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『メルマガ北海道人』第68号 2008.5.1. ―「北海道人」、山菜でばんざい―

 野や山のあちこちで、萌黄色に輝いている新芽。おいしそうに見えてしまうのは気のせいでしょうか。そういえば先日、草むらでゴソゴソしている人がいました。そっと近づいてみると、その人はタンポポの葉を摘んでいました。タンポポ? 本で調べると、おひたしにすると良いと書いてありました。普段何気なく目にしている植物の多くは食べることができ、野や山は食べものにあふれています。それのことに気がつくと、なんだか安心します。ヨモギ、コゴミ、行者ニンニク、フキ、ゼンマイ……。山菜ばんざい! 野草ばんざい!
 『メルマガ北海道人』第68号、自然の恵みに深く感謝しつつ配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 外国人留学生との交流のなかで、チャンインに転機が訪れました。郁達夫(ユイ・ダーフー)の官能的な描写を何度も読み返していた彼が次に虜になったものは『プレイボーイ』でした。英語で書かれた雑誌を辞書片手に精読。国を超え、男同士の連帯感が強まる「上海日記」第31回。

連載【とろんのPAI通信】

 タイのPAIに戻ったとろんさんから原稿が届きました。気温40度のPAIでは4月12日からソンクランという水かけ祭りが始まり、15日は元旦、タイの正月の始まりです。慣れ親しんだムーンビレッジの解体、新天地 NEW MOON VILLAGEの創造を目前に控えた「とろんのPAI通信」第24回。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 昨年、黒島に畳2〜3枚分もある大きな白い金属製の板が漂着しました。白い板を調べてもらったところ、なんとそれはロケットの破片でした。島民200人の黒島で広がるロケットの破片漂着騒動、入院物語、ウツボかみつき事件。伝言ゲームの黒島的展開に興味津々。

【上林早苗の『上海日記』】 第31回

学内カルチャーショック

 MSNメッセンジャーのユーザーネームに「LOVE(ハートマーク)CHINA」と添える「MSN愛国ハートキャンペーン」が大流行している。現在、参加ユーザーは700万人を超えるといい、私のメッセンジャーの友人リストもハートマークで真っ赤だ。お祭り好きのチャンインなどは7個もハートをつけ、ことのほかうれしそうである。キャンペーンに参加していない人は半数以下だ。知り合いの上海女性は国内メディアによる民衆扇動に疑問を呈してユーザーネームに「人民は政権の武器ではない」と書き添えていたが、数日後には案の定、削除されていた。私も経験したことだが、知人や家族からの説得があったのではないだろうか。「欧米偏向報道反対」「チベット独立反対」「愛国」――社会全体が一致団結している今、流れに逆らう意見を公にするのは容易でない。少数意見派の気兼ねする相手がもはや政府ではなくネット世論や友人知人になりつつあるところに、言論の自由を制限された社会の怖さがあるのかもしれない、と思うこのごろである。

大通りのショーウィンドー(江蘇省東海県)

