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『メルマガ北海道人』第150号 2009.12.17.―「北海道人」、真っ白―

 氷点下の日がつづいたので、降った雪が溶けずに積もり、街は真っ白になりました。ふんわり積もった雪をふんづけて靴底をチェックしてみたり(だいぶ減ってきたな、すべるかも……)、散歩の犬の足あとを目で追ってみたり(なんでこんなに蛇行してるんだ?)。ごつごつの木肌に吹き付けた雪がうろこのようにはりつき、そびえるイチョウの大樹が天に昇ってゆく竜にも見えてきます(昇り竜! 縁起がいいわ)。真っ白な雪を迎え入れ、寒い寒いと言いつつもなぜか活気づく、街や人や犬や……。
 『メルマガ北海道人』第150号、冬至が近くて夕方には真っ暗だけど、雪あかりに照らされながら配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 日本人と中国人で雑誌をつくるということに挑戦しつづけて7年ぐらいになるという上林さん。働く姿勢、求めるクオリティの違いもさることながら、最も苦労するのはイメージの共有だそうです。先日企画した「場末特集」では場末を説明するのに四苦八苦したとのこと。第72回は「誌面裏の日中交流」です。

連載【とろんのPAI通信】

 12月2日の満月の日にタイに向けて成田を発ったとろんさん一家。PAIへ向かう途中のバンコクから届いた「とろんのPAI通信」第65回は「うちゅうの数学的こうぞう」です。今回も出来事と数字の関係についての独自の理論が展開されていきます。とろんワールド、右肩上がりに上昇展開中!

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 観光客にも人気があるグルクンのから揚げ、人口の13倍もいるのに島内では食べることのできない黒毛和牛、婦人会が手間ひまかけて作っている「しぐれ煮」……第42回のタイトルは「特産品」です。黒島の特産品の裏事情が分かるかも。

【上林早苗の『上海日記』】 第72回

誌面裏の日中交流

 日本人と中国人で雑誌をつくるということに、ここ7年ぐらい挑戦しつづけている。挑戦と言うとなんだか大げさに聞こえるけれど、もう5冊目になるというのにいまだ同じ問題で悩み、右往左往しているのだから、日中混合チームによる雑誌づくりは相当難度の高い大プロジェクトだと思わずにいられない。
 どの業種でも同じことだが、まず働く姿勢の違いに戸惑うことが多い。たとえば締切直前、作業が退勤時間に終わらないとする。日本人スタッフは当然のように残業態勢に入るが、中国人スタッフはこれまた当然のように帰宅の用意をする。さらには仕事に求めるクオリティもかなりの差がある。ルビが1ミリズレたり、色合いが微妙に違っても、ピリピリする日本人に比べて、中国の人は「このぐらい大丈夫、大丈夫」と実におおらか。これも、どうしたら歩み寄れるのか、どこを妥協点にすればよいのかと考えて結論が出ないまま、いつもぶつかり合ってぐったりと疲労する。
 しかし、中国人スタッフと一つの雑誌を作っていく上で、もっとも苦労するのはなんといってもイメージの共有である。雑誌作りは「来月はこういうテーマでいきたい」「このページはこんな感じに仕上げたい」というこちらのイメージを中国人の編集スタッフやデザイナーに伝えることからすべてはじまるのだが、これが意外と難しい。これがクリスマスやバレンタインなどの単純明快なテーマなら1分で説明が済むだろう。しかし、「おふくろの味」「隠れ家」「場末の店」といった侘び寂びがからむテーマや、「死生観」などの重いテーマを扱うとなると、企画や取材そのものよりもずっと難易度が高いのだ。まず言葉の意味を説明するところからはじまって、それをなぜ取り上げるのか、どこが日本人的には「ツボ」なのかを時には日本の雑誌を見せながら、時には絵を描いて納得してもらわなければいけない。普段ファッションや食べ物の話で完璧に共感し合える若い中国人スタッフとも、この時だけはイメージという巨大な壁を前に、急に互いが「異国の人間」になってしまうのだ。

