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『メルマガ北海道人』第158号 2010.2.18.―「北海道人」、心はバンクーバーへ―

 今週の月曜日、昼に和食の店に入ってカウンター席に座ると、目の前のテレビではオリンピックのライブ映像が流れていました。映っていたのはスピードスケート男子500メートルで、ご飯を口に運びながら見ている間に日本人選手が銀・銅メダルを獲得しました。「ワーッ」と店の人たちといっしょに喜んで、すがすがしい気持ちで店を後にしました。バンクーバーとは17時間の時差があります。早朝、私たちが眠っている間にも、昼ごはんを食べている間にも、バンクーバーでは各国の選手が熱い戦いを繰り広げています。日本人選手94人のうち37人が北海道出身者ですから、応援にも力が入ります。身体は北海道にあっても心はバンクーバーにいます。寒い屋外で応援する人たちのなかに、みなさんもいるのではないですか?
 『メルマガ北海道人』第158号、心は自由にどこへでも行ける、今日はバンクーバーから配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 宗教活動に制限が加えられている中国ですが、仏教徒の数は意外に少なくないそうで、上林さんのお姑さんもその一人。中国のお正月・春節(2月14日)にお姑さんに連れられて初詣でにでかけたそうですが、そのお寺はいつもの上海の雰囲気とは違うよう。第76回は「はじめての初詣で」。むむ、上林さんはじめて??

連載【とろんのPAI通信】

 帰国したとろんさんは、2月2日にお父さんをグループホームから引き取りました。翌日の早朝3時、階下の異様な雰囲気で目覚め、1階に下りてみると、寝ているはずのお父さんがいない! かつては腹を立てたりしたけれど、介護度が4に進んでしまったお父さんに「限りなく優しく」接するようになったというとろんさん。第69回は「『未知の世界の人』への緊急対峙反応」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 2月14日のバレンタインデーの日、世間ではチョコに関心が集まっているその日、黒島は旧正月を祝っていました。日曜日だから大勢が帰省してにぎわうだろうという予想に反して、今年の旧正月は閑散としてしまったそうです。夏に開催される神行事・豊年祭は、他の島々では神様と相談して日取りを決めるそうですが黒島では……。第50回は「日曜日の旧正月」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第76回

はじめての初詣で

 中国は宗教活動に制限が加えられているとはいえ、信仰をもつ人、特に仏教徒は意外に少なくない。「我信佛的(ウォシンフォダ=私は仏教徒)」と公言する姑もその一人である。「今日は観音様の誕生日」「明日はお釈迦様が出家した日」と言っては寺へ出かけるし、自宅では「南無大悲観音菩薩」のカラオケDVDをエンドレスで流している。また、普段は筋金入りの倹約家なのに、袈裟姿の人間に「功徳を積みなさい」などと言われると、200元(約3000円)をポンと出してしまうような人だ。騙されてやしないかと心配だが、どうがんばっても信仰心が芽生えてこない私にとっては、固く信じるものをもつ姑が時にうらやましくもある。
 中国のお正月であるこの春節(2月14日)はそんな姑に連れられ、法蔵講寺(ファーツァンジアンスー)へ焼頭香(シャオトウシアン=年初のお参り)に出かけてみた。日本では生まれてこのかた行ったことがない、いわゆる初詣でである。
 1929年築の法蔵講寺は市街地のど真ん中にある上海唯一の天台宗系道場だ。人気スポット新天地の目と鼻の先にあり、周辺には寿衣店(死装束店)や墓地紹介所、花屋などが立ち並ぶ。通常の拝観料は5元(約75円)。春節期間でも倍の10元(約150元)で、静安寺の春節拝観料が50元(約750円)であることを考えるとかなり良心的な寺でしょう、と姑は得意げである。
 旧正月が明けたこの日の午前中も、雨にもかかわらず百人を超える参拝客がいた。ほとんどはやはり中高年層。なかには若者の姿もチラホラ見られ、その表情は真剣そのものである。
 必須アイテムはお花と蓮の形をしたろうそく、線香、金元宝(ジンユエンバオ=紙銭)の四つ。参拝客はまず中庭で東西南北の仏殿に向かってそれぞれ三礼をし、火をつけたお線香と紙銭を焼香台に入れたあと、「大雄宝殿」へ。釈迦像と阿難・迦葉像の前でひざまずき、手と額を座布団につける動作を3回繰り返す。一般的に祈る内容は家族の平安無事や商売繁盛、株価上昇、地価下落などなど。私も試しにやってみたが、手を合わせるだけの日本と違って動作が多いため、気づいたときには仏様に何も話しかけないまま自分のお参りを終えてしまった。