 チャンインにとっての転機は大学3年生のとき、外国人留学生たちとの交流のなかで訪れた。当時、復旦大学の留学生寮では「陪住(ペイジュー)」といって、留学生一人につき中国人学生一人が寝起きをともにするきまりがあった。表向きは「留学生の語学向上のため」だが、実際の目的は留学生の監視と保護。これに選ばれる中国人学生は留学生用の広い部屋に住めるうえ、外国人と知り合えることから、みんなから羨望のまなざしで見られた。チャンインは3年生のとき、思いがけずその一人に選ばれたのである。ルームメイトは日本人留学生の門田くん。5歳年上でメガネをかけたやせぎみの彼は、まだたどたどしい中国語で自己紹介をした。
「九州にある炭鉱町の出身で父親は炭鉱労働者、つまり日本の無産階級です。ともに学び、帝国主義と戦っていきましょう」
 チャンインは腰を抜かした。
「君、日本の共産党員?」
「残念ながら。だけど帰ったらかならず入ります」
 留学生本人とこれまでその出身国に抱いていたイメージとのギャップというのは、留学生寮でよく感じることだったという。たとえば北朝鮮から来た李くんは、口を開けば祖国をほめちぎるか中国を「修正主義」と批判するかのどちらかで、「中国の友人」とはとうてい思えなかった。いつもランニング姿のアメリカ人・カローラは、民主主義についての質問に、「政治に興味はない」と答えてチャンインをひどくがっかりさせた。民主主義の本場から来たのだから、チャンインとしては当然、どんなシロモノかぐらいは教えてもらえるものと期待していたらしい。もっとも、彼女の拒否は政治を語ることへの警戒心からだったのかもしれないが。
 ある日のことである。チャンインはクラスメイトを訪ねて同じ留学生寮内の一室に行った。そして、そこで信じられない物を目にした。壁一面のヌード写真。それはアメリカのアダルト雑誌『プレイボーイ』と『ペントハウス』の切り抜きだった。アメリカ人留学生が持ちこみ、留学生とそこに同居する中国人学生のあいだでひそかに回覧されていたものである。クラスメイトが耳打ちした。
「うちの日本人、寝る前にこの壁を撫でまわすのが日課なんだ」
 白い肌、金色の毛、なまめかしい姿態。郁達夫の私小説で満足していた彼にとって、それは衝撃的だったという。そして一瞬にして『プレイボーイ』の虜になってしまった。
 それからというもの、チャンインは、記事はもちろん写真説明文、広告まで一字一句をないがしろにせず、辞書片手に精読した。英語のボキャブラリーが劇的に増え、特に身体部位の名称に詳しくなった。でん部が「hip」でなく複数の「s」がついて「hips」であることもこのとき知ったという。男同士の連帯感からだろうか、わいせつ写真があると留学生との会話も弾んだ。あるとき、日本人の一人がつぶやいた。
「これを見ていると、日本の女は平べったくて物足りないな」
 チャンインが反応する。
「中国の女も同じだよ」
「やっぱり欧米の女がいいよなあ」
「そうだなあ」
 少々腹立たしいが、約20年前にアダルト雑誌がもたらした日中交流のひとコマである。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第24回

