メルマガ北海道人

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『メルマガ北海道人』第55号 2008.1.31. ―「北海道人」、陽だまりと鍋―

 寒さのせいで本能的にあたたかいものを求め欲してしまうこの頃。昨日は湯豆腐、今日は鱈ちり、明日はシチューにしましょう。そう言えば先週は石狩鍋にちゃんこ鍋でした。冬は鍋です。
 あたたかいものと言えば、冬の日の陽だまりは格別です。室内の陽だまりで目を閉じれば、南国気分を味わうことさえできます。沖縄かハワイかタヒチか……。身体があったまると、ココロまであったかくなる気がするのは、気のせいでしょうか?
 『メルマガ北海道人』第55号、ささやかな陽だまりとして配信!

もくじ

連載【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】

 音楽業界に入って30年が経つという田野城さんは、生まれ変わったら、やはりサックスを吹きたいといいます。趣味にとどまらず音楽を仕事にまでしてしまった、その秘密はどこにあるのでしょう。あなたの心の中に眠っている音楽愛、もう一度目覚めさせてみませんか?

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 ある記者から「まずしい農民を紹介してほしい」と相談を受けた岩崎さんが、またまた何事かに巻き込まれてしまいます。ようやくとれた正月休みでしたが、そのことが頭痛の種となってしまったそうです。マイナス10度以下の土地へ初対面の人と……。どうなっちゃうんですか岩崎さん!

【田野城寿男の『楽譜のいらない音楽授業』】 Lesson 24

ド〜はドーナッツのド♪

 早いもので思えばもう30年近く音楽業界にいます。もう一度生まれ変わったらサックスを吹きますか? ときかれたら、笑顔で「ハイ」と答えるでしょう。
 趣味にとどまらず音楽を職業にまでしてしまった。それほどまでに音楽が好きな理由はいったい何なのでしょうか?
 私は決して英才教育を受けてきたわけではありません。どちらかというと幼いころから体を動かすスポーツ好きの少年でした。中学生になってもサッカーやバレーボールに明け暮れていましたが、そのころ流行ったのがラジオの深夜番組でした。スピーカーから聴こえてくるビートルズの『レット・イット・ビー』に痺れ、カーペンターズやシカゴ、バート・バカラックのサウンドに惹かれていきました。
 高校に入るころ、すっかり人生に対して斜に構えていた私は黒人ジャズにのめり込みはじめました。なんだかよく分らないけどカッコいい!! メラメラと体の内から煮えたぎる熱い思いがこみ上げてきたのです。
 高校3年生のある夏の夜、私は友人と2人で「ジャズとはいったい何なのか!」を突きとめるべく、大阪から近鉄電車に乗り込み、三重県伊勢志摩にあった合歓の郷へ向かいました。毎年恒例のオールナイトのジャズイベントだったネム・ジャズインに行くためです。