紙銭を燃やし、祈る人(吉安路法蔵講寺)

 ちなみに参拝客のお供え物は、リンゴやバナナのほかに、お菓子や植物油のミニボトルなどもある。油は引火したらどうするのだろうと心配になるのだが、姑によるとお灯明用ということだ。書籍コーナーでは信者や庶民の持ち寄った仏教書籍が自由に持ち帰れるようになっており、食堂では唯一のメニューである精進ラーメン「羅漢麺」が一杯10元(約150円)で飛ぶように売れている。
 線香がたちのぼり、人が言葉少なにうごめき、鐘が時おり鳴り響く。ただそれだけの地味な寺である。しかし、上海で寺らしい寺に出会ったのはこれがはじめてじゃないか、と思う。
 というのも中国の場合、学校が学校らしく、病院が病院らしく、寺が寺らしくあることはまだそう簡単なことではない。学校では教師が有料の補講を強制し、病院では「袖の下」をチラつかせなければ医者が手術の順番を回してくれない、ということが日常茶飯事なのだ。寺もしかりで、仏像がせっかく立派なのに、施設によっては高額で魚の放生サービスを提供したり、極端な例では寺の初焼香の権利を8万8888元(約13万円)で売ったりというところもあり、私にとっては宗教施設というより商業施設のイメージが強かった。
 だからこそ、おカネの匂いがまったくしない正月の法蔵講寺はかえって衝撃なのである。みやげもの屋もなければ、お守りやくじ引き、念仏のカセットテープ売り場も見当たらない。商売っ気は一切なく、ただ数百人もの参拝客が毎日ここを訪れては静かに焼香とお参りを済ませ、精進ラーメンを一杯すすって帰っていくだけである。その淡々とした人の流れは私にとって実にミラクルな光景であり、隠されていた聖地に足を踏み入れたかのような、ちょっとした感動だった。
 静安寺や玉佛寺は観光地としては悪くないが、庶民に愛されるお寺を見てみたいという人には法蔵講寺をぜひお勧めする。そこでは上海の人たちのもう一つの姿が見えてくるに違いない。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第69回

「未知の世界の人」への緊急対峙反応

 昨日、平成22年2月2日に父をグループホームから引き取り、今朝は、寒さきわまる早朝3時、階下の異様な雰囲気に目が覚めた。愛妻はるかも同時に目が覚めたので、一緒に恐る怖る下に降りてみると、廊下から外に出る戸が開きっ放しで、寝てるハズの父がいない!!! あわてた彼女は、スリッパをはいて寒い外に出て父を探しにいき、ボクは、まず、おしっこをして、寒くって冷え切った部屋を一つずつ電気をつけてチェックした。
 応接間の電気がついていて温風機のスイッチも入れられていたけど、危険な石油ストーブに火はつけられていなかった。ちょっとあわてたボクは、爆発物処理班のように、石油ストーブの裏にある単1のデカイ電池を4つ取り外し、隠した。隣にある台所に入ってみると、テーブルの上のガラスコップが倒れ、絵のように美しくオレンジジュースが流れ光っていて、そのテーブルの下の隅の方に、まるで物体のように小さく父がうずくまっていた。
 ボクとはるかの二人がかりで、寒さで体が硬く強張っていた父を、やはり、ちょっとあわてて、父の寝室(亡き実母と継母と祖母の写真を飾ってある仏壇のある部屋)に連れて行き、硬くって細い老人の四肢をピンク色の電気毛布の上に押しのばし、なんとか、もとに収まった。
 安心して二人とも2階へ上がったのだけど、階下で父が狂ったように大声を出しはじめたものだから、太一が起きたらかわいそうだし、愛妻はるかも「太一や」をOPENしたばかりで疲れているので、ボクは覚悟を決めて起きてしまうことにした。
 朝3時の起床だ。早起きは、どんなに早くっても、独りになれる貴重な時間ができるので、シアワセ、なものだ。1月下旬にタイから岡山の家に戻ってみると、昨年11月8日に亡くなった母や、筆も握れない重度の認知症になってしまった父や、年賀状を出さないボクに13通の年賀状が届いていて、さっき、その返事を台所のテーブルで一気に書いたところだ。そして、その勢いで、今、この原稿を描いている。酒は、まだ、飲んでいない。

