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『メルマガ北海道人』第142号 2009.10.22.―「北海道人」、虹を見上げて―

 札幌圏ではここ数日、変わりやすい天気がつづいていました。風がゴーと吹き荒れ、雨がザーッと降ったかと思えば、太陽がピカッと顔を出したり……。傘を開いたり閉じたり、建物の軒にかけこんで雨宿りをしたり。
 コロコロ変わる天気のおかげで虹を見る機会が何度もありました。大空に七色のレインボー! おまけに夜空にはオリオン座流星群! なんだかいいことありそうな、幸せが近づいてきそうな、そんな気分のこのごろです。
 『メルマガ北海道人』第142号、虹と流星で昼も夜も空から目が離せない、配信!

もくじ

連載【上林早苗の『上海日記』】

 中国の人びとがふと口にする「中国人というのは」という言葉。外国人である自分に中国人の国民性を教えてくれているのだと上林さんは思っていたそうですが、実は……。小学生、足裏マッサージ師、掃除のおばちゃん、辺境地で暮らす人びとまでもが口にするこの言葉から見えてくるものがあります!

連載【とろんのPAI通信】

 第61回のタイトルは「『その道のひと』ツアー」です。愛妻はるかさんの誕生日前日からツアーにでかけたとろんさん一家が、「その道のひと」たちを訪ね歩きます。「その道のひと」とろんさんの友人である「その道のひと」たちとはいったいどんな人?

連載【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】

 黒島の人口はおよそ200人ですが、野生化したクジャクや飼われている牛はそれをはるかに凌ぐ数です。それらよりさらに数が多く、人びとに不快感を与えている嫌われものたちが黒島にはいるそうです。第42回は「不快な連中とその対応」です。

【上林早苗の『上海日記』】 第68回

中国人というのは

 中国の人たちがふと口にする「中国人というのは……」という定義づけの言葉につい反応してしまう。以前はこちらが外国人であることを意識して、中国人の国民性を教えてくれているのだと思っていたが、ある時、こちらの素性が知られていない状況下で言われたのをきっかけによくよく注意してみると、中国人同士の会話でも実に頻繁に話されていることに気づいた。しかも、その発言者はなにも世界を熟知して中国人の特性を知り尽くしている、というような人ではない。下校中の小学生や足裏マッサージ師、それにオフィスビルの掃除のおばちゃんたちまでが腹黒い雇い主を指して「そういうセコいこともやるのよ、中国人っていうのは」などと陰口を言っているのだ。
 私はそれこそ「中国の人っていうのは自国民のことをずいぶん突き放して話せるものだ」と思いはじめた。日本の場合を考えると、異文化比較や日本国の話題でない限りは「日本人」という単語自体、出現頻度が低い。「世知辛い世の中だから」とか「最近の若い人は」とは言っても、いきなり「セコいのよ日本人は」とは言わないのである。眉をひそめたくなるとき、時代のせいにはするが、国民全体をやり玉に上げるなどまったく思いもつかない。
 そこでこう思うようになった。中国の人というのはとても客観的に自分たちの国民性を分析しているのかもしれない。思いこみや他人の受け売りの場合も多いけれど、少なくとも中国の人たちが「中国人」という言葉を発しているときには、まちがいなく世界的な角度から客観視している、と。それはいかにも比較が大好きな中国人らしいし、ちょっとした発見のように思っていた。
 ところが、テレビも人の往来も少なく、異国とは縁もゆかりもなさそうな山奥の辺境地へ入っても、なお「中国人というのは」が聞こえてくるので、これは違うのではないかと疑問を持つようになった。これはもう世界だの、中国人の特性だの、客観性だのには関係ない気がしてきたのである。

軒先でくつろぐ民宿の主人と猫(安徽省黄山市宏村)

