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『メルマガ北海道人』第58号 2008.2.21. ―「北海道人」、雪原にまぶしい日差しの乱反射―

 プラスとマイナスを行き来する気温のせいで、溶けた雪が固まって雪原の表面は氷でうっすらコーティングされています。久しぶりの青空に太陽がギラリ。雪原に日差しが反射して、ものすごいまぶしさです。夏の日差しはこんがりときれいに焼けるのに、冬だとまだらになってしまいます。乱反射のせいでしょうか。まだらな日焼けは、スキーヤーやスノーボーダーの勲章のようなものですけれど。
 『メルマガ北海道人』第58号、配信しすぎのまだらな日焼けで今回も配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 爆竹と花火でにぎやかに春節を迎えたばかりの中国。「上海日記」第26回は文革後の話です。「数学・物理・化学をマスターすれば天下に怖いものはなし」というスローガンが当時全土に広まっていました。国家の繁栄には科学の発展が必要と考えられていたようです。そう言えば、日本でも理数中心に授業数が増えるような……。

連載【とろんのPAI通信】

 帰省するたびに倉敷の美観地区に行き、ことだまキーホルダーを買う、とろんさん。今年は「子は親を選んで生まれてくる」というメッセージが入ったものを選びました。今の自分にぴったりのメッセージを選ぶ作業が楽しみなのだそうです。両親の介護を決心したけれど、その痴呆力に弱気になったり、温泉で鼻歌を歌ったりのPAI通信第19回。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 今回をもって、往復書簡は休載となります。編集長・和多田進から鈴木邦男氏へ向けた休載前最後の手紙です。これからの二人の関係を予感させるような内容です。次に往復書簡を目にするのは何年後でしょうか。

【上林早苗の『上海日記』】 第26回

春、到来

 今年の春節は夫の故郷である浙江省温州の農村で迎えた。実家の親せきたちは普段、半自給自足で実につつましい暮らしを送っているのだが、今年は「より豊かな一年を迎えるため」と各人1000元(約1万5000円)ずつを出し合い、2万元(約30万円)分の爆竹・花火を購入。大みそかの夜、それをわずか30分で夜空に散らせてしまった。親類とはいえども中国の人々の新年にかけるこの種の意気ごみにはまったく頭が上がらない。
 さて文革後の中国である。当時、こんなスローガンが全土に広まっていた。
「学好数理化、走遍天下都不怕(数学・物理・化学をマスターすれば天下に怖いものはなし)」
 理系の知識を身につけよ、というのである。チャンインが進学した江寧中学校にも中国社会科学院の教授が講演に訪れた。テーマは「科学的春天(科学の春)」。陳念貽というその先生は説いた。
「アメリカや日本の繁栄は科学の発展によってもたらされました」
「これからは科学技術の時代です。しっかり勉強しましょう」
 「敵」のはずの資本主義国家をなぜ見習うのだろう――チャンインには不思議だった。
 『数理化叢書』という理系の教科書シリーズが爆発的な人気を呼んだのもこの頃だ。品切れ続出で入手困難だったことから、中医である母シューリャンさんは受け持ち患者のコネを使ってこれをようやく手に入れた。しかし、チャンインは天下に数学ほど怖いものはない文系人間だ。よくこんな問題があったという。
「A地点にいる時速80キロの列車とB地点にいる時速50キロの列車が同じC地点に向かって走っています。さて両者は何分後にぶつかるでしょう」
 どう頭をひねっても、思い浮かぶのは激突直前の恐怖だけであった。彼の『数理化叢書』は数ページも読まれないうちにお蔵入りとなった。

爆竹を鳴らす若者(温州市泰順県)

