メルマガ北海道人

HOME > 第59回

『メルマガ北海道人』第59号 2008.2.28. ―「北海道人」、春は近いのか、遠いのか―

 つい先日、春の空を見たと思ったことが夢のようです。先週末から降り続いた大雪とすさまじい風で、あっというまに景色が変わりました。自然の力のすごさをあらためて感じます。
 目の前の街路樹や電柱にこんもり積もった雪が風に乗ってふわりと飛んでいきました。それはまるで桜の花びらが散るかのようでした。白い桜――。春は近いのか、遠いのか。雪かきびとの上に白い桜がはらはら舞い散る3月間近の札幌です。
 『メルマガ北海道人』第59号、春を心待ちにしつつ配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 あなたにとって、アイデンティティとは、いったい何ですか? というフレーズで始まる今回の音楽授業。様々な人種が暮らすアメリカに留学したことのある田野城さんは、そのことについて考えさせる場面が多々あったと言います。白人、黒人、黄色人種が同居する寮の一室で、カフェテリアで、ライブハウスで、アイデンティティを問います。

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 今回は体験農家出張シリーズの第3回目です。貧しい農家を取材するために、目的地へ向かった岩崎さんたち。現地では案内人Zさんの友人が待っていましたが、その男性は公安という文字の入ったコートを着ていました。案内された国家機関の関係のホテルでは食事、食事、酒……。貧しい農家の取材のはずが、大食い選手権に参加?

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 26

今一度、考えてみませんか?

 あなたにとって、アイデンティティとは、いったい何ですか?
かつて受けたこの質問ほど、己を奮い立たせた言葉はありません。identityを辞書で調べると、独自性、自己認識、身元、などが出てきます。思えば小学校や中学校、高校の授業の中で識字や記憶力の勉強はさせられましたが、「アイデンティティとは?」なんて考える授業はいっさい存在しませんでした。
 そして迎えたボストン留学生時代。初めてその洗礼を受けたのが寮での生活でした。フロリダからやってきた全米高校選抜ジャズオーケストラのドラマーだったマーク(白人)、学費をアルバイトで稼いでやってきたギタリストのヴィンツ(黒人)、そして歴史もうろ覚えで何も知らない私(黄色人種)が同室となったわけです。この3人は普段、部屋で聴く音楽がまったく違います。白人ドラマーの演奏しか聴かないマーク、黒人のソウル大好きヴィンツ、意味もわからず何でも聴く雑食の私。ある意味、彼らアメリカ人は若かったけれど歴史的背景を把握し、すでに筋金がビーンと入っていたと言えるでしょう。
 アイデンティティを意識したことのなかった私が、日常生活から「自分とは?」を見つめ直すチャンスがありました。たとえば毎日食事するカフェテリアです。同じ国籍の学生や同じ民族同士が自然とテーブルにつき、気がつくとカフェテリアは肌の色で綺麗に分かれた不思議な空間になっていました。さながらリトル世界を彷彿させるようでした。今から思うと、音楽の勉強をしながら社会勉強も一緒にさせられていたのですから、日々私はアップアップ状態でした。
 そんなある日のこと、私は個人的に師事していた作曲家ジョージ・ラッセル氏に連れられて、ハーバードスクエアーにあったライブハウスへ出かけました。その夜は彼の愛弟子の一人で、北欧を代表とするサックス奏者・ヤン・ガルバレクのバンドが登場するからでした。当時、ヤン・ガルバレクはプロデユーサーのマンフレッド・アイヒャー氏率いる西ドイツのマイナーレーベルECMのスター選手の一人として注目されはじめていました。演奏中、何度もジョージは僕にこう言ったのです。
「よく聴きなさい。彼のようにアイデンティティを確立し、オリジナリティのある音楽をつくりなさい。 他人のマネではなく、ヒサオ独自の音楽をつくるのです……」と。
 またその夜、バンドメンバーのギタリストとして参加していたのが、当時はまったく無名だったビル・フリッゼルでした。私は今まで聴いたことのない不思議な彼のサウンドに酔いしれてしまいました。ライブが終わってジョージ・ラッセルがビル・フリッゼルを絶賛していたことも良く覚えています。ビル・フリッゼルは現在のアメリカのジャズシーンの中で、これまでのジャズとかけ離れた独創的な演奏をするとして、最も人気のあるギタリストの一人となっています。
 まだ世間知らずでサックスを初めたばかりの大学生だった私にとって、その時のジョージ・ラッセルの言葉はあまりに衝撃的であり、とてつもない難題を突きつけられたと感じました。
 それ以来、この難題は今も私の頭から片時も離れることはありません。おかげで、この言葉が私の中心軸として常に存在し、しっかり作用しているので音楽観がぶれないのです。しかし、このことは知らなかった方が良かったかもしれない……と思う時期もありました。そう、何も知らなければ、楽に音楽が聴けるのですから。
 話は変わりますが、ボストンで過ごした学生時代、私は比較的背も高く髪も長かったせいで、街を歩いていると「君はインディアンなのか?」とよく聞かれたものです。実際、当時の大学には2人のインディアンが在籍していたので比較しやすく、私自身も「確かに似ているけど……」と思うほどでした。また、アパートを借りに不動産屋に行った時など、じろじろと私が身につけている時計やバッグ、服装をチェックされたものです。「ぼろは着てても心は錦」という歌がありましたが、人間社会では外見で判断されるものなのだと悟ったのもこの時期でした。
 このおかげで私はインディアンに興味を覚え、30代の半ばに適度な長髪だった髪をばっさり切って、アメリカ先住民族のモヒカン族にちなんで髪型を「モヒカン刈り」に変えてしまいました。彼ら黄色人種であるインディアンの考え方に共感したからでした。
「孫達の時代になっても彼らが幸せに暮らせる環境を!」
 彼らの発想には、自然界の一部として生きる人間のつながりを意識した優しさを感じます。
 私は海外に出かける時、当たり前のように日本国のパスポートを持ちます。しかし、日本人であることは、いったいどういう意味を含んでいるのでしょうか? アイデンティティについて今一度、考えてみたいと思います。

