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『メルマガ北海道人』第54号 2008.1.24. ―「北海道人」、シンシンと、ひたすらシンシンと―

 すでに真っ白な姿になっていた山や平野や街に、シンシンと雪が降りつづけています。きれいに雪化粧した北の大地は、さらに上塗りをつづけて、このごろ少々厚化粧ぎみです。雪や氷のまつり関係者はこの厚化粧を喜んでることでしょう。スキーやスノボなどウインタースポーツを楽しむ人もそうでしょう。
 シンシンとシンシンと。美しい厚化粧の雪化粧は、まだまだ続きそうです。
 『メルマガ北海道人』第54号、雪に負けない白塗り厚化粧で配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 2週間後に春節(中国の正月)をひかえている中国ですが、今回はチャンインが幼いころの年越しの話です。一家総出の正月料理作り、年末の入浴など、日本とは違うけれどなんだか懐かしい、ほのぼのとした春節の記憶です。ああ、これから正月を迎える中国がうらやましい。

連載【とろんのPAI通信】

 とろんさんが旅を始めたのは15歳、自転車世界一周の旅に出たのは17歳です。世界一周のための自転車を調達した山田サイクルは、40年たった現在も営業していました。そこで驚きの再開があります。そして今回は幼児期のせつなくも悲しい物語もあって、PAI通信はちょっといつもと違うかも。

連載【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】

 第29回は編集長・和多田進からの手紙です。今回の内容は……、とにかくお読みください!!

【上林早苗の『上海日記』】 第24回

一家の年越し

 「知識青年は農村で貧農・下層中農の再教育を受けるべきである」
 大学入試が中断されていた文革初期、中国の都市部では中学・高校の卒業生1000万人以上が進学の道を絶たれ、職を待っていた。1968年、毛沢東がその解決策として呼びかけたのがこの「知識青年上山下郷運動」である。就職待機者を農村の生産隊に送りこめば都市の失業問題は解決するし、生産力もアップする。さらには労働者思想も学べて一石三鳥、という計算だった。
 しかし、当初の見込みは大きく外れた。文革の10年間、この運動で農村に動員された中・高校卒業者は全国で約1600万人を数えるが、彼らは劣悪な環境下での暮らしを余儀なくされたうえ、結果的には農村の食糧事情を悪化させた。さらに、この世代が学問の機会を与えられなかったことで、世界との教育水準の差が広がり、これが中国の近代化を遅らせた要因の一つになったと言われている。
 チャンインが二姐(アージエ)と呼ぶ二番目の姉もこの「失われた世代」の一人である。「上山下郷運動」がはじまると、中学を卒業したばかりの彼女は自ら志願して江西省の農村へ移住した。農事が好きだったわけではもちろんない。素直な性格で、革命にも積極的だったからである。
 二姐が年に一度だけ帰省するのが春節(旧正月)であった。ピーナツとヒマワリの種、爆竹を手みやげに彼女が玄関を入ると、一家の年越し準備がはじまる。まずは食材の確保だ。ニワトリ、アヒル、鶏卵、豚すね肉、魚、ごま、砂糖、油――。これらは正月用の配給切符「年貨票」がなければ手に入らない。二姐は一家の正月がかかっているこの紙をにぎりしめ、早朝4時から行列に並んだ。
 家族がそろい、食材がそろうと今度は一家総出で料理にとりかかる。チャンインは湯圓(タンユエン=白玉だんご入りの汁)担当、父は肉だんご専門だった。細かく刻んだ油条(中国風揚げパン)に豚ひき肉、ネギに生姜――。それらをこね合わせて一つずつ焼く父に「味見係」を申し出たことは一度や二度ではなかった。
 その形から「金元宝(ジンユエンバオ=中国の古代通貨)」とも呼ばれる卵皮餃子は一番上の姉、大姐(ダージエ)の仕事だった。まず鉄製のおたまを七輪で熱して油をたらす。そこに溶き卵をひとさじ流してぐるりと回し、黄金色の薄皮をつくる。次に豚のひき肉を入れ、さきほどの薄皮でこれを包めば、できあがりだ。大姐はこれを半日かけて計50個こしらえた。今でも卵皮餃子と白菜を煮込んだスープはチャンインの大好物である。

西日を背に縫いものをする人。旧正月に欠かせないウミウナギの開きが物干し竿にぶら下がる(唐家湾路)

