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『メルマガ北海道人』第60号 2008.3.06. ―「北海道人」、厚さ40センチの氷上で「北海道人」、厚さ40センチの氷上で―

 氷で覆われた川の上に人が集まっていました。氷上でワカサギ釣りを楽しむ人たちです。直系10センチほどの穴に糸を垂らして、魚が掛かるのをじっと待つ。細かな震えは寒さのせいか、魚のアタリなのか。竿先のかすかなしなりを頼りに糸をたぐり寄せれば、小さなワカサギがプラプラと揺れていました。3時間で10匹。さてこの釣果、どうなんでしょう。ラストワカサギ……。シーズンも終わりと思えば、足先の冷たさ、手先のこごえも平気。ワカサギの天ぷらをほおばれば、ムフー。
 『メルマガ北海道人』第60号、薄氷は踏みたくない、厚氷の上で安心配信!

もくじ

新連載【南の島から――沖縄県黒島の日々】

 連載第一回目のタイトルは、「島のスピード」です。おととし黒島を襲った猛烈な台風は、沖縄地方でもめずらしいほどの大型台風。そのとき倒壊した民家を修復しているときにアクシデントが! 蛇口が壊れたのです。そしてこの壊れた蛇口が島で話題になりました。黒島ならではのスピードとエピソードで体感温度3度上昇!

連載【上林早苗の『上海日記』】

 「上海日記」第5〜7回で紹介されたチャンインの祖父シャオフォンさん。今回は1970年からシャオフォンさんが亡くなる1978年までの話です。自宅で行われていた住民委員会の集まりを軽蔑し、一切の政治活動を否定し、短気で昔気質なシャオフォンさんを誇りに思うチャンイン、あこがれを抱く少女。じいちゃんの魅力再確認の回です。

連載【とろんのPAI通信】

 コーヒーを飲み、日記を書き、ヨーガやジョギングで一人の時間を過ごした後、両親介護の一日がスタートします。毎日同じリズムで食事をつくり、一日の最後の世話を終えるともう全力を使い果たしてしまうと言います。人生の節目節目に本を出版してきたとろんさん。まさに今が新たな節目のとき。何かが生まれそうな予感に満ちたPAI通信、記念すべき第20回。

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第1回

島のスピード

 先日、島内で長い期間をかけて建て替えのような修繕を終えた家に久しぶりに明かりがともった。おととしの9月、八重山地方を襲った猛烈な台風で倒壊した家だった。
 あの時の台風は、沖縄の台風に慣れっこになっていた私も恐怖を覚えるほどの強烈な風だった。暴風が去ったあと、島を見てまわると、あちらこちらで電柱が倒れ、民家が倒壊していた。
 おととし来たこの台風は約30年ぶりの大型台風だったそうだ。恐ろしいことに、この台風と同等の台風が昨年は2つも来た。近年の海水温の上昇などが台風の勢力を増す原因となるらしい。永年、沖縄の台風を経験してきた家屋が持たないほどである。もちろん、家屋自体の老朽化も考慮に入れるべきではある。
 さて、この引越ししたばかりの家、台風直後は島民みんなで手分けして、残骸の片付けを手伝った。私も屋根に上り、わずかに残った瓦の除去や、残された家財道具がこれ以上濡れないようにシートをかけたりする作業に従事していた。
 その作業中、ちょっとしたアクシデントが発生した。同じ敷地内にある倒壊した倉庫を片付けるため、倒した壁の一部が、水道の蛇口に直撃して壊れてしまった。壊れた水道からは勢いよく水が噴出した。慌てた家主が手ごろな木の枝をナイフで削って、水道管に突っ込んで応急の止水に成功した。
 島の誰もが、家は一度更地にした上で新築するだろうと思っていた。ところが、家主は修繕を主張した。業者と契約後に家主の口から聞かされた修繕にかかる費用は、予想通り新築同然の金額だったのに。
 台風からしばらく経過しても現場は着工しなかった。八重山地方の各島々でも台風後の修繕に忙しく、業者も部材も間に合わないという。そんなこともあって、シートに覆われ、倒壊したままの家と木の枝が突っ込まれて応急処置された蛇口は年を越した。
 年が明け、壊れた蛇口が話題となった。止水のために差し込んだ枝から植物の芽が出てきていたのだ。この植物はセンネンボクという名前だそうだ。
 植物に興味のない私でも、なんだか嬉しく、人に伝えたくなるような眺めだった。しかも、直接水道と繋がった完璧な水耕栽培である。