 よく考えると、中国人同士で交わされる「中国人というのは」フレーズはため息まじりに使われることが少なくない。もちろん誇らしい意味で使われたり、純粋な分析のときもあるが、たとえば行列の順番抜かしやゴミの山を前にした場合など、どちらかといえば自嘲ぎみのケースが圧倒的なのである。
 なぜその人自身を批判せず、「中国人批判」になってしまうのだろうか。友人たちに聞いてみると、答えは「考えたこともない」「なんとなく口ぐせだから」「中国語特有の言い回しだから」。しかし、一人だけ「劣等感の表れ」と答えた人がいた。彼いわく、中国は遅れているというイメージを小さなころから植えつけられていた。だから、腹立たしい出来事に出くわすと、つい「やっぱり中国人というのは」と嘆きたくなるのだという。この友人はその後、「言いつづけているうちに本当にマイナスイメージにとりつかれてしまうし、民族としての自信の確立に不利益だから今後言わないように気をつける」と反省して私を驚かせた。
 私自身のことでいえば、海外で暮してから日本人の優れたところも劣っているところも少し見えてきたような気がしていたが、正直それを特に誇りに思ったことも、恥に思ったこともない。ましてや母国にいながら、「日本人ってのは」と日本人である家族や友人に愚痴ることなど皆無である。たぶん普段から「日本人」としての自覚が希薄なのだろう。だから、この国の人たちが老若男女問わず口にする「中国人というのは」発言が実は国民の憂い、民族意識の裏返しなのだと知って軽いショックを覚えた。それは祖国を愛する中国人だけに許される合言葉であり、そこには私がただ想像するしかない、未知の感情が流れているからである。
 今でも喫茶店で隣の席から「中国人というのは」と聞こえると、つい耳をそば立ててしまう。いつか私もこの合言葉をさりげなく使える日が来るのだろうか?

かんばやし・さなえ・・・1978年生まれ、奈良出身。京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住9年目。中国人の夫と姑との3人暮らし。

【とろんのPAI通信】 第61回

「その道のひと」ツアー

 日記を青ペンで描きつづけて44年になるけど、ある時期から赤ペンが参入してきた。自分の心の混乱状態を心ゆくまで整理できた時の言葉たちを、自分の心に向けて、赤色で深く刻印してゆくのだ。

 *自分が下したベストな選択すべてに「OKサイン」を出してあげられること。
 *3歳の太一のために、もっと「おおきく、ふかく、ひろく、とうめい」にならなきゃ。
  それが自分のためでもあるし、父としてのボクの仕事。
 *光に向って、一日一日、一つ一つ、心をこめて、丁寧に、心の奥底から湧いてくるものたちを成仏させてゆくこと。
 *人を巻き込む自分の強大なる「バランス力」の核に「愛と優しさと想いやり」があれば、いいなあ。
 *私情を越えたプロの「演技力、表現力、演出力」

 このごろ、ますます強大になりゆく父の痴呆力と老人力にやられ気味なボク。こんな赤ペンの言葉たちを日記に描きなぐりつつ、今、東京の武蔵境駅前の「EXCELSIOR CAFFE」で、この原稿を描きはじめている。
 10月9日(金)の今日、愛妻はるかは33歳になる。台風18号を追いかけるように、10月8日の朝、新幹線「のぞみ」に乗って、東京3泊・京都2泊の「愛妻はるか誕生日ツアー33」がはじまった。お隣の兵庫県に住む74歳の青年「アキノイサム」の新作展が東中野の「ポレポレ坐」でやっていて、8日、その作品群に囲まれて「知久寿焼」(EX.たま、のボーカル)のライブがあった。二人ともボクの大切な友だちなので、33歳の誕生日にふさわしいイブの夜。なんだか「その道のひと」の狂気の美しさを感じた夜だったな。ボクも58歳にもなっちゃって、介護でうろたえながらも「その道のひと」?

