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『メルマガ北海道人』第61号 2008.3.13. ―「北海道人」、ゆっくり寄せる波のリズムで―

 夕日をバックに、人けのない春の浜辺に波が打ち寄せていました。砂浜をなでるように波はゆっくりと広がり、引いていきます。ザザーという波の音に耳を澄ませ、ゆるやかな動きを見ていると、なんだかぼんやりとしてきました。頭の中にも穏やかなα波が発生したのでしょう。いったい誰が指揮しているでしょうか、2つの波は同じリズムを刻んでいるようでした。ゆっくりだけれど着実に、誰かが指揮する波のリズムで季節は進行しているようです。
 『メルマガ北海道人』第61号、夕日をバックにα波とさざなみの中から配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 連日、自分のDVDラックから以前購入した作品を取り出しては映画鑑賞会を開いている田野城さん。ブルックリンの黒人街を舞台にした、Spike Lee監督の『Do The Right Thing』を観て、ある記憶が蘇ります。留学時代に迷い込んだハーレムで田野城さんが体験した映画のような出来事にゾゾッ。

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 今回は体験農家出張シリーズの第4回目です。貧しい農家を取材するために訪れた延安では、寝ている時間以外は食事しかしていないという岩崎さん。取材は無事にできるのか、という不安をよそに、食事と酒でもてなす現地の人々。それでは終わらず、次はカラオケ。グルメと娯楽情報の取材になってます!

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 27

Do The Right Thing

 ここ数日、毎日映画を観ています。と言っても劇場に足を運んでいるわけではありません。自宅のDVDラックから以前購入した作品を取り出しては鑑賞会を開いているのでした。
 何度観ても強烈なインパクトがあり、なぜか笑ってしまうのがSPIKE LEE 監督の『Do The Right Thing』です。この映画はブルックリンの黒人街を舞台に、アメリカの社会背景を浮き彫りにした、危険な匂いがプンプンする作品です。この映画が私の記憶を呼び覚ましました。
 私が留学していた夏のある日、500ドルで買ったおんぼろ車でボストンからニューヨークへ向かったことがありました。地図も持たず、ただただ道路標識だけをたよりに走っていくものでした。 車が壊れたら捨てたらいいや……ぐらいな気持ちだったと思います。
 FMステーションから流れる軽快な音楽とともにハイウェイを走っていたそれまでの僕が、あぜんとしたのはブロンクスに入ったときでした。凄まじい光景に血の気がひいたのです。道路両脇にある何台もの車体が全て燃やされ、無惨なガラクタ状態のまま放置されているではないですか!
「こっ怖い!!」
 あたり一帯は窓がすべて割られた人気のないアパートが建ち並んでいる。これぞまさしくゴーストタウン。ライフル銃で狙い撃ちされても不思議ではないと思うと、背筋に悪寒が走った。
 とにかく早くマンハッタンに入りたかった私は、ブロンクス地区を走り抜け、橋を渡り、ホッとしたのもつかの間、今度は「ここは1930年代か?」と思わせられる街に突入。そう、言わずと知れたハーレムに入ったのでした。
 今でこそ観光名所で高級住宅街が立ち並ぶストリートもありますが、当時は全く違いました。手入れのされていない古いレンガ造りの建物、水道や電気がきちんと整備されていないであろう街並、そして、仕事をしている様には見えない異様に大勢の黒人達がストリートにたむろしていた。
 留学して3年も経っていたであろうその頃の私の周りでは、日本人の知人が公園の中を歩いていたら、白人にバットで突然、襲われて頭蓋骨陥没、ある友人はイタリア系ストリートギャングに通りがかりに殴られ血だらけ、別の友人は黒人にホールドアップを受け、楽器を渡すよう脅迫をうけたが、それを拒んだがために一瞬のうちに腹を刺された……なんて意味のない暴力犯罪があちこちで起こっていた。せっかくなので、強烈なものをもう1つご紹介したい。ルームメイトだった日本人のY君がハイウェイで新車を走らせていた。彼の車に平行に走るように一台の車が近づいて来たので、Y君は何気にちらっとその車を見た。すると窓からショットガンを向けているのが目に入った。慌ててめいっぱいアクセルをふかしたのは言うまでもない。
 このような話をいくつも知っていただけに、私は危険予知能力が凄まじく高かった。だから、ハーレムに入った時、私の本能が危険度のレベルはレッドだとすぐ感知した。
「何てこった〜! 誰も助けてはくれないぞ〜!」
 運転席に身を伏せ、目だけは前方を凝視しながら、なんとか車の運転を続けました。赤信号で止まったが最後、あっという間に大勢の黒人に囲まれるのですから。信号無視でハーレムを走り抜けました。いっそのこと、信号無視違反でもいいから警官に捕まりたかった。
 車を運転しながら「I'm Not White、 I'm Black……」と言ったかどうか記憶はありません。
 さて、今夜はどの映画を見ようかな?

