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『メルマガ北海道人』第62号 2008.3.20. ―「北海道人」、街にざわめきがもどる―

 冬の間、凍っていた内緒話が雪どけとともに溶け出したのでしょうか。街全体がざわざわしています。クラクションやエンジン音、救急車のサイレンや笑い声、あらゆる音が雪に吸い込まれていた冬は、街がシンとしていました。道路わきに高々と積まれていた雪が姿を消したいま、音は吸収されずにビルの壁に反響しています。
 街にざわめきがもどってきました。それに影響されたのか、こころまでざわざわして、じっとしていられません! 春なんですね。
 『メルマガ北海道人』第62号、ざわめく街の中から配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 中国の経済や文化の変貌に驚かされる昨今ですが、文革終結後、チャンインが高校に入学した頃の中国がのぞき見できる第28回「上海日記」。ラジカセで音楽を流しながら街中を歩く人々、方便麺(インスタントラーメン)、日本映画ブーム。新旧の価値観の中で戸惑う王くん、潘暁という人物が引き起こした「信仰危機」騒動とは。

連載【とろんのPAI通信】

 高校卒業直後にインドに渡り、20歳直前に帰国。その後、与那国島や波照間島で暮らし、結婚後は箱型軽四輪車で日本中を走り回っていたというとろんさん。同じところにとどまらず、その時々でいろんな仕事をし、流れるように生きてゆく。とろん的生き方がわかるPAI通信第21回。愛とお金は天下のまわりモノ♪

連載【南の島から――沖縄県黒島の日々】

 先日、あるTV番組で黒島が紹介されていました。その番組、黒島より先に北海道で放送されたようです。これも「島のスピード」なんでしょうか。さて、今回は沖縄のハブについて。怖いものの代名詞にまでなっているハブですが、高い知名度で観光にも貢献しています。なのに悲劇のハブ。がんばれハブ!

【上林早苗の『上海日記』】 第28回

「信仰危機」

 1979年、チャンインが高校に入学すると、社会はそれまでに増して大きな変貌を遂げ、外国文化が次々と入ってきた。
 サンヨー製のラジカセが登場し、テレサ・テンの歌を大音量で流しながら歩く人が街中に出没。チャンイン宅では知人が日本のみやげとして買ってきた一人分の「方便面(インスタントラーメン)」を家族全員で賞味した。
 日本映画ブームが訪れたのもこの頃である。特に日本人元娼婦の回想をたどる映画『望郷(サンダカン八番娼館 望郷)』は衝撃的だった。性に興味があったチャンインは男性が服を脱ぎ、横になるワンシーンのために何度も映画館に足を運んだという。そのほか、『人証(人間の証明)』や『追捕(君よ憤怒の河を渡れ)』『華麗家族(華麗なる一族)』『遠山的呼喚(遥かなる山の呼び声)』『幸福的黄手?(幸福の黄色いハンカチ)』など、お気に入りの映画はたいてい日本発だった。社会構造や生活様式、ファッションも中国とはまるでちがい、目にするものすべてが新鮮だった。
 しかし、文革後、とりわけ改革解放後にはじまった政策と思想の転換をすべての人が違和感なく受け入れたのかと言えば、そうではないらしい。チャンインの同級生で共青団(共産主義青年団)の団支部書記である王くんは、文革が終結して4年の月日が経ち、「反革命分子」とされた人びとの名誉回復が行われるようになっても、こう主張した。
「江山不能在我們手中変色(共産党の色を我々の手中で変えてしまうわけにはいかない)」
 そして実際に、自らの親友である男子生徒の共青団入団を「出身家庭」がよくないと言って許可しなかったという。父が外資企業の元運転手、母が工場の元捜身婆(持ち物検査係)で小学校時代、チャンインにズボンをずり下ろされたあの男子生徒だ。王くんは入団不許可の理由を本人にこう説明した。
「反革命分子の家庭に育ったという認識が足りない。君個人を否定するわけではないが、僕はわが団に責任を負う立場だ。ここで過ちを犯すわけにはいかない」

凧揚げの名所で携帯メールを操作する凧売り(乍浦路)

