メルマガ北海道人

HOME > 第146回

『メルマガ北海道人』第146号 2009.11.19.―「北海道人」、汗の季節なのだ―

 天気予報の気温のチェックがかかせない時期になりました。日中は多少暖かくても、夜になるとぐっと冷え込みます。一番低い気温に合わせて服やコートを選びますが、その格好で地下街やデパートをうろうろすると、すぐにじわっと汗がにじんできます。荷物で両手がふさがるとコートを脱ぐのもままならず、用事を足そうとあちこち動いている間に顔は上気し、額、首筋、脇の下などにスポーツをした後のような汗が……。外は雪がちらつくマイナスの気温なのに、コートのなかは赤道直下! でもこれって、サウナスーツ着て両手にダンベル持ってウォーキングしているようなもの……。ひょっとして、健康的? なのでしょうか。
 『メルマガ北海道人』第146号、手に汗にぎるスリリングな連載満載で健康的配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 中国に住んで9年目、訪中の日本人からは「中国通」と見られる上林さんですが、中国の本質を知るヒントは中国ビギナーから得ることが多いと言います。そういう上林さんは成人してからのほとんどを中国で過ごしているので、日本に帰国したときには逆に文化の差を感じるそうです。第70回は「9年目のカルチャーショック」です。

連載【とろんのPAI通信】

 ホスピスの看護婦さんからお母さんについて「あと2週間くらいでしょう」と告げられたとろんさんは、11月の新月に予定していたタイへのフライトを12月の満月に延期。でも、死が近づいている母親のことよりも、帰国後に行う父親の介護の方が不安だと言います。「とろんのPAI通信」第63回は「満月に向かう日々」です。

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 秋になって黒島を訪れる観光客が激減したにもかかわらず、テレビドラマの影響なのか黒島研究所の見学者は微増しているそうです。そんななか、先月から研究所で飼いはじめた三毛猫の「ミケ」が行方不明に! 「ミケ」はいったいどこに? 行方不明から数日後に飛び込んできた「ミケ」に関する有力情報とは?

【上林早苗の『上海日記』】 第70回

9年目のカルチャーショック

 出張や旅行で訪中した日本人に在住歴を聞かれ、「9年目です」と答えると、たいてい「中国通ですね」と感心してもらえる。本人としてはコレといって何も達成できないまま9年を過ごしたという後ろめたさがあるため、そう言われるとむしろ恥ずかしくなるのだが、実は私が中国の本質についてのヒントを得るのは往々にしてそうした中国初心者の方々からだったりする。現地を見慣れてしまったからこそ見えなくなってしまったもの、言葉が通じるから気づかないもの、半端な知識がないからこそ見抜けるものというのが案外あるからだ。
 まず中国ビギナーからいただく素朴な質問が興味深い。
 「なぜ中国人は声が大きいのか」(悩んだ末に「国土が広いから」と回答)
 「マクドナルドやケンタッキーはセルフサービスなのになぜ客が後片付けをしない?」(おそらく雇用枠確保のため)
 「レストランでのお勘定をなぜ席でするのか」(同上)
 「女性はおしゃれなのに男性がいまいち垢抜けないのは?」(上海女性が男性により多くを求めるのはファッションよりも経済力だから、ということに)
 「国営レストランって何?」(そういえば日本では見ない)
 「街にラブホテルがほとんどなくてカップルはどうしているのか」(どうしているのだろう)

夜12時の鉄道工事(江蘇省南京付近)

