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『メルマガ北海道人』第80号 2008.7.24. ―「北海道人」、夏の計画―

 夏休み直前に、海の日を含む3連休がありました。ぐずついた天気にもかかわらず、多くの人々がレジャーに出かけていました。子どもたちにとってはプレ夏休みといった感じでしょうか。今週は勉強など手につかなかったのではと、思います。
 さて、今年の夏はどのように過ごす予定ですか? 海で泳げるのは大体お盆まで。そう考えると、夏らしい夏はあと4週間しかありません。心残りのないようにしっかり夏の計画を立てたいものです。計画と名前のつくものは数あれど、夏の計画は最も楽しい計画のひとつ! ではありませんか?
 「メルマガ北海道人」第80号、夏の計画にそわそわしながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 「上海日記」第37回のタイトルは「さらば出世街道」です。就職活動に代わる「分配」制度によって、寧波テレビ局に就職が決まったチャンイン。親の目から逃れ、寧波に来たことを喜んでいましたが、社員食堂のおばちゃんは「大都会からこんな田舎へよくきたね」と。この就職、アタリのはずでは……。

連載【とろんのPAI通信】

 PAIから岡山県の実家に戻ってきたとろんさん。梅雨のせいもあり、庭がジャングルと化していたそうです。植物だらけの庭を見て父親から受け継いだある性質に気づき、初めての子を授かったことで変わっていく自分に驚いているというとろんさん。梅雨だけどこころはハレバレ、記念すべき第30回。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 石垣島や西表島ではすでに稲刈りが終わり、八重山各地は豊年祭シーズンに突入しているそうです。とても人気があるという黒島の豊年祭では、ある神様が登場します。それは、ミルクの神様です。牛がたくさん飼われているからでしょうか。黒島の豊年祭が気になります!

【上林早苗の『上海日記』】 第37回

さらば出世街道

 一週間前、「市場価格に合わせるため」と大家から200元(約3000円)の家賃の値上げを言い渡された。いつ来るかいつ来るかとこの半年ほど恐れていたことがついに、といった感じである。これまで野菜や肉が値上がりしても、自分が炊事をしないのでまだどこか他人事だったが、住居が値上がりするとさすがに危機を感じ、電気代が半額になる夜10時まではエアコンをつけずに扇風機で我慢するなど、気休めの努力をしはじめた。物価上昇がいつまで続くのか、不安である。
 さて1985年8月、わが友チャンインは寧波テレビ局に就職した。初任給は上海の国営企業より3元少ない一律45元。当時、寧波で生活するには十分な額である。
 ただ、期待はずれだったのはテレビ局前の警備だ。寧波テレビ局には上海人民ラジオ局のような武装警官は立っておらず、出入りは自由。あこがれていた「要人気分」はどうやら味わえそうになかった。警官と記念写真を撮って上海の友人たちに送りつけるつもりでいたチャンインはがっかりした。
 あともう一つ気になることがあった。昼食時に顔を合わせる社員食堂のおばさんがチャンインを見ると不思議そうにこうつぶやくのだ。
「アンタ大都会からよくこんな田舎へ来たね。こっちの人間は上海に行きたくてしょうがないっていうのにさ……」
 大都会で生まれ育ったチャンインはこれまでそんなことを考えたこともなかった。しかし、言われてみれば確かにこれでは「都落ち」である。親の目から逃れられると喜んでいたが、実は他人から見ると「ハズレくじ」を引いた一人だったのではないか――。チャンインの憂うつは日増しに強くなっていた。
 そんな入社1ヵ月後のある日、チャンインは重大な情報を耳にする。
 「ここ寧波では海外映画を見る機会がほとんどない」――。

手動自転車に乗る人(済南路)

 頭が真っ白になった。というのもチャンインはもともと大の映画好きである。大学時代は選択科目で「映画研究」を受講し、そのコネで「内部映画」と呼ばれる一部の人だけが見ることのできる特別映画をよく見た。とくに「過路片」という公開予定のない海外映画作品には性的なシーンもあって、チャンインはチャンスさえあれば例外なく駆けつけた。字幕がなく、通訳が映像に合わせて中国語台本を読むので、シリアスな場面で茶をすする音が入ったり、場面が変わったのにまだ前のセリフを読んでいたりといろいろな不都合はあったものの、内容の理解よりも大事なのは「過路片を見た」という事実なので、それでもよかったらしい。なにしろ当時は文革の反動で経済活動よりも文芸活動が人びとにとってより大きな意味を持っていた。どれだけ財産を持っているかよりも、外国文化への接近がどこまで許されているか。それが当時、他人を評価するときの判断基準だったとチャンインは言う。
 そのステイタスの証といってもいい「内部映画」が見られなくなる。それはチャンインにとって「都落ち」より耐え難いことだ。座右の銘にしていたナポレオンの名言が頭をかすめた。
「まずは戦え。考えるのはそれからだ」
 翌日、上司の机には一枚のメモが置かれていた。
「××上司。私はどうしてもこの地になじむことができませんでした。外国映画が見られない生活は苦痛でしかたがありません。上海に帰ります。たいへんお世話になりました」
 その翌朝、チャンインは寧波を発っていた。ささいな理由で極端な行動に出る性格は祖父譲りかもしれない、とチャンインは言う。亡きシャオフォンさんもかつて夜間用の尿瓶(しびん)を上官に見とがめられて憤慨、雲南省の名門士官学校を入学わずか1ヵ月で辞めて上海に帰ったという「武勇伝」の持ち主だった。
 さて、教授や友人たちが腰を抜かしたのは言うまでもない。わずか1ヵ月で職場から「逃亡」するなど、前代未聞のあるまじき行為なのだ。チャンインが母校に戻ると、上層部からお叱りの電話を受けた教授が血相を変えていた。
「君はなんということをしたんだ! 今すぐ寧波に戻って許しを請いなさい」
 しかし、一度切れた糸が元に戻るはずがない。イヤなものはイヤなのである。チャンインは覚悟を決めた。
「同級生たちが歩むだろうエリート街道からは永遠に外れてしまった。これからは自分で道を切り開かなければ……」
 こうしてチャンインは上海で人生の再スタートを切ることになった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住8年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第30回