夜の青果店。「さとうきび2本7元(約100円)」とある(山陰路)

 たとえばつい先日、「場末特集」を企画した。万博をひかえて建築ラッシュが佳境を迎えた上海で、わずかに残された場末の店を紹介するという企画なのだが、この「場末」のイメージがデザイナーになかなか伝わらなくて四苦八苦した。私の説明はこうである。
 「つまり町はずれにあって、じゅうたんにはシミがついていて、ガリガリの犬と髪のほつれた厚化粧のママがいて、しかもワケありの過去があるような……」
 説明をすればするほど、相手の顔が苦しげにくもってくる。「一体それの何がいいの?」と言わんばかりだ。結局は説明をあきらめ、「とにかくボロボロだけど味のある店の特集なんです」とかなり乱暴なまとめをして逃げてしまった。今になってみると、魯迅の『孔乙己』あたりを例に挙げればよかったと自分の力のなさを恥じるばかりである。
 この日中間のコミュニケーションがムダであり、雑誌のクオリティを下げるという人もいる。日本人だけで企画を立て、取材し、執筆してデザインすればいいと主張する人もいる。たしかに日本人のための日本語媒体なのだから、日本人の価値観で作れば効率がいいし、いいものができるかもしれない。「場末」のよさを必死に説明した挙句、いぶかしがられるということもない。しかし、中国で作る以上、日本人と中国人がぶつかり、時にはケンカしながら作り上げていくことが雑誌の内容以上に大事だと最近では思うようになってきた。「考えが伝わらないから」「仕事のやりかたが違うから」と異なる価値観を排斥し、わかり合える人間だけで雑誌を作っても、おもしろくもなんともない。それに2回、3回と作り直していくうちにイメージが重なっていく時のあの快感、日本語原稿が理解できないゆえの斬新なデザインが上がってきた時の感動もなかなかのものである。中国人デザイナーのほうが日本の常識にとらわれず、自由な発想で作れるということはよくあるのだ。
 日本人と中国人がぶつかり合い、悩み、発見しながら雑誌を作ること。そのこと自体が文化交流だと思うし、だからこそ何年経っても新鮮な気持ちでいられるのだと思う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第65回

うちゅうの数学的こうぞう

 あんなにデカク燃えながら宙にどっしりと浮いている太陽、地球の周りをくるくると可愛く回りつづける小さな月、それら二つが地球からは同じ大きさに見え、その二つの相互作用で月が満ちては欠け、日食や月食を演じ、地球へも影響してゆく。そして、ひとりでに勝手に動きつづける心臓や、病気や怪我をすると自動的に回復しようとする形ある肉体。失恋や別離やありとあらゆる人の苦悩や悲しみも、大抵は時とともに和らぎ消え去ってゆくようにできている形のない心。それが「ヒト」という一つの固体に共存しながら地球上でドラマや歴史を刻み展開してゆく。そんな地球上に、7月15日、ボクの育ての母は誕生し、満78歳まで生き、たまたま必然、その同じ7月15日にボクの産みの母は自殺して満28歳の生涯を閉じた。
 12月2日の満月に成田を発ったのだけど、この日は、たまたま必然、5年前にボクと満28歳になったばかりの愛妻はるかがPAIのムーンビレッジで初対面し、はじめて言葉を交わした記念すべき日なのだ。東京に来ると必ずといって良いほど、『メルマガ北海道人』編集長、和多田さんの家でものすごくご馳走になるのだけど、今回は11月30日の夜に、多忙の中、時間を作ってくれた。そしてこの日も、たまたま必然、チェンマイのゲストハウスの中庭で、はじめて愛妻はるかと目が合った劇的な記念日だった。
 25年前にボクが和多田さんに出会ってなければ、5年前の彼女との遭遇もありえぬ「うちゅうの数学的こうぞう」を想うとき、自分の直観のふくらみと時代や状況のなりゆきで流れが決定され、やむにやまれず突き動かされてゆく自分の運命に、今、どうしようもなく、涙してしまう。そして、今ここで何故こうしてしまうのか、後になってその意味が見えてくることを想うとき、やはり人は未来からの強い引力(未来力)に突き動かされ、今の自分を位置づけ、流れを決めていってるとしか想えない。
 先月逝ってしまった育ての母の四十九日が、12月26日。そしてこの日も、たまたま必然、ボクらの結婚記念日に当たるのだ。単なる我田引水、数学的強迫観念、ごろ合わせ的駄洒落、病的ポジティブなどと言われる危うさを秘めたボクの「うちゅうの数学的こうぞう」理論は、さらにつづく。

