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『メルマガ北海道人』第160号 2010.3.4.―「北海道人」、西の空は春色―

 雨音で目が覚めるほどの大雨の日があったのは、2月のことでしょうか。この雨で積雪はかなり減りましたが、その夜は冷え込み、道によってはでこぼこのスケートリンクのようになったところもあったのでは。暖かくなったり寒くなったり、雪だったり雨だったり、春に向かって不安定な天気がつづいています。気がつけば日もずいぶん長くなりました。仕事を終えた帰り道にふと空を見上げれば、その日最後の夕暮れが西の空に残っていました。紫とピンクが混じりあったような空は春の色。まっすぐ家に帰りたくないという気持ちがムクムクとふくらんできてしまうのは、私のせいではありません。空のせいです。あっ、春のせいかな。
 『メルマガ北海道人』第160号、メルマガに寄り道せずにはいられない3月の夕暮れ配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 昨年の暮れから中国全土で「掃黄打非(サオホアンダーフェイ)」というポルノ・非合法出版物の取り締まりキャンペーンが行われているそうです。取締り対象の重点の一つは、わいせつサイトとのことですが、さて、このキャンペーンの成果は? 中国の人たちの反応は? 第77回は「黄色いキャンペーン」です。

連載【とろんのPAI通信】

 2月1日、「太一や」再開の日にとろんさんのお父さんが入所するグループホームから緊急連絡が入り、とある事情で、痴呆のお父さんを家に引き取ることになったそうです。絶望的破壊的破滅的なお父さんの状態に、介護生活は背水の陣へと急展開してゆきます。第70回は、「『一瞬先は、ひ、か、り』物語」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 日本中に津波警報が出た2月28日、黒島では「牛まつり」というイベントが開催されていました。多いときは4000人もの客が押し寄せるこのイベントの最中に津波警報が発令され、船の運航が午後2時で打ち切りになるという情報が流れました。多くの人びとでごったがえす港で警官は……、若月さんは……。第51回は「まつりと津波と警官」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第77回

黄色いキャンペーン

 昨年の暮れから中国全土で「掃黄打非(サオホアンダーフェイ)」という一大キャンペーンが行われている。「黄色」は中国語でわいせつ、「非」とは海賊版DVDなどの非合法出版物を意味するもので、つまりポルノ・非合法出版物の取り締まりキャンペーンのことだ。
 「ポルノ」「海賊版」というと、思い出してしまうのが上海虹橋区のとある広場に出没する有名なエロDVDおじさんだ。名刺に「中日友善」と書き、僧侶用の布かばんを肩に掛けているのだが、売っているのは香港や日本製のロリータDVDや無修正DVD。知った顔の日本人を見かけると、女性の連れがいようとかまわずに「エロエロ! 今日も買う?」「3枚100元(約1500円)!」と駆け寄ってきて、逃げる背中にガバッと抱きつく。わいせつDVDで、しかも海賊版。つい数日前にも見かけたが、いつにも増して周りを警戒していたようだ。
 しかし、取り締まり対象の重点の一つはなんといっても、わいせつサイトである。中国のネット世界はポルノビジネスの温床だ。大手ポータルサイトのメインページでさえ、女子学生によるきわどい「自拍(ズーパイ=セルフポートレート)」の動画が出てくるなど、至るところにわいせつコンテンツが氾濫。ニュースを読むためにアクセスしたのに、そちらのほうが気になってしまう、ということが女性の私でもしばしばある。そのため、中国では数年前から大がかりなキャンペーンが定期的に行われており、昨年は9カ月間で695件のわいせつサイトが摘発されている。
 今回のキャンペーンは通報者に高額の報奨金が支払われるということもあり、いつになく熱を帯びているらしい。全国各地の「掃黄打非」事務局には開始からわずか1カ月あまりで合計9万253件以上の情報が寄せられ、215人の通報者に対しすでに計22万4000元(約336万円)の報奨金が支払われたという。なかには32件のわいせつサイトの違法性を指摘し、数万元を手にした山西省の大学生や、通報だけで月5000元(約7万5000円)を稼ぎ出すプロの報奨金ハンターも出現。次々とわいせつサイトが閉鎖に追いこまれ、8万人の会員を持つという人気サイト「恋臀者(おしりフェチ)」も「低俗すぎる」という理由で、すでにアクセス不能になった。かつて中国社会で告発は「英雄的行為」であり、賞賛されるべきものだったことを考えると、このシステムは何より有効な手段なのだろう。

