行ったことがありませんでした。実際に作業をはじめてみると、それはもう想像以上に苛酷なものでした。何度もストップウオッチで曲の分数を計り直しては曲を作り続けました。テレビやラジオの収録のときのように決められた時間内で演奏する行為よりも難しい作業であったのは間違いありません。とはいえ、もともと作曲することが好きなうえに初めての経験だったので、それは私にとってとても楽しくスリルある創作期間でした。
 というわけで、これから1ヶ月以上、エントリーした短編映画作品を観まくることになるでしょう。ただし、日本語字幕のものがまだ完成していないので、すべてオリジナルで鑑賞します。これがきっかけで私も熱狂的な映画ファンになれるかも……。
 そして、こうも思ったりしているのです。今回の短編映画祭開催中にサプライズが起きたらもっと楽しくなるなぁ……と。たとえば会場で映像を映し出しながら生サックスで即興演奏! これ、実現したらアートな感じがしませんか? そもそも私は異種格闘技戦が大好きです。実際にやってみると、いったいどうなるのか……? まったくわからないことにチャレンジするのはたまらない快感です。スリル大歓迎!
 既存のレールに乗るのは簡単です。でも、荒野を開拓しながら前進する方がもっとエキサイトできるし、楽しさが更に輝いてくるのです。それは勇気を持って実行した人、経験した人だけに与えられる素敵な宇宙からのプレゼントかもしれません。

著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第40回

陳情者たちの北京五輪

 北京五輪がいよいよ目前に迫った。7年前の開催地発表の夜、ラジオを手に天安門広場に集まった市民を取材したことを思い出す。ラジオから開催地が北京に決定したと聞こえてくると、広場に多くの市民が集結しはじめ、夜明けまで太鼓を鳴らしたり、踊りを踊ったり、歌を歌ったりしながら祝っていた。もうあれから7年もの歳月が過ぎたのだ。
 この7年、私は中国の超高度成長の中にどっぷりつかって生きてきた。それは私が今まで日本では経験したことのない毎日だった。古い物が壊され、新しい物が造られ、古い価値観が捨て去られ、新しい価値観が生まれ、気がつくと北京は巨大な都市に変ぼうしてしまった。
 この急速な経済成長を支えてきたのは国の強引な政策ではなく、その政策のもとで希望を描きながら理不尽なことにも耐え忍んできた国民だと思う。
 先日、私は北京の直訴村に取材に行った。中国各地から集まった陳情者たちが住んでいた地区は、都市開発がすすみ、ほとんどの陳情者は北京の郊外に引っ越してしまった。今も直訴村の近くには最高人民法院の陳情者受付所があり、引っ越し先の郊外からバスを乗り継ぎ陳情に訪れる人が後を絶たない。
 私は記者とその陳情者受付所を目指した。受付所の入り口には100人を越える各省の私服警察が自分の省の陳情者が訪れるのを待っている。陳情者がやって来たところを取り押さえ、故郷まで送り返すのだそうだ。門まで行くと30人ぐらいの私服警察が我々を取り囲み、にらみつけてくる。

五輪の飾りつけ準備

「おまえらはどこの記者だ」
 「日本の記者だ」と写真を撮ろうとすると、一斉にそれを阻止しようとする。
 北京五輪取材証を見せると、私服警察はざわざわしながら引いていった。五輪前に外国メディアの取材を妨害するわけにもいかないようだ。そこへ年配の男性陳情者がやって来た。我々が取材をしていると、数十人の私服警官がそれを取り囲み、陳情者にやじを飛ばしてきた。
「おまえはそれでも中国人か! 日本メディアの質問なんかに答えやがって、この恥さらし! 人間以下だ」
 ひどいやじが一斉に飛びかう。国の番人である警察の発言とは思えない。陳情者は私服警察に向かって叫んだ。
「おまえらは俺を助けてくれるのか、そんなことを言うなら俺を助けてくれよ!」
 すると、私服警察らは一斉に散らばっていった。陳情者は別れ際に自分の身の安全のため、私たちの連絡先を教えてほしいと言ってきた。陳情も命懸けなのだ。
 その後、我々はある陳情者の自宅に行った。上海から出てきた男女の陳情者3人がそこにいた。五輪前で警備が厳しく、もう10日間一歩も外に出ていないと言う。男性は、上海の自宅が開発のため立ち退きに会った。しかし、それに見合う保障がもらえず、直訴にやってきた。
 「今では政府からまるでテロリストのようにあつかわれている」と話した。
 高度経済成長期の真っ只中であった7年間、中国の人たちはみんなががむしゃらに走って来たような気がする。その中で置きざりにしてきた物や、見えなかった物がたくさんある。今、中国はそれらを無視できない状況に差し掛かろうとしているのではないだろうか。カーテンの閉められた暗い部屋で、陳情者たちは北京五輪をどんな気持ちで迎えるのだろう。

