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『メルマガ北海道人』第159号 2010.2.25. ―「北海道人」、女神と魔物―

 オリンピックの応援に熱が入り、選手といっしょに喜んだり残念がったり。ここ2週間の感情の起伏はモーグルのコブ並みに激しいものです。いつのころからかオリンピックには魔物が棲むと言われるようになりました。選手のなかには魔物の餌食となってしまった人も……。一方、同じ場所には勝利の女神もいらっしゃるようで、数々のドラマティックな結果に、見えざる何者かの存在を想うこともあります。女神と魔物がいるオリンピック――各国の代表選手たちが一堂に会して技を競うわけですから、人間じゃなくとも見たくなりるでしょう。願わくはこれから競技をする日本の選手たちが、女神の寵愛を受けられますように!
 『メルマガ北海道人』第159号、勝利の女神ニケ様、なにとぞ、なにとぞよろしくお願いします配信!

もくじ

連載【岩崎稔の『大陸人の時間』】

 春節(旧正月)休みに知人のW夫妻と計画していたことが、仕事の都合で頓挫してしまった岩崎さん。しかし、春節期間中にこれといったニュースがなく、自宅で待機することになりました。2匹の猫と家でゴロゴロしながら「坂の上の雲」など20本ものDVDを観賞したのですが……。第79回は「寝旧正月」です。

連載【橋場了吾の『SAPPORO MUSIC LETTER』】

 今回橋場さんが紹介してくれるアーティストは、デビュー27周年を迎えたロックバンド・カーネーションです。ヴォーカル&ギター・直枝政弘さんの人生の分岐点とは、27年間の道のりとは。アルバムリリースにともなうライブが好評で北海道でのライブが決定! 4月10日に札幌・ベッシーホールです。

連載【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】

 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という川柳から、大西巨人が1959年に書いた論評「大江健三郎先生作『われらの時代』」から、「先生」について考えをめぐらす今回の濡れにぞ濡れし。若い時分は「先生」と呼ばれることを否定してまわったという和多田進ですが、現在は……。第45回は「『先生』と『馬鹿』の関係」です。

【岩崎稔の『大陸人の時間』】第79回

寝旧正月

 今年の春節(旧正月)はバレンタインデーと重なる2月14日が元旦だった。中国では13日から19日の7日間が祝日になり、一年において最も長い連休だった。もともと私は知人のW夫妻と日本の岡山にT氏親子を訪ねようと計画していたのだが、仕事の都合で頓挫した。
 しかし春節期間中、これといったニュースがなく、自宅で待機するだけの日々がつづき、猫とゴロゴロ「寝旧正月」を過ごした。
 以前にも紹介したことがあるが、自宅には2匹の猫がいる。1匹は写真家ロバート・キャパにちなんで「キャパ」。ロバート・キャパはオスであるが、家の「キャパ」はメスで、10歳。もう1匹は引きこもりの「チョロ」。対人恐怖症で私以外の人間が目視することはほとんど無い。9歳になるオスだ。この2匹はもう9年も一緒に暮らしているが、恋愛関係に陥ることはなかった。
 私が仕事もせず罪悪感にさいなまれながらソファーに横になり、買ってきたDVDやテレビ番組を見ていると、その横で2匹の猫がヨダレを垂らし、いびきをかきながら幸せそうに寝ている。しかも「チョロ」は寝ながら“おなら”をする。私が「臭いぞ!」といった目つきで「チョロ」をにらみ付けると、薄目を開けてこちらの様子をうかがう。その後あくびをして、また深い眠りに陥ってゆく。横柄な猫である。
 休み期間中に最もはまったのがDVD鑑賞だ。全部で20本以上のDVDを見てしまった。中にはあまりにもつまらなくて20倍速で早送りし、内容の片鱗すら分からずに見終えた作品もある。

のぞき見 IN 台湾

 鑑賞したDVDの中に昨年末NHKで放映された「坂の上の雲」があった。鑑賞した後、やはりW夫妻らと岡山に行けばよかったと改めて思った。岡山ではT親子を訪ねる以外に、倉敷の大原美術館に行ってみたいと思っていた。そこには私の曾おじいさんに当たる画家児島虎次郎の作品の展示があるからだ。
 児島虎次郎は明治14年生まれ。ヨーロッパに留学し、絵の買い付けをしたことでも有名だ。「坂の上の雲」に登場する正岡子規は慶応3年に生まれ、明治35年に亡くなっている。児島虎次郎の方が正岡より14年遅く生まれているが時代背景は近い。以前から児島虎次郎がヨーロッパへ留学したり、中国や朝鮮へ旅行をしていたころの時代背景に興味を持っていた。特に中国への旅行はどういったものだったのだろうと思う。
 明治27年に日清戦争が勃発しているが、同ドラマによると当時の清国兵士の士気は低く、西洋列強国の脅威にさらされていたという。ちなみに私が中国を訪れた平成7年は、デパートの定員の士気もかなり低かった。
 また当時、日本から海外に出るということの意味にも興味がある。児島虎次郎はどんな思いで日本を出たのだろう。そして、私にとって中国で暮らす意味を、改めて考えるのであった。
 「坂の上の雲」を見た後に、語呂が良いので「崖の上のポニョ」の制作ドキュメンタリーを見た。これまたNHKの番組「プロフェッショナル」を編集したもので、宮崎駿監督を密着取材している。監督の作品を作る姿勢には、勉強させてもらうものがたくさんあった。しかし、何より驚かされたのは、中国語に訳されたこれらの日本の番組を一般の人民も見ているということだった。知的財産権――このことついて考える人はほとんどいないと思われるが……。

