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『メルマガ北海道人』第162号 2010.3.18.―「北海道人」、雪どけのあとにつもるもの―

 卒業、入試の合格発表、異動、転勤……。様々なことが節目を迎える3月は、次へ向けての準備をする月です。それにはちょっとした別れが伴うことも……。幼稚園では大好きな隣の席の女の子と、中学校では仲良しグループのメンバーと、転勤が決まった社会人は同僚や先輩と、それぞれ別れて新しい居場所へと向かいます。
 雪がとけて道は乾いているのに、なんだかうまく歩けないことがあります。立ち止まり、上を見上げ、小さなため息――。歩きにくくさせていたのは、これまでの数十回の3月にたまりつづけていた、さびしさとか不安とか期待がまじったような気持ちの塵でした。今年も雪どけのあとに、またちょっとつもりました。こころにつもった塵が春風に吹かれて舞い上がるたびに、ああ、なんでしょうこの気持ち……。
 『メルマガ北海道人』第162号、「上海日記」「とろんのPAI通信」「南の島から――沖縄県黒島の日々」は最終回です、配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 先週1週間、上海はテレビもタブロイド紙も一人の男性ホームレスの話で持ちきりだったそうです。だれが名づけたのか、その名も「犀利哥(シーリーグー=目つきの鋭いアニキ)」。彼がこんなにも注目されることになったわけは? 第78回は「イケメンすぎるホームレス騒動」です。

連載【とろんのPAI通信】

 21世紀の最初の日の出をインドのバラナシで拝み、とろんさんはそこで50歳の誕生日を迎えました。「来年の60歳の誕生日もバラナシで祝いたい」と、いま強く思っているそうです。強い引力が、「CALLING」が、とろんさんをどこかへ連れて行こうとしているようです……。第71回は「あまりにもみだらなまでの自由感」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 今回は黒島最大の神行事、豊年祭で使用する爬龍船(はりゅうせん)の建造事業について若月さんが伝えます。約30年ぶりの新造、八重山でただ一人の船大工は80代……次に必要になったときにこの船を造ることができるのだろうか、と。第52回は「最後の記録」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第78回(最終回)

イケメンすぎるホームレス騒動

 先週1週間、上海はテレビもタブロイド紙も一人の男性ホームレスの話で持ちきりだった。だれが名づけたのか、その名も「犀利哥(シーリーグー=目つきの鋭いアニキ)」という。
 そもそもの発端は2月23日、中国の掲示板「天涯論壇」に街を歩く彼を写した一枚の写真がアップされたことだった。するとネットユーザーたちから「イケメンすぎる」「これこそ男の品格!」といった驚きのコメントが寄せられ、転載に転載を重ねてあっというまにその名を中国全土に知られた。
 皆を震撼させたのは、まずその松田優作似のルックスと奇抜なファッションである。ボサボサの髪に、黒ずんだ爪。不精ヒゲが生え、いつから入浴していないのか顔は黒くすすけている。赤いひもをダボダボのジーパンの腰のあたりで結び、上は皮ジャンの上から油光りのするロングのダウンコートを着用。小脇にルイヴィトンの紙袋を抱え、鋭い目つきで眉間にしわを寄せつつ、くわえたタバコをくゆらせて闊歩している。ネットユーザーからは絶賛の嵐だ。
 「ヘアスタイルは日本で流行中のカウボーイヘアだろ。ファッションはまちがいなく日本のミックス&マッチスタイル。藤原ヒロシ(裏原宿系ストリート・ファッション・デザイナー)も顔負けのセンスだ。腰の赤いひもは画竜点晴(絶妙のアクセントの意)に違いない」
 とうとう「丐風格(乞食ファッション)」という新単語まで生まれた。
 犀利哥のアイドル化はさらに拍車がかかっていく。ネット掲示板には「永遠の犀利哥(犀利哥のPS画像大集合、たくさんあるからゆっくり見てね)」なるカキコミが現れ、画像処理により「シャーロックホームズ版」「ディオール版」「マトリックス版」などのデフォルメ犀利哥が出現。中国でのこの異常な盛り上がりに日本の一部メディアでは「イケメンすぎるホームレス」、イギリスでは「Brother Sharp」と報じられ、世界規模の有名人になってしまった。

足早に去る違法の風船売り(婁山関路)