母性14 けいこちゃん(旧ムーンビレッジの運営パートナー「けいじ」の若き新パートナー)

 今、バンコックにいる。「THE RIVER LINE」ゲストハウスの屋上で、背にオレンジ色の優しい朝陽、眼下には市内を貫く大河チャオプラヤー川、早朝の涼しい冬直前の風を体に受けながらの執筆。もちろん、SINGHAビールを飲みながらの酔っ払い執筆、だ。3歳の太一がいるので選んだ最上階4階の一番広い部屋(それでも一泊380バーツ、1000円ちょっとだ)は快適で、昼も気持ちのいい冬迫るバンコック。
 5年前の11月30日に愛妻はるかと目が合い、2日後の12月2日に初対面し言葉を交わし、そして、その5日後の12月7日にボクはやむにやまれず、プロポーズした。PAIではボクらの「くるくるPAIバンド」が毎年12月7日に「ジョン・レノン命日イブライブ」をしていて、そのライブ直前に山の上のお寺でプロポーズし、ライブ直後にステージ上で彼女から「OK」されたのだ。その「とろん史」上あまりにも劇的なる日の夜に、ボクらはバンコックからチェンマイに向かって夜行寝台列車に乗る。
 12月7日、ニューヨークの路上で撃たれ、翌日の8日に逝ってしまったジョン・レノン。彼の誕生日は10月9日で、たまたま必然、愛妻はるかと同じ日なのだ。誕生日といえば、太一の誕生日が8月6日の広島の日で、ボクの父も育ての母も同じ日に広島で被爆していることを想うとき、ますますボクの病的ポジティブなる関係妄想は高まりふくらみ「うちゅうの数学的こうぞう」理論が厳存してゆく。
 母の四十九日、12月26日には、だから、PAIのNEW MOON VILLAGEの新居でボクらの結婚記念日4周年を祝い、そして、ボクが5年前にプロポーズした山の上のお寺「ワット メーエン」で、亡き母の四十九日を弔いたいな、と想っている今、バンコック。四十九日といえば、7週間。2007年7月7日七夕から7週間やった「たましいのかくじっけん」第一弾。そして、そのちょうど3年後、2012年12月からはじまる108日間の「たましいのかくじっけん」第二弾。タイのベストナンバーは9。99+9=108、9かける12は108、四十九日となんとなく関係のありそうな108、そろそろ大晦日で寺からの108つの鐘の音。ああ!! ボクの数学的強迫観念がドキドキわくわくと高まりふくらんでゆく異国の地での早朝執筆。
 「未来力」に打ち負かされてボクが母や父を選んでこの世に誕生し、あ!!っと「うちゅう」が開闢し、地球上に「ものがたり」が産まれはじめた。そしてある日ボクが逝ってしまうと、月も太陽も地球もボクの虫歯もあ!!っと消え去ってしまうのだけど、人の心に刻み込まれた交換不可能なボクの「ものがたり」は、もしかして、語り継がれてゆくのかも。ヒトはドラマティックに誕生し、ドラマティックに生存し、ドラマティックに逝ってしまうことで、地球上に「ものがたり」を産み落とすいきもの。そして、もしかして、地球はそういうヒトの放つ「ものがたり」を食べることで変化展開していける星、なのかも。