壊れた蛇口から芽生えたセンネンボクの芽

 その後、現場はようやく着工した。しかし、着工してからものんびりした現場だった。家主にも大工にも「工期」という感覚がないのか、現場は幾度も放置され、担当業者が島内の他の家から依頼された現場を受けたりしていたのには驚いた。その間も、家主は避難生活を送っているのである。
 2008年、家主は避難先で2回目の正月を迎えた。
 本当は「いつ完成か」と聞きたかったところを、嫌味と捉えられないように、
「いつ引越しできますかねぇ」
 と問う私に対し、
「旧正月には大丈夫じゃないかな」
 と、家主からは相変わらずの呑気な答が返ってきた。ちなみに、沖縄では旧正月もひとつの節目である。黒島では2つの集落で旧正月行事として綱引き行事が実施され、学校も午後から休校となる。今年の旧正月は2月7日だったが、旧正月にも家主は戻ることは出来なかった。
 島を訪れる旅行者の中に、「島に呼ばれた」とか、「懐かしい」などと、ノスタルジーに浸る人たちが居る。彼らは何を感じて、そんなことを言うのだろうか。確かに、島にはいろいろなモノが残っている気がする。しかし、それらは意図的に残されたモノではないと私は思う。
 私なりの最近の結論は、島ではさまざまなことについてスピードが遅い結果なのだろうと思っている。島では何もかもがスムーズに進まない。話し合いでも、一度決定したはずのことが何度も議題に上る。だから事が進まない。約束も先にした約束よりも、後にした約束が優先される場面をたくさん見てきた。ただし、「過去」を大切にしていないということではない。家主が新築ではなく修繕を選択したのは、祖父母が建てた家の部材をできるだけ使いたいという、「過去」を受け継ぐための選択であったのだ。
 壊れた蛇口から芽が出てきた水道は、みなが喜んだにもかかわらず、修繕の工事が始まるとあっさり撤去されてしまった。

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

【上林早苗の『上海日記』】 第27回

じいちゃんの大往生

 長身で丸刈り、布靴にカンフー着。チャンインの記憶にある祖父シャオフォンさんの姿である。1890年、宮廷医の息子として蘇北で生まれ、上海で結婚、診療所を開業。子ども7人に恵まれるが、うち6人を病気で亡くし、4番目の娘だけが生き残った。それがチャンインの母シューリャンさんである。シャオフォンさんは一家で唯一の男児、チャンインを特別扱いした。だからなのか、チャンインはおじいちゃんっ子であった。
 1970年から文革が終わるまでの6年間、チャンイン宅の一階は午後になると住民委員会の活動場所として使われていた。班内の高齢者たちが集まり、委員会の者が党機関紙『解放日報』を隅々まで読み上げる。年配の元労働者たちは字の読めない人が多かったからだ。担当者は時おりこんな提案をした。
「今日は批林批孔(四人組が展開した林彪・孔子批判運動)への取り組み方をみなで話し合ってみましょう」
 しかし、相手はとうの昔に第一線を退いたご老人たちである。話題はやがて「ところで昼は何食った」だの「今あの野菜が旬」だのと大きく脱線。議論にならず、事実上の老人サロンと化していた。
 シャオフォンさん自身は一切の政治活動に対して否定的な人である。これまで清朝をはじめとして欧米列強、日本、国民党、共産党による上海支配を目の当たりにしてきた。彼の結論はこうだ。
「政権なんてものは似たり寄ったり。どれも食えたものではない」
 彼はこの活動を「低俗な集まり」と言って軽蔑し、来訪者に白湯さえ出さなかった。毎日、午後1時になると玄関先に椅子を持ち出し、茶をすすり、うたた寝をする。チャンインはその横に腰かけて本を読む。子ども心に祖父を誇りに思っていた。
 ただ、その昔気質で短気なところは時おり家族を困らせた。ある日、姉の二人の友人がチャンイン宅でミシンを使っていた。ところが、姉が席を外したため、部屋には男女二人だけ。「男女七歳にして席を同じうせず」の精神がしみついているシャオフォンさんはこれに激怒し、二人を追い出してしまった。そのほかにも、姉の友人がシャオフォンさんの寝台に腰かけたのに憤り、「女の尻に敷かれたものなど」と言って枕を廃棄したとか、マージャンに負けてテーブルごとひっくり返したとか、この種のエピソードは数えきれない。学校のプロパガンダ教育に反発して、チャンインを教室から連れ出したこともあった。
 一方、そんなシャオフォンさんにあこがれを抱く少女も存在した。姉の友人で「毛主席より劉少奇のほうがカッコいい」発言で大目玉を食らった17歳である。
「おじいさん、すごくステキよね……」
 シャオフォンさんが通りかかるたびに、60歳も年上のその姿をほれぼれと見つめていたという。

