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『メルマガ北海道人』第64号 2008.4.03. ―「北海道人」、残雪とふきのとうの道端―

 雪が消え、枯れ草におおわれた地面のところどころに、うすい黄緑色の輝き。春一番の山菜、ふきのとうです。冬眠から目覚めたばかりの熊が最初に口にするのがふきのとうといわれていますから、何か特別な効果があるのではと思ってしまいます。熊をまねて、ふきのとうを摘んで、天ぷらにして、むしゃむしゃ。
 消えゆく雪と、伸びゆくふきのとうが混在する道端から、『メルマガ北海道人』第64号、たまにはほろ苦く配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 今回の「上海日記」は文化大革命が終息した、2年後の1978年からのこと。上海の新聞に掲載されたある短編小説がブームとなり、中国全土を揺るがしました。この作品を書いた盧新華は、名門・復旦大学中文科の一年生。盧新華に憧れ、文壇のスターを目指す、チャンインのキャンパスライフはどんなもの?

連載【とろんのPAI通信】

 岡山で両親の介護をしながら暮らしているとろんさんのもとに、一歳7ヶ月の太一くんと愛妻はるかさんが戻ってきました。介護に子育てが加わって、文筆の時間もままならないというとろんさんが見つけたなごみ処は、不法で危険な場所でした。子育てと介護で時空禁断症状の「とろんのPAI通信」第22回。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 毎回、何かしら驚きがある若月さんの黒島の話。連載第3回目は「黒島のジャスコ」と呼ばれている「たま商店」でビックリ! 本土とはずいぶん異なる黒島の物流事情。クレープ、ギョーザ、100円ショップから見えてくる黒島の人々の暮らしに、気持ちがほんわりします。

【上林早苗の『上海日記』】 第29回

めざせ文壇スター

 ここのところチベット暴動の影響でインターネットのアクセス規制が厳しくなっている。動画サイトの一部やチベット関連団体のサイト、さらには記者ブログまでが開けない。中国人の友人たちにこの話をすると、これは「人民に誤報を与えないため」「国民を混乱に陥れないため」の措置だという見解。チベット問題に関しては中国政府の言い分を信じているから、あらかじめ情報を取捨選択されていることに怒りは感じないそうだ。「中国の人口は13億」「なかには事の是非が判断できない人も多数いる」「だから情報は民を正しく導けるものだけを厳選」――今回の報道規制そのものよりも、この論法が一般市民から意外と広く支持されているらしい。
 さて、文化大革命が終息した2年後の1978年のことである。上海の新聞『文匯報』に文革時代を舞台にしたある短編小説が掲載された。裏切り者の烙印を押され迫害される母、「革命に忠実たらん」と母と絶交して農村へと向かった中学生の娘。しかし、母の名誉回復後に帰宅した娘は母の死を知り、この心の傷が永遠に癒やされないことを知る――。中国屈指の名門大学・復旦大学の中文科一年生・盧新華が書いた『傷痕』である。作品はまたたくまに中国全土を揺るがし、いわゆる「傷痕文学ブーム」をもたらすことになる。この主人公と同じような傷を抱える人はそれこそ何十万、何百万と存在していたのだ。当時、中学生だったチャンインは著者・盧新華にあこがれを感じた。
「復旦大学中文科に入ってみせる。ぼくも有名作家になるんだ」
 こうして3年後の秋、チャンインは14倍という競争率を突破し、復旦大学中文科に見事合格した。入学式当日、中文科の掲示板で見つけた歓迎メッセージは彼をたいそう有頂天にさせたという。
「ようこそ、中国文壇の希望の星たちよ!」
 この時、誰もが第二、第三の盧新華を目指していた。
 ただ、学生にとっては決心同様に大切なのが環境である。入学後しばらくすると中文科一年生の学生寮ではルームメイト同士の趣味が同化するという珍現象が起きていた。気がつくと各部屋にはその傾向によってそれぞれこんな愛称がついていたらしい。
「娯戯寝室(ゲーム部屋)」
「体育寝室(スポーツ部屋)」
「吃喝寝室(食いしんぼう部屋)」
「創作寝室(創作部屋)」
「怪人寝室(変人部屋)」
 「変人部屋」は当初存在しなかったが、部屋が一つ増設されたことで各部屋から1、2名ずつ選ばれて編成された。結果的に元のルームメイトと気の合わない学生の寄せ集めだったため、こんな名がついたらしい。

命名諮詢館(七宝鎮)