 実は当初、上海の梅龍鎮広場で出没するというウワサがあり、私も危うく腰を上げかけたのだが、結局、寧波だということが判明。情報が錯綜するなか、人肉捜索(ネットユーザーが人海戦術をもって捜索する方法)によって犀利哥のプロフィールが次々と明るみになっていく。
 犀利哥は1976年生まれの34歳で江西省出身。1997年、南京軍区江西省南昌の部隊に配属され、翌年の大洪水で災害派遣隊として出動。その働きから褒章を授与された。21歳のときに結婚し、2児をもうけて出稼ぎに出たが、まもなく音信がぷっつりと途絶えた。戦友が彼に会ったところ、満足な仕事にありつけなかったことから、現在のように路上で生活するようになったという。「昔の自分はもう死んだから、昔のことを言うのはよしてくれ」と話したそうだ。
 今回の「イケメン」大騒動は彼にとって青天の霹靂だったことだろう。記者やカメラマンに追い回され、ついには寧波市の「救助站」(市が運営する生活困難者救済機関)が救助を受け入れるよう説得に当たった。ところが、犀利哥はそれを拒否。人と交流がなかったためか言葉をうまく話せず、大声で叫んだり、涙ながらに「怖い」とつぶやく様子が放映された。
 本名と住所から家族が判明したのは3月5日のことである。母と弟との約10年ぶりの再会。そのときに2009年に父と妻が交通事故で亡くなったことが知らされ、精神的な打撃を受けたものの、最後は江西省に帰ることに同意し、家族とともに帰っていった。
 衝撃のイケメン写真流出から劇的な解決までわずか1週間あまり。まるでドラマを見ているかのような感覚である。しかし、この大騒動により、中国に何万人といる「犀利哥」――路上生活者の一人ひとりに波乱万丈の人生があることに多くの人が思い至ったに違いない。万博開幕が迫る上海でも工事現場の土管に暮らす路上生活者の問題がニュースになっている。路上生活者を一掃するのではなく、根本的にこの問題が解決されることを心から願う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第71回(最終回)

あまりにもみだらなまでの自由感

 2000年の暮れ、全てを捨てて(あるいは、全てに捨てられて?)インドに旅立ち、21世紀初の日の出をバラナシのガンジス河から拝み、正月26日に50歳を迎えたのだけど、あ!!っという間に9年の年月が経ち、来年2011年の1月には60歳だ。その還暦を、懲りずに、またまたバラナシで祝いたいな、と今、強く想う。
 50歳のときは、誕生祝い直後に聖なるガンジス河の階段から転がり落ちて右足首を骨折し、バラナシから追い出されて、新天地を求めて独り寂しく旅に出たけど、60歳のときには愛妻はるかや太一もいるし、果たして今のボクの状態を聖地バラナシがどう受け止めてくれるのか? が最大の楽しみなのだ。
 その50歳からの旅は2年ほどつづき、2002年の暮れに日本に戻ってきたボクは、前妻から箱型の軽四を借り、車に泊まりながら西へ向かい、アチコチ旅した後、岡山に辿り着いた。そして2003年の元旦の朝、山陽新聞という地方新聞を居間で読んでいるうちに、特集ページに釘付けになってしまった。20代前半のあるカップルが岡山の新天地で営む生活風景を紹介したもので、何枚かのカラー写真が入った全面特集だった。ボクはそれを目にした途端、この目で確かめなきゃ!! と強く惹かれてしまったのだ。新聞には詳しい所在地は描かれてなかったけど、写真と記事内容から彼らの居所を割り出し、東京に向かう途上、あてずっぽうに走り向かった。
 20代のはじめのころ、『風流夢譚』や『樽山節考』などの作者「深沢七郎」に会いたくって、彼の作品を読破しながら彼の居所を割り出し会いに行ったのだけど、それに匹敵するほどの強い好奇心と引力だった。その強い引力に吸い寄せられるように、一度も迷わず、一気に彼らの家に辿り着いた時には、なにか、そういう、呼び寄せられる「CALLING信仰???」のようなものが産まれ出たものだ。
「 あやさん」(写真)という美しくってミヤビなる若い母親が、一歳になったばかりの「良緒(らお)ちゃん」と居て、パートナーの「たつやくん」は不在だった。ボクはその足で東京に向かい、タイへフライトするのだけど、どうしても「あやさん」の片割れの「たつやくん」の声だけでも確かめたくって、成田空港から電話したほど、そのファミリー存在に惹かれ、興味津津だった。

母性20あやさん(パートナーの「たつやくん」&父親似でクールな一人娘「良緒(らお)ちゃん」と一緒に、SPACE「わっかファーム錦海寮(きんかいりょう)」を運営中。岡山のヘソ的母性存在)