日曜日の露天コーラス(魯迅公園)

 もっと気になるのは掃黄打非の一環と思われる「整治手機淫穢色情専項行動」という携帯電話のわいせつ取締りキャンペーンである。1月、上海移動(大手電信会社)がこんなニュースを発表した。
 「送信メールのなかに当局が定めた13の基準に合致する低俗な内容を発見した場合、その番号のメール機能を自動停止させる」
 ちなみに当局が定めた「13の基準」というのはこんな内容である。
 「性行為を暗に表現したもの、性を連想させるもの、挑発的で侮辱的なもの」
 「人体の性部位を直接的に露出、描写したもの」
 「挑発的なタイトルで注意を引きつけるもの」
 実にあいまいな定義なのだ。言うまでもなく、ネットでは戸惑いと批判の声が上がっている。
 「恋人や夫婦同士で楽しむ会話もわいせつってこと?」
 「自動監視システムのNGエロワードを教えてほしい」
 「エロよりも広告メールをなんとかしてよ」
 これを見てアレ? と思った。この上海移動のニュースを初めて見たとき、私は「これは一大事だ!」と緊張した。まるで「これからは堂々と検閲やります」「個人間のやりとりでも自由はありません」と宣言しているようなものだからだ。ところが、中国人の友人に聞きまわると、ほとんどの人は「エロの基準」「きわどいメールを見られること」のほうを心配し、だれも検閲に対して反応しない。不思議に思って友人に聞くと、こんな答えが返ってきた。
 「麻痺しているんだよ。中国人は管理されることに慣れているから、検閲なんて今さら驚くことじゃない」
 たかがエロメールの撲滅キャンペーン。しかし、そこにはとても深刻な問題が隠されていると思う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第70回

「一瞬先は、ひ、か、り」物語

 1月26日に東京で59歳の誕生日を迎えたボクは、28日に痴呆の父が待つ岡山に向かった。家に着いてみると、中型の赤い郵便箱から手紙類が溢れ出ていて、その中に、一番安上がりの特養(特別養護老人ホーム)からの案内状があった。「空き」が出たので4月から入居できるかもしれない、という内容だった。家のすぐ近くの小山の上に在る素敵な施設で、何年待っても入れない入居状況の中、ラッキーな知らせだった。
 昨年11月8日に逝ってしまったボクの育ての母の葬儀後に行う手続きを終えないままタイに渡ってしまったので、帰省翌日の29日から相続手続きなどを再開した。そして30日(土)には、父の居るグループホーム(認知症専門の施設)を訪ね、2カ月ぶりに父との再会をしたのだけど、まるで映画『カッコーの巣の上で』の精神病棟シーンのように、父は首をうなだれ両の腕を垂直にぶらぶらさせながら、電池切れ寸前のロボットのようにヨタヨタと不安定に歩き進みながら現れた。その光景を目にした途端、2月にはライブが二つ入っているし、もしかしたら4月から特養に入れるかもしれないので、それまでの間、父をこのままグループホームに預かってもらうことにして父と別れた。
 そして2月1日(月)、「太一や」を再開したとたん、グループホームから緊急電話が入った。「グループホームの在る同じ市や郡に半年以上住んでる人だけが入居できる」という入居規定を知らないまま新設OPENしてしまい、ほかの市に住んでいた父も入れたのだけど、今ごろになって介護保険事務所から「規定違反」ならびに「介護費補助金返還命令」の通知が来たというのだ。この官僚化された日本ではマンガみたいな話だけど、このナチュラルミステイクのおかげでボクらは3カ月間の介護のお休みが取れ、タイに戻れ、六角堂も再建できたのだから、ラッキー♪というしかないけど、翌日、ボロボロになってしまった父を家に引き取るハメになってしまった。
 そして2月2日、父は自分の家に戻り、慌てたボクは、スグに近くの特養に正式入居の申し込みをした。病的ポジティブなるボクは、「最期の親孝行」への意欲や「未知の世界への探求」への好奇心も自動的に高まり、この2カ月間の介護生活への覚悟のスイッチが入った。そして間髪を入れず、市役所の介護課に行って要介護度を1から4へと変更申請し、その足で隣の建物の社会福祉協議会でケアーマネージャー(介護生活のHELPを無料でしてくれる人)の再開を願い出たのだけど、手一杯!!だと断られてしまった。情け深い??前回のケアーマネージャーがアチコチ電話してくれたけど、どこも手一杯!!で、たった一つ「2〜3日待ってみてくれ」という朗報??があり、それを待つしか手がない。そんな中、一泊目の家での父の状態は、前号で描いた通り、絶望的破壊的破滅的で、家での介護は不可能!! 「一刻も早く!!」父を受け入れてくれる施設を探すしか道は無い!! 介護生活は背水の陣へと急展開してゆく。