 私にとってはどれもハッとさせられたり、ついうなってしまう質問ばかりである。以前、「相手(中国人)にとって私がはじめての日本人の場合、初対面のやり取りで私の知らない日本が見える」と書いたことがあるけれど、中国初体験の日本人から受ける質問もまた新鮮に感じてしまう。私はこれを「他力本願カルチャーショック」と命名している。日本にしろ、中国にしろ、あまりに長くどっぷり浸かっていてはいろんなものが見えなくなるということなのだろう。
 ちなみに中国での滞在期間が長いということは、日本での滞在期間が短いということである。たかが31年間のうちの9年、しかし成人後でいえば11年のうちのほとんどを中国で過ごしたことになり、日中文化の差を感じるのはむしろ年に一度の帰国時だったりする。私が「逆カルチャーショック」と呼んでいるものだ。乗客が整然と列をなす電車のホーム、ドライバー同士の譲り合い、市役所職員の慇懃な物言い。最近では「今の日本の若者は」とか「人間関係が疎遠になった」と言われているようだけど、それでも浦島太郎状態の私からすれば規律があって一人ひとりが尊重される、平和な国に映る。
 そして、日本で感じた逆カルチャーショックを再確認するのが、再び中国に降り立ったときだ。人口の規模が違うということは、社会が一人あたりに費やせるエネルギー量が違うということかもしれない。病院や駅で人に譲ってなどいたら永遠に順番が回ってこない。それどころか、生存能力のない人間だと思われるのが関の山である。交通事故に遭って道端でうめいていても関心を持たれないし、サービスの悪さにクレームをつけたところで、顧客はあと13億人いるのだからまず相手にされない。一対一の付き合いではまったく感じないのだけれど、対組織、対社会となると自分がどれだけ非力でちっぽけな存在なのかということを思い知らされるのである。
 それなら「日本に帰れ」という話だろう。でも、何不自由なくぼーっと育った私を鍛えてくれたのは中国の厳しさだったし、そこから見える人間の本質や日本のよさを教えてくれたのも中国だった。カルチャーショックを二つの国で楽しむ体力がある限り、もうしばらくはこの中国にいたいなと思う。

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第63回

満月に向かう日々

 「あと2週間くらいでしょう」と、ホスピスの看護婦さんがボクにそっと告げた。重度糖尿病の母は、今年7月9日に精密検査のために入院して胃癌が発見されたが手の施しようがなく、8月14日に緩和ケアーのホスピスに移った。入院して末期の胃癌を宣告されてから4カ月になろうとする今、母は水も飲めないほど衰弱していて、脈拍も弱弱しく速くなり、どんどん痩せ細り、最後までふっくらしていた顔も頬の肉が落ち、シワクチャになっている。そして、自分で寝返りもうてなくなっていて、軽い布団なのに重く感じ、自分の体の重みで全身がイタイ!! と訴える。栄養失調のために手足の先端が異常にむくんでいて、その部分だけ皮がパンパンに張り異様に白くツヤがあって、蝋人形のように痛々しい。毎回お見舞いに行くごとにスポンジに水をふくませて飲ませるのだけど、死に水をあげてるみたいで、ほとんど意識がない最期の状態。
 そんな中、一昨日、東京から弟が戻ってきて、そして明日はいよいよ11月3日の満月。11月17日の新月にフライトを予約していたのだけど、12月2日の満月に延期したところだ。明日の満月から1カ月後の次の満月のフライトまでには、母は確実にあの世に逝ってしまうだろう。
 そして、明日の満月の朝、痴呆の父は、グループホームという認知症専門の施設に入所する。毎回タイに戻るごとに、父と母の二人を介護老人保健施設に何カ月か入所させてもらっていたけど、今回は父独りで入所する。こういう施設に入るには大変で、何カ月も前から予約を入れておいてもタイミング良く空きがでないと入所できない状態なのだけど、何故だか毎回運よく入所できていて、今回も新設したばかりのグループホームに入所できた。予定では3カ月間の入所で、ボクらがタイから戻ってきたら再び家に連れて戻ることにしているけど、それも父の痴呆度次第で、そのまま入所しつづける可能性もある。だから、父が入所している間に母が逝ってしまうこと必至。ボクらが日本を出る12月2日の満月までにあと1カ月もあるのだけど、今空いてるときに入所しないと、この先施設の空きを探すのは大変困難な状況なのだ。

母性12KEIKOさん(太一やの宿泊者。南伊豆在住。2007年のPAIの祭りに一人息子の「くらうど」と参加)