 チャンインは幸いにも「創作部屋」の住人だった。たとえばルームメイトの欧陽くんは映画脚本を書くのが趣味、溥くんは詩作、周くんは映画評論で、黄くんはルポルタージュといった具合に全員が文学面での創作活動に熱心だったのである。
 チャンインの愛読書はシェイクスピアやゴーゴリ、チェーホフ、イプセンなど海外の劇文学が中心。上海人民ラジオ局の企画に応募し、ツルゲーネフの散文詩をスタジオで録音したりもした。ただ、優等生を自負するチャンインも詩作だけは同室の傅くんにかなわなかったという。政治宣伝風の自由詩ばかりつくるチャンインに、傅くんはこう言った。
「それってお子さま政治詩だね」
 一方の傅くんの詩は町の自転車修理工や靴みがき職人など常に庶民の心の内がテーマだった。悔しいが、相手が一枚も二枚も上手だったそうだ。
 しかし、海外詩の翻訳となると英語の得意なチャンインの出番である。記憶にあるのはイマジズム派の詩人、エズラ・パウンドの『In a Station of the Metro(地下鉄の駅にて)』というわずか二行の散文詩だ。
「The apparition of these faces in the crowd: Petals on a wet, black bough(人混みのなかのさまざまな顔のまぼろし 濡れた黒い枝の花びら)」
 地下鉄の駅に電車が進入してくる。乗客の顔が現れては消え、消えては現れ、幻影のような情景が目の前に広がる――といったところだろう。しかし、当時の上海に地下鉄はない。ましてや電車を見たことすらないチャンインにイメージがわくはずもなかった。
「なんだ、このうす気味悪い詩は……」
 それでも当てずっぽうに訳をつけ、校内の刊行物に堂々と掲載したそうだ。こうして「中国文壇の星」はつまずきながらも、なんとか順調なスタートを切りつつあった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第22回

時空禁断症状

(なごみ処)MOON VILLAGEでのヤギカップル(左からルカ&ロン)

 一人の赤ちゃんを育てるのがこんなにも大変なことだとは、と今ちょっとあわてている。一歳7ヶ月になる太一が愛妻はるかの実家、新潟の長岡にいる間は両親の介護をしながらも本は読めたし、この原稿も余裕で描けていたのに、太一がここ岡山の総社に戻ってきたとたんに、嵐の日々。目が覚めている間は一時の休みもなく動き、目に入ってくるもの全てに反応し、全力で夢中になり、破壊と創造を繰り返してゆく。ボク一人の時は自分で3度の食事を作っていたから、愛妻はるかとバトンタッチして喜んでいたけど、それはつかの間で、太一の子守のほうがもっともっと大変で、痴呆の両親は太一のゼンマイ仕掛けのような連続した力強い動きについていけなくって、あてにはならない。(独りの時間)を創るために毎朝早く起きているのだけど、今は、この原稿を描くには朝3時とか4時には起きないと、昼間は激しい嵐の中で、夜は深い睡魔に吸い込まれ、文筆どころではないし。
 日本に帰って3ヶ月たった今、(独りの時間)を創るだけでは物足らぬ状態に追い込まれてきている。時間と空間にかかわる、時空禁断症状の始まり。その極まったもの足らぬ想いに突き動かされるようにして、ある日の夕方、独り土手を登って高梁(たかはし)川の河原を散歩していた。
 岡山には西から、高梁川、旭川、吉井川の三大河川が北の中国山脈から南の瀬戸内海に向かって流れていて、ボクらの住む総社の町は総社宮を中心とした中国山脈が始まる位置に在り、高梁川に貫かれている。高梁川の水は冷たく透明で美しくって、広い川幅の中には中洲も在り、大小色とりどりの鳥たちが日々餌を求めて泳ぎ飛び回る。冬なので、その中洲も河原も全ては枯れ葉色に染まっていて、マッチ一本であ!!っと燃え広がるであろうその危うさに包まれたエクスタシーな風景群。
 散歩のなか、そんな危うい枯れ葉色の風景の中に何者かが竹と木で一気に作ったSPACEに遭遇した。屋根は何故だか取り外してあるけど、その下には木製のしっかりとした大きな長方形のテーブルと、それを囲むように長いすが設置されていて、洪水になっても流されないように、その全ての脚が大地にしっかりと打ち込まれた鉄筋に取り付けられている。そして、「この建造物は不法であり危険なので、至急撤去するよう!!」と印刷された警告文が2枚も貼られていて、それがためにか、妙にボクはこの不法で危険な建造物に愛着を感じてしまい、昼間でも(独りの時間)を創ってはそこに通うようになっていた。

MOON VILLAGEにやってくる旅人たち(圧倒的に女の人たちが多い)