不幸のあった家の前で燃やされる花輪

 1976年、四人組(王洪文・張春橋・江青・姚文元)が逮捕されたとき、チャンインは祖父の異変に気がついた。近所の老人たちに事のてん末を講釈する際、あれほど頭の切れるシャオフォンさんがメンバーの名前を「王春橋」「張文元」などと、姓名を混同していたのである。チャンインは横からいちいち訂正を入れながら、祖父の老いを感じずにいられなかった。
 それから2年後のある日、風邪ぎみだったシャオフォンさんはいつもの薬を飲んで就寝。翌朝、父チョンカンさんがのぞいた時にはもう息を引き取っていた。88歳、老衰である。
 チャンインにとって初めての葬儀だった。遺体に寿衣(死装束)が着せられると、花輪と遺影が飾られる。親族は頭に白い花と腰に白布、3代目のチャンインは黒いガーゼの上に赤布を当てたものを腕に巻かれた。
 衝撃的だったのは泣き女である。彼女たちは事前の打ち合わせで知りえた故人の善行や武勇伝をよどみなく語りつつ、泣き叫ぶ。さらには遺族の気持ちまでを代弁する。
「アア、じいさまが死んだら、あたしたちどうやって生きてきゃいいんだよう……」
 清朝宮廷医の父、科挙試験の断念、陸軍士官学校入学、上海での旗揚げ――弔問客は故人の歴史に静かに耳を傾けた。葬式用の豆腐料理を食べ、花輪が燃えた灰の上をまたぎ、赤砂糖の入った甘いお茶を飲む。喪主に香典を渡し、茶碗と箸を受け取ると、帰宅していった。茶碗には「寿」の一文字。みなが羨む米寿の大往生なのである。
 じいちゃんは骨になった。しかし、中学生のチャンインは意外なほど悲しみを覚えなかった。むしろ祖父はこの世から解放されたのだ、と思ったという。1978年、ちょうど中国の改革開放政策がはじまった年のことであった。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第20回

42年間の(過去浄化装置)群

2007年7月7日から始まった49日間の祭り「たましいのかくじっけん」のいいだしっぺ、なな。祭りの様子は、ボクのホームページ
(http://amanakuni.net/toron)