 葬式のことやら死後の手続きのことやらを弟と話し合ってるこのごろだけど、そんな最期の只中にいる母のことよりも、今のボクは、帰国後の父の介護についての不安の方が大きい。母は肉体的には大変だけど、ヨーガ行者のような断食状態で精神的には安定しているし、この入院4カ月の間に死への覚悟もできてるだろうし、家族全員に看取られながら安らかに逝ってくれると想う。問題なのは、刻々と脳が縮小してゆく痴呆の父だ。
 「要介護度を一つ上げる手続きをしましょう」と介護福祉課のケアーマネージャーに勧められた。床に伏す瀕死の母に接しても「こんなに元気なのに、なんで入院しとんじゃ!!」と繰り返し訴える父。毎日何度も母の状態を説明しても「早く家に戻ればいいんじゃ!!」と繰り返すばかりで全く今の状況を認知できないし、5分経つと忘れてしまう日々。
 ボクは小さいころから、父の人の心がわからぬ無神経さ、神経質で支配的なところ、自分のことしか考えぬ短気さ、世間体ばかり気にする見栄っ張りな性格、学問のなさ、平気でウソをつく性癖などが気に入らなくって、あんな大人には決してなるまい!! と生きてきた。そして、認知症と診断されてからは、ますます平気でウソをつくようになり、過去現在未来のボーダーがあいまいになっていて、イヤ!!な父がますますオモシロク展開拡大してゆく。「病気なんだから怒っても仕方ないよ」と愛妻はるかはボクに優しく迫り、3歳になった太一も「おとちゃん、おこっちゃダメでしょ」と可愛く大人のように迫る日々。
 明日の満月に父はボクらと離れて施設に入所し、そして、次の満月にボクらは父を残してタイに向かう。84歳の父が「あと10年は生きるんじゃ!!」とボクに言い張るのだけど、タイから帰ってきたら果たして一緒に介護生活を送れる状態なのだろうか??
 2007年7月7日七夕から49日間の祭りをPAIでやって、その年の暮れからはじまった岡山での介護生活も2年が経ってしまった。時間のボーダーを喪失してしまった父とボクが平然と楽しく一緒に暮らせたら、父も太一も愛妻はるかも喜び、ボクも少しは楽になれるのだろうか??

    早朝、白波のお湯割りを飲みながら原稿を描くとろんより。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第44回

猫について

 秋に入り、島を訪れる観光客が激減した。定期船などには石垣島の空気だけ運んでくる便が見られるようになった。しかし、黒島研究所の見学者は微増で、多少は朝ドラの『ウェルかめ』効果があったのかもしれない。民宿などもオフシーズンに入り、そこで働く人たちが繁忙期にできなかった旅行などを楽しめる時期となった。
 観光関係者は落ち着いたが、八重山地方はなぜか11月にイベントが多い。先日も石垣島で「石垣島まつり」があり、多くの人でにぎわっていた。浴衣姿で花火を楽しむ姿が11月に見られるのは沖縄ぐらいであろうか。
 先月、「ウチでは猫を飼えないのでもらってほしい」と子猫を連れてきた女性がいた。可愛い三毛猫のメスだったので「ミケ」と名付けて飼うことにした。それと同時に、ネズミ対策で以前から飼っていたメス猫「鯉」(コイ)が家出をしてしまった。「鯉」には仲良しきょうだいのオス猫「茶子」(チャコ)がいた。石を取り除く手術をしたのだが術後の経過が悪く、石垣島の動物病院で帰らぬ猫となってしまった。それ以降、「茶子」の姿を求めて研究所の受付から外を眺める「鯉」の姿がよく見られるようになった。「茶子」の死後、「鯉」は元気がなく、だれの目にも寂しそうに見えていたので、日ごろから仲間の猫を迎え入れようと思っていたのだが、「ミケ」は受け入れられなかったようだ。
 数日後、石垣島に出たついでに「ミケ」の首輪を買ってきた。早速首に付けようと思って探したが「ミケ」の姿が見当たらなくなっていた。そうしているうちに、家出していた「鯉」が帰ってきた。
 それからしばらく、研究所周辺で草刈りをする時はちょっとドキドキしていた。草を刈ったところから「ミケ」の変わり果てた姿が見つかりはしないだろうかと不安があったからだ。幸いそのようなことはなく、数日が経過したころに「ミケ」に関する有力情報が飛び込んできた。
 「ミケ」が行方不明になったころ、肩に可愛い三毛猫を載せた観光客が黒島の港から船に乗って石垣島へ行ったというのである。「ミケ」が慣れるまではなるべく外に出ないように気をつけており、事務室と展示室ぐらいしか行動範囲はなかったはずであることから、研究所を見学した観光客に連れ去られた可能性が大きい。泥棒猫ならぬ猫泥棒に私は怒り心頭だった。

