メルマガ北海道人

HOME > 第75回

『メルマガ北海道人』第75号 2008.6.19.―「北海道人」、長く明るい夕暮れに―

 夏至が近づいてきました。今年は6月21日、あと二日後です。夕方になっても明るいので、時間を忘れ、ついつい仕事をしすぎてしまった! という方もなかにはいらっしゃるのでしょうか。時間を忘れて何かに没頭する……。幼いころはよくありました。暗くなるまで公園でタカオニする子ども。その子を迎えに来る母親。「ごはんだからもう帰りましょ」。
 夏至の日の入りは、札幌で19時18分。それからしばらく薄暮の美しいときが続きます。じんわりと懐かしい気持ちがわいてくる長く明るい夕暮れに、時間を忘れて何をしましょうか。
 『メルマガ北海道人』第75号、ねぐらになかなか戻らないカラスを横目に配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 今回の音楽授業は「若き音楽家たちへ」というタイトルです。これまで田野城さんは多くの学生を海外に留学させてきました。若き音楽家たちが目指すのは、海外での演奏活動。ただし、プロの音楽家になるためには必要なことがあるといいます。プロになるための極意、音楽家のみならず耳を傾けていただきたいLesson34!

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 前回に引き続き、四川大地震について。中国に援助物資を届ける日本の与党議員を取材するため、四川省の州都・成都に向かった岩崎さんがそこで見たものは! 地震から1カ月――被害が最も大きかった北川県の現在は? 半倒壊した建物で食事する老人、子どもを亡くした親たちの叫び……。

連載【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】

 連載第4回目のタイトルは「古色蒼然、か?」。今回は24歳のカール・マルクスが書いた論文をめぐるコラムです。編集長・和多田進がマルクスを初めて知ったのは、46、7年前のこと。以来、何度も繰り返し吸い寄せられてきたというマルクスの言説が、百六十余年経た現在に蘇る!

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 34

若き音楽家たちへ

 今年の元旦から本格的にはじめたサックスの練習も、早いもので半年になろうとしています。以前、コラムでも書きましたが、正確に言うと、気分一新大学生時代の気持ちになりきって徹底的に基礎練習に取り組んでみたのです。そうすると思い出されるのです。師匠の言葉や息づかいを。
 どんな楽器もそうであるように、サックスは些細な練習ひとつを取ってみても完璧にマスターするまでに最低1年はかかります。これが音楽の難しさであり、逆に言えば奥深さでもあるのです。
 私はここ最近、目の前の壁が高ければ高いほど、あるいは難しくなればなるほどメラメラと気持ちが燃え上がります。難問をいかに楽しみながら解いていくのか、演奏者である私の資質が問われているのです。「ならば、これはどうやって乗り越えてやろうか?」……という具合にです。
 そうすると、自分の演奏活動はもちろんですが、弟子たちの指導にも力が入ります。横浜に住んでいた30代前半、私は多くの学生にアドバイスし、留学をさせてきました。いまは北海道です。弟子たちはみな未来のアーティストを目指す若き道産子です。北海道しか知らない彼女、彼らの夢は、異国への大学留学をはじめ、アメリカやヨーロッパで演奏活動をすることです。私がちょうど高校生のころに抱いた夢と同じです。
 大切なのは具体的なビジョンを持ち、そのうえでしっかりとした自分のプランを構築させることです。これがプロフェッショナルへの第一歩ともいえるでしょう。そしてつぎに、スタート台に立てるかどうかが重要です。与えられた時間内に的確にポイントを攻め、スタート台に立てる切符を手に入れる必要があります。しかし、自分の思惑と違うスタート台に立ってしまえば、そのまま違う道を歩かざるを得なくなるでしょう。たとえば国際空港であやまった飛行機に搭乗してしまえば、行き着く先は自分の望んでいた場所とはまったく違っていた……というふうに。機内で気がついてもとき既に遅し、なのです。
 夢を現実にするにはできるだけ正確なプロセスを確保し、道が逸れていると感じたときには瞬時に軌道修正する判断力が求められます。これは経験が物をいうでしょう。経験が浅ければ浅いほど、修正能力も未熟です。ひとつ間違えるとすべてが台無しになる可能性が高いのも事実です。この時点でプロフェッショナル、もしくはアーティストになれるかどうか、すでに決まってしまうのです。
 そのために何が必要でしょうか。2つあります。それは、精神的・肉体的に耐え得る強い志と、同じ志を持ち夢を実現させた人生の先輩たちとの出会いです。
 大阪で過ごした私の高校時代、新設校だったせいもあってか教職員の対立が激しく、そのため生徒指導が手薄でした。結果、学生たちの学校生活もかなり荒廃していて、とても学校を好きになれませんでした。しかし、その学校嫌いのおかげでジャズ喫茶に毎日、入り浸ることができ、密かに留学を志すことができたのです。
 そんなある日、アメリカ・ミシガン州立大学を卒業した英語の先生が赴任してきます。テレビや映画館のスクリーンでしか知らないアメリカや、そこでの大学生活などを先生はとてもリアルに私たちに話してくれました。先生の話に触発された私は、「自分の求めるものがそこにある!」と確信しました。 
 当時、アメリカ留学はいまほど当たり前ではなく、情報も身近にありませんでした。どうすれば良いのか模索に明け暮れていたときでしたので、一筋の光が見えてきたように感じました。ならばと、自分の足で音楽大学やインターナショナルスクールの先生、教会の牧師さん等、多くの方々と直接お会いし、いろいろなアドバイスをいただきました。ところが、ここで壁がたちはだかりました。音楽大学への留学を希望しているにもかかわらず、私には肝心の音楽の師匠がいなかったのです。具体的なエントリー方法が分らず、ふたたび途方にくれました。私はサックス歴、音楽歴が皆無に等しい超ド素人でしたから。
 結局どうしたか……。やるだけやってあとは開き直りました。「サックス初心者として思いっきり正面からぶつかろう!」と。そして、つぎのことを強く願いました。
 「私の心を突き動かしたプロの演奏家らと直に会って、彼らがいったい何を食べ、どのように物事を考え、どれだけ練習すればあのような聴いたこともない音を作り出せるのか、それを聞き出してみよう!!」と。
 この最初の志は留学後も決して変わることがありませんでした。そして、音楽ド素人の日本人青年が、ボストンからニューヨークへ出向き、ジャズの世界で最高峰と呼ばれる音楽家たちの門をたたいたのでした。