 そして、翌年の2004年の暮れに、ボクは究極のパートナー愛妻はるかと遭遇し、2006年に「太一」が産まれた直後、「ちひろさん」(前号の写真で登場)&「よっしー」カップルがPAIのムーンビレッジに遊びに来た。岡山南部の山中に住みながら、仲間たちと「農」を中心とした会社を設立中なのだと言っていたのが印象的だった。そして彼らは翌年、山中の自宅で「わっか」という女の子を出産し、子育てがはじまり、ボクらも2007年7月7日から7週間の祭り「たましいのかくじっけん」がはじまって、それぞれの道にのめりこんでゆく。
 祭りも終わり、稲刈りも片付いたころ、2007年の暮れにボクの両親が同時に入院して、ボクらの岡山での介護生活がはじまったのだけど、介護生活が長引く予感がしたボクは「岡山とろんMAP」を作成しはじめた。ずっと気になっていた「あやさん」&「たつやくん」ファミリーは、新聞に載っていた山の家から瀬戸内海に面した処に移っていて、赤ちゃんだった「良緒ちゃん」も、今、8歳となり、「わっかファーム錦海寮(きんかいりょう)」というSPACEの運営をはじめていた。昔の塩田業者たちの大きな寮を改造したもので、2010年の今、岡山のヘソ的存在となっている。だから、良きヘソの緒、「良緒」ちゃん??? 数年前PAIに遊びに来たカップル「ちひろ」&「よっしー」も、実は彼ら「わっかファーム」の仲間だったことが判明し、「岡山とろんMAP」がよりくっきりとしてきたこのごろ。
 この「わっかファーム錦海寮」で、2月14日、新月の旧正月、バレンタインデーの日、「まさ」という友人の一周忌があった。この日は、「ちひろさん」たちの次女「ムイちゃん」の1歳の誕生日でもあり、「弔い」と「お祝い」で盛り上がっていた。そして、その盛り上がりの翌日の朝、ボクの父親があ!!っと85歳で逝ってしまったのだ。
 7年前、新聞を観て、強い引力に引かれ惹かれて「あやさん」ファミリーを探し当てたような、そんな強い引力が、「CALLING」が、今のボクをどこかへ連れて行こうとしているのを強く感じている。今のこのシラガミたちから、パ!!っと両の手を離したら、一体このボクはどこへ巻き込まれゆくのだろうか???

 15歳から旅をはじめて、59歳の今も旅人のとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第52回(最終回)

最後の記録

 今回で「南の島から――沖縄県黒島の日々」は最終回となる。
 最終回ということで、第47回でも触れた黒島最大の神行事である豊年祭で使用する2隻の爬龍船(はりゅうせん)建造事業の経過について書こうと思う。
 なぜ最終回に爬龍船の建造について取り上げるかというと、爬龍船の新造は滅多にない出来事で、今回は約30年ぶりであるからである。そして、再び子どもの数が減少に転じそうな島の現況と、八重山で唯一の船大工が80代ということから、今回新造する爬龍船が再び老朽化し、新造が必要な状況となったころ、黒島に新造する力があるのか。また、八重山に新造を依頼できる船大工が存在するのかという2つの大きな難題があるため、「記録」として残しておこうと思ったからである。
 黒島から爬龍船建造の依頼を受けた石垣島の船大工は、1月から作業に取りかかると言っていた。しかし、実際に爬龍船を作りはじめたのは2月に入ってからだった。船大工が普段作っている舟は、「サバニ」と呼ばれる小型舟で、黒島が今回依頼した爬龍船は「サバニ」よりひとまわり大きいのである。そのため、船大工が1月から取りかかった作業は黒島の爬龍船建造に対応するための増築工事であった。
 船大工は補聴器を着けないと声が聴こえないという点以外は、とても80代には見えないほどてきぱきしている。作業開始前、材料購入等で頭金としてまとまったお金を支払った時、会計担当者が「ご確認を」と、数えるよう促したところ「ちゃんと数えたんだったらいいさ」とお札を数えなかった。時間の浪費を嫌う職人らしさがうかがえた。
 図面に寸法を落とし、材料にまた寸法を落とすのは「二度手間だ」と言って、簡単な寸法を記した紙を目安にして建造しはじめた。こちらから「記録用に」とお願いして、わざわざ図面を書いてもらった。

パソコンの画面や写真を見ながら内部造作を考える船大工(左)背後は建造中の爬龍船

 爬龍船の内部造作は在来の爬龍船の写真と見比べながら進めていった。迷いが生じた時などは、爬龍船建造のために立ち上げた期成会の役員が、デジカメで今まで使用していた爬龍船を写し、パソコンを持ち込んで、パソコンの画面上で確認していた。そのパソコンを見て、「便利だ」と興味を示し、「いくらで買える?」とか「どこの教習所に行けば習える?」などと言いだした。80代の船大工が見せる、パソコンに対して前向きな姿勢、旺盛な好奇心には驚かされた。
 船大工は作業中に補聴器を外す。電話がかかってきても聴こえないのでとらない。「FAXだったら電話が勝手に受けとってくれる」と言って何かあったらFAXでとのこと。そのようなわけで作業に集中でき、ちょくちょく見に行く度に勢いよく爬龍船の形が出来上がってきて、ひと月ちょっとで1隻できてしまった。これから2隻目の建造にさしかかるところである。
 最後だから「記録」と、偉そうに言いながら船大工の性格を紹介してしまった感じも否めない。「記録」を名目に、暇をみつけては船大工のところへ通い、「最後かもしれない」と言いながら心のどこかで数十年後の「次回」を期待している自分がいる。私の残す「記録」が、個人の「興味」や「記憶」で留まらず、後世の「参考」になる日が来れば有意義だ。
 最後ということで、これまで綴ってきたことをあらためて読み直した。超個人的な視点ではあるものの、これだけ書くネタに困らず書けたことに驚き、「記録」できたことは嬉しい。
 いつまで黒島に暮らすかわからないが、今後も島の自然や文化や行事、そして島人のライフヒストリーに接してゆこうと思った。読者の皆様、島の「記録」にお付き合い頂きありがとうございました。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。いずれも最終回です、絶対にお読みのがしなく!

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