どっちに転んでも七転び八起き

いつ戻れることやら新天地 NEW MOON VILLAGE in PAI(左からロン、ルカ、太一、愛妻はるか)

 日本の梅雨の“しめりけ”の気持ちのいいこと!! 考えてみれば、2000年の暮れに日本を離れてからは一度も日本の梅雨を経験してないから、この8年ぶりの梅雨体験がものすごく新鮮でキモチイイのだ。タイの雨季などは5月から10月まで半年間も続くから、ひたすら雨季が終わってくれるのを待つしかないし、終わったと思ったら、いきなり冬がやってくるのだから、とまどってしまう。それに比べて一ヶ月足らずの短い雨季、梅雨には、その短さゆえの心揺さぶる風情を感じてしまう。そして、このはかない「梅の雨」の先には、真夏の真っ赤な太陽! 煩わしいほどのせみの声!!
 PAIから岡山県総社市の実家に戻ってみたら、庭がジャングルになっていた。ボクは日記でも手紙でも原稿でも隅から隅まで隙間なく書き埋めないと気がすまない性質なのだけど、これは単に父親からの遺伝のせいだったのだと今ごろになってやっとわかってきた。父こそ、この「空間恐怖症」の元祖で、狭い庭にやたらと木や竹や花を植えていて、おまけにアチコチにデカイ石をも置いているから、もう雨季の今、手入れをする人が誰もいなかった庭はジャングル化し、蚊の絶好の住家になっていた。居間に面した庭には、大きな石をキレイに薄く切断して作った石のテーブルと石のイスたちが在るのだけど、空間恐怖症の父は、そのテーブルやイスの上や下にまで植木鉢を隙間なく置いていて(それも、なぜだか、チクチク痛いボクの大キライなサボテンばかり!!!)、居間から見えるのはその恐ろしいサボテン群風景!!!
 恐らくこれは本能なのだろう。55歳で初の子、太一を授かったこのボクは、今、自分の中の変わり様に驚いている。なんだか、自分のことより全てにおいて太一やその母はるかの生を優先して考えるようになり、そして驚いたことには、そのように考えるほうが結果的には自分の道も開けてくるのだから、摩訶不思議なイノチの仕組みなのだ。この、どこから手をつけていいのかわからぬジャングル化してしまった庭も、太一が安全に楽しく遊べる庭にしよう!! と思ったとたんに庭のイメージがあ!!っと出現し、チクチクと危ないサボテンを全て片付けたらピカピカの石のテーブルやイスが現れた。テーブルの近くに勝手に群生していた竹たちを3本だけ残してあとは全て切り、周りを砂場にして、7月7日の七夕の日、太一を中心に皆でその3本の竹に飾り付けをして、短冊に願い事を書いて、七夕を楽しんだ。
 昨年のボクは短冊に「七夕快晴!!」と書いて祭りの成就を願い、一昨年は「愛とお金は天下の回り物」と書いた。そして今回は「はるかの想いが形になりますよう!」「太一花が満開になりますよう!!」「全ての生がまっとうされますよう!!!」と3つも書いてしまった。愛情本能全開で生きるとき、イノチも全開してゆき、どっちに転んでも七転び八起きしてサバイバルできるよう神様が仕組んでいるのかもしれない。
 6月15日、日本に着いたとたんに始まったボクの関節炎。7月11日の今も治っていなくて思うように動けないのだけど、それでも階段の上り下りは、ゆっくりだけどフツーにできるし、自転車も乗れるようになってきた。ペダルをこぐたびに右膝の関節がカックンカックン♪と妙なるリズム音をたてて少し痛むけど、まだ正座もできなくってヨガや太極拳もできないボクにとって、このペダルこぎが一番のリハビリになっているのだ。だから毎日、太一を前に乗せてはリハビリを兼ねて、総社の町や田園風景の中をカックンカックン♪とリズム音を立てながら自転車で徘徊しているのだ。
 この関節炎のせいか、久々に車をぶつけてしまった。天満屋という「岡山の三越」にあたる地元で有名なデパートの屋上駐車場で、不覚にも先に停めてあった軽四輪にぶつけてしまったのだ。それも、以前痴呆の父が自宅のガレージでぶつけて凹んでいた左前方の角をぶつけたので、保険でキレイに修理してもらえて喜んでいた。そして後日、ぶつけた相手の車の持ち主が、その天満屋の文化教室で合気道を教えている女先生だと判明し、4歳からの子どもにも教えているので「太一が4歳になったら教室に通いますのでよろしく!!」と、その女先生と仲良くなってしまったのだ。
 ジャングル化してしまった庭を簡素なる日本庭園化し、壊れかけた網戸を全て修理し、家の風通しをよくし、長年滞っていた老夫婦の「家の気」をハレバレさせたら、なんだか、より一層ボクらも岡山おかやましてきて、身も心にも岡山の空気が吹き込まれ、ハレバレしてきた、きょうこのごろ。