 一方で、世界に門戸を開こうという動きから外国語もブームとなった。ある新学期、チャンインはクラスの前でこう宣言した。
「僕は今学期、英語、日本語、ドイツ語、フランス語の4か国語を身につけ、社会主義の現代化のために貢献します」
 いかにも優等生らしい発言である。休み時間に入ると、クラスメイトの一人がからかって言った。
「おい、そこの四国(スーグオ)くん!」
 しかし結局、ラジオ講座はどれも1冊目で挫折した。かろうじて記憶に残っている日本語は「コノジカンワコレデオワリマス」だそうである。
 政治宣伝一色だった授業内容にも変革が起きていた。イギリスから輸入した教科書『新概念英語(ニューコンセプトイングリッシュ)』が副教材として使われ、「ビリー」や「マリー」による生き生きとした英会話を学べるようになった。覚えているのはこんなフレーズだ。
「昨日、映画を見に行ったの。後ろに座っていた二人がうるさかったから振り返って注意したら、none of your business(よけいなお世話)って怒られちゃったわ」
 それまで「Long Live Chairman Mao(毛主席万歳)」式英語に親しんできたチャンインには、目からウロコであった。
 それまで発売禁止になっていた書籍が次々と日の目を見た。『外国文学名著叢書』をはじめとする外国の名著が翻訳・刊行され、チャンインはこれを機にいっそう読書に没頭するようになった。フランスのバルザックにユーゴー、ゾラ。日本の菊池寛、武者小路実篤、川端康成、夏目漱石、紫式部。ソ連の作家・ファジェーエフの作品で魯迅が日本語訳から中国語に訳した『壊滅』も繰り返し読んだ。国内戦を戦うシベリアの遊撃部隊の壊滅を描いた小説で、男女がからみあうシーンが何より気に入っていた。
 それまで「資産階級の大毒草」として封印されてきた越劇映画版の『紅楼夢』が復活した時は、前代未聞の事態となった。映画館はどこも長蛇の列をつくり、チャンインの自宅近くにある「滬西電影院」ではやむをえず24時間体制でこれを上映した。人によっては一度で飽きたりずに数日、通ったらしい。長い冬を終えた中国。人々の知的欲望は最高潮に達していた。そこには抑圧からの解放感を通り越した、ほとんど復讐の喜びに近い何かがあったのではないかと思う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第19回

子は親を選んで生まれてくる

引越し案内のハガキの中の、ああち&みずえちゃん!!

 ボクがこの世に出現したのが1951年、20世紀の半ばだけど、21世紀になる直前にボクは日本での生活に(見切り)をつけて新天地を求めて旅に出た。そしてその半年後、タイの北部山岳地帯にPAIという桃源郷を発見したのだけど、その新天地でボクの心や魂が癒やされていくにしたがって何故だか(見切り)をつけたはずの日本の両親のもとへ、毎年年末年始一ヶ月前後、帰省するようになった。
 そしてその都度ボクの生まれ故郷倉敷の美観地区を散策し、その一角で手作りのトンボ玉作品やキーホルダーを売っている、みずえちゃんの処を訪ねて買い物をする癖がついてしまった。まあ、ボクにとっての(お参り)みたいなものだ。みずえちゃんのパートナー、ああち作のキーホルダーはかわいい梅の木片にメッセージを彫りこんだもので、ボクは勝手に(ことだまキーホルダー)と命名している。今年も正月の晴れた成人の日に美観地区を訪ねて、黄色のトンボ玉が光る黒檀の木で作られたカンザシを愛妻はるかのために買った。そして何故だか、東京に住むはるかの姉のために(ことだまキーホルダー)を買ったのだ。今年は「子は親を選んで生まれてくる」を選んでしまった。昨年は「善き事はカタツムリの速度で動く」を買い、一昨年は「因果系宇宙」を求め、そしてそれ以前は「燦々」「子は親の鏡」等を選んでいる。毎年多くのメッセージの中から、ひなたぼっこをしながら、今の自分にピッタリとくるモノを一つだけ探し出す作業が、とってもエクスタシーなのだ。
 第16号で、倉敷で生活保護を受けながら生活している、かわさんのことを描いたけど、訂正が一つと追加が一つある。彼は慶応大学を(卒業)してなくって(中退)。それも、ほとんど通学しないでやめたらしい。そして、倉敷に辿り着いてお金の尽きたかわさんは、実は倉敷の「ですぺら庵」というSPACEに半年ちかく居候しながらサバイバルしていたのだ。
 その「ですぺら庵」というSPACE、実はトンボ玉のみずえちゃん&ことだまキーホルダーのああちの二人が産み出した宇宙なのだ。そして、かわさんがアパートに引越し生活保護を受け始めてしばらくして、「ですぺら庵」は平野から山間の川沿いに在る築80年の旧家へ移った。2007年6月の事だ。今まで永年30年間もかわさんのような多くの旅人を受け入れ世話しながら、彼らもやはり介護生活を経験していた。脳梗塞で倒れ寝たきりのああちの母を3年間も二人で介護してきたのだ。要介護度5だから究極の病人の介護経験者達なのだ。そういう役割の運命のせいか、捨てられない30年分のガラクタ達とともに引越してみたら、住み始めた旧家には80年分のガラクタ達が待っていたのだから、今、合わせて120年分のガラクタ達と共存しながら暮らしているのだ。
 新天地「ですぺら庵」は、ボクらの住む総社からも倉敷からも車で一時間半の山の中に在り、岡山3大河川の一つ旭川を北にさかのぼった処だ。愛妻はるかと太一が新潟に里帰りしてる間にボクは独りで2回その新天地を訪ね、露天風呂のある温泉につかってきた。そして、2月7日新月の旧正月の朝、3回目の訪問をしてきたところだ。今回は愛妻はるかと太一とフィンランド人のニーロ(20歳の旅人で、PAIのムーンビレッジを訪ねたけどボクがいなかったので日本まで訪ねてきた好青年)の4人で訪ねた。訪ねたとき丁度、味噌造りをしていて、そのせいか別れ際に2004年に造った味噌をお土産に持たせてくれた!!!(それも、白菜と何故だか巨大なサツマイモ付き!!)