新天地 NEW MOON VILLAGE

MOON VILLAGE の石釜(たかし作)とヤギと鳥たち(4月20日の満月にパンを焼いて、いよいよ解体が始まる)PHOTO BY 林あすか

 今日は4月18日。朝4時に起きて、いつもの豆乳屋さんでこの原稿を描いている。日本にいてもPAIにきても早寝早起きは変わりなく、昨日の夜なんて8時には深い眠りに陥っている。ここ標高600メーターのPAIは今、真夏で、日中は気温が40度くらいまで上昇するけど、早朝から朝の9時くらいまでは涼しくって気持ちいいのだ。ボクらが両親の介護生活から脱出してタイに飛んだのが4月6日で、PAIに辿り着いたのが5日後の11日の昼過ぎ。そして、翌日12日からは4日間の「ソンクラン」という全国的な水かけ祭りが始まり、町中いたる所で水をかけ合う大騒ぎとなった。
 同じ水かけ祭りでもインドの「ホーリー祭」では色つきの水をかけるので、服やバッグや髪の毛などの全てがカラフルに染まってしまい洗っても落ちなかったりしてイヤ!!!だけど、ここタイの水かけ祭り(ソンクラン)は単なる水、ときには氷入りの水だから、真夏の炎天下での水かけは全く嬉しいものだ。いくら水びたしになっても涼しいだけで、あ!!!っという間に乾くし、全く汚れないのだから。
 この水かけ祭りの中、毎日びしょ濡れになるPAIの空気の中で旅の疲れを癒しながらも、ボクは懸命にムーンビレッジの解体移築作業プランを練ったり、大工さんと打ち合わせをしたりしながら着実に新天地 NEW MOON VILLAGEに向かって気を高めていたのだ。
 そして、ソンクランのピークである4月15日からはタイの正月で、「サワッディ ピーマイ」と声を掛け合って元旦が始まり、午前中に正装してお寺参りをするのだ。ボクと愛妻はるかと太一の3人も、4つのお寺参りをして7つの仏像にお花を捧げ、NEW MOON VILLAGE の前途を心からお祈りしてきた。4月8日に仏陀が生まれたとすると佛暦はその7日後に年が始まり元旦となるのかと想っていたら、西暦の元旦もイエスが生まれ出たといわれる12月25日から7日後に始まっているので、この自分の発見にビックリしてしまった。どちらにしても、生まれてから一週間という時間の長さには何か宇宙的な作用があるのかもしれないなどと、快い夢想に浸りながら佛暦の元旦を迎えたのだ。
 朝っぱらからビールで酔っ払いながら、捨てて燃やしてしまうもの、日本に送ってしまうもの、新天地へ運ぶもの、今の生活で必要なもの、人にあげてしまうもの等を分類してダンボール箱に詰めたりしながら、PAIに住む友人たちと会ったりしている毎日だ。そして、あさって4月20日の日曜日は満月。今PAIにいる友人たちがムーンビレッジにやって来て六角堂で“最後の晩餐”をする。亡きたかし作の石釜にムーンビレッジ住人のひでさん(麻陽くんのお父さん)が火を入れ、皆で小麦粉を練って思い想いのパンを焼いてゆく。夕方からゆっくり始まって食って飲んで、そして笛タイコうた。赤ちゃんと子供たちは太一を含めて5人やって来るので、六角堂は満月に包まれながら、酔った大人たちとコーフンした子供たちとで盛り上がりそうだ。

かまど製作中のアーティストKEMさん(新天地NEW MOON VILLAGE にて)PHOTO BY 林あすか

 そして、いよいよムーンビレッジの解体作業が始まる。まずは2階建ての3間長屋、小六角堂、ステージから解体してゆく。その木材などを新天地に運び、最初に井戸を掘ってひろい台所を作り、次にトイレを作る。トイレと水と台所があればいつでも生活できるので、いよいよ太一の産まれた我が家を解体して運び、新天地に全く同じ構造の新居を建てるのだ。広い木製ベランダからは山から流れてくる清流がスグ下に見え、家の後ろには山からの水が流れる幅1メーターの水路が走っていて、周りは山やま山。すでにひでさんたちの家は少し下流に建ててあり、さらにずっと下流にいくと、アーティストKEMさんが、今、かまどを作った勢いで土壁作りを始めているところだ。
 この新天地、ムーンビレッジの3倍の広さがあり、流れる川も大きくって水量があり、パパイヤ、ザボン、バナナ等の果物、畑には野菜がいっぱい!!! 電気がきてないので水力発電かソーラーパネルを今考えている。ムーンビレッジも6年間展開し続けて、いよいよ極まって新天地 NEW MOON VILLAGE が始まろうとしている。そんな中、腸ねん転で緊急入院&手術をした父は無事退院し、母の待つ施設へ戻れたので安心している日々。