 階級闘争は正しいし、正しい思想というものは友情とは区別されるべきだと王くんは心から信じていた。チャンインや教師がいくらなだめても聞き入れず、結局、この男子生徒だけが高校卒業時になっても入団を許されなかった。
 新旧の価値観のはざまで苦しんでいたのは王くん一人ではない。1980年、共青団の機関紙『中国青年報』に一通の投書があった。潘暁と名乗る23歳のその人物の手紙には自らの心情が切々と告白されていた。小学校時代、小説『鋼鉄はいかに鍛えられたか』や『雷鋒日記』に触れて、共産主義に命を捧げた英雄たちに感動したこと、革命のために死ぬことが美徳と信じて生きてきたこと、ところが文化大革命が終わった今、何を信じればいいのかわからず、他人ではなくまずは自分の存在価値を高めることが人類の発展のためになるのではないかと考えはじめたこと――。
 「人生の道のりはなぜ歩むほど狭くなるのか」と題されたこの文章は掲載直後から全国の若者のあいだで大論議を巻き起こした。これが現在、都市部の40代後半以上の中国人ならほとんど覚えているという「信仰危機」騒動である。共感する人あり、共産党への不信と読んでこれを批判する人もあり。この時、高校一年生のチャンインは潘暁に反論する文章を『解放日報』に投稿した。
「いかなる困難にあっても、共産主義の理想を打ち捨ててはならないと僕は思います」
「中国は改革開放以来、資本主義思想が入ってきました。私たちはこれに溺れ、堕落するべきではありません」
 本心からの言葉だったという。ほどなくしてチャンインの意見は新聞に掲載された。そこに採用されていたのはほとんどが「潘暁」に対する反論だった。
 「潘暁」なる人物が単独だったのか複数だったのか、そもそも実在したのかどうか、今でも明らかになっていない。ただ一つまちがいないのは、この騒動が「信仰危機」という社会問題となってチャンインたち文革中に育った若者たちの心を揺り動かしたということだ。中国の「改革開放」は物質的な豊かさのほかに、精神的な戸惑いを人びとにもたらしていた。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第21回

愛とお金は天下のまわりモノ

ムーンビレッジのレインボーカラー七色のぼり群(製作 BY みかちゃん)

 18歳の時、高校卒業直後に船に乗ってインドに渡ったボクは、20歳直前に帰国、上京し、23歳の時、大学を中退して復帰直後の沖縄に住み始めた。台湾の見える与那国島や南十字星が現れる波照間島などに5年間住み、そこで恋して結婚し、その後は箱型の軽四輪車に生活道具のすべてを積んで、二人であてもなく阿呆のように日本中を走り回っていたのだ。土方、製糖工場、山小屋、大型中型小型トラックの運ちゃん、朝食つくりのコックさん、ガソリンスタンド、東京でのタクシー運転手などの賃金労働をしながら、よっこという最初のパートナーと日本中を旅していたのだ。“とろん”というのは、彼女がつけてくれた名だ。ボクらは旅することが仕事だと思っていたので、その旅費を稼ぐための賃金労働は、自分にとって面白くって糧になるものを本能的に選んでいて、だから結構全力で楽しみながら稼ぎ、旅を続けていた。
 そして、出会って10年後の32歳の時、ボクは彼女に捨てられ、そのボクを捨てた彼女は、それから10年後に乳ガンであ!!!っと逝ってしまった。東京でタクシーの運転手(これはボクの天職だ!! とまで思い楽しみながら働いていた)をしている最中に離婚され、そして、九死に一生を得た大型トラックとの激突大事故でボクはその(天職)から目が覚め、それ以降は一切の賃金労働ができなくなってしまったのだ。突如の離婚宣告と大事故で、身も心も究極のショック状態。そのショックのおかげでボクの(なにか)が壊れ、賃金労働不能男に陥ったのだろう。
 38歳の時、2回目のパートナーが現れてからは、原宿の路上で自作のアートピアスを売ったり、フリーマーケットではなんでも売り、ライブ活動、ファッションショーや祭りのオーガナイズ、文筆活動など、賃金労働しないでサバイバルしてゆく方法を発明発見し続けて、もう24年も経ってしまった。ライブでは笛類を演っていたのに、45歳になって突如と歌い始め、「愛とお金は天下のまわりモノ♪」「お金は有る処から無いところへ流れてゆくのが自然の道理♪」とか、願をかけながら歌っていたものだ。
 タクシー運転手を(天職)だと思っていたのに、大事故でその終焉を告げられ、賃金労働が出来なくなってからはフリーマーケットがボクの(天職)かもしれないと思って楽しんでいた。門前仲町のお寺(富岡八幡宮)で月に一度のフリーマーケットをやっていたころ、毎回毎回ボクの前に現れ、毎回毎回必ず何かを買ってくれる、みかちゃんという近くの設計事務所で働いていた女の子と仲良くなっていった。今から15年前のことだ。そして(天職)と思っていたフリーマーケットも、2度目の離婚とともに臨界点に達し、21世紀になる直前、ボクは何もかもを捨てて、生活のベースを日本からタイ北部の桃源郷PAIに移し、50歳を迎えるころからは人からのドーネーション(喜捨)で生きるようになっていた。
 愛とお金は天下のまわりモノ♪ お金は有る処から無いところへ流れてゆくのが自然の道理♪♪
 そのボクにお金を流し続けてくれた、みかちゃんは、12年間勤めた設計事務所を辞めてPAIにくるようになり、昨年の49日間の祭り(たましいのかくじっけん)では、7色のレインボーカラーの巨大な「のぼり」を製作し、六角堂で「裂き織り」のワークショップを何回も展開してくれて、今、タイの山岳民族(カレン族)の「腰織り」に夢中になっている。そのみかちゃんが3月に入って岡山の吉備路の家に泊まりに来てくれたのだ。
 今、家の庭には梅や椿や水仙の花たちが美しく咲き、そんな中、3月12日には愛妻はるかと太一が新潟から戻ってくる。そして、続く3月15日は、よっこの15回目の命日。人は産まれては死に行き、別れては出会い、転んでは立ち上がり、止めては始め、壊してはつくり、そして一日一日、刻々と死に向かってゆく中の(今)を生きてゆく。