  著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第29回

体験農家出張(3)

 うっすらと雪が積もった延安駅に着くと、案内人Zさんの現地の友人が現れた。彼が着ていた警察官専用のコートの「公安」という文字を見てぎょっとした。許可を取っていないのに公安の人が我々に同行してしまったら取材どころではなくなる。しかしZさんの話では、彼は知り合いの不動産開発会社の社長の運転手だという。紛らわしいかっこうをして……。秘かにほっと胸を撫で下ろした。
 Zさんの別の知り合いが宿を予約してあるとのことなので、とりあえずそこに向かうことにした。宿は国家機関の関係のホテルで、どうやらZさんのその知り合いとは当局関係者のお偉いさんであるようだった。志丹県に向かうのが不可能であれば、延安に近い場所で窟同(ヤオトン)に住む農家を探せないかとZさんと打ち合わせようとした。しかし、当局関係者の友人の部下がお昼を用意したからと、ホテルのレストランの個室に通された。お昼に列車の中でカップラーメンを食べたばかりだし、3時半とかなり中途半端な時間帯だったが、もうここまで来るとZさんについてゆく他ない。骨付き羊肉の煮込みや現地の特産小麦粉で作った饅頭、麺類が次々とテーブルの上に運ばれてきた。食欲に負けて成り行きに任せ、食べてしまった。
 はち切れるほどお腹が一杯になった頃にようやく、これからどのように取材しましょうかと口を開くと、当局関係者の友人の部下が、
「大丈夫です。6時に夕食の準備をしています。その席に私の上司Y局長も参ります」と割って入ってきた。すでに4時を回っている。2時間後にまた食事ですか。が、決してそんなことを言えるような雰囲気ではない。Zさんは我々の思惑を無視するかのように、
「おお、それは久しぶりに会える。では明日のことはY局長に相談しましょう」
 と乗り気であることを示した。我々も了解して1時間30分後の夕食会に臨むことにした。

延安の冬

 ホテルの部屋で一休みしようと思い、荷物を整理してベッドの上に横になろうとしたところでノックの音がした。
「それではそろそろ行きましょう」
 宴会が待ちきれないZさんが部屋まで呼びに来たのだった。先ほどと同様、ホテルのレストランの個室に行くと、さっきよりも多い数の椅子が円卓を囲んでいた。
「Y局長は少し遅れますので先に始めましょう」
 と部下Aが口を切った。テーブルを囲んだのは、部下B、ドライバー、駅に迎えに来た不動産開発会社のドライバー、不動産開発会社の社長ジュニア、そのフィアンセ、Zさん、記者、私で、どんな目論見があったのか私は上座に座らせられた。お昼の倍はあるだろうという数の皿が運ばれてきて、全員の小さなグラスに中国ウォッカ(白酒)が注がれた。
「では皆さんの到着を歓迎します」
 と部下Aが声高々に乾杯の音頭をとった。
 そもそも取材についてよく把握しないまま出てきてしまったのだが、こんな展開になろうとは想像だにしなかった。それに果たしてこの人たちも我々が延安に来た目的を理解しているのだろうか……と頭の中が不安と疑問だらけになった。Zさんはこの人たちは日本の記者ですと今更ながら、まるでおまけのようにみんなに紹介している。私の不安をよそに、ウォッカの乾杯を何度も繰り返しているうちに、みんな勝手に和気あいあいとなり、話も盛り上がってきた。
 ちょうどその頃、Y局長が登場した。ZさんとY局長は久しぶりの再会を喜んでいる。Zさんが「挿隊」で志丹県に行った後、正式な職として延安の製鉄工場に配属になった。そこで一緒に働いていたのがY局長だそうだ。ZさんはY局長について「工場の中でも一番出世したほうだ」と我々に向かって自慢げに紹介した。Y局長は私を見るなり、では乾杯をと、さっそくウォッカを飲み干した。久しぶりの再会のため、誰にも止められないほど当時の話で盛り上がってしまい、我々は体験農家取材の話を切り出せなくなった。最後にやっと我々の取材内容をY局長にも伝えたが、みんなウォッカですっかり酔っ払っていて、「明日友人に頼んでセッティングするから」というZさんの言葉に押し切られ、延安初日は終わってしまった。

続く

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

次号予告

 次号から新連載「黒島日記(仮)」がスタートします。八重島山諸島・黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所に勤務する若月元樹さんが、黒島暮らしのあれこれをお届けします。

「黒島日記(仮)」予告

 沖縄本島からさらに南西に位置する八重山諸島。その中の黒島は、周囲12キロ、最高標高13メートルという小さくて平坦な島である。
 周辺の島々のようにサトウキビ畑などは無く、畜産が基幹産業となっている。島全体が牧場のような光景に、訪れた人々は「北海道みたい……」とつぶやく。
 北海道訪れた時、思わず「黒島みたい……」とつぶやいた筆者が、人口約200名、牛の数約3,000頭の黒島で見たこと、感じたことを書いていきます。

 次号は新連載に加え、友人チャンインの目を通じて中国の歴史が浮かび上がる、上林早苗の「上海日記」、タイのPAIから場所を移して現在は岡山から両親の介護生活についてつづる「とろんのPAI通信」の強力3本立てでお届けします。お楽しみに!
 『メルマガ北海道人』第60号は3月6日(木)に配信します。

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