母性19ちひろさん(岡山南部の山中の家で「わっか」&「ムイ」を産み育てながら、パートナーの「ヨッシー」とともに畑、パン作り、ライブの日々を送っている少数民族的存在)

 2泊した父は、ほとんど眠ることなく、夜も昼も朝も最悪地獄破局風景を展開しつづける中、ボクは2〜3日も待つことなどできず、再び市役所の介護課を訪ねてみた。このボクの苛立ちのタイミングがよくって、前に手一杯!!で断られた施設から電話があり、担当の患者が亡くなったので引き受けられるというのだ。早速、家に来てもらい、今後の介護方針を話し合ったところ、その人の個人的紹介で有料老人ホームM「笑夢」を紹介された。早速、入所のための健康診断をしに父を病院に連れて行ったら、走行中の車のなかで叫び放ちながらドアーを開けて降りようとするし、病院でも、待合室での暴言暴力の地獄絵図が繰り広げられてゆく。
 意を決したボクは、家に戻って分厚い電話帳を開き、「精神病院」のページを探した。ぱ!!っと目にはいってきたのが広告欄の「認知症専門病棟在り」という精神病院で、内科も小児科も併設されていた。なにも迷わないでスグ!!!その病院に向かって父を連れていったのだけど、父と同じ85歳の院長先生は「暴言、暴力、徘徊、幻覚、妄想」と診断し、即入院。2月4日のことだ。その直後、2〜3日待った施設から不都合だと断られ、紹介された有料老人ホームも審査後に入所不可となったので、結果的には、意を決したボクの綱渡り的速断が正解!!だったのだ。
 自分の家に、たった2泊しただけで精神病院に入院した父は、日々痩せ細り、その11日後の朝、自分でヨタヨタと歩いて朝食に向かい、食卓の前で首をうなだれ座ったまま、まるで、電池の切れたロボットみたいに、かく!!っと、息を引き取ってしまった。2泊3日の家での地獄絵図だったけど、産まれてはじめて、ボクは痩せ細った父の下の世話ができて、うれしかったな。2010年2月15日、85歳でホントに「未知の世界」へ逝ってしまった。

 2年以上つづいた介護生活の終止符♪の音が聴こえてくる今、「みだらなまでの自由感」に突入しつつある、アホとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第51回