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】 第7回

写真機携帯症患者の病状報告(3)

 「写真行為」ということを考える。これは大まかに言うと三つの「行為」に分けることができるだろう。(1)写す(撮影行為)、(2)選ぶ(選択行為)、(3)見せる(公表行為)の三つである。
 (1)から(3)までの行為全体が「写真」であって、そのうちのどの行為が欠落しても「写真」とはいえない、と私は考える。細かく言えば、(1)と(2)の間には現像だとか焼付けだとかという行為がなければならないが、この過程は必ずしも撮影者本人に付随する行為ではないこともあって、とりあえずここでは「写真行為」に入れない。しかし、その行為が「写真」にとって不可欠であることは言うまでもないだろう。
 (3)についても考えなければならないことはいくつかある。個人的な鑑賞のための「見せる」なのか、展覧会のための「見せる」なのか、写真集のためのそれなのか、などが考慮されなくてはならないだろう。いずれにしろ、(1)から(3)まではひとつの「流れ」、総体として考えられ、把握されなくてはならないことはたしかだ。つまり、なんのために、どのような目的で「写し」〈(1)〉、どのような基準、どのような目的で「選び」〈(2)〉、なんのために、どのように「見せる」〈(3)〉のかということが、ひとつのこととして熟慮される必要があるのである。その熟慮なくして「写真」は存在しない。
 写真機を持ってシャッターを押せば、だれにでも「写真」は写せる。しかし、よーく考えてみよう。私は何故に写真機を手にしたのであるのか、ということを。私はどうしていままさにこの場面でシャッターを押さんとしているのか、ということを。

北海道帯広('08.4月)

 ともかく、写真機を手にし、シャッターを押しまくってたくさんの「写真」を撮った〈(1)〉としよう。ところが、困ったことに、撮った写真のどれが「良い写真」なのかが私には分からないということがある。これもいいし、あれもいい。迷いに迷う。けれども「選べ」〈(2)〉ない。どうして、私は私が写した写真を選べないのか?
 答えは簡単だ。なぜ写真を撮りたいかなどと私は考えてみたこともなかったからである。あるいはまた、他人の撮った写真をよくよく見たことなどなかったからである。要するに、写真を「読む」ことを私は知らなかったのだ。
 写真を「選ぶ」〈(2)〉のは、他人に「見せる」〈(3)〉ためである。ではいったい、だれに「見せる」〈(3)〉のか。それによって「選び」〈(2)〉は変わる。どのような形式で「見せる」〈(3)〉かによっても「選び」〈(2)〉は変わる。これが(1)から(3)までの行為が「写真行為」として不可分に連続している所以であり、証拠だろう。つまり、(1)から(3)は一体の行為なのである。
 と、まあ、これは「写真」のことである。蛇足だが、ものごとに対する以上のような把握の仕方は、なにも「写真」だけのことではあるまい。ドロボーにしろなんにしろ、「身振り」なり「行為」なりは他の「身振り」「行為」と隔絶して単独で存在することはないのである。金庫の錠を壊すドロボーの行為は、その金庫が存在している家屋の研究からはじまらなければならないはずである。もちろん、ホラ吹きのホラも、ホラを吹いた後の効果から計算されているに違いない。

次号予告

 次号の配信は8月7日。いよいよ8月に突入します。何がいよいよなのかわかりませんが、8月にはお盆もあるし、お盆休みもあるし、盆踊りもあるし……。全部お盆関連ですね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」、若月元樹の「南の島から――沖縄県黒島の日々」です。
 『メルマガ北海道人』第82号は8月7日(木)に配信します。

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