終わり

著者近影

いわさき・みのる…写真家。1974年、宮崎県生まれ。東京工芸短期大学写真学科卒業、中国人民大学法学部卒業。95年から北京市に暮らし、同市を拠点に活動を続けるかたわら、アジアのフォトグラファーネットワークづくりなどに尽力している。
*現在ANAの機内誌「翼の王国」で、作家の原口純子さんと「中国万事通」を連載中です。

ホームページ:http://www.minoruphoto.com/japanesemainpage.htm

【橋場了吾の『SAPPORO MUSIC LETTER』】 第33回

染み付いた経験が創り出す”音楽的再生産”の進化

 「メルマガ北海道人」をご覧の皆さん、こんにちは。今回も【SAPPORO MUSIC LETTER】では素敵なミュージシャンの魅力をお伝えしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 人間は生きていく中で決断をしなければいけないことが何度もあります。その決断を、そのときは大して重く受け止めていなくても、時間が経ち振り返ったときに「あのときが人生の分岐点だったんだ」と思うこともあります。
 今日ご紹介するカーネーションはデビュー27周年を迎えたロックバンドです。唯一のオリジナルメンバーである直枝政広さん(ヴォーカル&ギター)にとっての決断の瞬間は、大学を卒業するタイミングで訪れました。
 美術大学で美術教員の免許も取得していた直枝さんは、卒業の時期にレコード会社からミュージシャンとしてデビューする誘いを受けました。美術の先生か、ミュージシャンか。世間でいう安定した職業か、不安定な職業か。直枝さんの決断は“音楽”でした。
 「教職に関しては、いつでも試験を受けられるので親を説得する意味では良かったです。『いざとなったら先生になるから』って(笑)」
 そうしてミュージシャンになった直枝さんは、いつの間にか27年もの間、曲を作りつづけ、ライブを行っていました。好きこそ物の上手なれ。こんなにも長い間音楽をつづけることを想像はしていませんでしたが、終わることも想像していなかったといいます。

ヴォーカル&ギターの直枝政広さん

 その27年は平坦なものではありませんでした。メンバー間の軋轢、脱退、加入、そして再編成……現在の二人体制になってからは2年近くが経過しました。
 「バンドっていうのは色々あるんですよ。辞めざるをえないときもあるし、何らかの形で決裂してしまうこともある……それは一番辛いことですよね。人間関係は本当に難しいなと。でもどんな試練があったとしても毎回自分でも驚いてしまうくらい驚愕のアルバムができてゆく。常に更新していくスタイルが当たり前になってきたという図太さは、つづけてきたことの良さだと思います。運命的ですね、ものづくりは」
 そうして出来上がった2年ぶりのフルレンスアルバム「Velvet Velvet」は2009年11月にリリースされました。そのリリースに伴うツアーも好評を得て、北海道でもライブを行うことになりました。
「色々ありましたけど、このアルバムやライブを聴いてもらえば『カーネーション、大丈夫じゃん』って思ってもらえると思います。このサウンドを、より多くの人に聴いてもらいたいというのが一番の願いですね」
 アルバムを作るごとに、ライブをするごとにカーネーションの音楽は進化していくという直枝さん。これほどまでのキャリアを持つミュージシャンが進化していくというのは、音楽的な再生産が行われているということなのでしょう。“昭和”を知っているミュージシャンの凄みを、CDはもちろん、ライブでも体験してもらいたいと切に願います。

【カーネーション ライブ情報】
・CARNATION tour 2010 ”Velvet Velvet Again”
 2010.4.10(土) 札幌・ベッシーホール 開場/18:30 開演/19:00

(HP)http://www.carnation-web.com/

著者近影

橋場了吾…1975年札幌市生まれ。1998年同志社大学卒業後、札幌テレビ放送入社。ラジオディレクターとして「日高晤郎ショー」「ライブスピカ」等を担当。2005年同社を退社。以後広告制作プロダクションなどを経て、2008年株式会社アールアンドアールを設立し、札幌発の音楽情報WEBマガジン「SAPPORO MUSIC NAKED」を立ち上げる。「音楽で北海道を元気にする」を信条に、札幌にやって来たミュージシャンの取材を続けている。