母性18 おはるさん(ダンディーなパートナー「しんさん」とともに、岡山県赤磐市の山なかで「パイポン畑」を運営中で、岡山京橋の朝市にも参入している。「太一や」のご飯はそこで穫れた有機玄米。二人の子どもを自宅で産み育てている日本の山岳民族的存在)

 早朝3時から6時半までの3時間半、父は5分おきに布団から起き上がっては叫んでいて、その都度ちょっとあわてて、ボクは台所から仏壇の部屋まで行っては自分でも驚くほど「限りなく優しく」なだめていたのだ。ボクたちがタイに行く前の父は「要介護1」で、認知症とは思えぬほど元気に歩き、話もしっかりとしていて、昨年の8月6日(広島の日)の太一の3歳の誕生日には、自分の広島での被爆体験を皆の前で1時間以上も話してくれ、ピンマイクを胸に取り付けてMD録音までできたほどだった。そしてボクらがタイにいる間、ちょうど、NEW MOON VILLAGE の六角堂の再築がはじまった12月19日に「癲癇」で倒れ、それから一挙に「要介護4」まで痴呆が進んで、歩行も困難になってしまった。
 「要介護1」のときには、父とよく言い争いをしたり本気で腹をたてて後悔したりしていたのだけど、今となってはもう、腹を立てても仕方のない存在になり果て、口論のし甲斐もないほどの「未知の世界の人」なのだ。ちょうど赤ちゃんみたいな存在で、怒っても腹を立てても仕方ないし、おむつも替えてあげないと一人ではなにもできないのだから。
 そういう状況の中で、2月8日(日)に「太一や」の一周年記念祭があり、21日(日)には知久さん(もと「たま」のボーカルで、いまは、ソロ活動および「パスカルズ」のメンバー)のライブが迫りくる。夜もふくめて一日中、少しも目が離せなくって、一人では何もできない父への介護がはじまったのだけど「この介護は、家ではムリ!!!」と、今、身と心の危険を感じている。今日、「全力を挙げてなんとかしなきゃ!!」と、今、ちょっと慌て混乱している。
 総社市内の「グループホーム」(認知症専門の施設)か、一番経済的な「特別養護老人ホーム」か、あるいは「精神病院」入院もありか??? とにかく、家での介護は、破壊的絶望的、だ。今では父をマジで「未知の世界の人」として向き合うしかなく、「小さなことに腹が立たない」ことはもちろんだけど、「未知の世界の探求もできる」その「未知の世界」なんかを知りたいとも全く思わないのだから。
 昨年母が逝き、今、残された父の「終焉」を感じる。そろそろ暗い夜が明け、また明るい一日がはじまる。愛妻はるかと太一は「太一や」に仕事に行き、ボクは今日一日中、父を車に乗せて役場や病院や施設に行ったりして、この緊急事態を打開しなきゃ!!! 2月8日の「太一や」一周年までにはなんとかしないとなあ。全ては「なるようにしかならない」のは世の常だけど、いつでもどこでも「大変」な只中にいるときは、生身の人間にとって常に身も心も乱れゆくものだ。今までボクが何度も描いてきたようにホントに「一瞬先はひかり」なのだろうか??? 今、それが試されている。