       七夕から禁酒禁煙5日目のとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第11回

豊年祭シーズン

 石垣島や西表島では先月、稲刈りが実施された。石垣島のスーパーなどの店頭には、すでに今年の新米が並んでいる。黒島には川もなく、表土も薄いので今も昔も田んぼはない。かつて琉球王府に人頭税を納めるため、人々が西表島へ通って稲作をしたという歴史が黒島にはある。
 稲刈りが終わる旧暦6月中旬にあたる今頃は祭りのシーズンで、八重山各地で豊年祭と呼ばれる神行事が実施される。行事の多い八重山においても、豊年祭は特に大きな行事と言える。黒島の今年の豊年祭は7月27日に開催される。
 黒島の豊年祭は人気がある。理由は色々あるが、祭り会場が砂浜である点が大きいと思う。農作物の収穫を祝う祭りが砂浜で実施される理由は、神様が穀物の種を持って海からやってきたからだという。また、他では見られない集落対抗の船漕ぎがあり、これも人気がある。
 この船漕ぎは「ウーニー」という浜の走者が、「盃とらし役」と呼ばれる島の長老から盃を受けた後、砂浜を疾走して各自の船に乗り込んだ時点で競争がはじまる。そして、沖に浮かべられた「フキ」と呼ばれる浮きを取って戻ってきた船からウーニーがとび下りて、「盃とらし役」のところまで先に戻った方が勝者となる。浜の走者ウーニーに選ばれることは大変な名誉で、勝負に勝ったウーニーは英雄扱いされる。

ミルク行列

 かつてはこの勝敗が1年間の人間関係に響いたとあって、その時代を知る世代は船漕ぎにとても興奮する。私は何度か船を漕いだことがあり、あるおじーから「しっかり歯をくいしばって、歯が折れるぐらい力を入れろ」とアドバイスされたことがあった。いつも余計なことを言う私は、「おじーは船漕ぎで歯を何本折りましたか」と聞き返してしまった。おじーは「ない」と答えて以降、黙ってしまった。孫が「ウーニー」に選ばれてから、豊年祭まで眠れぬ夜が続き、体調を崩してしまったおばーもいた。
 豊年祭当初から船漕ぎが行われていたのではない。かつて集落対抗で農作物の収穫高を競っていたが、勝敗がつかない年があり、綱引きで決着をつけることになった。ところが、綱引きでは不正などがあり、勝負がつかなかった。そこで、船を漕いで勝敗を決めようということになり、それ以降、豊年祭で船漕ぎが実施されるようになったという。ちなみに、沖縄は日本一綱引きの盛んな県で、各地で綱引き行事がある。黒島の場合は旧正月に綱引きが行われる。
 豊年祭の中で会場が静まりかえる瞬間がある。「ミルクの神様」が登場するときである。この神様の登場で、豊年祭会場は神秘的な空気に包まれるのである。「ミルクの神様」の「ミルク」の語源は「弥勒(みろく)」とされている。その他、祭りでは集落ごとに踊りが奉納される。
 このような豊年祭が、青い空と海に白い砂浜という景色のなかで実施されるため、プロアマ問わず、多くのカメラマンたちが吸い寄せられるように黒島に集まってくる。そして、残念なことに、カメラマンたちの振る舞いが、祭の風景を壊してしまっていた。そのため、黒島では数年前から撮影規制をし、神秘的な風景が維持されるようになった。
 撮影規制のために張られたロープが、いつかまた不要になったとき、祭の風景はさらに美しくなると私は思う。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は7月31日、ハリー・ポッターの誕生日だそうです。もうすぐ7月が終わるんですね……。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」、岩崎稔の「大陸人の時間」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。
 『メルマガ北海道人』第81号の配信は、7月31日(木)です。
 
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