親友みかちゃん(ムーンビレッジ内で料理中)

 月に一度、痴呆症と糖尿病の両親を病院に連れてゆき、大量の薬をもらう。この一ヶ月間、ボクは医者に内緒で勝手に父親の薬の量を3分の一に減らして与え続けていた。神経や精神を静めて、患者をおとなしくする薬。あまりにもおとなしくなって眠ってばかりいたので、心配したボクは(ドクターとろん)と化し、自己判断と直感で勝手に薬の量を一気に3分の一に減らしてみたのだ。だから、3月3日の外来日、医者からボクの独断を責められるのではとドキドキわくわくしていたけど、先生曰く「私もそろそろ減らそうと思っていました。よく判断してくれて、3分の一にまで減らしてくれました。これからはこれでいきましょう!!!」とボクの直感判断能力を絶賛してくれたのだ。
 喜んだり心配したり、怒ったり笑ったり、浮いたり沈んだりしている間にも、桜の咲く春が、またひとりでに刻々とやって来る! そして、はるかも太一も3週間ぶりにやって来る!! だけど、いつになったら、太一のふるさとPAIにもどれるのかなあ???

     運命に打ちのめされてゆく自称コック&ドクターとろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第2回

人気のある嫌われ者「ハブ」

 ハブと言えば、沖縄における恐ろしい生物の代名詞となっており、毒性の強いクラゲなどは「ハブクラゲ」と命名され、同じく毒性の強いアンボイナという貝も、別名「ハブ貝」と呼ばれている。沖縄の新聞も、昔は「紙ハブ」と恐れられ、ペンが剣よりも強かった時期があるそうだ。
 沖縄を訪れる観光客にもハブは抜群の知名度で、観光産業に貢献している。しかし、人気の割に実態を知る人は少ないようで、その分余計に恐れられている感じがする。
 黒島に生息するハブはサキシマハブという沖縄本島に生息するハブよりも小さい種である。島の人たちは、車で道路を走っていて、ハブが道路を横切ろうものなら、わざわざ轢いてしまう。轢かれたハブは苦しそうに暴れる。さらに、車をバックさせて再び轢く人も居る。一度轢けば十分に死に至るものの、動かなくなるまで納得できないらしい。無毒のヘビも「疑わしきは轢いてしまえ」と言わんばかりに、容赦ない。「あっ、ヘビだ」→「ハブかも」→「轢いてしまえ」→「グシャッ」という流れによって、無実の罪で葬られてしまうのである。
 私の職場である黒島研究所を見学に訪れる観光客も、生物飼育室で展示しているハブを見て、「怖い」だの「気味悪い」だのキャーキャー騒ぐ。そのあと、孵化して間もないウミガメを見て「かわいい」などと言いながら、またキャーキャー騒ぐ。しかし、ハブもウミガメも同じ爬虫類である。そして、帰り際に「ハブが怖いんですけど……」と、旅行中のハブとの遭遇を大真面目に心配し、相談してくる人が後を絶たない。あまりにもこのテの質問が続くと、「この人、ホントはハブに会いたいのかなぁ」などと、深読みしてしまったりする。私からすれば、彼女らが日焼け止めを塗ったくって、喜んで入ってゆく海のほうが怖い。先ほど紹介した「ハブクラゲ」や「ハブ貝」も生息するし、ウミヘビにいたってはハブとは比較にならない猛毒である。さらに、サメやウツボなど毒はなくても危険な生物を並べればきりがない。
 野生のハブに遭遇できれば、それはむしろ幸運な旅ができたと喜ぶべきである。ハブは夜行性なので、普通の観光や生活で遭遇することは稀であり、生息数自体も減っている。かまれたとしても、血清すら不要な場合がほとんどだ。しかも、ハブはジャンプして襲いかかることもなく、足は人間よりも遅い。足は無いけれど……。