 年末は入浴もひと仕事である。チャンインは大みそ日が近づくと新聞紙に着替えとタオル、せっけんをくるみ、「老混堂(ラオフンタン)」という名の銭湯へ行った。ここには脱衣棚がない代わりに、長い棒を持った従業員が待機している。客が脱いだパンツ、上着、ズボン、外套、人民帽などを順に丸めて棒のかぎ先にひっかけ、天井近くの釘にヒョイとぶら下げてくれるのだ。頭上にパンツというのは考えると少々恥ずかしいが、とにかく靴下一つ落とさぬ名人芸だったらしい。
 湯船はいつもに増してアカまみれ、洗い場は蛇口の奪い合いだ。熱いほうの浅い浴槽はというと、恍惚の表情で足を湯に浸す人でいっぱいだった。どうやら水虫のかゆみを熱湯で和らげているらしい。上海にはこんな俗語があるという。
「水虫の熱湯浴と性交渉。後者の快楽がやや勝る」
 とにかく年の瀬はどこも熱気に包まれていた。
 大みそ日の夜、待ちに待った正月料理がようやく解禁になると、チャンインは肉だんごを思うぞんぶんほおばった。食後はテレビもラジオもない。マージャンはもちろんなかった。しかしみんな満ち足りていた、とチャンインは言う。
 正月も15日目を迎えると、二姐は農村へと戻る。そして翌年の春節、ひと回りやせ細った姿で帰宅した。現地での生活ぶりをたずねる12歳年下の弟に、二姐はいつもこう説明したという。
「ちょっと長めの旅という感じ。すごく楽しいのよ」
 16歳からはじまった二姐の「旅」は結局、10年に及んだ。
 今、二姐と同世代の人々は還暦を目前にしている。孫がいてもおかしくない。もしかしたら再来週あたりには三世代で卵皮餃子をつくったりするのだろうか――。2月7日の春節を前に、そんなことを想像している。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住7年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第17回

再開サイクリング&再会サンニン生活

早朝屋台のコーヒー屋さんの奇人うどん(左)とボク
2005年9月、PAI史上最大の大洪水の日に昇天!!(56歳)

 ボクが旅を始めたのは15歳の時だ。交通費がかからなくって、気ままに動ける自転車の旅。高校在学中の3年間に、学校を気ままにサボっては北海道から九州まで日本中を走っていた。その度を越した気ままさに、担任の先生からは(見かけによらぬ危険なヤツ)と烙印を押され(ああいうヤツにはなってはイケナイ)と他の生徒たちを諭していたものだ。旅を始めた動機は、一日でも多く家にいたくなかったから。ボクの育った家庭内の雰囲気から一刻も早く脱出したかったから。ボクの内なる力強いDNAが最初に爆発開放された瞬間だ。
 そして18歳のボクは高校卒業と同時に、まってましたとばかりに当時フランスのマルセイユまで就航していた大型貨客船(カンボジア号)に乗ってインドに上陸し、そこから自転車で地球一周の旅に出た。生まれ故郷倉敷に「山田サイクル」というオモシロイ自転車屋さんがあって、地球一周に向けて17歳の時そこで自転車を買ったのだ。高卒の月給が2万円弱の当時、7万5000円もする特注キャンピング車で、15段変速26インチ極太タイヤの赤色の自転車。今回、介護生活のために日本に帰ってきてオドロイタのは、その「山田サイクル」のオヤジが81歳でまだ現役続行中だったことだ。要介護3のボクの父親も同じ81歳で、すでに痴呆症になり毎日寝てばかりしているのだから、スゴイ差異!! だ。その度を越した元気さにボクは感動してしまい、実に40年ぶりに「山田サイクル」から2台目の自転車を衝動買いしてしまった。
 今回ボクが選んだのは、6段変速27インチの細目のタイヤで、ハンドルに一歳半の太一を乗せられるシートを取り付けた、大きな買い物籠もついている3万弱のグリーンの自転車。愛妻はるかと太一が実家の長岡から帰ってきたら、彼女の自転車もお揃いで買って、痴呆の両親を放っておいて岡山の(桃源郷)吉備路を家族3人で気ままにサイクリングするのが、今最大の楽しみ。
 前号で描いたように、今、実に50年ぶりに両親との3人生活をしている。ボクの実母はボクが3歳の時、29歳の若さ!! でボクを残して自殺してしまった。29歳といえば太一がこの世に産まれ出たのも愛妻はるかが29歳の時だ。55歳で初の子を持って父となった今、母に向かって泣く我が子を見て思うことがある。

MOON VILLAGEの石釜制作者たかし(右)とボク
2006年3月13日、沖縄の製糖工場で自殺!!(28歳の若さ)