      日本で太りPAIでいま痩せようとしているとろんより

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第5回

ロケットの破片漂着騒動

黒島の海岸に流れついたロケットの破片

 去年の6月、島の海岸に畳2〜3枚分はある白い金属製の板が漂着した。発見した島の人に、この物体の正体を調べて欲しいとお願いされ、写真を撮って海上保安庁に照会した。海保からはすぐ返答があり、おととしの12月に種子島から打ち上げられたH2Aロケットの先端部分であることが判明した。再び流されることがないように回収した。
 JAXA(宇宙航空研究開発機構)によると、このロケットの破片は、種子島宇宙センターで打ち上げ後、高知県沖の上空で分離され、小笠原沖に落下したものだそうだ。それから約半年かけて漂流し、黒島の海岸に漂着したものだった。
 しばらくして、このロケットの破片をJAXAのエンジニアらが回収に来た。せっかくだから島に展示したいと申し出たところ、一部だけ持ち帰って残りを譲渡してくれることになった。そして、せっかく島には居ない職種の人たちが来たので、ついでに講演会をしてもらい、島の人たちも集まった。JAXAの方たちは宙開発について興味深い話をしてくれた。島のおばーたちも熱心に聞いているように見えた。
 講演後、おばー二人を家に送る車内で、「おばーたちもロケットの話に興味があったんだねぇ」と問いかけると、「違うさ、クーラーが涼しいから来たさ」と返ってきた。このおばーたちは二人ともひとり暮らしで、一人でさびしく過ごすよりも、人の集まる場所に居る方が楽しいそうである。だから、講演内容なんてどうでもよかったようだ。さらに、講演をちゃんと聞いていないことを証明するかのように、「それで、ロケットに乗っていた人は助かったのか」と聞いてきた。もちろん日本の打ち上げるロケットに人は乗っていない。しかし、私はこの質問がうれしかった。子や孫はもちろん、他人も含めて、自分のことより人の心配ばかりするという沖縄のおばーらしさを感じたからだ。
 ロケットの破片漂着騒動の話では、将来のおばーである島の主婦たちも負けてはいない。海岸からロケットの破片を回収後、うわさはまさにロケットのような速さで島内をめぐった。うわさを聞きつけ、私たちの研究所に駆けつけた主婦が、「研究所にロケットが落ちたんだって?」と、言ってきて大笑いしてしまった。さすがロケットだけあって、話の変わり方も宇宙的なスケールだ。
 黒島上空には偵察衛星でもあるのかと思われるほど、プライバシーが無い。ちょっと激しく夫婦ゲンカをした家があれば、瞬く間に島中に伝わる。そして、人を介すごとに内容が変わってゆく。
 3年前、私はアレルギー食材が含まれていた食事をして入院してしまったことがある。私が勤務する施設に研修者を受け入れていたので、それが終わるまではと、我慢して踏ん張った。そして、研修参加者と一緒の船で島を出て石垣島に到着し、自らタクシーに乗って病院へ直行し、そのまま入院した。ところが、島内では私が砂浜で倒れ、ヘリで運ばれて入院したというストーリーになっていた。
 また、島の小中学生が海の危険生物を学びに課外授業として訪れたとき、私の同僚がウツボの歯を見せてやろうと、生きたウツボの口をつかみ、口を開こうとしてウツボに腕をかまれてしまった。同僚のTシャツが赤い鮮血に染まってゆくのと同時に、子どもたちの顔から血の気が引いていった。同僚が体を張ってウツボの歯の鋭さを教えたこの事件が、島内の子どものいる各家庭でお茶の間の話題に上ったことは容易に想像できる。話はその親たちからさらに伝達したようで、翌日、私は何人かの島民から、「どっちの腕をかまれたの?」と聞かれた。私がかまれたことになっていたのである。このような話は挙げればきりがない。
 それはそうと、島には先人から受け継いできた伝承や伝統芸能などがたくさん残っている。もちろんこれら伝承は時代を経るごとに少しずつ変容してきているはずである。ただ、これまで述べたように、わずかの間に激しく変容する話を知ってしまった私は、伝承や伝統芸能が島の先人から正しく受け継がれているものなのかどうか、ちょっとだけ不安に思うのである。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号から編集長・和多田進による新連載が始まります。鈴木邦男さんとの往復書簡休載から約2カ月半。そろそろ禁断症状が出てきたメルマガ読者もいらっしゃるのでは? 連載のタイトルは、「濡れにぞ濡れし」。これだけでもうドキッとしている方のために、第1回目の内容は「ひとことコラムの標題について」です。読み忘れのないように、ご注意ください!

 さて、次号のメルマガラインナップは、新連載に加え、サックスの音色と同様にペンの冴えも絶好調! 田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と、中国各地のホットな話題を独自の視点で切り取る、北京在住カメラマン岩崎稔の「大陸人の時間」です。

 『メルマガ北海道人』第69号の配信は、5月8日(木)です。

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