メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第66号 2008.4.17. ―「北海道人」、かもめ群れ飛ぶ春の海―

 札幌駅から函館本線の上り列車に乗車。途中、列車の窓いっぱいに広がる日本海をぼんやり見つめていると、視界に入ってきたのはたくさんの鳥。それはいつものかもめでしたが、いつもと何かが違いました。数がものすごく多いのです。群れをなして海の上にプカプカ、磯にもずらり。列車の轟音に驚き飛び立ったおびただしい数のかもめにこちらが驚くほどです。ソーラン節ではないですが、かもめに問いたくなります。ニシン来たか? 何が来たか? えっ、それは波に聞けって。アラ、つれないね。
 『メルマガ北海道人』第66号、かもめだらけの日本海から、エンヤーサー配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 作家を目指して名門・復旦大学中文科に入学したチャンイン。活字中毒の彼は図書館で手当たり次第に本を読みあさりました。愛読書のほとんどは海外作品でしたが、彼にとって特別な中国作家がいました。郁達夫(ユイ・ダーフー)。中でも彼の官能的な描写のとりこだったとか……。

連載【とろんのPAI通信】

 PAIを離れ、実家のある岡山で両親の介護生活を続けていたとろんさん。両親が入れる介護老人保健施設が見つかり、再びPAIに旅立つことになりました。タイへのフライト前日、新宿西口のビルの谷間のコーヒー屋さんで、両親とPAIへの想いを綴った「とろんのPAI通信」第23回。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 今回のタイトルは「小中学校」です。黒島のような小さな島では小学校と中学校が合体しているため、独特の運営がされているようです。たしか若月さんは独身のはずですが、なぜか学校行事にとても詳しい……。そのワケは本文で。またひとつ黒島の秘密が明らかになります!

【上林早苗の『上海日記』】 第30回

郁達夫

 一連の聖火リレー妨害をめぐり、中国のネット世論はたいへんな盛り上がりを見せている。中国大手ポータルサイト『新浪網』では全世界の中国人に向けた「反分裂・聖火死守」オンライン署名キャンペーンの告知がなんとニュースのヘッドラインに組まれ、すでに80万人分を集計。こうしている間にも1分間約2000人のペースで署名リストが増え、併設の掲示板は「ダライ集団の横暴を許すな」「欧米国家に立ち向かえ」「全世界の中国人は団結せよ」などのコメントを次々と掲載している。これまで「3・14事件」に無関心だった友人たちが聖火リレー妨害には憤慨していることからも、ここにきてチベット騒乱が一般人にとって身近な問題になっているということだろうか。関心が高まったのはいいけれども、なんだか複雑な気分である。
 作家を目指し、名門・復旦大学中文科に入学したチャンイン。「活字中毒」の彼にとって最高の憩いの場は図書館であった。入学後、初めて読んだ長編小説はロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』、続いてジャック・ロンドンの『マーティン・イーデン』。ボッカチオの『デカメロン』やヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』のほか、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』、戯曲では中国語訳が出たばかりのベケットの不条理演劇『ゴドーを待ちながら』も好きだった。学生のあいだでブームになっていたサルトルやニーチェにはいち早く目を通し、フロイトの『夢判断』は性的抑圧についての部分を精読。聖書は一つの人間ドラマとして読んだ。芸術や政治、軍事、歴史の本まで手当たり次第に読みあさり、ある時などは5時間ぶっ通しで立ち読みして昏倒。図書館係員に介抱されたこともあった。
 西洋へのあこがれからだろうか。愛読書のほとんどは海外の著作だった。しかし、彼にとって特別な中国人作家が一人いたという。中国初の私小説家といわれるロマン派作家の郁達夫(ユィ・ダーフー)だ。1896年、浙江省富陽県に生まれた郁達夫は16歳で日本に留学。通算約10年にわたる日本生活の末に帰国して抗日活動に参加した。その後、シンガポールで日本軍に通訳として徴兵されたが、1945年9月にスマトラ島で日本憲兵に暗殺された。文豪・佐藤春夫に影響を受け、自叙伝的小説を発表したほか同性愛などを描き、当時の中国文壇を震撼させたことで有名である。