 早朝5時ごろに目が覚め、静かな独りの時間にコーヒーを飲みながら一気に日記を描いて、ヨーガを始める。そして、近所のチェックを兼ねて、怪しまれないようにジョギング徘徊をした後、近くの公園で太極拳をしていると太陽が昇ってきて、介護生活の一日が始まる。朝食は8時で昼食は1時、そして夕飯が6時というリズムを乱すことなく一日3回の食事作りをこなしてゆく。その合間を縫って、愛妻はるかと太一の3人で吉備路をサイクリングしたり、メールチェックのために車で隣町の倉敷まで出かけたりしながら、岡山に住む友人たちを訪ねたりしている日々。夜は決まって8時45分に糖尿病の母にインシュリン注射を打って一日が終わるのだ。もうその時間になると全力を使い果たして、あ!!!っという間に眠りに陥ってしまう。
 そんな日々の中、はるかと太一が新潟の長岡に里帰りしてしまった。またもや独りの介護生活が始まった。大変だし寂しくはあるけど、本は読めるし(今は『利己的な遺伝子』という分厚い本を読んでいる)一人の時間がいっぱいできるので、有難いことではある。次に再会できるのは3月になってPAIに1〜2ヶ月戻るとき、東京で。学生と同じように、春休み夏休み冬休みをとって、年に3回は1〜2ヶ月ずつPAIに戻れるようにしたいな。介護サービスの中のショートステイというのを利用するのだ。
 ボクは15歳のときに旅を始めて、その時から今まで42年間も一日も欠かすことなく日記をつけている。そして、その節目節目に今まで3冊の本が世に出た。『純粋単細胞的思考』は34歳のときの作品で、離婚され(呼吸もできぬほどの絶望)の底に触れた時、あ!っと光が差し込んできて、う!!っと言葉たちが産まれ、39歳の時の『まるだしのエクスタシー』は溺愛した一回り年下の女と旅する中、彼女との戦いの果てに心静まった時、ん!!!っと誕生したものだ。その本のカバーには「愛ってなに。SEXってなに。激しい嫉妬と打算に満ちた男と女のおはなし」と描かれている。そして45歳の時の『とろんのダイジョ〜ぶ経典(スートラ)』ではカバーに「社会から転がりはずれゆくものたちをアッ!とダイジョ〜ぶ化させゆく」と描かれていて、愛する女たちやボク自身の運命に翻弄されながら全てを失ったときから、2度目の結婚相手が浮上してくるまでの物語だ。
 ボクにとって日記は「過去浄化装置」、そして本は「過去忘却装置」なのだ。2度目の離婚後、再び絶望の中、ボクは日本を捨てて新天地PAIに流れ着き、そしてその新天地で愛妻はるかと遭遇し、初の子太一がPAIムーンビレッジの自宅で産まれ出た。そして(一寸先は光)の今の介護生活のうろたえの中「過去浄化装置」を駆使しながらも、何故だか余裕で4冊目の「過去忘却装置」の誕生を強く予感しているのだ。3度目の結婚相手はるかとチェンマイで初めて会った時、(たまたま必然)一瞬目が合った瞬間、その「過去忘却装置」にスイッチが入ってしまったのだ。

母になった、ななと初の子夏椰(かや)君(現在3歳)。昨年12月26日に2人目の麻椰(まや)ちゃん誕生!! ボクも2人目頑張るぞ!!

1.とにもかくにも一日一日をクリアしながら、両親や家や近所や自分の町や岡山県のコト、そしてなによりも自分のコトを見極め、一体化してゆくこと。
2.怖ろしいほどの(人それぞれ)の中でのバランス波乗り感覚と、断固とした自分流の姿勢。
3.まるだしのエクスタシーこそ、真の人間関係の最短距離。
4.自分のイノチを犠牲にしない即興性の思いやり、出たとこ勝負の愛の深さ。
5.なりゆきとおもいつきのエクスタシー。
6.ボクの「利己的な遺伝子」が強くなればなる程、周りの人が楽になり喜ぶとシアワセ。
7.この自分に仕組まれた宇宙のイタズラに、全細胞で応えていかなきゃ、なにも展開してゆかない。
8.生きてるだけで、元気だったら100点満点! 病気だったり落ち込んでいても80点!!
9.ボクがドキドキわくわくダイジョ〜ぶならば、愛妻はるかも太一も両親も、みんなダイジョ〜ぶ。
10.NO HURRY! NO WORRY!!
11.縦関係の言葉「介護」を横関係の言葉「交流」に!!!
12.何事も(決めない!!!)こと。いつでもどこでも光に向かってしなやかな(ベスト反応)をしてゆくこと。
13.「きをながく、こころをまるく、はらたてず、くちつつしめば、いのちながれる」(岡山駅前の知り合いの手作りパンSPACE『マーケット』のトイレに貼ってあった言葉)。

 以上、介護生活が始まってからのボクの「過去浄化装置」から、ちょっと抜粋してみました。笑ってくださいね、とろんより。

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron

次号予告

 次号の配信は3月の中旬です。受験生なら進路がそろそろ決定する時期です。サクラサク――北海道ではまだまだ先のことですが、花屋の店先では桃や桜など春の花が見ごろです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第61号の配信は、3月13日(木)です。

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