母性10りょうちん(太一やの宿泊者。3年前、インドのダラムサラで出会った看護師さん。その道のひと)

 10月9日(金)の今日、愛妻はるかが33歳になる。彼女は3がベストナンバーで、自分の息子「太一」が3歳の今、33歳を迎え、今日、3時33分に、『メルマガ北海道人』編集長の和多田さんと待ち合わせして、みんなで誕生会!!! 和多田さんとは出会って25年にもなるし、やはり「その道のひと」の狂気の美しさを醸し出している大切な友人だから。そしてそのあと、夜にボクらは333メーターの東京タワーに登って、夜景を観ながらカンパイ!!! そして京都では、まず「三十三軒堂」に直行する。剣豪宮本武蔵が吉岡一門と戦ったとされる(吉川英治のフィクション??)三十三軒堂は、「私は宮本武蔵のうまれかわり!!」などとボクに真顔で断言してくる愛妻はるかにふさわしい祝い処。
 そして最終日の夜、「パスカルズ」のライブで「その道のひと」ツアーのフィナーレを飾る。「パスカルズ」は知久さんをふくめた元「たま」のメンバーたちの新たなるバンドで、ヨーロッパ、特にフランスでは絶大なる人気があり、やはり「その道の人ひと」たちの狂気の美しさを秘めた14人のコラボレーション。
 緩和ケアー病棟「ホスピス」で死を待つだけの母に「5日間来られないけど」と固い握手をしてきた。そして父は、介護老人保健施設「グリーンピース」で8日間のショートステーをしている。介護保険などを駆使してのボクらの5泊6日「その道のひと」ツアー。「その道のひと」たちに両親を預けて「その道のひと」たちを訪ねる「その道のひと」ツアー。
 このツアーに出る直前、ボクの想いが突如と強く膨らみ、父と母が毎夜眠っていた仏壇の在る八畳部屋の障子やふすまの修復をはじめた。突如と、母の「お通夜」の風景が頭に浮かんできたのだ。その八畳部屋はボクの手が全く加わってなかった彼らの「奥の院」だったから、障子やふすまのアチコチが破けていたり穴があいていたりして、全体的に埃だらけだったのだ。
 出発の前の日、愛妻はるかと太一とボクの3人で、まるで儀式のように、丁寧に、想いを込めて、そのすべてを色とりどりの折り紙で修復した。このツアーが終わったら、カラフルに全面修復された八畳部屋をキレイに片付け、隅々までふき掃除して、そして、浄化されたその八畳部屋に再び母が戻ってくるのを迎えなきゃ。ボクもいよいよ介護生活の中で「その道のひと」??? なにしろ両親の介護をしてゆくことで、ボクら家族3人が生活できている介護のプロなのだから。人は「その道のひと」になりきってしまえば、賃金労働などをしなくっても生きてゆけるのだから、ホントに摩訶不思議なる「人間力」さまさま。

    「その道のひと」???とろん、より。

著者近影

とろん・・・1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪を始める。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行し、今に至る。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社刊)があり、この3年間は『とろんのPAI通信』を(なまえのない新聞)に連載中。2001年、50歳のときにタイのPAIに流れ着き、MOON VILLAGEという村つくりを展開しながら、(くるくるPAIバンド)を率いPAIでライブ活動中。

ホームページ:http://amanakuni.net/toron/

【若月元樹の『南の島から――沖縄県黒島の日々』】第42回

不快な連中とその対応

 黒島では人口約200名の島に、約200〜500羽の野生化したクジャクが生息し、人びとを困らせている。観光客は島の人口の約15倍、人口を圧倒する3000頭ほどの牛の数に喜ぶ。そして、そのクジャクや牛よりも多いうえに、皆に不快感を与え嫌われている存在がハエとザリムシである。ザリムシは小さな昆虫だ。
 奴らは定期的に大発生する。ハエが大発生するとひっきりなしに顔などにとまるため、イライラする。黒島でよく聞かれる笑い話で、夕食の時間に出来上がった食事を見て、「今夜は赤飯だ」と思いながら席に着いた途端、白いごはんに変わったという話がある。つまり、ご飯の上に多数いたハエを豆と見間違えたために赤飯だと思ったが、近づいたらハエが逃げて普通のごはんになったという話である。また、ハエに慣れていない島外の人などに対しては、つまみなどにハエがとまっても「黒島のハエはお風呂に入っている」などと言い、気にしないように促したりしている。
 島のある家でお祝いがあった日は、ちょうどハエが大発生していた時だった。テーブルに並べられたオードブルのふたは閉められたままで、オードブルをつまむ一瞬だけフタを開けていたのはつい先月の話だ。私は黒島に来てはじめてハエ取り紙が身近な生活用品となった。しかし、ハエ取り紙はハエの抵抗が激しいと、ベトついたハエが落ちてくるので吊るす場所の考慮が必要だ。また、ネズミ被害対策も兼ねて研究所で飼っているネコが子猫だったころは、吊るされたハエ取り紙が風などで揺れると反応し、飛び付いてベタベタになるということもあった。ハエ取り棒というアイテムもある。ハエ取り紙がお箸よりもちょっと長い棒状になったものであるが、これには苦い経験がある。ハエが大発生した初期頃、ハエ取り棒を設置してすぐに「これなんですか」といって粘着面を握ってしまった研修生、ハエ取り棒にびっしりついたハエを見て、ショックで帰ってしまった研修生や悲鳴を上げた来客もいた。