 突如としてボクの目の前から消え去った母を求めて3歳児のボクは泣き喚き続けて母を捜すのだけど、いくら泣き続け涙を流し続けても母は現れない。太一は泣けば涙と共に母はやって来るのだけど、ボクの場合、いくら泣いても涙が涸れても母はやって来なかった。その3歳の時に受けた(絶望体験)で、ボクは深いところで全細胞で傷つき、その(絶望力)は今をもボクを支配しているであろうこと。三つ子の魂百までも!!! その実母から受け継いだ(自殺衝動)を乗り越えるのに僕は30年以上かかり、それを乗り越えられたおかげで今は度を越した(生&性衝動)に突き動かされながら生きている。だから、三つ子の魂百までも!!! が事実ならば、やはりボクは120才までは生きてみよう!! と今本気で想っている。そして、その(絶望力)を乗り越えた時、僕のイノチがどう展開していくのかを見てみたいのだ。(だから愛妻はるかとの年齢差26歳なんて、屁みたいなものなのだ)
 3歳から6歳まで岡山の田舎のおじいちゃんおばあちゃんの処に預けられ、女3人のいとこ達に囲まれて育ったせいか、今でもボクは女3人に囲まれている時が一番シアワセで心落ち着く。だからいつでもどこでもボクの周りには女の人が多いのだろう。そして7歳の時に今の母がやって来て、父と今の母とボクとの3人の生活が始まり、そしてスグ弟が生まれた。だから3人の生活は、ほんの僅かな期間だったけど、まもなく57歳になろうとしている今、50年ぶりの3人生活との(再会)なのだ。
 度を越した前代未聞の49日間の祭り(たましいのかくじっけん)も終わったと思ったら、痴呆の両親の介護生活が岡山で始まり、PAIのムーンビレッジも6周年を迎えて新天地に移る2008年、なんだか再びイノチ命いのちの(たましいのかくじっけん)になりそうだ。次号では、ボクのオモシロ介護生活の実態を描いて見たいな。両親の(痴呆力)に巻き込まれながらも(くるくるぱあ感染源)のボクが巻き返してゆく様を描いて見たいな。

   『純粋単細胞的思考(くるくるぱあの世界)』(晩聲社刊)の著者とろんより

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

【危機の時代に―鈴木邦男・和多田進 10年目の往復書簡】第29回

和多田進→鈴木邦男

いったん休載を提案します

鈴木邦男さま

前略
 さて、とても難しい返信をいただき、正直、対処に苦慮しています。「往復書簡」といっても、私と鈴木さんの間に“やりとり”がほとんど発生しない状況になってしまいました。対話が成立してないことは、ずいぶん前から感じていたのですが、ここに来て私はどう反応してよいのか分からなくなったというのが正直なところです。
 客にいま家に上ってほしくないような場合、玄関に箒を逆さに立てて置くという京都の風習があるという話を聞いたことがあります。あるいは、私が鈴木さんのそうしたサインをずっと見逃がす鈍感をつづけてきたのかもしれないと思ったりもしています。まったく私に思い当たるフシはないのですが、鈍感というのはそういうことにまったく気付かないトンマなヤツのことですから、もしそうだったらどうかお許しくださいますように。
 と、こういう解釈が早トチリの場合もないわけではありません。とにかく、私は前便を拝見して以来、ずっとそんなふうに思い悩んでいる次第です。しかし、あれこれうだうだ考えていても仕方ありません。そこで、鈴木さんにひとつの提案をしたいと思うのです。次回、鈴木さんにもう一度この私の手紙に対する感想を書いていただいて、それでいったんこの往復書簡を休載ということにしたいと思うのですがどうでしょう。話はたしかに尻キレトンボでみっともないような気もしますが、まあ人生にはときどきこういうこともあるんじゃないかと思うんですよ。全てが完結したり、ツジツマが合うことばかりじゃないでしょう。いったん休んで、また書きたくなったら、私からでも鈴木さんからでも申し出る、ということにしませんか。
 こういう提案も多少唐突ではあるんでしょう。けれども、いま現在の私の正直な気分としてはそういうことです。この私の提案に対する鈴木さんの対応を次回掲載させてもらい、それを受けて最後に私の考えを述べさせてもらうという段取りにさせていただきたく存じますが、どうでしょう。
 もし休載に賛成して下さるなら、こんどは10年後でなく、なるべく早く対話ができるといいと思います。あと10年後だと、私はもうこの世には存在しない確率が高いですから。とにかく、以上のような私の提案に対するお考えを次回お聞かせいただきたくお願い申し上げます。

不一

2008年(核時代63年)1月22日
和多田進拝

道29・京都哲学の道(写真・WATADA)

次号予告

 次号の配信は1月の最終日31日です。1年の12分の1が終わろうとしています。ちなみにその日は日本愛妻家協会が制定した「愛妻家の日」ということです。
 さて、次号のメルマガラインナップは、田野城寿男の「楽譜のいらない音楽授業」と岩崎稔の「大陸人の時間」です。
 『メルマガ北海道人』第55号の配信は、1月31日(木)です。

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