みずえちゃんの作品(ホームページをリニューアル中のため、ブログ紹介http://chat-nonohana.jugem.jp/「野の花のひとりごと」
BY 野の花工房)

 ニーロがその味噌造りを手伝いボクが新居で作業している間に、愛妻はるかと太一は未だボクが一歩も踏み入れたことのないその旭川の土手に登ってゆき、川沿いを散策していた。そして戻ってくるなり、息を弾ませながら「私達のPAIの次の新天地と同じ匂いがして、思わず涙が出そうになったよ!!!」と目を輝かせていて、ボクは驚いてしまった。3回目なのにまだその聖域を知らなかった(余裕)の自分への驚き。そしてその(余裕の驚き)の余韻を残しながら4人で露天風呂へ!!!
 温泉につかりながら、(見切り)をつけたはずの故郷岡山がとても心地よく目に映り、心や魂がうれしく脈打っている自分を感じるとともに、(じたばたしない!!)で両親の介護をすると決めたはずなのに今またその両親の強力な痴呆力に(見切り)をつけたがっている弱気な自分を感じながらも、思わず鼻歌なんかが出てしまっている(余裕)の自分にまたまた驚いている始末だ。
 「子は親を選んで生まれてくる」を選んでしまった今年だけど、この介護生活中に是が非でも、何故ボクは今の親を選んで生まれてきたのかを発見してみたいな。一寸先は光だからこそ(明日がみえないエクスタシー)、大丈夫じゃないけど(ダイジョーぶ)、(うちゅうのダイジョーぶ)。
  『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』の産みの親、うろたえるとろんより

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】第31回

和多田進→鈴木邦男

再開を楽しみにしつつ

鈴木邦男さま

前略
 鈴木さんの前便を拝読しましたが、私にはことばもありません。当惑、字義通り当惑しているというのが私のいまの正直な感覚です。とりあえずの「休載」ですから、私が『北海道人』にかかわっているかぎりは「この場所」で、もしかかわることがなくなったら、そのとき考えられる別の「場所」で、またやりとりをしてください。これはいまからお願いしておきたいと思います。
 この往復書簡はいったん休載したとしても、私と鈴木さんの間にあると私が信じている私の鈴木さんに対する友情には、なんの変化もありません。一緒にメシを食べながら、また無駄話でもしましょう。私もお誘いしますが、気が向いたら鈴木さんも誘ってみてください。一緒に北朝鮮に行ってみるっていうのもいいんじゃないでしょうか。ともかく、鈴木さんに誘ってもらえるのを楽しみにしています。
 こうして書いていて、ふっと芭蕉が頭にのぼってきました。とりあえず休載、その記念に私の頭にふっとのぼってきた芭蕉を書き記して、往復書簡いったん休載の締めといたします。長い間ありがとうございました。感謝の気持ちを込めて筆を置きます。

頓(やがて)死ぬけしきは見えず蝉の声  芭蕉
不一

2008年(核時代63年)2月10日
和多田進拝

道31・京都・芽ぶきつつある樹(写真・WATADA)

次号予告

 次号の配信は2月28日(木)です。その日はビスケットの日に制定されています。ビスケットと聞いてすぐに思い浮かぶのがポケット。ポケットをたたくとビスケットが2倍。なんて高配当! なけなしのビスケットを全部そのポケットに預けてみたくなります。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第59号の配信は、2月28日(木)です。

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