著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第37回

四川大震災(2)

 先日、成都へ行った。地震発生から二度目である。今回は日本の与党議員が民間のチャーター機で援助物資を運び、中国政府に贈るというので、私もその取材で行った。しかし、その甚だしい政治的宣伝ぶりに驚愕した。
 成都空港に到着した民間のチャーター機から日本の政治家たちが降りたつと、その場で援助物資の引き渡し式が行われた。物資の目録はテント300張。多くはないが、テントは既に日本から送られている。巨大なチャーター機でそれしか運べないはずはない。集めることができなかったのだろうか。続いてカップヌードル2,000個、飲料水600本、軍手1,000組、ボールペン1,000本、ノート1,000冊……。
 中国に長年暮らしているからかも知れないが、中国の大多数の人がこの目録を見て驚愕することは間違いないだろう。ザッと見積もって、テントを除けば15万円も出せば北京で同じものが買える。日本からわざわざ政治家10数人が民間のチャーター機を使って運んでくるような話ではない。日本の政治家たちは援助物資のテントやカップヌードル、飲料水を前に何枚も記念写真を撮った後、市内で中国共産党幹部と会談し、病院を視察し、その日のうちに去っていった。
 その取材の翌日、私は避難所に行き、一番被害の大きかった北川県に向かった。北川県の市街地に通じる道は封鎖されてしまい、検問の横で死者を祭って遺族が紙を燃やしたり、線香を上げたりしていた。検問の手前には倒壊した住居が生々しく残っていた。瓦礫をかきわけ奥に入って行くと、半倒壊した建物でお爺さんが食事をしていた。お爺さんはゆっくりと食べ物を口に運び、時折一カ所をボーッと眺めている。まるでこの世から意識が浮き上がってしまっているようだ。地震発生から1カ月という時間が過ぎてなお地震への恐怖心はお爺さんから拭われていないように思う。

半倒壊した建物で食事をする老人

 中国政府は国内外のメディアに対して報道規制を敷き始めた。私が最初に取材に訪れたときは被災地を取材する記者証の発行数に制限はなかったのだが、現在は各社2名にしか記者証を発行していない。また、倒壊した小学校や中学校は、武装警察官に厳しく監視されていて近づくことすらできない。
 最初に被災地を訪れたときに取材した中学校では、子供を亡くした両親たちにしきりに話し掛けている奇妙な男性を見かけた。この男性はボランティアとして地方からやってきた共産党員で、親たちにこのように話し掛けていた。
「外国メディアの質問には答えてはいけません。彼らは不平等な報道しかしません。問題があるのならば直接政府に言ってください。外国メディアは中国を混乱させに来ているのです。我々は党の下で一致団結しましょう」
 横で聞いていて呆れてしまった。
 そこへ地元の教育局の関係者が倒壊した中学校を視察に訪れた。少しすると子供を亡くした親たちが関係者を取り囲み、何人かの母親が関係者の洋服に両手でしがみつき、叫ぶように言った。
「どうして私の娘は死ななければならなかったの! 学校も政府も何も説明をしないのはなぜだ!」
 両手を引き離されそうになるも母親たちは引き下がらない。
 現在は厳しい報道規制が敷かれ、私たち外国メディアの関係者はこうした親たちと接触することもできなくなった。復旧までの道のりは、いま始まったばかりである。

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】 第4回

古色蒼然、か?