    たんなる酔っ払いの、とろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第46回

特産品

 沖縄の居酒屋に行けば大体あるのがグルクンのから揚げである。グルクンとは魚のことで、和名はタカサゴである。このグルクンは沖縄県の県魚である。観光客にも人気のある料理だが、安さにあまりにこだわって店を選ぶと実はベトナム産だったりする。グルクンの刺身も出している居酒屋であれば地元の海人が獲ったものかもしれない。
 島全体が牧場と言っても過言ではない黒島は「牛の島」としてPRしている。人口の約13倍も黒毛和牛がうろついているというのに、島内で黒島の牛が食べられるところはない。島内の飲食店で使われている牛肉はほとんど輸入牛で、グルクンと同様である。
 牛を食べるには牛を殺さなければならない。ちょっと昔は海辺などで自由にやっていたようだが、現在は法律が厳しく、と畜場で適正に処理しなければならない。と畜場は黒島にはない。したがって、黒島の牛を食べるには、一度石垣島に運び、と畜場で処理して再び黒島に持ち帰ることになる。この作業にかかるコストや時間を考えると牛肉を買ってきたほうが安上がりなのである。
 ここ数年、旧正月前になると、畜産農家の青年グループが、石垣でと畜処理した牛の肉を黒島で販売するようになった。畜産農家の人たちが牛肉を購入する姿は不思議なものであった。稲作農家がスーパーで米を買うようなものだ。
 黒島の畜産は、子牛を生産して肥育農家へ出荷する素牛(もとうし)生産と呼ばれている。子牛は出荷した先で大きく育てられ、そこのブランド牛になる。黒島牛というブランドはないのである。
 子牛を出荷するということは、その子牛を産む母牛が存在するということである。母牛は役割を終えると老廃牛として安く売られる。セリでは大きな老廃牛が1万円を切ることもあり、老廃牛をペットとして飼おうかなと思うこともしばしばある。子牛を産ますための牛の育て方と、食肉としての育て方、つまり餌が違うそうで、母牛はおいしくないらしい。

しぐれ煮の作り方を教える講習会の様子

 その老廃牛を活用しようという動きはよく聞く話である。黒島の婦人会も老廃牛を使って特産品を作ろうと、頻繁に集まっては「しぐれ煮」なるものを作っている。まだ試作の段階であるが、イベントなどで販売するとすぐに完売する人気の品ようだ。
 先日、その「しぐれ煮」の作り方を披露する講習会があった。レシピも配られた。これから特産品にしようと試している段階にもかかわらず、おしみなくレシピを公開する気前のよさに驚いたが、その内容にさらに驚かされてしまった。ゆで肉5キロ、しょうが550グラム、泡盛一升半、酢180ミリリットル、はちみつ500グラム、三温糖1.4キロなどと書かれている。どう見ても大家族仕様の分量だ。さらにしょう油の分量は900ミリリットルと表記されたあとに「?」とある。細かいようで適当だ。
 実演はレシピの5分の1程度の分量ではじめられた。なぜレシピも5分の1の分量で掲載しないのか聞くと、「たくさん煮たほうがおいしいわけさ」と返ってきた。
 こんなダイナミックというか適当な婦人会が作る「しぐれ煮」を、肉が嫌いな私は試食していないが、食べた人たちは「おいしい」と言っていた。
 この「しぐれ煮」作りには非常に労力がいるようで、婦人たちはかなり無理をしているようだ。現段階では人件費などを計算に入れているようには見えない。デフレだの何だの騒がれている昨今の情勢からすれば、安いほうが良いであろうが、採算が取れなければ安定的な供給や継続は厳しいであろう。「すばらしい試みだ」などと、おだてる役場の称賛も何だか薄っぺらく無責任に感じる。
 老廃牛を活用しようとする婦人たちの試みが継続することを祈りつつも、婦人たち自身が老廃にならないことを願う年の瀬である。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

次号予告

 次号の配信は12月24日(木)、クリスマス・イブです。教会暦によると24日の日没からがクリスマス・イブとされているようですから、メルマガ配信が、イブの合図ということになります! だいたいですけど……。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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