 日暮れとともに始まったこのフェステイバルには国内のいくつかのジャズグループが登場し、夜明けまで演奏が繰り広げられました。今でも記憶に残っているのが、その夜出演した海外からのゲストグループ、ハービー・ハンコック率いるヘッド・ハンターズ。まだ4ビート全盛時代に、なんとファンキーなサウンドを会場いっぱいに轟かせてきたのでした。これには私も度肝を抜かれてしまいました。
 カッコいい〜♪
 それから約10年が過ぎた、私が20代後半から30代前半にかけてのころ、北は北海道から南は九州まで、夏の夜のジャズフェステイバルに出演していました。まさか自分がジャズフェステイバルのステージに上がるとは、高校3年当時の私は夢にも思っていなかったと思います。
 それは運が良かったからでしょうか?
 確かにそれもあるでしょう。でもそのヒントはボストン留学時代にありました。なにより学校嫌いの私に、ある意味かなり予想外な出来事がおこります。それは人生をどう歩いて行けば良いのか、右も左もわからない私に、しっかり道しるべを示してくれた素晴らしい先生達との出会いでした。識字率と記憶力だけでなく、哲学を教えてくれたのです。音楽には技術が求められます。しかし、その前に心が大切であると先生達は教えてくれたのでした。
 日本には「勝てば官軍」ということわざがありますが、私はそれでは駄目だと思います。一瞬一瞬が真剣勝負、プロセスが大切なんだということを教わったからです。
 音楽は自分自身をいかに高めるか……なんてことよりも、どれだけ楽しむか! なんですから。もっと楽しみたい! ならもっと練習すれば良いだけなのです。もっと深く勉強すれば良いだけなのです。ですから私がフェステイバルのステージに立てたのは、音楽を辞めず、サックスを手放さなかった。ただそれだけのことだったと言えるのではないでしょうか。
 しかし、そんな私にも苦悩の時代がありました。それは29歳の時です。レコード会社と契約が切れ、途方にくれてしまったんです。大好きなサックスが吹けなくなり、音楽もまったく聴けなくなった時期が1年だけありました。
 私がまったく自分を失ってしまっている時、一本の電話が鳴りました。ベーシストの友人がサリナ・ジョーンズのツアーに誘ってくれたのです。これはもう一度サックスを持つきっかけの1つとなりました。決定的だったのがなんと言ってもサックス奏者のビル・エバンスとの再会でした。彼とは学生時代から付き合いがありました。
 当時マイルス・デイビスのバンドを脱退した彼が自己のグループで来日。彼のライブが始まると、そのサウンドに10分で完全にノックアウト。それまで閉ざされていた私の心にまるで金づちで打たれたような衝撃がはしり、目を覚めさせられました。急に忘れていた先生達が脳裏に甦ってきたのです。心がとても暖かく感じられたのでした。私はこの瞬間にモントルー・ジャズフェステイバルへの出演を心に決めたのです。
 私は声を大にして叫びます!
 音楽は楽しむもの……いえいえ楽しいことです。
 何らかの理由で楽器を置いてしまっているあなた、歌を忘れてしまっているあなた、こんな歳だから今さら……と思っているあなた。ぜひもう一度楽器を手に持ちましょう! ぜひ歌を歌おうではありませんか!
 なぜって……それは明解です。
 音楽は楽しい〜!!!
 ただそれだけです。