 カール・マルクスというドイツの思想家の名前をはじめて知ったのは、一九六一年か二年のことだったと思う。生まれ故郷の小さな本屋で、定価四〜五十円だったかの小冊子を見つけて読んだら、そこにこの名前があった。
 冊子の正確な題名は忘れた。一九六〇年にモスクワで開かれた世界八一カ国共産党・労働者党の集まりで採択された声明が記録されている冊子だった。二〜三十年も開封されずにいる段ボール箱数十のうちのどこかに、いまもそれは眠っていると思う。稚拙なメモが一枚か三枚か、その冊子に当時のまま挟み込まれてもいるだろう。共産党は、どうして自分ばかりが正しいと主張して止まないのか――。そんな文言が書きつらねられているはずだ。
 それから一年も経たぬうちに、私は民青同盟員になっていた。この町の全日制高校生としては第一号の同盟員だった。
 それから私の学校図書館通いがはじまる。一九五九年に刊行のはじまった『マルクス=エンゲルス全集』が、少し遅れて高校の図書館にも入庫した。定価一五〇〇円は高校生の私には手が届かない。それで、全集第一巻からノートに筆写しはじめた。例の段ボール箱にそのノートもまぎれ入っているだろう。
 懐かしくてむかしのことを書くのではない。高校生の私が筆写した『マル=エン全集』第一巻には、「第六回ライン州議会の議事 一ライン州人 出版の自由と州議会議事の公表とについての討論」と題された、二十四歳のマルクスが一八四二年に書いた論文が載っていて、そこには以下のような文言があったのだ。
 「営業になりさがった出版は、果たしてその性格に忠実であるといえようか、その本性の高貴さに応じて行動しているといえようか、その出版は自由であろうか? たしかに、著作家はいきてものを書くことができるためには、かせがなければならない。しかし、彼は、けっしてかせぐために生き、ものを書くのであってはならない」「著作家は、けっして自分の著作を手段とは考えない。著作は自己目的である。それは、彼自身にとっても、他の人々にとっても手段でないのは、必要とあれば、著作の生命のために著作家自身の生命を犠牲とするほどである」
 こう書いたマルクスは、「出版」と「出版業」「印刷業」を区別したうえで、「出版の第一の自由はそれが営業でないという点にある」とも書いた。

手毬草('08.5月)

 マルクスを読みはじめた十代後半以降の私も、二十代、三十代の私も、四、五十代の私も、マルクスのこの言葉に繰返し吸い寄せられ、鼓舞され、読むたびに奮起させられてきたのであった。いま、馬齢を重ねて六十歳を過ぎた私は、あえてここにこの言葉を引き、衆人にマルクスの言説を広告したいと思うありさまなのである。
 マルクスがこの論文を書いてからすでに百六十余年の歳月が過ぎている。この間に、かぞえ切れない数の戦争があり、事件があり、人々が死んでいった。ドイツも変貌したし、世界も大いに変化した。なにしろ、ソビエトが生まれ、そして消滅したのである。そのうえさらに、世界のあちこちで幾多の恋が生まれては消え、喜び、悲しみ、怒りが生滅していった。百六十余年前の和暦天保十三年がいまや平成二十年なのである。
 しかしどうだろう。「営業になりさがった出版」は、いままだ果てしなく底無し沼の底の底に向かって「なりさがり」つづけているのではあるまいか。マルクスの言う「出版」は、今日の言葉では「言論」一切の意である。広く「ジャーナリズム」のことであり、新聞、テレビ、ラジオ、インターネット上の言論など、一切の意なのである。
 マルクスの時代とは違って、たしかに「訓令」や「検閲」が公然と実行されるような露骨なことはいまはない。けれども、「営業になりさがった出版」は、オカミが驚くほどオカミの意に添うように変貌を遂げたのではあるまいか。オカミの意を知り尽くした「出版」は、オカミよりもオカミ的な「出版」に変貌してしまっているのではあるまいか。「営業になりさがった出版」は、オカミやオカネの論理と結託してさえいるのではあるまいか。
 中野重治は鴎外を論じた文の中に、「『雁』には、人が五十歳になって、いくらか隠居じみてきて、過去に溺没してそれを語る場合のあるよさというべきもの、その限りでのある積極性がある」と記した。
 「蟷螂の斧」だの「古色蒼然」だのといった弱気が惹起されそうな気配も皆無とは言いがたい六十歳を過ぎた私は、拙文にその「ある積極性」を看取される具眼の士ひとりに出会うことができるなら、いまや「以て冥すべし」という心境なのである。

※本文は『一冊の本』(朝日新聞社、2006年6月号)に掲載された拙稿に若干の改訂を加えて転載するものであります。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第39回】

 今回も4人の北海道人にお父さんの話をうかがいました。4人だけどお父さんは5人! 人生色々、お父さんも色々です。

今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「ヤンチャを見守ってくれた父に親孝行を」
「しゅき!」
「亡くなった実の父と、同居の父と」
「子どもを持つ今、おやじは反面教師」

となりの北海道人「私のお父さん」第39回

次号予告

 次号は6月最後の配信になります。“夏”という文字がちらつくころです。水着が似合う身体になるなら、急いで準備をしなければならないころです。スピード社のあの水着を着るのなら……まあ、大変!
 さて、次号のメルマガラインナップは、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」、若月元樹の「南の島から――沖縄県黒島の日々」です。
 『メルマガ北海道人』第76号は6月26日(木)に配信します。

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