母に要求を拒否されて泣く女の子 (唐家湾路)

 チャンインは何よりもその官能的な描写のとりこだった。短編小説『遅桂花』に主人公が友人の妹に心ひかれるこんなシーンがある。
「彼女のふっくらとした臀部、細く締まった腰、しなやかな曲線を描くすねを目にするだけで私は妄想にとらわれ、その丸く柔らかな肩を眺めるだけで情欲に駆られた」
 今の中国の若者からみれば、どうということのないセリフかもしれない。しかし、当時のチャンインにとっては何度も読み返し、暗記するほどの一大クライマックスだった。チャンインはやがて散文から日記、翻訳作品にいたるまで彼の作品を読みあさるようになった。
 「魯迅研究」の講義中のことだ。魯迅と親交の深かった作家として郁達夫の名が上がり、話がその処女作『沈倫』に及んだ。『沈倫』は在日の中国人留学生が日本人女性に恋をし、失意のなか最後には自殺してしまうというストーリーである。教授はこの本が書かれた動機をこう解説した。
「郁達夫は革命運動の失敗に打ちひしがれた結果、この作品を書きました」
 郁達夫ファンを自負するチャンインは首をかしげた。郁達夫という人は文学を通してこの人間世界を知ろうとした作家である。たしかに左翼作家連盟の一員ではあったけれども、本当に政治活動での失望が彼を小説に向かわせたのだったろうか――。授業が終わるとさっそく教授のところに駆け寄った。
「先生、執筆のきっかけは革命の失敗なのですか。僕は彼自身の失恋だと思いますが」
 教授は答えた。
「きみ、それは資本主義的な考えだよ」
「マルクス・レーニン思想の修養をもっと積みなさい」
 チャンインは耳を疑った。学問は事実から結論を導きだすものだ。思想のためにつじつまを合わせるようなものではない。「革命のため」という結論を導くために事実をねじ曲げるのは本末転倒ではないか――。以降、チャンインはこの授業をはじめ、文学評論系の講義をたびたびボイコットし、今まで以上に図書館へ通いつめるようになった。出席確認時、教室には彼の学籍番号がリズミカルに響きわたったという。
「8121009、009、009、三回呼んで返事なし」
 その後、郁達夫ファンを「卒業」する日がやってくる。チャンインを変えたのは日本人留学生が持ちこんだアメリカの雑誌『プレイボーイ』と『ペントハウス』だった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第23回

ダイジョ〜ぶ! 元気だして!!

MOON VILLAGEの石釜製作者(たかし)の墓(今年の3月13日で2周忌)