      ちょっとあわてている、「ダイジョーぶ経」のとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第50回

日曜日の旧正月

 2月14日のバレンタインデーの日、世間が今年は日曜日に当たったのでチョコが渡しにくいだの何だの言っていたこの日、黒島は旧正月を祝っていた。
 黒島では東筋集落と仲本集落で盛大に綱引きをして旧正月を祝うのであるが、今年は旧正月が日曜日だから出身者らが大勢帰省してにぎわうのではないかと予想されていた。ところが、学校が半ドンとなり、盛大に実施される例年の平日開催と比べ、今年の旧正月は、閑散としてしまっていた。
 私は所要で前日から石垣島に渡っており、旧正月の朝に黒島に戻ったのであるが、黒島に向かう前、石垣島から各島々を結ぶ船に乗ることのできる離島ターミナルで、他の島の人が野球のユニフォームを着て降りてきたのを見て驚いてしまった。「旧正月なのに草野球の試合のために石垣に渡るのか」と。
 沖縄では旧暦が今でも広く日常生活で使われているものの、旧正月を盛大に祝う地域は激減し、海人の多い地域や黒島などの離島ぐらいにしか残っていない。その旧正月の日に離島から草野球の試合のために石垣島に渡ってきている青年を見て、旧暦の元旦に草野球の試合が組まれるなんて、八重山地方も都会化してきたなと改めて感じてしまった。同時に、日曜日だとかえって用事と当たってしまい、平日に開催される年の旧正月より閑散としてしまったのかもしれないとも考えるようになった。
 夏に開催される黒島最大の神行事と呼ばれる豊年祭は、日曜日に実施されている。他の島々では神役と呼ばれる人が神様などと相談して日取りを選択することになっているのであるが、黒島の場合は豊年祭を開催する月とされる旧暦6月中の日曜日の中から選択することになっている。もちろん、黒島にも神役と呼ばれる人々がおり、神役の皆さんが曜日など関係なく、神様と良い日を決定するべきなのであるが、「郷友(島外に住む黒島出身者)が黒島に戻って来られるように」という配慮で日曜日開催となっている。かつては郷友が戻ってきてくれないと行事が開催できないほど島は老人ばかりだったのである。人口はここ30年ほど横ばいで200名余りであるが、当時と比べると青年の割合が増えて島も元気になってきている。

旧正月の綱引き前後に棒術をしたり、ミルクの神様が五穀の種を授けたりするために舞台を持ち上げる人手が必要だが、今年は人数が少ないために東筋集落と仲本集落が舞台を支える人手を確保するのに他集落の男のスカウト合戦がおこっていた

 最近になって一部の「郷友」が、「いい加減に日曜開催は見直すべきではないか」と言ってくるようになった。常日頃、島の外に住む者の影響によって島の行事が左右されるのはおかしいと感じていた私はその意見に喜んだ。
 島内で設けられた日程を議論する席で日曜開催見直し案が郷友側からも上がっていることを紹介したところ、「そんなはずはない」と突っぱねられた。
 翌年、石垣島に住む郷友会の役員らに聞いたところ、日曜日開催を支持する声は皆無で、神役が最も良いという日取りがベストという積極的な意見も出てきた。石垣島の職場で他の島出身から、「黒島は日曜日開催で、平日に仕事を休まなくていいからうらやましいなぁ」と、皮肉をたっぷり込めて言われ悔しいとまで言う者もいた。
 さらにその意見を島内で述べると、「それは郷友会の役員だけが言っていることで、多くの郷友たちは日曜日開催を望んでいる」と突っぱねられた。
 ちなみに、島内的には畜産農家も観光関係者も、ほとんどが自営業なので、土日も平日も関係ない。結局、最近では日曜開催を支持しているのは、郷友ではなく島民だということが見えてきた。
 私は日曜日にこだわるのがイベントで、日取りにこだわるのが神行事だと思っている。今年の閑散とした綱引き行事を見て、豊年祭を日曜日以外に開催した場合はどのような状況になるのか見てみたいという思いが一層強まった日曜日の旧正月だった。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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連載【となりの北海道人「私のお父さん」 第45回】

お父さんの話の向こうにその時代が見えてくる。以外と深いんですよ、お父さんの話。今回の4つのタイトルはこちら↓
「人のために役に立ちたい」
「エゾシカ肉の美味しさをもっと広めたい」
「陶芸は一人一代でいいと思っています」
「死の直前、同じ病院に入院していた」

となりの北海道人「私のお父さん」第45回

次号予告

 次回の配信は2月25日(木)です。バンクーバーオリンピックは終盤を迎え、ウィンタースポーツシーズンは折り返し地点になるころでしょうか。オリンピックに刺激を受けた人たちにとってはこれからがウィンタースポーツシーズンのはじまりになるかもしれませんね。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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