黒島研究所で飼育しているサキシマハブ

 ちなみに、冬眠はしない。活発なのは初夏と秋ごろで、その「ハブ咬症注意報」(5−6月)、「ハブ咬症防止運動月間」(10−11月)で沖縄県が県民に注意を呼びかけてはいる。確かにその時期は見かける。しかし、私が島に来てからはその頻度も年々減っている。
 出張で沖縄本島に行った時、お土産屋でハブが入ったハブ酒をチェックしてみると、黒島を含む八重山地方に生息するサキシマハブが漬かっていた。また、ハブ入りが高価なところを見ると沖縄本島もハブが減少していると考えてよいみたいだ。
 もちろん、たまにかまれる島民も居る。しかし、被害者の話を聞くと、やっぱりハブに同情したくなってしまう。
 あるおじーは、ハブを見つけ、大きな石を持ち上げ、ハブめがけて投げつけた。石はハブのしっぽに当たった。そこでおじーは「今度こそ頭に落としてとどめを!」と、直前にハブのしっぽの上に落とした石を拾おうとしてガブリ。また、ある人は観光客にハブを見せてやろうと思い、普段はそんなことはしないのに、素手で捕まえようとしてガブリ。
 このような話を聞くたび、ハブも人を選んでいるような気がしてしまう。かまれた方には申し訳ないが……。
 今日もまた、「ハブにかまれないためには……」などと言ってくる観光客に、やみくもに恐れることの無意味を冷めた口調で淡々と訴える。しかし、せっかく不安を解消してあげても、喜ぶ観光客は少ない。むしろ、期待を裏切られたような表情さえ見せる。
 今後も、私はハブの肩を持ち続けることだろう。自分自身がかまれるまでは。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

北海道「食のサポーターが行く!」を更新しました。

<北海道「食のブランド」フェスタ 08年3月10日>

こだわりの道産食材、食のサポーターが勢揃い
――真剣さ増す道内生産者の取り組みに高評価――

食への逆風を北海道ブランドPRの契機に

 2008年3月10日、札幌パークホテルで『北海道「食のブランド」フェスタ』が開かれた。この催しは、2006年度から始まった全国の食に精通する百貨店バイヤーや道内出身の一流シェフたち14名の“食のサポーター”が魅力ある道産食材を発掘する「食のブランド発見交流会」の拡大版。年度末を飾るイベントとして2回目を迎える。

つづきはこちら
北海道「食のサポーターが行く!」<北海道「食のブランド」フェスタ 08年3月10日>

美唄ファンポータル「PiPa(ピパ)」応援企画がスタート!

3月24日(月)に美唄のポータルサイト「ピパ」がオープンします。美唄に応援メッセージを送って、美唄の名産品「美唄やきとり」「おぼろづき」「ななつぼし」を当てましょう。

くわしくはこちら
応援メッセージを送って商品を当てよう!美唄名産品プレゼント美唄ファンポータル「PiPa(ピパ)」応援企画

次号予告

 次号は3月最後の配信になります。就職や進学、転勤などで北海道を離れ、新しい街に越した方、北海道にUターンした方、まだ引っ越し先が決まっていない方もいらっしゃるのでしょうか。メールが受信できる限り、『メルマガ北海道人』は皆様のもとへひとっ飛び!
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第63号の配信は、3月27日(木)です。

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