島の外灯の下を見てみるとザリムシが大量に……

黒島研究所玄関の隙間を布テープで閉じて侵入を阻止

 黒島にはなぜハエが多いのだろうか。単純に牛が多いからハエが多いと考えられがちであるが、サンゴが隆起してできた島は島全体の表土が薄く、このこととハエの多さに因果関係があるという説もある。黒島よりも牛の多い島に行ってもハエの存在を意識したことはなかったので単純に畜産が原因とは私にも思えない。
 ザリムシも厄介だ。和名はツチカメムシか、その仲間らしいのだが、さすがカメムシと名乗るだけあって臭い。服の中にまで入ってくるのである。私のように体毛の濃い人は毛にからまってなかなか追い出せない。このザリムシはハエ以上に不快である。
 ザリムシは夜に姿を現す。大発生時の夜はスクーターで走っていてもザリムシがぶつかってきて痛い。「ザー」という音がしたので「おや、雨かな?」と思ったら、ザリムシが窓ガラスにひっきりなしにぶつかっていて、驚かされた夜もある。ザリムシは照明に誘引されるのだが、夜は私の職場も戸締りをし、日中開きっぱなしのドアも閉められる。ところが、閉めたドアの隙間から果敢に侵入してくるのである。その侵入を阻止するために、ドアに布テープで目張りをし、侵入を減らす努力はしている。目張りは外側からしたほうが効果的なのでそうしているが、これが都市部なら消防に通報されかねない光景であろう。
 黒島では網戸が破れていても気にしていない家が多い。郵便受けがある家が稀なこともあり、何軒かは網戸の破れた隙間から郵便物や新聞が放り込まれていたりする。そんな大雑把な家でもやはりザリムシには我慢できないようで、大発生時には網戸の破れた箇所を布テープでふさいで対応している家も見られる。対応策まで大雑把を貫き通している。
 島では大雑把な人じゃないと前向きに暮らせないかもしれない。

著者近影

わかつき・もとき・・・1974年広島県生まれ。沖縄国際大学大学院地域文化研究科修了。高校まで広島で過ごした後、沖縄の祖母の家へ移り住む。大学卒業後、そのまま沖縄でサラリーマンになったが、遊び足りなくて退職。大学院へ行ったはいいが、みんなまじめに研究していて衝撃を受ける。現在は八重山諸島の黒島にあるNPO法人日本ウミガメ協議会の附属研究所・黒島研究所でウミガメや島の人々らと戯れている。

黒島研究所ホームページ:http://www.kuroshima.org/

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「私の好きな店」File.No.11

「トラットリア・ピッツェリア・テルツィーナ」―イタリアン―

第11回目は「お料理 あま屋」店主・天野さんの「私の好きな店」をご紹介します。

「私の好きな店」File.No.11

次号予告

 次号の配信は10月29日(木)です。10月ラストの配信です。
 さて、次号のメルマガラインナップは、岩崎稔の「大陸人の時間」、橋場了吾の「SAPPORO MUSIC LETTER」、編集長・和多田進の「濡れにぞ濡れし」です。お楽しみに!

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