 明日、新月の4月6日はタイに向けてのフライト。介護生活、3ヶ月のオヤスミ。やっとのこと両親が入れる介護老人保健施設が見つかったのだ。倉敷の郊外に在り、田んぼに囲まれた(グリーンピース)という4階建ての建物で、この3月に出来たばかり。エイプリルフールの4月1日にそこへ入所する時、ボクは両親に2通の手紙をそっと渡しておいた。短気な父には「きをながく、こころをまるく、はらたてず、くちつつしめば、いのちながれる」、被害妄想気味で傷つきやすい母へは「だいじょうぶ! 元気だして!!」という短い言葉を筆で大きくしたため、共に日の出の墨絵を描いておいた。
 4月1日に施設に両親を預けほっとし、2日にボクらは岡山を逃げるように東京に着いたと思ったら、3日の朝、施設から追いかけるように電話があって、父が腸閉塞で他の病院に緊急入院したという。そして4日、ボクらが太一に初の海、太平洋を体験させようと茅ヶ崎の海岸で遊んでいたころ、父は腸捻転と診断され緊急手術をされていたのだ。施設に残されていた母はそれを聞いて気が動転し、血圧が一気に200まで上がってしまい、今、安静中。明日6日のフライトの前日の今日の朝、このハプニングに全く動じずに岡山に帰る気配を全く見せないボクらの姿勢に感服し負けてしまった弟が、急遽、個人タクシーの仕事を休んで岡山に新幹線で向かうことになった。父や母を見舞って、父が退院した後に再び施設に入所するまでの期間を弟に託したのだ。
 明日6日、このハプニングの中、ボクらはタイへフライトするのだけど、父も母もいつ危篤状態になるかわからぬ状態の中でのPAI滞在になりそうだ。果たしてどの位長くPAIに滞在出来るのだろうか。最悪の場合、親の生きた顔を拝めない可能性を秘めながらのPAI滞在。
 そんな明日をもわからぬ中、いよいよムーンビレッジの解体移築作業が始まる。すべての建物を解体し、移植できる木は移植し、リヤカーや自転車や道具類やヤギたちや全てのモノを山中の新天地に移してゆく。ボクらがいない間、ムーンビレッジを守り住んでくれていたアーティストのKEMさんと、あすか&ひでさん&麻陽(あさひ)君ファミリーはすでに解体移築作業を終えていて、いつでも新天地に移り住める状態だけど、6年間続いたムーンビレッジの最後の日々をボクらと共に出来るだけ長く一緒に生活してゆく。そして2年前に沖縄で自殺してしまったタカシの創った石釜や、その隣にあるタカシの骨の埋まった墓をどうするか? 新天地のどこへ移すかなどの話もしなきゃ。そしてなによりも、ムーンビレッジの我が家で産まれた太一と、その半年後にこの世に産まれ出た麻陽くんとの再会が一番楽しみだし、子ども同士しばらく一緒に遊べるので、親子ともども短くて大切な日々を過ごすことになる。

MOON VILLAGEのの赤ちゃんたち(右から愛妻はるか&太一、あすか&麻陽君)

 帰りのフライトは6月14日に予定しているのだけど、それまでに4回の『とろんのPAI通信』を描き送ることになる。岡山に居る弟から「スグカエレ!!」メールがいつ来るかとビクビクわくわくしながらの(綱渡り的)PAI生活の様子を描いて見たいな。両親の介護生活が早く終わるなら、PAIでの新天地生活に早く入れるし太一もPAIの幼稚園に行くことになるし、そうなればボクかはるかが日本語の読み書きを教えなきゃ。そして、両親がこのハプニングを機会に、もっと長く元気に生き続けてくれるなら岡山の総社の町で、なごみ処(太一や)を始めることになるし。全ては両親次第なのだから、なんだかボクが高校卒業するまでの両親との生活に似ている。そんな(閉じられた依存生活)がイヤ!!で15歳からボクは旅を始めたのだけど、57の今、父が緊急入院する中(閉じられた依存生活)から無理矢理タイに向けて脱出しようとしている。
 新宿西口のビルの谷間のコーヒー屋さん(スターバックス)の木製ベランダに遅い朝陽がぽかぽかと差してきた。ここでこの原稿を描き終えたら、愛妻はるかの美人の姉と共に4人でメルマガ編集長の和多田さんの家に遊びに行くことになっている。そして、いよいよ明日6日、きっとボクらは大空をタイに向けて飛びながら美味しい機内食を食べているハズ。今後のPAIでの(綱渡り的)展開、お楽しみ!!!