「SAPPORO MUSIC NAKED」:http://www.sapporo-mn.com/

【和多田進の『濡れにぞ濡れし』】 第45回

「先生」と「馬鹿」の関係

 川柳に、「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」がある。意味は、「先生」と呼ばれていていい気になるほどバカじゃない、ということだ。先生というのはバカだから、そう呼ばれるほどのバカではない、という意味なんかじゃないに違いない、はずである。しかし、後者の意味もなかなか捨て難いと思える先生はいる。いや、案外、そういう先生の数が多いのではあるまいか。
 先生という呼称は、そもそも教師なり医師なり、学識があるはずの人間に付される敬称でなければなるまい。この語には相応の敬意が込められているはずで、「さん」などと同等のものではないのである。
 しかし、現実は違うようである。教師であれ医師であれ、学識などと無縁の「先生」が多いのではあるまいか。学識の片鱗もない「馬鹿」そのもののような人間も「先生」と呼ばれることを容認していることは、だれもが知っている。単に教師という職業だから「先生」と呼ばれ、医師という職業だから「先生」と呼ばれている先生ばっかりが世の中に溢れているのではないか。つまり、「呼ばれるほどの馬鹿」ばかりじゃなかろうと……。
 実は、若い時分から私も「先生」と呼ばれることが多かった人間なのである。教師でも医師でもない私が「先生」と呼ばれるのにはそれなりの理由があったのだろう。もちろん、学識を敬してそう呼ばれたわけではない。適当な呼称が私になかったのである。呼びようのない怪しい人間に対しても「先生」の呼称は遣えるという便利さがあるのである。
 高名な新聞記者のH氏が、私をよく「先生」呼ばわりした。冗談まじりではあったが、そこには軽い侮蔑(ぶべつ)の感情がこもっていたように思う。もちろん、侮蔑よりもさらにいっそう軽い軽い愛も含有されてはいただろうけれども。
 どうであれ、若い時分の私は「先生」呼ばわりされるのを好まなかった。「馬鹿でなし」という意識が強かったのだ。「先生」と呼ばれるたびに私はそれを否定するために労力を使った。いちいち丁寧に「先生」を否定しまわっていた。

江東区北砂('09.7月)

 年を経るに従って、さらに私は「先生」と呼ばれるようになった。しかし、学識がついたからだという誤解は私にない。ますます呼びようのない、怪しい老人になり果ててしまっただけだったのである。それで私は、もう「先生」呼ばわりに反論しないことにした。馬鹿と思われることに快感さえ覚えるようになりたいと思いはじめたのである。
 大西巨人が1959年に書いた評論に「大江健三郎先生作『われらの時代』」という標題のものがある。初期大江健三郎批判として秀逸、徹底的な批判だが、文中では学識あるはずのさまざまな人たちが「先生」と称されている。簡単に言えば、「先生」がみごとに遣い分けられているのである。大江健三郎はもちろんだが、桜町弘子、丘さとみ、花園ひろみ、大川橋蔵、中村錦之助、市川雷蔵らの俳優陣、小田切秀雄、中野重治、武井昭夫といった文学者らもみな「先生」と呼ばれている。なかでも使用例の白眉は「古臭い職業革命家兼文芸評論家先生」や「強姦未遂役専門家先生」「強姦熱望役諸先生」だろう。そして、件の「大江先生」は、それらの使用例とほとんど同列に扱われている。
 この大西評論の末尾に引かれたのは中野重治の評論だった。そして中野文には『道標』(宮本百合子)から以下の文章が引かれている。
 「伸子は、そこをはなれる可能性を示されたとき、ひとしほ深く日本の苦悩に愛着したのだった。もしかしたら自分の挫折があるかもしれないところ。もしかしたら自分がほろぼされてしまふかもしれないところ。しかし、そこに伸子の生活の現実がある。そして、伸子が心を傾けて歌はうと欲する生活の歌がある」
 この伸子のような覚悟をこそ正当とし、伸子とは違って、覚悟なしの生きざまをこそ大西巨人は「先生」と呼んで唾棄したのである。生命を賭けて困難に立ち向かう、まっすぐな生き方、精神をこそ先生と呼ぶにふさわしいと、大西は言っているのに違いない。
 そういう字義通りの先生になれまいものかと、いま私は本気で思わぬでもないような気分になってきているのである。

インフォメーション ポータルサイト「北海道人」更新情報

<WEB絵本・鯨森惣七さんの「コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅。」を更新しました!>

どーぞその12
鯨森惣七さんが旅先で見て感じたことをイラストとエッセイで紹介します。
堺町通でコンブを巻いた天女様に見つめられた鯨森さんは、ぐるーんぐるぐるーんしてきてダダダドドドっと……。非日常世界を覗きたい方はクジラをクリックしていますぐ小樽にトリップ!

コレは、まちのゲー術だ。と叫びつつ、ちょっとずつ歩きまわる旅

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 次号の配信は3月4日(木)、2006年に亡くなったポール・モーリア氏の誕生日です。ポール・モーリアと言えば第一に思い浮かぶのは『恋はみずいろ』ですが、みなさんはいかがですか?
 さて、次号のメルマガラインナップは、上林早苗の「上海日記」、「とろんのPAI通信」、若月元樹の「南の島から――沖縄県黒島の日々」です。
 お楽しみに!

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