 そしてある日、ついに太一やはるかにもそのボクの秘密の愛着のSPACEを告白し、みんなで夕日を拝みに河原に行って共にその大きな長方形のテーブルを囲んでみたのだ。驚いたことには、そこでは(独りの時間)でなくっても、もの足らぬ状態にはならないでPAIの(なごみ処)ムーンビレッジに居る時のようなバランスの取れた心の状態で居られるのだ。だから問題は(独りの時間)という(時間)ではなくって、心のバランスの取れる(空間)が必要だったのだ。
 PAIでは住んでいる家自体がそういう空間(なごみ処)だったのに、ここ総社の両親の家は、彼らのセンスに閉じ込められた介護事業所みたいになっていた。結局ボクの物足らぬ状態の解決方法は二つあって、このままならぬ両親の家ですら(なごみ処)と感じられるような精神状態に夫婦共に達するか、彼らの家とは別に(なごみ処)を発見するか発明してゆくか、だ。物事の新たなる展開は、状況や心の状態が(極み)にまで達することで始まる。その(極み)にまで達した今、救いをわが長男太一に託し、「太一や」と命名した(なごみ処)を総社の町中に創ろう!!! という強い想いが起きてきている。
 一昔前は、総社宮という広大で静かで厳かな神社を中心とした古い町並みの商店街が在って、そこに今、「れとろーど」という名を付けて古い町並みの保存と商店街の復興が進行中で、その一角、総社宮のすぐ側の壊れかけた土壁の空き家を借りて(なごみ処)を創り出そうと想い始めている。一ヶ月前には全く思いつかなかったコトが突如、あ!!っと湧き起きてくる人の不思議。考えてみれば、ボクの人生57年間、自分で(意志)なんかしないのに状況や心の状態が(極み)にまで達することで、あ!!っとひとりでに新たなる展開をしてきているのだから。
 4月に入ったらPAIに戻ってムーンビレッジを新天地に移し、そして、総社に戻ってきたら(太一や)への想いを形にしてみるか。このSPACE、全てが愛妻はるかのSENSEで創られてゆく予定なので、その展開をお楽しみ!!!

      (意志)喪失者とろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第3回

たま商店

たま商店の店内

 島内で「黒島のジャスコ」と呼ばれている「たま商店」というお店がある。店名の由来は店主のおばー、タマさんの名前からきている。「黒島のジャスコ」と呼ばれるほどだから、何でもそろうかというと、そんなことはない。
 島では、子どもが居るような家庭は生協を利用し、コンテナが貨物船から降ろされると、主婦たちが港で商品を分けて持ち帰っている。ほとんど料理を作らない私のような単身者や、生協の注文方法になじめなかったお年寄りらは、たま商店で十分に間に合っている。
 おととし、たま商店の息子さんが結婚し、関西出身の奥さんが来てからは品ぞろえが充実した。しかし、スーパーなどでの買い物に慣れている観光客にとっては、品ぞろえの悪い店かも知れない。ある物とない物が認識できている島民にとっては、ジャスコの様に便利である。ただし、タイミングは重要で、棚が空っぽの時もある。
 現在、私はダイエット中である。年に数回はダイエット宣言をしては挫折しているが、今回はちょっと続いており、久しぶりに90キロを切った。その時の喜びを周囲に言いふらしたが、ほぼ無反応だった。90キロを切ったぐらいではまだまだ重たいらしい。その体重が証明するように、本来の私は超甘党。かつてはチョコレートが主食といっても過言ではなかった。都会では酒を飲むと、最後にラーメン屋に行く人が多いが、私の場合はチョコパフェだった。
 私がダイエット宣言をしていないころ、たま商店に買い物に行くと、ほぼ毎回のようにチョコレートを中心とした甘い食べ物を買っていた。そんなある日、コンビニで見かけるようなクレープを発見した。ここでは石垣島のスーパーなどで普通に買ってきたものに数十円上乗せした値札が付いている。たまに100円ショップの「ダイソー」と書かれた商品に「150円」の値札がついていたりする。島の人は島に物資が届くまでにどれだけの人手や時間がかかるのか承知しているから、高くても納得して購入する。
 たま商店でクレープを発見した私は、思わぬ「新婚効果」に、一人喜びながら早速クレープをレジの前に置いた。クレープを見たタマおばーは不思議そうに商品を見つめ、「これは、何のおかず?」と、質問してきた。
 確かに、甘党の私からすれば、クレープは「おかず」でも間違いとは言い難い。しかし、一般にはおかずではないはずなので、「お菓子だはずよ」と答えておいた。

島内でギーラと呼ばれるシャコガイ

 考えてみれば私がこの島に来てから、「これは何ですか?」という質問を数えきれないほど島の人たちにしてきた。それはこれまで見たことや、経験したことがないことばかりあるからだ。ということは、その反対もあって当たり前で、私が島に来るまで普通に使っていたり、食べていたものを知らないということもあるはずである。
 島に長く住む本土出身の人が、移ってきて間もないころにギョーザを作って、近所におすそ分けしたという話をしてくれたことを思い出した。彼女がギョーザを配った時、ある人はギョーザを初めて見たらしく、「これはギーラか」と聞いてきたそうである。ギーラとは方言で、シャコガイのことである。確かにギョーザとギーラは名前も似ているが形も似ている。
 この話を聞いて以降、海でシャコガイを見るたびにギョーザが脳裏に浮かび、ギョーザを見るとシャコガイが浮かんでしまう。
 この話の出来事から約20年が経過している。島の人たちも、現在ではギョーザとギーラが違うことを知っていると思う。なぜなら、たま商店でギョーザを売っているからだ。そして、たま商店の店頭からも中国製冷凍ギョーザが、保健所からの連絡により撤去された

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

次号予告

 次号の配信は4月10日です。そろそろゴールデンウィークの予定も気になり始める頃です。日本気象協会の桜開花予想によると、札幌は例年より8日早い4月27日頃の予想です。道央圏ではゴールデンウィーク中に花見ができるかもしれませんね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第65号の配信は、4月10日(木)です。

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