観光客に誘拐された可能性が高いミケ

 以前にも外来種について述べたことがあるが、遠足で島外から来る子どもたちに、黒島で繁殖しているインドクジャクを見せながら外来種について説明し、その問題点などを解説している。そして、黒島から生物を持って出ないように必ず説明していることもあり、余計に歯がゆかった。さらに、黒島には猫がいっぱいいるのに、どうしてウチの「ミケ」なんだとも思った。もっと言えば、どうして他の島からではなく、黒島から連れて帰るんだとも思ってしまった。
 先月出張した黒島近くの竹富島では、年2回の清掃検査で牛・水牛・ヤギ・ニワトリ・犬・猫の頭数をチェックしていた。「犬22頭」に対し、「猫66+多数」という記載から、ここも猫派の島であることが判明した。私が黒島に来たばかりの5〜6年前までは、黒島でも清掃検査の時に犬と猫の飼育数をカウントしており、その当時でも猫が圧勝だった。ついでに言えば、おとなりの西表島にはイリオモテヤマネコという超有名猫がいる。
 「石垣島まつり」の翌日、前夜の出店で買ったヒヨコを嬉しそうに持って帰ってきた女性に会った。先月「ミケ」を持ってきた彼女である。彼女のウチは猫は駄目なのにヒヨコは飼っても大丈夫なのだろうかと心配になり、家族の反対を予想して「ヒヨコを持て余したらちょうだいね」と申し出た。可愛いヒヨコを横取りするつもりだと思われてはいけないと思って正直に「ハブの餌にするから」と付け加えたところ、ちょっと怒っていた。
 私は子どものころに祭りでヒヨコを買って育てた経験がある。途中、イタチに襲われて動物病院にかつぎ込んだり、近所の大人たちから「トサカが大きいからオスだ」とか、「鳴き方がオスだから大きくしてもタマゴ産まないよ」などとからかわれながらも、タマゴをよく産むニワトリに育て、近所の大人たちの適当な言動に対して実証してみせた経験がある。したがってヒヨコを育てる自信はあるのである。ただし、ハンティングが得意な猫、「鯉」から守る自信はないのでヒヨコは育てられないのである。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

次号予告

 次号の配信は11月26日(木)、日本浴用剤工業会が制定した「いい風呂の日」だそうです。週間天気予報を見ると寒い日がしばらくつづくようです。あったかいお風呂や温泉の誘惑に打ち勝つことはできません! って、拒む必要もないですけど。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

※インターネットに接続するとメルマガ上の画像をご覧になれます。

メルマガに対するご意見・ご質問などはこちらまで
メルマガ執筆者へのメッセージもお待ちしております!
mailmag@prc.hokkaido-jin.jp

ポータルサイト『北海道人』
http://www.hokkaido-jin.jp/

※登録(または解除)は、こちら
http://www.hokkaido-jin.jp/mailmagazine/index.html

このページの先頭へ

バックナンバー

最新のメルマガ
第160回までのメルマガ
第140回までのメルマガ
第120回までのメルマガ
第100回までのメルマガ
第80回までのメルマガ
第60回までのメルマガ
第40回までのメルマガ
第20回までのメルマガ