まつりと津波と警官

 日本中に津波警報が出た2月28日、黒島では「牛まつり」なるイベントを開催していた。この「牛まつり」は、今年で18回目となる黒島最大のイベントである。牛汁やももやきなどの牛づくしメニューが食べられるほか、牛と綱引きをしたりするプログラムもある。目玉は牛が1頭当たる抽選だ。多い年には4000名ほどの客が押し寄せる大変なイベントである。
 何年か前までは私も実行委員の役員までやって精力的に取り組んできた。今は距離を置いている。現状では島のためになっていないと感じていることと、新たな段階へシフトしてゆくべき時期に来ていると感じていることが、距離を置く大きな理由である。
 私のようにおかしいと感じたことは「おかしい」とハッキリ意思表示し、「やりたくない」と言える性格の人間はよいかもしれない。しかし、島で生まれ育った青年はしがらみも多い。島内的には中心的なメンバーを装っておきながら、相当なストレスを抱え「牛まつり反対」を訴えてくる人もいる。この人たちが自分の意思を自分の口から吐露できる時、「牛まつり」は新たな段階へ展開してゆくのではないかと思っている。
 今年も昨年のように静観し、普段よりも多く押し寄せる研究所の見学者に対応していようと思っていた。しかし、朝から津波への警戒が示唆される報道が相次ぎ、今までとは違う「牛まつり」となってしまった。
 黒島には普段は警官がいないが、島の人口よりもはるかに多い人数が押し寄せる「牛まつり」には、複数の警官が出張してきてくれる。
 警官も普段は島の治安を放置しているからか、「軽トラの荷台に人を載せないで」とか、「バイクはヘルメットをかぶって」などと、いつもどおり油断している島民に積極的に注意してくる。当然のことではある。ただ、島側が彼らに期待しているのは、大勢の人が島に押し寄せることへの不安解消である。制服を着て拳銃を持った警官がテントの下でお茶を飲んでいるだけでも十分な抑止力があり、余計な張り切りは求めていないと思う。

 そうしているうちに津波警報が発令された。島内の防災無線は鳴りっぱなしで、警戒心の強い客は午前中だけ楽しみ、津波到達予測時刻直前の混乱を避けるよう、早めの便で帰っていった。「牛まつり」には船会社3社が朝から次々と臨時便を出して黒島に客を送ってくる。ただし、今回は欠航もあり得ることを告知し、黒島に送り込む客を少しはセーブしていたようだ。でも、多くの人はあまり気にせず留まっていた。
 時計の針が午後1時半をまわったところで、船の運航は午後2時までで打ち切りとの情報が流れて大慌てとなった。島の宿はどこもほぼ満杯である。日帰り予定の2000〜3000名が島に取り残されると、大変な混乱となる。幸い「牛まつり」の会場は港のすぐそばであった。ところが、「牛まつり」での来島をきっかけに、島内を散策する人は多い。私のように「牛まつり」から距離を置く人などが島内を観光する客が行きそうなところへ出向き、船がなくなることを知らせ、トラックの荷台に載せてせっせと港へ運んでいたら、警官に呼び止められて怒られてしまった。
 津波警報が発令され、観光客が足止めされないよう努力している行為を会場のテントから見つけて駆け寄り、注意するのが彼らの使命なのだろうか。
 彼らが駆け寄るべき場所は別にあった。港は多くの人々でごった返していた。一歩間違えば海へ転落する危険もある。津波警報中に多くの人が岸壁に集っているという危険な状況に警官の姿はなかった。幸い各船会社の社員が、混乱を上手に収拾し、次々と客を乗船させていた。港の混乱が落ち着いた時、ようやく警官が一人配置された。
 島には孤独に耐えながら治安を見守りつづけているベニヤ板の警官がいる。彼らはベニヤ板警官以上の働きをしたのだろうか。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

次号予告

 次回の配信は3月11日(木)、パンダ発見の日だそうです。パンダは木登りは得意だそうですが、降りるのは苦手でよく落ちるそうです。パンダは意外とチャレンジャー?
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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