  著者近影

たのしろ・ひさお…1958年広島市生まれ。サックス奏者。78年バークリー音楽院入学。在学中から精力的に活動し、帰国後の87年サリナ・ジョーンズの日本ツアーにソロ奏者として参加。91年「25周年記念」のモントルー・ジャズフェスティバルに出演。音楽家はもちろん、多彩なジャンルの表現者たちとのコラボレートを積極的に実践、近年は「音楽教育」の必要性を重視し、広い層の若者たちに個性的な指導を続けている。

ホームページ:http://www.tanoshiro.com
携帯サイト:http://www.tanoshiro.com/m/

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第27回

体験農家出張(1)

 「中国の農家に寝泊りして取材をしたい。何か良い案はないだろうか。できれば貧しい農民を紹介してほしい」
 昨年末、ある記者に相談された。このメールに応じたことが、ようやくとれた正月休み中の頭痛の種になった。
 中国人民の過半数が農民だからといって、私が暮らすのは首都・北京。日常生活で農民との接点は皆無だ。農民を、しかも貧しい農民を紹介してくれとは無理な相談だ。そんなに人脈は広くない。でも、人には親切にしなくちゃいけないと思い、メールを返した。
 「農民は紹介できないが、先日、陝西省延安に行って撮影した窟洞(ヤオドン:山の斜面に穴を堀り作った住居)に住む農民は、大変フォトジェニックだった。もともと陝西省の農民は貧しいので、その企画にはピッタリなのではないか」
 即、メールが返ってきた。
 「ではそのセッティングをお願いします」
 厄介なことになってしまった。しかし、一度頭を突っ込んでしまったことだ。できる限りのことはしてみるかと、協力することにした。彼の要求は、ヤオドン農家に泊まりたいということだった。現地に行けばいくらでもヤオドン農家はあるが、限られた日程の中で取材当日に宿泊先を探し、交渉するのにはリスクがある。取材の前に何とか手配しておかなければならない。何人か知り合いに延安の伝手を探してもらったが、なかなか見つからない。しかたがないので現地の旅行会社を通してセッティングしてもらうことにした。
 外国人が一般の家庭に泊まるには、公安局の許可など手続きが面倒らしく手配は難航した。また、1月はマイナス10度以下まで下がる彼の地の気温、宿泊先はゲストルームなどない貧しい生活を送っている農家だ。その上、現地の訛りは想像以上にひどく、どんなに中国語が堪能な人であってもコミュニケーションをとるのは難しいだろう。記者はそこまで考えているのだろうかと心配しながら、旅行会社に通訳・宿泊先・移動の車などを手配してもらった。
 記者に連絡すると、
 「旅行会社を通してでは、万が一、取材中に現地の当局者とトラブルがあった場合に困るのでだめだ」と言う。
 それはないだろう。さらに記者から、
 「もうすでに自分たちの伝手で探しているから大丈夫だ」
 と、何とも失礼極まりない返事が返ってきた。さすがの私も呆れてしまい、では、と電話を切ろうとすると、
 「写真はお願いする方向ですから」と言う。
 受話器から泥沼にずぶずぶとはまっていく不吉な音がしたような気がした。

タバコの火

 結局、年明けに彼らの手配した案内人と日本からやって来た記者に同行して、延安と安徽省に行くことになった。その案内人はなぜか移動は絶対に列車でないといけないと言い張った。しかし、出発当日になって、案内人があっけなく同行を辞退し、ピンチヒッターとしてその友達が現れた。突然の案内人変更に動揺しながら、われわれは駅に向かった。
 北京西駅は春節を前にいつも以上に人が多く、もみくちゃにされながら何とか駅構内に入った。延安までは約17時間かかる。売店でビールやおつまみを買い込み、寝台車に乗った。寝台車は軟坐(ソフトベット)と硬坐(ハードベット)に分かれている。軟坐は2段ベッドが2台ある定員4人の個室で、硬坐は列車一両にずらりと3段ベッドが並んでいる。われわれは一番寝心地の良い軟坐に乗った。
 列車はほんの数年のうちに見違えるようにきれいになっていた。ベッドごとにテレビが付いていて、ドラマが放映されている。トイレも車両ごとに和式と洋式があり、しかもトイレットペーパーまで完備している。棚に荷物を押し込み、下段ベッドに腰を下ろすと、互いに名乗り合ってビールで乾杯した。そう、取材内容はおろか、お互いの名前さえろくに知らないまま、出発してしまったのだ。私は真面目そうなピンチヒッターの案内人Zさんの顔を見つめながら、こみ上げる不安をかき消そうとビールを飲み干した。

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第34回】

北海道出身、または現在北海道にお住まいの4人の方に、ご自分のお父さんについて語っていただくコーナーです。

今回の「私のお父さん」のタイトルはこちら↓
「たら釣り漁の苦労話を唄に」
「反面教師のはずが同じ道」
「孝行は生きているときも大事だけれど」
「父の写真で再認識しました」

【となりの北海道人「私のお父さん」 第34回】

<鯨森惣七さんの「コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。」を更新しました!>

 鯨森惣七さんが旅先で見て感じたことをイラストとエッセイで紹介します。ちょっとずつ歩き回る旅の第3回目は小樽編その3です。寒さで固まった脳みそをフニュラーとしたい方はクジラをクリック。

コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅

次号予告

 次号が配信されるころは、さっぽろ雪まつりがはじまっています。札幌の街は道外や海外からの人々で賑わっていることでしょう。北海道人もまつりを楽しまねば。雪かきの手をちょっと休めて、まつりまつり〜!
 次号のメルマガラインナップは、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」、「危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡」です。
 『メルマガ北海道人』第56号は2月7日(木)に配信します。

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