  著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第30回

体験農家出張(4)

 久しぶりの二日酔いで頭が痛い。昨晩は中国ウォッカ(白酒)をいったい何杯飲まされたのだろう。部屋も寒くてシャワーを浴びる勇気も起きない。ドアをノックする音がする。のそのそとベッドを這い出てドアを開けると、昨日一緒に夕食を食べたY局長の部下とZさんが立っていた。
 「朝飯、行きますよ!」
 また飯か、と思いつつも、すぐに洋服をはおり、二人の後に続く。昨晩と同じ個室には朝から豪勢に何種類もの料理が並んでいる。延安に着いてから寝ていた時間以外はまだ食事しかしていない、取材は無事に進むのだろうか……。
 朝食を食べながらZさんが切り出した。
「これから車で私が以前働いていた製鉄工場に行きましょう。そこで当時の私の同僚が取材先の農家を紹介してくれます」
 昨晩、Zさんは友人に連絡をして、宿泊取材の約束を取り付けてくれたようだ。
 朝食をすませると一路、Zさんの働いていた製鉄工場へ向かった。途中小規模だがいくつも石油採掘現場が見えた。Zさんの説明では延安はここ10数年で石油の採掘所が増え、今では延安の主要な産業になっているそうだ。工場は延安市内から車で40分ぐらいの所にあった。
 数年前に閉鎖された工場の一部を借り、Zさんの当時の同僚Qさんは工業機械の修理工場を経営していた。工場の裏門で合流すると、Qさんは工場のすぐ向かいのレストランを経営する窟同(ヤオトン)農家を紹介してくれた。窟同(ヤオトン)に住んではいるが農業で生計を立てているわけではない。
 これでいいのだろうか? 取材の趣旨とずれてはいないだろうかと記者と相談したが、「とにかく今日はここに泊まります」と記者はきっぱりと言った。この極寒の中、窟同に泊まるのは覚悟がいるのだ。
 記者と私が取材を始めようとすると、Zさんが横から口を挟んだ。
「Qさんが昼食の準備をしたから取材はそれからしましょう」
 またしても近くのレストランの個室に通された。飲食を通じて人間関係を築こうとする中国の習慣は、合理性を優先する都会では徐々に廃れているが、この土地の人たちにはまだしっかりと息づいている。そのことを嫌というほど実感させられた。そのような宴会に白酒はなくてはならない。昼だというのに、このときも乾杯が繰り返された。
 午後になってやっと取材が始まった。しかし、農家とは少し離れた内容の話だった。まだ延安での滞在日数もあるので、私とZさんはいったん市内に帰り、専業農家に宿泊できる可能性を探ることにした。

肉屋

 予想はしていたが、案の定、市内にはY局長やZさんの元同僚らとの夕食会が用意されていた。当然のことながらこの席で農家を見つける話題は出なかった。食事が終わり、ホテルに着くと、さらに今度は、「Y局長が我々とカラオケに行こうと誘っているので、行きましょう」と言う。
 Zさんの四角い顔といつか映画で見たフランケンシュタインの顔が重なった。あれだけ飲んだのにまだ飲むとは人間離れしている。しかし、中国の地方役人がどんな所に遊びに行くのか興味が湧いてしまい、付いて行くことにした。
 カラオケに向かう車中、ここ数年の中国の経済成長で延安市内も様変わりしたとY局長はしみじみとした口調で話した。確かに夜になると鮮やかな電飾が灯り賑やかな通りもある。Y局長の部下の先導で入ったカラオケの店はボックス式になっていて、我々は広い部屋に通された。私は女性のいるお店を想像していたが、そこは日本のカラオケボックスと同じであった。最初にマイクを握ったのはY局長だった。
 「では歌いましょう」と、中国語版『北国の春』を歌い始めた。中国で最もポピュラーな日本の歌だ。その一曲を歌ったことで彼らの中で主賓としている私への礼儀は尽くしたと見なしたのか、それ以降はZさんとY局長がロシアの民謡や文革当時の歌を歌い続け、二人だけの世界に浸りきっていった。
 歌い疲れたらしいY局長が、私に
 「あなたも何か歌いなさい」とマイクを手渡し、私は『昴』を歌った。すると、意外にもY局長らも『昴』を知っていて合唱になった。合唱は私たちに一体感を生んだ。最後にみんなで中国語の『インターナショナル』を大合唱ということになって、取材は少しも進まないまま延安二日目が終わってしまった……。

続く

著者近影

いわさき・みのる…1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

新コーナー「私の好きな店」File.No.01

新コーナー「私の好きな店」がはじまりました!第1回目は『北海道人』の好きな店をご紹介します。サービスが受けられるうれしいクーポン付です。

File.No.01「結び亭」―ジンギスカン―
File.No.01「結び亭」―ジンギスカン―

連載【となりの北海道人「私のお父さん」第35回】

北海道出身、または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについて語っていただくコーナーです。

今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「つらいときに歌」
「人づきあいの達人です」
「ほら吹きが売りです」
「貧しいけれど豊かでした」

となりの北海道人「私のお父さん」第35回

次号予告

 次号の配信は春分の日です。太陽が春分点を通過する日です。昼夜の時間が同じだと思っていましたが、春分の3〜4日前が最も差が少ないらしいのです。知りませんでした。
 さて、次号のメルマガラインナップは、連載第2回目となる、若月元樹の「南の島から――黒島の日々」、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」の3本です。
 『メルマガ北海道人』第62号は3月20日(木)に配信します。

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