  日々ビクビクわくわくのとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第4回

小中学校

4月7日の入学式の様子。左側が中学生で右側が小学生。これが黒島の全児童生徒。黒島はもうクーラーが必要な陽気で、入学式もほとんど半そでで出席

 黒島のような小さな島では、小学校と中学校が合体しており、「小中学校」となる。入学式や卒業式、運動会は同じ日に一緒に実施される。統合されているのは行事だけではない。校長や教頭、養護教諭は1人ずつ、職員室も1つと合理的である。
 4月7日に入学式があった。今年の新入生は小中それぞれ1名ずつ、小中合わせた児童生徒の数は19名で、教職員は16名である。
 授業風景はまるで家庭教師状態。さらに今年は新中学1年生の父親が中学校教員なので、父親から授業を受けることになる。父親の授業に参観日が当たれば、母親も加わり親子3人というまさに家庭状態となる。実は過去にも今年同様に教員が、自分の娘の教壇に立つことがあった。当時は同級生がひとり居たが、参観日にたまたま欠席してしまった。欠席した生徒の親は当然、参観日に来ないので、参観する母親と親子3人水いらずの授業参観となったそうである。
 以前、学校の不審者対策訓練を見たことがある。緊急放送が流れた後、教室から校庭に避難するのだが、全員が避難するのに1分もかからなかった。昔は駐在が居たそうだが、現在の黒島に警察は居ない。居てもヒマだと思う。この訓練のためにわざわざ来島した警官の話に私は噴き出してしまった。各担任に対し、「先生方は生徒たちの点呼をしていませんでした」とマジメな顔で指摘していたのである。1クラス1〜3名では瞬時に安否確認ができる。その人数で、わざわざ点呼をするような担任は、傍から見るとパニックを起こしていると思われないだろうか。訓練という行事を無難にこなすための訓練が必要かも知れない。
 卒業式にも出席したことがある。小学生の卒業式に感動は無かった。春休みが終わると再び同じ学校で入学式を迎え、同じ校舎で授業を受けるのだから当たり前である。
 中学生の卒業式は涙の式となる。9年間通った学校を去るだけではないからだ。島に高校がないので、進学のために島を離れる。つまり、親元を離れなければならないからである。家出ばかりしていた私にはうらやましい状況であるが、家庭によっては大変なことかも知れない。
 式の何に感動するのかというと、卒業生のあいさつである。自分の卒業式で泣いたことがない私でも、思わず涙がこぼれる。さらに町役場の職員などによる町長や教育長あいさつの代読の味気なさが、卒業生の言葉をさらに引き立ててくれる。もちろん、島の子どもたちは純粋な気持ちで話しているのだろうが、それに加えて、人前で話すことがとても上手なのである。これには理由がある。人数が少ないため、高い確率で児童会長・生徒会長になる。行事のたびに人前であいさつし、場慣れしてしまうのである。さらに学習発表会などの劇でも、人数が足りないことから、脇役どころか一人が二役もこなすことがあり、舞台度胸も身に付いているのである。親も高い確率でPTA会長を経験するので、子どもと同様に人前でのあいさつが鍛えられる。
 私が島に来たばかりのころ、学校だよりが私にも届いて驚いた。島の全世帯に配布し、島の子どもたちの活躍や近況などを知らせてくれるのである。「島全体で子どもを育てようとしているのか」と感心したのもつかの間、数日後にはPTA会費の徴収が来て、さらに驚いた。「P(親)でもなく、T(教師)でもない我々もPTA会費?」と驚いていたところ、学校に通う子どもの居ない成人は全員PTA準会員だと言われた。
 この他にも、島に住んでいるといろいろな徴収がやってくる。いちいち納得しようとしては島では暮らせない。「島の税金」と割り切るほうが賢明だ。
 割り切った結果、保護者でもないのに、卒業式や入学式をはじめとする行事の案内も届く。そして、このように、学校の事について詳しく書けるのであった。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号はゴールデンウィーク直前に配信します。そわそわして、仕事が手につかないという方もいるかもしれませんね。そういうメルマガ編集部はそわそわしながらゴールデンウィーク中も配信し続けます!
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第67号の配信は、4月24日(木)です。

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